痛みの分かち合い(脱原発に向けて)


 先々月、東京の街で「さようなら原発」を掲げて6万人の人が歩いていた。久しぶりに大きなこのデモの様子を、私は何気なくテレビで見ていた。が、どうもいつものデモと違うものを感じた。6万人という人の多さではない。大江健三郎さんや落合恵子さんなど著名人が呼びかけたということでもない。それは、子どもや学生、普通の主婦やお年寄りなどが自然発生的に参加していたということである。

 組織による動員という雰囲気がない。これまでデモに参加したこともなさそうな、一般市民が参加していたように思える。いわば「出前の参加」という意識が高いデモであったように思う。このことが今までのデモと決定的に違う。その意義は大きい。

 このデモは、原発事故を通して国民の民意が政官財とメデイアによってかき乱されてきたことに気づいてきた象徴ともいえる。言い換えれば、これまでの間接民主主義に対するイラダチと反発である。直接民主主義への期待でもある。

 そんな中、原発事故直前まで原発関連の仕事をしていた後輩のA君のことが気になっていた。彼は事故直前まで電力会社と直接、向き合って仕事をしていた。傲慢不羈(ふき)な電力会社の社員に接するたびに、彼はその不満を私にもこぼしていた。その彼は原発事故直後から連絡が取れないという。そのことを、彼がいた会社の上司からの電話で私は初めて知った。A君は事故直後に会社を辞めたが、その後、連絡できないのだと。

 その後の調べて、彼は原発と無関係の会社に雇用されていた。正義感の強い彼は、やはりこれ以上原発に手を染めることができなかったのであろう。原発の仕事ばかりをやってきた世間知らずの彼にとって、新転地では苦労も多かろう。たまたまその会社の社長をよく知っていたので、A君には内緒で社長にA君のことをよろしくお願いしておいた。A君もまた原発事故の被害者である。

 私自身も脱原発へ仕事をシフトし、ささやかながら抵抗をしているひとりである。国民の多くがそれぞれの立場で脱原発のために、何らかの負担や痛みを強いられている。今、原発立地の地域が揺れている。原発利権との脱却には苦悩と痛みを伴う。原発交付金や寄付金なしでは地方財政は破綻しよう。それでもいくつかの自治体で交付金を拒否している。

 脱原発には多くの痛みや苦悩を伴う。しかし、それを国民で分かち合ってこそ、ほんとうに脱原発は実現するのだと思う。
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