あれから1年
1年前のちょうど今頃、蝋梅が咲きほころんでいた頃、私は連日、原発立地のための活断層調査に従事していた。当時、電力会社の傲慢不遜な態度に義憤を覚えたものの、原発が危険なものとの認識は微塵もなかった。ただ、破格の単価と金に糸目をつけないやり方に、これでいいのかという、いたたまれない気持ちであったのも事実である。
そして1年後の今、私は完全に原発アレルギーになっている。原発事故の惨状に慄き、知れば知るほど不可解な闇の原発行政に、眠れし私の中の正義が湧き出たからである。そしてあるとき、原発から足を洗うことを覚悟した。
それは、口で言うほどたやすいものではなかった。原発関連の受注を自ら閉ざすこと。それに変わる別の分野へ方向転換すること。会社の経営上も厳しいものであった。それどころか、目に見えぬ圧力や誹謗中傷にもあった。
人の考え方というのは1年でこうも変わるものである。それほどに、あの事故は悲惨なものであった。否、「悲惨であった」と過去形で言いたくない。まだ事故は継続していると認識している。
1年経った今、改めて、私の決定は正しい選択であったと思う。これからも、ひとりの市民として反原発の意思を示したい。末端にしろそれに手を貸したことのある技術者の責務として、反原発に少なからず労を提供したい、そのように今、思っている。
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