読書の秋によせて
読書週間にちなんで、毎日新聞は小中学生と高校生を対象にして、好きだと思う伝記を毎年、アンケートしている。その順位は、小中学生と高校生とも男女で順位が同じだそうだ。男子の場合、小中学生、高校生ともに、1位がイチロー、2位がエジソン、3位が野口英世である。また女子の場合は、1位がヘレン・ケラー、2位がマザー・テレサ、3位がナイチンゲールという。
男子、女子ともに1位から5位まで、同姓の伝記を選んでいるのが興味深い。それと、選んだ理由について、男女とも「努力しているから」をあげている。いかにも日本的感覚であり、なんだか懐かしくて嬉しいような気分がするが、逆に少しつまらない気もする。エジソンや野口英世など、その顔ぶれは昔とちっとも変わり映えしないが、男子の1位のイチローには驚いた。伝記というのは、大人が勝手に故人の偉人伝と思っているだけであって、その定義はない。それも現役バリバリの選手を選ぶあたりは、如何にも型にとらわれない現代人の考え方ともいえる。さらに、織田信長や真田幸村などが武将者人気に押されて上位に位置している。テレビやゲームの影響も大きい。
そういえば、10月24日、作家・北杜夫さんが亡くなられたことが報じられていた。「どくとるマンボウ青春期」などの「マンボウシリーズ」が再び、ブームになることだろう。北杜夫さんといえば、大歌人・斉藤茂吉の息子であることはあまりに有名である。父親と同様に医学と文学を志した青年であるが、父の存在に畏怖を抱き、反発を覚えた青春であったろうと想像する。そのことがペンネームを変え、父とは違う文学を切り開いたことに現われている。
斉藤茂吉といえば、私が住んでいる地にも馴染みがある。今はプレジャーボートの整備で埋め立てられた広島西端・五日市港の海岸線の土手を茂吉が歩いていた。当時、結核療養のために五日市の沖土手に移住していた歌人・中村憲吉を見舞うてのことである。広がる瀬戸の海。はるかに厳島の島影が浮かぶ風景を、憲吉は2階の下宿から毎日眺めていた。

(写真は「五日市の今昔」より引用した明治初期の五日市)
医者でもあった茂吉は早速、憲吉を診察した。が、憲吉の死期が近いことを茂吉はすぐに悟った。茂吉の心の中に、人知れず響く落涙の音はいかばかりであったろうか。憲吉が世を去るのはこの翌年のことである。茂吉52歳、憲吉45歳。
『友のこと 心におもひ 寝つかれず 幾時か聞く 海鳥の声』
(茂吉)
この「幾時」というのは、茂吉は「逝くとき」を案じてのことではないかと、私は思う。それにしても、後輩歌人の憲吉を思う茂吉の心情が痛いほどよくわかる句である。
読書の秋に、読書週間から始まって、マンボウ、茂吉、憲吉へと、徒然に、思いを巡らせた秋の夜長であった。
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