森友ゴミ問題







 森友学園問題は煙に巻かれたまま幕引きかと思いきや、次なる爆弾証拠によって新たな火種を熾した。民進党によるヒアリングにおいて、設計会社と森友側弁護士のメールのやりとりが公開されたからだ。深度3m以深のゴミの存在を明らかにするために実施したボーリング調査の結果、予想に反して深度3m以深にゴミが確認されなかったという結果が出たものだから、あたふたした結果、不利な証拠は伏せておこうという一部始終が詳らかになった。


 ここで取沙汰されたのが、ボーリング調査結果の「柱状図」の存在とその解釈についてである。国会議員の話も財務省の話も要領を得ないばかりか間違った見解を示しているので、専門家の立場から説明しておく。


 「柱状図」というのはボーリング調査(通常は径66mmで掘削)結果であり、地盤の地質構成、層相(粒度、締まり具合、色調、含有物など)、N値(地盤の強度的数値の計測結果)などが記載されたものである。地盤調査の基礎ともいえるこの柱状図1本で周辺の地盤状況が明らかになり、複数本の柱状図があればそれらを繋いで地質断面図を作成する。




〔柱状図の例〕
新柱状図




〔地質断面図の例〕

地質断面図.jpg



 深度3m以深にゴミが確認されなかったのだから、敷地全体において深度3m以深にゴミがないと断定できるという意見が出る。かと思うと、ボーリング調査地点でたまたまゴミが確認されなかったのであって、周囲にゴミが存在することは大いにありうるという意見が出る。さまざまな意見や憶測が展開し、混乱している。


 これらの意見は正確に言うとどれも間違いである。地盤には自然に堆積した自然地盤(地層)と盛土や埋土などの人工地盤に分けられ、ボーリングサンプルによって容易に区別できる。ゴミなどの廃棄物は窪地に残土などと一緒に投入されるので、ゴミの存在イコール人工地盤である。しかしゴミが存在しないことイコール自然地盤ではない。ゴミを混入しない人工地盤もあるからだ。


 本件の場合、深度3m以深にゴミが確認されなかったという事実も重要であるが、それ以上に、深度3m以深が自然地盤なのかどうか、人工地盤と自然地盤の境界はどこなのかが最大の問題となる。深度3m以深が自然地盤であれば、敷地のどこを探しても深度3m以深にゴミは存在しない。深度3m以深の何m区間にまだ人工地盤であるとすると、その深度までゴミが存在する可能性がある。要するに、ゴミの有無よりも地盤の評価が重要なのである。





上戸家系







 わが家は私と同居人の2人暮らし。趣味も性格も不一致にして、日常はほとんど別行動のすれ違い。いわば赤の他人の同居人状態だが、唯一、酒を飲むことだけが共通した趣味である。嫁に出た娘は我々に輪をかけて呑み助。東京で暮らす息子もまた呑み助。娘の旦那も息子の嫁もこれまたよく飲む。ということで、正月とかに家族一同、大人6人が会して食事に出るとなると、ふつう、ひとりやふたり下戸がいて私が運転しましょうということになるものを、誰一人運転を引き受けない。かくして6人が6人とも、大酒を食らって酩酊状態で帰路につく羽目になる。


 そもそも家系的に酒をよく飲むらしい。その筆頭は、私の名である「きよし」を命名した「きよ蔵」というお爺さんであり、酒がもとで亡くなったと聞く。私にとっては大変迷惑な話であり、酒飲みという悪しき素性を継いだばかりか、名まで汚された感がする。同居人は結婚当初から下戸であったが、夫の放蕩に匙を投げてやけ酒したのをきっかけに、今では負けず劣らずの大器晩成型の酒飲みに成長した。


 毎月の酒の量が半端じゃない。半端じゃないから、焼酎(甲類・芋)とウイスキー(NIKKA黒ラベル)は質を落として4リッターのメガサイズを常備。それに缶ビール、酎ハイ、ワイン、サワー、日本酒など。家計における酒エンゲル係数はかなりのもので、仮にお酒を飲まなかったら、蔵のひとつやふたつは優に建っただろう。





