現代詩に思う


 今、詩や俳句、短歌がちょっとしたブームである。新聞や雑誌にも多く投稿され、ブログでも多くの方が自作を披露している。サークルや集いも活発である。それはそれで、国民的な文化の研鑽と交流において結構なことだ。

 ただ、ブームである割には書き手と読み手が乖離しているように感じてならない。つまり、書き手ばかりで読み手不在を感じるのである。折角の書き手による作品は読み手がつかずに看過され、いろんな人の評価が得られないまま書き手のマスターベーションで終わってしまうことが多い。

 その原因を考えるに、ひと口で言って難解な表現が多いからだと推測する。古典的な難解な表現を駆使したもの、無理に難解な用語を使ったもの、わざわざ当て字にしたもの、遠まわしの表現、作者でなければわからない心情と情景などである。それに加えて、評価の基準が曖昧なこともある。選者とその理由に納得いかぬものもある。

 その結果、読み手に敷居の高さを感じさせたり、分かりづらさから見放すことになる。まして、心に響く朴訥な現代詩が少ないという印象を拭えない。そう思う連中は、やおら川柳や五行歌、散文へと走る。その方が平易で手っ取り早く、素直に表現できるからであろう。

 そういうと、あなたに感受性がないからだとか、あなたに詩の心を理解する力が不足しているからだとか、あなたに古典の知識がないからだと、叱責を受けそうである。私の場合、確かにそういう面はある。しかし、そういってしまえば身も蓋もない。現代詩はそれで良いのかと、改めて問い直したい。

 そういう中、その答えに一石を投じる本に遭遇した。「対論 この詩集を読め 2008~2011」(澪標ミオツクシ、1575円)である。詩人で文学研究者である細見和之と山田兼士の両氏が渾身の感覚で詩と対峙して語り合う。詩の輪郭をあぶりだしていく面白さがある。まだ最後まで読んでいないが、現代詩について私なりの論点を繋ぎ止めたい。





対論
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No title

川柳は確かにメジャーではないですが、
わずが575でいろんな思いや人間模様が表せます。
川柳界の文学賞へ厚かましくも応募したばかり^^;
難しいことは分かりませんが、
ブログも川柳も私にとっては、自己表現のツールのひとつ。
マスターベーションと言われれば、またそうかもしれません。

なぜ川柳を選んだか?
きっと『穿ち』と言われる物事を真正面でなく、
ちょっと斜に構えてみるところが、私の性格に合っている所為かも^^;

短歌、俳句も現代詩も心打つ作品はなんでも私はOK.
短いが故に、上手い下手がはっきりもする気もします。

あぁ~なが~~い下手なコメントごめんちゃい<(_ _)>


Re: No title

みかんさん、
こんばんは。
毎日、悪戦苦闘、ご苦労さまです。

> 川柳は確かにメジャーではないですが、
> わずが575でいろんな思いや人間模様が表せます。

確かに、人間模様ってのが
川柳の本質ですね。
私も川柳大好きです。

> 川柳界の文学賞へ厚かましくも応募したばかり^^;

へえ~、すごい!
何か賞とるかも?

> ちょっと斜に構えてみるところが、私の性格に合っている所為かも^^;

あ、その傾向は、あえて否定しませんが。

> あぁ~なが~~い下手なコメントごめんちゃい<(_ _)>

その最後のコメが一番、いいです~。
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