太宰治論





 過日、ある人と雑談していて、話が文学のことに及んだ。そのとき、私はとりとめもなく「太宰治は嫌いだ」とつぶやいた。ほんとうに、とりとめもなく。すると、ある人曰く、「太宰治論を書いたら」と。そう言われて、書かないのも癪(しゃく)である。しかしそうはいっても、論じるには少なくとも相応の準備がいる。

 早速、電子本を調べたら、アイウエオ順に「ア、秋」から「富嶽百景」まで48編が納められていた。勿論、「人間失格」も「走れメロス」も「斜陽」もある。これらすべてを読んで論じようと、始めた。

 多分だが、太宰治の代表作を過去に数編読んで、うんざりした記憶がある。その印象から発せられた、とりとめもない不覚のつぶやきであった。今回は彼の作品すべてを、じっくり読破してやろうと意気込んだ。だが、その目標はあえなく萎えた。端的に言うと、面白くない上に、長くてくどくて、イライラして、絶えられないのです。それで、心ならずも中途半端な論を書くに至った。

 論より証拠。たとえば、「人間失格」の中の一文です。
(原文のまま)『・・・・・・・・・プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けていける、苦しくないんじゃないか?エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか?それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、・・・・・・夜はぐっすり眠り、朝は爽快なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金?まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけど、金のために生きている、という言葉は、耳にした事がない、いや、しかし、ことに依ると、・・・・・いや、それもわからない、・・・・・考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。』 

 すべてがこんな調子なのです。長くて、くどくて陰湿で、ベトベトした空気がまとわりついてくるのです。彼は句点も読点もわかちゃいない。というか、多分、彼は煙草をくわえて畳の上を立ったまま徘徊し、思いつきで言葉をめぐらせ、それを側近が筆記する、そんな情景だったらこんな文になるだろう。間違っても、原稿用紙と格闘し、書いては削除し、熟考に熟考を重ねているとは、到底、思えないのです。

 それに、彼の文は基本的に文章としての体をなしていない。これほどひとつのセンテンスが長いと、まず主語が何だったのかがわからなくなる。文全体の構成がわからなくなる。文の前後の関連性がわからなくなる。

 そもそも、読みやすい文章とは、できるだけワンセンテンスが短いことが基本条件となる。その方がわかり易く、テンポが良く、接続語や間接語の適用によって前後の関係が明確になる。彼の長たらしい文の読点は、読者のための読点ではなく、彼が思いめぐらすための彼自身のための休息に過ぎないのです。つまり、読者を意識した作家の優しい文ではなく、全くもってエゴな作家の文なのです。ただただ、自分の思いをつらつら、ダラダラ、綿々と綴っているだけで、そこに何の工夫も企画も仕掛けもないのです。その引き際の悪さといったら、ありゃしない。

 もうひとつの事例。「ア、秋」の中の一節。
(原文のまま)『悲惨と情欲とはうらはらなものらしい。息がとまるほどに、苦しかった。枯野のコスモスに行き逢うと、私は、それと同じ痛苦を感じます。秋の朝顔も、コスモスと同じくらいに私を瞬時窒息させます。』

 彼は特化したデリカシーの持ち主であることを自作自演し、それによって孤高詩人であることを鼓舞しているように思えてならないのです。極端な感情移入が、何かしらワザとらしいのです。

 また、このような一節もある。『僕くらいの炯眼の詩人になると、それを見破ることができる』と。自信過剰も甚だしい、高慢ちきな詩人だこと。嫌なタイプのナルシストを見てしまったような気がするし、逆に哀れさを感じるのである。

