エンブレムという響き





 「エンブレム」という言葉の、華やかであり崇高であり、それでいて他を寄せ付けない冷たい響きが問題の鍵であるように思う。

 「エンブレム」という聞き慣れない言葉。この騒動が起きなければ知らなかっただろう。「シンボルマーク」ではいけないのか、あるいは「ロゴ」ではいけないのかと尋ねたら、厳密には違うという。「ロゴ」は単なる図案であり「シンボルマーク」は象徴的な図柄であり、「エンブレム」は理念や概念を象徴的に表現したイメージなのだという。そう説明されても、どこがどう違うのか全く理解できない。早い話、「エンブレム」はそんじょそこらの民が素足で近寄れない崇高なものらしい。

 それもそのはず。聞くところによると、選考する側も選考される側もその道の限られた村の集りらしい。デザインという専門的分野の中の、さらに限定された村社会である。オープンとは名ばかりの出来レースの感も否めない。当然、そこに柔軟な発想もなければ奇想天外なアイデアが生まれずはずもない。

 それにしても、選考されたエンブレムがどこかの劇場のロゴに似てるだの、原案はどこの図柄に似ているだの、ああだこうだの似たもの合戦には辟易している。果たして、似ていて何が不利益なのか。オリンピックのエンブレムに似ているのは光栄なことだし、それで劇場観客数が増加すればめでたしではないのか。ただひとつ、似ていて不利益なことがあるとすれば、それは訴える側のデザイナーとしての権威でありエゴである。

 それほどまでに自分の図柄を守りたいのであれば、著作権なり商標権なりで保護すれば済むことである。このネット社会においては図柄の検索は容易であり、ネットで監視できるし、ネットでの拡散も容易である。だから似たものが出てきて当然である。ここが似てるとか、これはセーフだとかいう専門家の意見も極めて曖昧である。セーフとアウトの線引きは不可能といっていい。究極論でいうと、全く同一なもの以外は認めざるを得ないのである。

 別にデザインとう特殊な業界だけの話ではない。科学分野においてもそうだ。専門図書や論文に見たことがある図表が出てくることがある。昔私が作成した原図だと言い張っても何の徳(得)にもならない。原図は廻りまわって活かされ、利用した人がたまたま見た引用文献を記していれば済むこと。おおよそ、科学の世界で大元は私が作成したものだと言い張るのは聞いた試しがない。

 「エンブレム」という、華やかであり崇高であり、それでいて他を寄せ付けない冷たい響き。それは、デザインという仲間内だけのエゴを象徴するものであり、決して民衆化された文化に醸成されていないことを意味するのではないか。





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No title

シンボルマークを
エンブレムに変えたのも
わざとらしいが
新鮮さを
出そうとしたのだろう

かわや→御不浄→便所→お手洗い→トイレ→バスルーム。
個人的には御不浄なんていう言葉が好きです。

Re: No title

rippleさん、
こんばんんは。
今夜は涼しいです。
そちらはいかが?

> かわや→御不浄→便所→お手洗い→トイレ→バスルーム。

なるほど、そういうことですか。
悪しき変遷ですね。
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