被爆地・広島の願い






 ここ広島という街に移り住んだとき、頑として他を受け入れない閉鎖的な風土を感じて、正直、好きになれなかった。それは、野球のみならず、仕事においても、よそ者を受け入れないとか新しいことに消極的だとかに現れていたように感じた。


 そんな広島で暮らして早35年、どこか田舎臭い方言も気にならなくなったし、長年住めば住んだで、地元に対する熱い思い入れを魅力と感じ、広島の食材が大好物になった。人の情と風景に愛着を感じ、今では住めば都を謳歌している。


 その一方で、広島は長崎とともに世界で唯一の被爆地という宿命を抱える。その宿命が頑な人情と地元結束という風土を形成したと言っても過言ではない。広島の人たちは多くの被爆者の方々とともに歩んで寄り添ってきた半世紀と言える。今日、被爆者の願いは世界で語られ、広島の街は平和のシンボルにもなってきている。しかし一方では、原爆投下に対するさまざまな意見が錯綜し、ときには政治に利用されることもある。


 さてここ広島の街は、今年4月のG7外相会合が開催されたのに引き続いて、オバマ大統領の広島訪問というビッグニュースが飛び込み、今はその準備のために慌しい装いとなっている。


 オバマ大統領の広島訪問について国内関係者から好意的な評価が盛り上がる一方、原爆投下に関しては国や立場によって意見の相違が見られる。日本政府は謝罪を求めないと早々と発表し、広島県と広島市もこれに追随する。その一方で、某被爆者団体は「大統領は謝罪すべきだ。広島県や広島市が国に追随して謝罪を求めないことに違和感がある」と発表する。また、当の米国は「どのような状況であっても謝罪することはない」ときっぱり言う。


 さて、その『謝罪』であるが、一体、誰が誰に対して何についての謝罪なのか。そもそも『謝罪』といものは、求める性質のものなのか、求められてするものなのか。『謝罪』は自省なくしてあり得ないのである。それでもあえて『謝罪』するというのなら、米国が原爆投下という過去の自国の過ちについて自ら『謝罪』することが先決であろう。日本が求める『謝罪』にはどうにも違和感があって仕方ない。広島の根本的な願いは『謝罪』してもらうことではないはずである。核兵器廃絶の平和を願うことが広島の真の願いなのだと確信する。



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