エゴのわけ


 震災の瓦礫の受け入れ自治体が少ない。ネックになるのが、放射線物質の受け入れを拒否する一部の市民運動である。神奈川県など、自治体としては積極的に受け入れに協力しようとしても、そうした市民運動が盛り上がると断念せざるを得ない。

 先日、青森県の雪を沖縄に運んで沖縄の子供たちを喜ばそうという企画があったが、放射能に汚染された雪を受け入れるのかという住民の投書があったらしい。自治体は企画を一旦、断念したが、市民の要望で復活したらしい。何と、投書したのは東北から沖縄に避難した人という。

 そればかりか、これまでにも東北の薪を使った送り火に反対したり、東北の野菜や米の非買運動があったり、風評被害も含めていろいろな拒否反応があった。

 沖縄の米軍基地の問題においては、沖縄の負担を日本全体で分かち合おうという旗印は立派である。しかし、いざ自分の近所に米軍が再編するとなると、一転、反対する。私が住む町も岩国基地に比較的近いのだが、沖縄の負担軽減には概ね賛同する人が多い。しかし、この度、岩国基地へのさらなる再編が取り沙汰されると、一転、県も岩国市も反対表明に国会に駆けつけた。

 こうした事態に対して、新聞など多くの論評は「住民のエゴだ。これで真の絆と言えるのか」とし、「エゴ」ですべてを決着している。

 さらに、こんな調査結果を目にした。米国の某大学と日本の某大学のいずれも院生や教師に対する調査である。「(A)あなたの年収は5万ドル、ほかの人の年収は2万5000ドル」「(B)あなたの年収は10万ドル、ほかの人の年収は20万ドル」の二者選択を問うている。自分の実入りだけ考えるのならBの方がいいに決まっている。ところが、米国の院生や教師の6割弱がAを選択したという。さらに驚くことに、日本の院生や教師の7割超がAであったという。米国と日本の1割超の差は大きい。大阪大学社会経済研究所の西條教授によると、他人の足を引っ張る「いじわる」現象だとし、他国に比べて日本人はいじわるな人が多い疑いがあるという。


 日本人が先天的に「エゴ」であり「いじわる」であるのか否かは別として、私は「エゴ」には「エゴ」の訳があり、「いじわる」には「いじわる」の訳があると考える。なぜ東北の物を受け入れないという「エゴ」が生じるのか。それは、明確な安全基準が示されていないこと、行政の数値に対する不信感が根源にあるからではないのか。なぜ沖縄の基地負担を我らの町で受け入れようとしないのか。過去の沖縄基地に関する密約の数々を国民は知っているからであり、基地を提供することの見返りについての安保防衛のコンセンサスが未だ成熟していないからではないのか。

 「エゴ」を「エゴ」として片付け、「いじわる」を「いじわる」として片付けるのではなく、その根源を見極め、その先にあるものを洞察する英知と実行力、それこそが政治の役割ではないだろうか。



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やはり日本人ですか

お早うございます。
「エゴ」と「いじわる」人間の本質にかかわる難しい問題ですね。
中に掲げられた調査の設問について、自分はどちらに丸をするか、考えてしまいました。やはり、10万ドルの方に丸をするのではと思います。笑

Re: やはり日本人ですか

爺さん、おはようございます。
日一日と、春を予感させます。
昔の行動派に少し戻りましたでしょうか(笑)。

>やはり、10万ドルの方に丸をするのではと思います。

私も無論間違いなく10万ドルです。
プライドより現実主義者です。
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