老いのはじまり






 今思えば、それは日常のなんでもないことから始まった。家を出てふたりで車で出かける。しばらく走って、「鍵かけたかしら」と彼女が言う。「では戻って確認しようか」と言って戻る。100%鍵はかかっている。家を出て5分や10分の近場であれば、穏やかな会話で済み、素直に確認作業に従った。しかしそれが30分も走ってとか高速道路に入ってとかになると、「いい加減にしろ!」と次第に語気を荒げるようになった。それでも鍵以上に「ガス消したかしら」と言われると、泣く泣く戻らざるを得ない。しかし、これまで不安が的中したことは100%ない。この不安行動は、「ガスよし、戸締りよし、電気よし」と、運転手のように声出し指先確認することで、ほぼ事態は沈静化した。


 それからしばらくして、トイレの電気のつけっ放しが多くなった。最初の頃は「トイレの電気、つけっ放しだよ~」と普通に注意した。たまに私にもあることなので、その場で互いに注意し合った。しかしそれが再々になると、注意していいものかどうか悩んだ。ただの消し忘れでなければ、本人に注意することで本人が傷つきはしないものかと。それで次第に告げずにそっと消すようになった。本人が傷ついて悪い方向になることを考えれば、電気代なんて知れたものである。


 「つけっ放し」や「やりっ放し」などの「ぱなし生活」が続いてからしばらくして、同じことを口にすることが出てきた。最初は、「それはさっき聞いた」「それもさっき聞いた」とつっけんどんに答えた。しかしそれが二度目になり三度目になると、恐くなった。果たして、「それはさっき聞いた」「それもさっき聞いた」と正直に返答していいものだろうかと。今は、ぐっと躊躇してから半分聞いた振りなどをしている。酔ってからの会話という分、多少の気休めもある。


 福岡の施設に暮らす義父から今日も彼女に電話がかかっていた。義父からの電話は何時間にも及ぶ。昔話、それも自慢話を延々と繰り返す。その話は何べんも1万回も聞いたと言っても繰り返す。ガラ携を彼女は耳に当てたまま炊事をしたり、たまに置いたまま用事をする。聞いてない相手に延々と話を繰り返す義父の声が漏れる。それでもたまには耳にして相槌を打たないと「ちゃんと聞いているのか」と怒鳴るらしい。義父の症状は最近さらにエスカレートし、安倍総理と友だちだとか、あの大学は私が建てたとか、この世はばい菌だらけだとか、訳のわからぬ話に彼女を含めて親戚一堂が当惑している。


 さて最初の話に戻るが、「鍵をかけたかどうか不安」というのは、年齢の問題ではなく気が小さいという本人特有の精神状態だと理解していたが、そうでもないらしい。最近、私にもそういう要素が出始めている。会社を出て「エアコンを切ったかなぁ」「プリンターの電源切ったかなぁ」と確認に戻ることが多くなったからだ。


 頭の中でどのようなことが起こっているのかわからない。人によっても環境によっても違い、必ずしも年齢だけの問題ではない。しかし言えることは、最初は小さな不安が能に働き、それが次第次第に能にダメージを与えて損傷していくのではないのか。そう考えると、鍵の掛け忘れ不安から義父の症状に至るまでも、程度の差はあれ、すべては繋がった老いの推移ではないのかと思う。


 人は誰しも老いる。体の老いはジムに行くなり散歩をするなりそれなりにカバーできるが、精神的な老いはどのように抑制すればよいのか。これは私の持論である。鍵の掛け忘れ不安のように、精神的な老いはすべては不安から始まる。声出し指先確認のように、不安に正面から対峙して丁寧に解決する。解決できればくよくよしなくなる。どうにかなると能天気に気構える。デジタル機器を積極的に楽しむ。楽しい行事に積極的に参加する。要するに、いつも頭を使って楽しく飲んで食べること。それが精神的な老いを抑制する良薬だと思うのである。




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