物の見方、考え方の裏表







 物事の見方や考え方というものは、自分が置かれた立場から見た場合と、相手の立場に立って考えた場合では、眞反対になることもある。自分が置かれた環境からすれば常識であっても、相手からすれば非常識になることだってある。同じ環境の中に長いこといると、その環境に馴らされて、環境が生む自分の考え方が常に正しいのだと勘違いするからである。したがって、何が正当で何が理不尽なことかを見極めるには、あまり頑なに考えず、一度今の常識をかなぐり捨て、相手の立場で考えてみるがいい。


 そう考えると、かの国の言い分はそれなりに理屈があると言えなくもない。いかにも厚顔無恥の無法者が、無茶でとんでもないことを言ったり行動したりしているようだが、冷静にそもそも論から考えると、それなりに理屈がある。相手が核を捨てない以上、こちらにだって核を持つ権利があると言ってるのだから。


 そういえば、同盟国の大統領選の異端児候補者の発言も、ある意味全うである。核で守られているならその代償を払えと。要するに、自国は自国で守れと言っているのだから。そのとおりだ。


 そもそも核不拡散条約は、戦勝国による戦勝国のための条約である。戦勝国は核を保有してもいいが、それ以外の国が核を保有することを禁じている。これほどに不平等で理不尽極まりない国際条約があろうか。同盟国の大統領がプラハで演説した核のない世界は偽りなのか。もし彼が本気で核のない平和世界を求めるならば、すべての核保有国が核を破棄する道筋を打ち出すべきだろう。


 実際には国際社会は綺麗事ではなく、力と力の泥仕合であることは百も承知。隣の大国による国際秩序を無視した横暴を見ればわかること。島の領有権を無理やり主張するのを見てもわかること。さすれば、かの国だけを国際社会がよってたかって糾弾するのは、少しおかしい。隣の大国の横暴の方が、国際法的には問題だと思うのだが。それもこれも、戦勝国だけで牛耳る理不尽な国連という言い逃れが元凶にある。


 人は力によって不正義を正義に変え、正義を不正義に変える。戦勝国が正義であり敗戦国が不正義、富める国が正義であり富めない国が不正義。そういう考え方が国際社会を支配して蔓延している以上、核のない平和社会などあり得ない。すべての物の見方や考え方には裏と表があり、世に言う正義とされる物の見方や考え方は、すべて富める勝利者による独断なのである。


 そういう国際政治のことをあれこれ論調しても仕方ない。政治を学んで日常に活かそう。人には人の物の見方や考え方があるというもの。よく人の言葉に耳を傾けよう。




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No title

おっしゃるとおりです

Re: No title

呑兵衛あなさん、
おひさしゅうございます。
お元気なご様子で何よりです。
あなさんにお墨付きいただければ
この上ないです。

No title

武器を持てば
使ってみたくなる
そのうち
人類は滅びるかも知れない
地球は痛くも痒くもないが

映画「渚にて」を思い出します。

Re: No title

ripple7さん、
こんにちは。
こちら、梅雨のような雨です。

> 映画「渚にて」を思い出します。

ああ、そういうのありましたね。
ほんと、そうです。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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