4リッター




 必然的に空き缶や空き瓶の量も半端じゃない。週一の資源ゴミ収集日にビニール袋一杯の空き缶や空き瓶を出すのは、さすがに近所の手前、恥ずかしい。少しずつスーパーの空き瓶空き缶コーナーに日参する。


 毎日の飲酒によって、さすがに肝機能障害や糖尿への影響が出始めたが、それでも酒を止めない。その覚悟たるや見上げたもの。とはいえ、酒を止められない弱者は病気への臆病者でもある。そこであるひとつの家庭内ルールを作った。家で酒を飲むと、要するにタダだからいくらでも飲むのであって、有料にすればいいのである。ここで生まれたのが「一杯100円」のルールである。


 一杯100円ルールとは、何を飲んでも一杯100円であり、貯金箱に入れるというもの。ただし1杯の量は、焼酎80ml、ウイスキー50ml、ワイン70mlと線が入ったメジャーで計測し、後は生地で飲もうが割って飲もうが自由。特例があり、スポーツジムで汗を流した日は1杯サービス。誕生日その他特別な日もまた1杯サービス。さらにボトルキープ制がある。1000円のウイスキーをキープするときは同額をキープ料金として支払えばタダで何杯でも飲める。


 一杯100円ルールを制定し実行してかれこれ2年。糖尿内科の先生が驚くほど血糖値が低下し、もう来なくて良いと若い美女ドクターに見放された。100円ルールはそれなりに抑止力となり、飲むためにジムで汗をかく。一杯100円貯金は貯まる貯まる。毎月の酒代は楽々調達できる。まさに一杯100円ルールは健康と家計を両立させた名案である。


 上戸と上戸を掛け合わせると間違いなく上戸が生まれ、その上戸に別の上戸を掛け合わせるとさらに強力な上戸になる。かくして、わが家系は揺ぎない上戸家系として醸成していったのである。




言葉と心情






 日本語というものは難しいものだ。ちょっとした言い方ひとつで、相手を気遣った優しい言葉にもなり、逆に相手を傷つけたりもする。「東北の震災によって甚大な被害を受け、今なお多くの被災者が避難所暮らしを余儀なくされ、金銭的にも精神的にも大変苦しい思いをされている」と前置きした上で、「同じような震災が東京で起きたら被災規模は何十倍にも及ぶ」と言えば済むものを。


 すべては「良かった」の一言が問題なのであり、言葉の選択を間違った訳である。しかし、そんなに大事(おおごと)なことであろうか。マスコミが大々的に取り上げ、激怒する被災者のインタビューだけを放映し、野党が突っ込んで国会が紛糾し、大臣を辞任する、それほど大事(おおごと)なことであろうか。


 公人それも大臣の発言としては、勘違いされそうな不用意で軽率な言葉であることに間違いない。しかし、国民誰ひとりとして、「東北で震災が起きて良かった」なんて思ってないし、大臣もそうである。それを承知の上でマスコミは問題劇場を作り上げる。


 我々身のまわりの一般人においても、東北のことになると、神経過ぎるほどに言葉選びをし、そして異口同音に「被災者に寄り添う」と言う。東北のことについて少しぞんざいな口のききようをしようものなら、「被災者に寄り添っていないからそんなことが言える」と逆鱗に触れる。


 一方、身の廻りに、東北の野菜は買わないし、福島の魚は絶対に買わないという人が多いのも事実。それでは一体、「被災者に寄り添う」とはどうすることなのか。ボランテイアに行けない人ができる寄り添いとは、例えば東北の野菜を買ったり、救済募金に寄付したりすることもひとつの方法ではないのか。無論、一日も早い復興を祈るのもそうだけど。「被災者に寄り添う」という空虚な言葉だけがひとり歩きし、そう発することで自己満足に浸っているように思えてならない。


 言葉は確かに大切であり、重みがある。こと弱者に対する言葉は、相手を傷つけないように注意する必要がある。しかし「被災者に寄り添う」など一見優しい偶像化した言葉が流布し、それが実体を見えなくしていることもある。あまりに慎重な言葉選びによって、意見の萎縮が生じ、本音が見えないこともある。言葉は嘘をつけるが、人の気持ちや心情は嘘はつけない。発せられる言葉だけにとらわれて、人の心情の奥底を見誤ることのないようにしないといけない。



