「余震」と「予震」
大きな地震の後に、残されたストレスが徐々に発散する地震が「余震」である。一方、大地震の前にはその予兆を知らせる地震があると言われ、それを「予震」という。ただし、気象庁および日本地震学会は「予震」という定義を認めたがらないようである。
「余震」と「予震」の違いは、「余震」は本震に比べて規模が小さく時間とともに規模も頻度も少なくなりやがて消滅するのに対して、「予震」は来るべき大地震の前兆であることである。従って、「余震」が想定内のある意味安心できる地震であるのに対して、「予震」は将来の大地震を予兆する非常に不安な地震といえる。そういう意味で、「余震」と「予震」は絶対的に性質が異なるのであって、「余震」とみなすのか「予震」とみなすのかによって事の重大性は正反対に違ってくるのである。
さて、2011年3月11日の東日本大震災以降、4年が経過した今もなお東北・関東を中心に地震が多発しており、昨日も関東地方で最大震度5弱の地震が発生した。昨日の地震も含めて、気象庁は3.11以降に東北・関東を中心に発生した地震をことごとく3.11の「余震」としている。
しかしながら気象庁は、震源の深さと場所、時間系列、メカニズムなどの観点から、3.11の「余震」で間違いないという明確な証拠を示していない。気象庁に限らず、学会も大学も多くの学者も「余震」として処理している。なぜなら、「余震」として片付ければ説明が楽だからであり、国民に要らぬ不安を煽り面倒なことにならないからである。
人心を惑わせ要らぬ不安を煽ることがいいわけがない。しかしだからといって、3.11と同等以上の大地震の「予震」の可能性について言及しないで済むはずがない。軽々と「余震」を言うなかれ。あくまでも「余震」を貫くならば、明確な証拠を示すべきである。
「余震」と「予震」、たったひとつの字の違いで明暗を分けるのである。国民は余りにも予断をもって事の真相を見間違えることのないようにと願うばかりである。ついでながら、人の愛にも「予震」と「余震」がある。愛の予感と愛の残り火。
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