時の流れに身をまかせ
昨日、世界の人口が70億人を突破した。国連は、昨日に世界中で生まれたすべての赤ちゃんに対して、「70億人目の赤ちゃんの1人」であることを証明する認定書を発行するらしい。人口増加は人類の繁栄の象徴であり、それはそれで喜ばしい、ということになるのか。否、どうも手放しで喜べない事態となってきている。
人口増加の速度が尋常でないからだ。1959年に30億人であったものが、僅か半世紀で2倍以上に増えたことになる。人口増加傾向は、年とともに「加速度的」という表現がよく当っているほどに、尋常なものではない。異常な人口増加に加えて、人口の偏りにも問題がある。70億人のうち何と25億人が中国人とインド人である。日本を始めとする人口減少国と爆発的に増加する東南アジアのアンバランスが拡大している。国力はその国の人口に比例するとの見方もあるが、この傾向で推移すると、近い将来には中国とインドが世界を支配するのではと疑うばかりである。
世界の潮流の速さは人口増加ばかりではない。環境や自然、食糧事情、政治・経済、医学、通信を始めとする技術進歩など、すべての諸条件が猛烈なスピードで変化してきている。このまま推移すれば、中国人とインド人の老人たちが地球上に割拠し、無線と衛星を駆使した無機的空間という近未来を想像してしまうほどである。
翻って、身の廻りの見渡せば、早いもので、今日からもう11月である。めくるカレンダーに残りの薄さを感じる。が、世間はそれ以上に先廻りしている。本屋に行けば来年のカレンダーや手帳が並べられてある。街に出れば、クリスマスのイルミネーッションが既に着飾られている。百貨店にはお歳暮のコーナーが設営されている。おせちの申し込みが開始し、人気商品はもう売り切れという。今日には年賀葉書が売り出しとなる。
世間はなぜそんなに急ぐのか、まだ11月に入ったばかりの秋真っ只中なのに、と思う。秋には秋を存分に楽しみ、冬のことは冬になって考えればいいではないか。クリスマスはイヴに楽しみ、年末にお歳暮を考えて、年が明ける少し前にカレンダーをぶら下げ、晦日におせちを作り、年賀状は年を越して書いてもよかろう。
世の激流に逆らうことはできない。まして逆流することはかなわない。また、世の潮流を批判しても不毛な抵抗である。しかし、世の潮流の中に留まるのは自由である。河の流れに浮かぶ木の葉のように、河淵に沿って漂うのもいい。河の澱みの中でクルクル回転して遊ぶのもよかろう。
世の潮流と河の流れに流されながらも、あるときは流れに寄り添い、あるときは岸辺に留まり、あるときは澱みに漂う。あくまでも自然体で、たおやかに、しなやかに。それこそが浮かぶ木の葉の「生きる力」ではなかろうか。ただ、世の潮流が激しいがゆえに、木の葉の自覚は必要なれど。
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