反抗の時代の終焉



 昨年より、昭和を生き抜いた民俗学者、歴史家や思想家が次々と亡くなっている。先日亡くなった吉本隆明氏もそのひとりだ。学生時代をノンポリで過ごし、還暦を過ぎても確たる思想を持ち合わせていないこの私に、吉本さんを論評する資格はない。それを承知でも、あえて評したいほどに、彼には独特の魅力がある。

 代表作である「言語にとって美とはなにか」や「共同幻想論」をはじめとして、彼は数多くの書を残している。私はそれらのひとつだって、最初から最後まで読んだものはない。最後まで読まなかったのは、面白くないことに加えて、私の頭脳では到底、理解できなかったからである。

 しかし驚いたのは、彼が亡くなった直後の反響の大きさである。死を契機に、彼のことを少しずつ調べた。調べれば調べるほど、いかに彼が偉大な思想家だったかということを思い知らされるのである。

 彼のことを「詩人で評論家」と紹介するのは週刊誌の紋切り型であって、彼の肩書きは詩人や評論家では語れない。そのほかにも、彼には革命家、思想家、経済学者、宗教家という肩書きが与えられよう。ほとんどすべての分野に精通し、受け売りでない独自の考えで根源的に考察してきている。彼の考えの良し悪しは別として、その知識の広さと深さには敬服するかぎりである。

 彼の一連の言動は「体制批判」というキーワードで一貫されている。全共闘時代の安保闘争に端を発して、既成の革新勢力を批判してきた。戦争に協力した文化人の責任追及をしてきた。丸山真男をはじめ知識人への批判も多い。文芸評論家である花田清機との芸術論争もある。

 彼の思想の原点には東北(山形)、貧困、敗戦があり、そこから生まれる反抗的エネルギーを市井、在野、下町の立場から論じるものが多い。そして、彼は「大衆迎合」を何よりも嫌った。「言語にとって美とはなにか」や「共同幻想論」では国家、家族、言語を原理的に考察している。

 彼のことを象徴的に言えば、「反抗の美学」ということになるだろうか。彼の死により50年安保体制に始まるひとつの反抗の時代が終焉したような気がする。


 しかしである。「体制批判」の旗頭である吉本隆明氏が、驚くことに原発推進派であったのである。彼のこの言葉がそれを象徴している。『これほど安全なものはない。航空機よりももっと安全だ(1994年、「原子力文化」)』 人とはわからないものである。そしてもっと面白いのは、吉本隆明氏と同じ山形県出身で、同じく「体制批判」的論者の佐高信は「原発文化人50人斬り」において彼のことをめった切りしていることである。

 吉本隆明氏は原発に対する自身の考え方を懺悔する形で逝った。吉本隆明氏の死は、ひとつの反抗的思想時代の終焉とともに原発時代の終焉をも予感させるに十分である。



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