科学における素の心
若い頃から現場によく行った。私の現場というのは主に、斜面や崖の岩石を叩いて観察したりスケッチしたりして、それを地質図なり図面に表現する仕事である。岩石が露出する崖面と対峙し、それをつぶさに観察すると、地球のイベントとともに、岩石の生い立ちやその後の形成変遷というものが次第に読み取れてくる。つまり、岩石と対話できてくる。悠久のときを経たロマンに浸り、そこに何時間いても飽きない、そんな至福のときを得ることができる。
この歳になっても、ときどき現場に行く。しかし、時代がせせこましくなり、ゆっくりと納得いくまで現場にいれないのが少し残念である。またこの歳になると、新人研修と称して素人の若者をあてがわれることもある。そんなとき、教えることの煩わしさを感じるものだが、逆に吾を見直すチャンスになることもある。
素人の新人は、例えば「なぜ下の地質が古くて上にある地質が新しいのですか?」などと、とても地質学の一般常識では考えられない突飛な質問を投げかけてくる。「なぬ?」と生返事をしたあと、待てよと考える。そういえばそうだ。それをつまびらかに説明できなければ、我々が暗黙のうちに常識と考えていたことを疑ってみるのもありだなと。
「原発の活断層論議」でも述べた。原発敷地のトレンチにおいて、このように地層がずれているからこの断層は活断層であると、著名な地質学者が納得顔で説明する。果たしてそう言いきれるであろうか。別の成因によっても同じ形態の露頭になりうるのだと、私はシニア仲間の協力によってアニメを駆使して説明したこともある(「無意味な活断層論議」2012-12-14)。
科学の世界において真実を求めるには、必要かつ十分条件が満たされなければならない。結論を急ぐあまりに、常識や先入観が落とし穴になることも多い。所謂、素の考え方で一度立ち止まって考え直す度量も求められる。「常識」という言葉は科学の世界にはあり得ぬことだと、肝に銘じなければと思う。
世界を仰天させた小保方晴子さんの万能細胞の発見は、そのことを証明する格好の快挙である。権威ある科学誌も学会も見抜けなかった障壁の原因は、先入観や常識であった。英科学誌は過去に彼女を愚弄したが、愚弄すべきは権威ある科学誌であり学会であろう。天声人語は、私が尊敬する寺田寅彦さんの言葉を引用していた。『科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである』
無論、小保方晴子さんの発見に裏には、想像を絶する涙ぐましい努力があることに違いはない。しかし、彼女の趣味や服装に見られる「こだわり」も運や遭遇の後押しになったと思う。そして何よりも、先入観や常識に束縛されない彼女の柔らかい物の考え方が快挙の礎になったと思う。私もさらに自然を愛する柔軟な科学者になろう。
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