 結局のところ、太宰治は何を言いたいのか。俺くらいの詩人ともなれば、いくらでも引き出しを持っているから、どんなテーマだって書ける。さあ、どうだ!と。その自信過剰とは裏腹に、彼の文章には絶望感が漂う。人間社会におけるあざむき、虚偽、不正、それらを根源にした人間不信が根底にある。しかし太宰は自分にもそうした人間のずるさや悪さがあることに気づき、自己矛盾に陥り、妙諦(みょうてい)を見出すことができず、苦しみもがくのです。やがてそれが絶望へと繋がり、そして自暴自棄の結末へと誘う道筋が見えてくるのです。 しかし、それもこれも太宰の歪んだ物の見方や、たまたま彼自身が経験した不信がベースにあることが原因なのです。普遍的に物事を捉えようとする姿勢が太宰にないことに、私は最も腹立たしさを覚えるのです。そして、よくよく考えてみると、どこか私も太宰と似たところがあることに気づくのです。






スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

良いか、悪いかは、難しい問題です。
好きか、嫌いかと問われれば、迷うことなく、嫌いと答えます。
長くて、くどくて陰湿で、ベトベトした空気が、嫌いです。
自信過剰も嫌いです。

人間失格の一文を要約すると、「私は、不安と恐怖に襲われるばかりなのです」となります。(笑)

No title

太宰治論、
難しいのをやっつけましたね~(笑)

でも、「本当にそう!」と思えました。
私も若い頃一度読み、早々の体で読むのをやめました・・・彼は最後は自死でしたね。無理もない!!

Re: No title

吾喰楽さん、
こんにちは。
寒暖の差が著しいですね。
お元気そうで何よりです。
毎日の献立、盗み見の通り魔を
しています。

> 良いか、悪いかは、難しい問題です。

あっ~、文章としても典型的に悪いと申し上げたい。

> 好きか、嫌いかと問われれば、迷うことなく、嫌いと答えます。

やはりそうですか。
私だけかと思いました。
それでは、なぜこれほどまでにもてはやされるのかと
聞く人もいました。

> 人間失格の一文を要約すると、「私は、不安と恐怖に襲われるばかりなのです」となります。(笑)

彼は結局、何に対して不安だったのか、何に恐怖をいだいたのでしょうか。
もし、死に対してであれば、「人間失格」というお題は適当ではないです。
自分の中に潜む悪魔に慄いていたのかと。

Re: No title

ドルさん、
こんにちは。
金沢の兼六公園の梅はまだでしょうね。
あと1ヶ月後でしょうか。

> 私も若い頃一度読み、早々の体で読むのをやめました・・・彼は最後は自死でしたね。無理もない!!

そうでしたか。今の歳でもそうですから、
若い頃はもっと我慢ができなかったと思います。
自分で自分を追い詰めたあげくの自決でしょうね。
人間誰しも自己矛盾はあると思います。
社会の乱れや悪も嫌というほど経験するでしょう。
それでも生きなければいけません。
最期まで全うすること、それが
人として生まれてきた使命だと。

No title

わかりにくい本を
読んで
自分は頭が悪いのか
と思っていたが
向こうが悪いのだ

太宰治も
大江健三郎も
宮沢賢治でさえ
読みやすい
とはいえない

Re: No title

rippleさん、
こんにちは。
寒い日が続きます。

> 太宰治も
> 大江健三郎も
> 宮沢賢治でさえ

そのどれもが嫌いです。
でも太宰より許せます。

Geotechさん、こんにちは。

私は恥ずかしながら、あまり文学を読まずに大人になってしまい、還暦を迎え、ちよっと年相応の分別をもたねば、と最近感じるようになり、少し文学でも、、、と思っていました。
が、だいぶ気が楽になりました。

ありがとうございます!

Re: タイトルなし

夕里子さん、
こんにちは。
Facebookではよくお見かけします。
優しい息子さんとダンスできる
喜びはひとしおですね。

> 私は恥ずかしながら・・・・・

ダンス世界にどっぷりとですね。

> が、だいぶ気が楽になりました。

そうですか?
良かったです。
ダンスは音楽を介して
文学とも繋がりが深いですよ。
プロフィール

geotech

Author:geotech
geotechのブログへようこそ!

団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
blogram投票ボタン
フリーエリア
シニア・ナビ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR