人の情(なさ)け






 小学校時代、遠足に行くのが嫌だった。家が貧しくて、遠足のお弁当もいつもと同じアルマイトの日の丸だったから。私のリュックには日の丸とともに、おやつとしてリンゴがひとつ入っていた。それでも日々の暮らしぶりからすると、リンゴまるまる1ケをリュックに積めるのには、母は子に申し訳ない胸中ながら、かなり無理したのだと思う。


 ただ、遠足は少し気が楽なところがあった。恥を白日のもとにさらされる毎日の給食の苦痛を考えれば、精神的には楽だから。遠足の昼飯どき、私はみんなと一定の距離を置いて木陰で過ごす。


 するとしばらくして、担任の女性の植木先生が私のところにやってきた。先生は「食べた?」と私に聞く。「うん」と頷く。「先生、これ食べきれなかったから半分食べてくれない?」と弁当を差し出す。「代わりにリンゴを少し貰うね」と言って、取り出したナイフでリンゴの皮を丁寧に剥いて切ってくれた。人の情けを初めて感じた瞬間である。大きくなって、植木先生に感謝したくて随分と探したが、未だに消息がわからない。


 以来、人生を長くやっていると、そのときどきで人の情けを感じる。幼い頃に貧しさを経験したからこそ、人からの恵みや幸をほんとうにありがたいと実感できるのだろう。30歳のとき生死をさまよう大病をして、いろいろな人の世話になった。その経験があるからこそ、健康のありがたさに心から感謝し、周囲の人の支えの上に生きていることを実感できるのだろう。これまでに受けた人の情けは、今度は生涯かけて恩返ししていこうと誓う。





スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

いいお話ですね。
吉岡たすく先生の本に出てくるみたい。

百姓の子は
里芋が採れれば
毎日里芋弁当
勤め人の子が
羨ましかったなあ

Re: No title

ripple7さん
こんにちは。

> 吉岡たすく先生の本に出てくるみたい。

吉岡たすく先生?
知りませんでした。

> 百姓の子は
> 里芋が採れれば
> 毎日里芋弁当

百姓でも何でも、
親がいればよいです。
弁当があるだけマシです。

No title

私の父(三村清登)は広島の原爆孤児で、、、。
「他人の飯は重い。一杯のご飯でも義理がついてまわるんじゃ。
それを返さんかったら、人は乞食いうけんの」
そんな口癖をよく言ってました。

情=義は同義語と思います。
義の字は、「我」と「羊」
「羊」は「美」と同義。
即ち「義」とは正に「己にとって美しく生きる」
となります。

久永先生は決して嘘は言わない。
その根幹の一コマを見た気がしました。

P.S 安倍首相の件。よろしくお願いします。

Re: No title

三村社長
お元気でしょうか?

> 「他人の飯は重い。一杯のご飯でも義理がついてまわるんじゃ。
> それを返さんかったら、人は乞食いうけんの」

よ~くわかります。
父上の教えを守っているのですね。

> 情=義は同義語と思います。
> 義の字は、「我」と「羊」
> 「羊」は「美」と同義。
> 即ち「義」とは正に「己にとって美しく生きる」

でました。三村社長のお得意の豊富な語彙。

> 久永先生は決して嘘は言わない。

そのことを肝に命じます。

> P.S 安倍首相の件。よろしくお願いします。

わかりました。
三村社長の頼みとあらば
喜んで協力します。
プロフィール

geotech

Author:geotech
geotechのブログへようこそ!

団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
blogram投票ボタン
フリーエリア
シニア・ナビ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR