「感謝」と「責任」




 日本国内も私自身も、未だ興奮冷めやらぬノーベル賞の余韻に浸っている。それにしても、受賞の感想として山中教授が繰り返した「感謝」と「責任」というふたつの言葉は、なんど聞いても心の奥深くにまで染み渡るのである。優しさと強い信念(覚悟)を兼ね備えたほんとうに良い言葉だなぁと、つくづく思う。

 私は昨日のブログにおいて、山中教授のことを研究者の鑑だと評した。それは、ノーベル賞を受賞したこと以上に、謙虚であり庶民的であり、それでいて強い信念をもった研究者として讃えた。しかしよくよく考えてみれば、「感謝」と「責任」は研究者としてではなく、人間としての普遍的な条件ではないのかと思う。


 「感謝」という言葉は、他人の苦労を労う優しい気持ちがなければ出てこない。他人の気持ちを慮(おもんぱか)る気遣いがなければ出てこない。それは、自身の苦労や境遇などを超越した優しさであろう。私などは「感謝」という言葉を軽々に発しているかも知れないが、果たして心からそう思っているだろうか。果たして、ほんとうにそのような優しさを備えているだろうか。はなはだ疑問である。山中教授から自然になんども発せられる「感謝」という言葉の表情には、研究者を超えた人間としての価値を十分に感じさせるものがある。

 次に、「責任」という言葉は重い。よほど自分を律することができなければ、よほどの信念がなければ、自らの責任を口にすることなどできない。山中教授はノーベル賞を受賞した研究者としての立場から将来に向けた責任について言及しているのだが、「まだひとりも助けていない」という反省の弁が責任の重さと覚悟を表している。研究者に限らず、人間はそれぞれに責任を抱えている。それは、人としてこの世に生まれたときから課せられたものであろう。家族に、故人に、地域に、友人に、会社に、社会に、国に対しても。そして、何よりも自身に対しての責任を。それでは私はその責任を果たしているのかと考えると、これもはなはだ怪しいのである。

 「感謝」=「優しさ」「受忍」「容認」、「責任」=「信念」「覚悟」「自律」。ノーベル賞の余韻に浸りながら、人間として条件をつらつら考える秋の夜長である。





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No title

>ノーベル賞の余韻に浸りながら、人間として条件をつらつら考える秋 の夜長である。

同感です、そして日本人として誇りに思います。
思索家で精神科医の「アレキシス・カエル」は著書
「人間未知なるもの」のなかでその人の生きて来た軌跡
思いが顔に出る、と言っています。

そういう意味でなんといいお顔をされているのだろうと
じっと見入り、言葉にも耳を傾けています。

Re: No title

こんばんは。

> 思索家で精神科医の「アレキシス・カエル」は著書
> 「人間未知なるもの」のなかでその人の生きて来た軌跡
> 思いが顔に出る、と言っています。

仰るとおりです。
曇り一点もない覚悟のすがすがしい顔です。
人間、良いことも悪いことも顔に出ますね。
まさに男の顔は履歴書ですね。
ちなみに、女の顔は請求書でもありますが。

喜び

久しぶりに日本中が湧いたニュースでした。
日本人の素晴らしさを、誇りに思いました。

山中教授は庶民的で、真摯な方だと思いました。
私欲にとらわれず、医学の発展の為に貢献し、それでいて慎重に事を考えています。
素晴らしい人材は国の財産です。
特許権の帰属を読むと、ジオさんも凄い人だと思いました。

Re: 喜び

まこさん、
お帰りなさい。
健康推進なんちゃら委員って、
すごくありません?
もう感激して
涙です。(最近なんでもないことに涙ぐんで)
それも太極拳ってね、
すごい!!
私は人生でやった拳は
野球拳くらいで(ポリポリ)。

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