つばめの話






 広島市内に「つばめ交通」という老舗のタクシー会社がある。広い車庫に何十台ものタクシーが納まり、そこから頻繁に出たり入ったりする。その車庫に今年もつばめ一号がやってきたそうな。毎年、車庫のあちこちに巣を作り、子作りに精をだす。巣から藁が落ち、糞が落ち、直下の商売物の大切な車を汚す。汚しては洗車し、洗車しては汚すことを、何十年も繰り返していると言う。それはそれは途方も暮れるような洗車の作業なのだが、「つばめ交通」の繁栄はつばめのお陰と、会社は洗車を厭わない。その話を聞いて、できるだけ「つばめ交通」に乗るようにしている。



つばめ交通



 同じく、わが家のガレージにも毎年、つばめが巣を作る。昨年は風が強くて、作っては落っこち、貼っては剥がれ、最後まで不完全な巣となり、今もその残骸を残す。別の場所に新たに作ればよかろうものを、毎年、同じ場所に作る。残骸の上に作ると剥がれやすくなる。だから、つばめ一号がやってくる前に残骸を除去して、巣作りの準備しておかねば。


ツバメ


 どういう訳か、つばめは毎年、同じ場所に巣を作ろうとする。雨よけ、風通し、湿度や温度、壁の凹凸や材料の調達などの巣作り環境に加えて、家主の人柄も配慮しているのだろうか。ほんとうのことは、つばめに聞いてみなければわからない。タクシー会社と同様、巣の直下にある愛車の洗車を頻繁に行う季節になった。


 話変わって、広島市内に「つばめ」というラーメン屋がある。醤油とんこつの広島ラーメンの店はどこも美味しいが、とりわけ「つばめ」は一押し。いつ行っても満席。なんでも、麺がなくなり次第閉店という。美味しい店にはタクシーやダンプのドライバーが集う。当然、「つばめ交通」のドライバーも見かける。この店のオーナー、麺一筋でつばめ御殿を建てたと聞く。


つばめラーメン


 つばめに纏わる言い伝えは全国にある。「つばめが三度巣をかけると千万長者になる」(愛知)、「つばめは火事を出す家には巣作りしない」(秋田、山形、山口)、「つばめが巣をかける家は縁起が良い」(千葉、新潟、愛媛)、「つばめは田の神様を負うてくる」(広島)などなど。いずれにしても縁起の良いつばめを今年も迎える季節になった。




黄昏の抗い






 なにが不満というわけでもない。贅沢してないが今の恵まれた余生に満足もしている。それなのになぜなのか。


 ときどきは外で美味しいものを食べたいと思う。でも、家で食するひじきやごぼう、白菜の漬物の生活に馴染んでいる。それなのになぜなのか。


 たまに旅に出たいとも思う。だが、馴染んだこの地でゆっくりと過ごすのが心地いい。それなのになぜなのか。

 高望みしているわけでもなく、今の生活に満足している。それなのに、これでいいのかと、ふと思う。


 負けたくないとがむしゃらに頑張ってきた人生。大方は勝利したと自負する。だが、今思うと、そんなことは価値のないことだと思う。


 お前は現状に満足していいのか。お前はほんとうに、この人生でやり残したことはないのか。そう、自問自答する。


 紳士ぶった顔して、実は私は不道徳者だと思う。偉そな振りして、さして頭も良くなく、さりとて腕力も体力もない。臆病者で、それでいて片意地を張る。


 この歳にしてまだ地団駄踏み、歳をかえりみずにまだなにかリアクションを興そうとしている。まだ燃焼しきれてないと見栄を張る。


 心の中で叫ぶ。畜生!畜生!と。世間や社会や人に対してではなく、自身の不甲斐なさに対して。夢や目標を忘れようとしている吾に対して。そして安穏としている自分に対して。そういう自分が悔しいのです。涙がでるほど悔しいのです。


 行き着くところ、一体、人生にとって一番大切なこととはなんだろうか。



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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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