兄の号泣

 私が母親のもとを離れ就職してから、母親はしばらくひとり暮らしをしていたが、その後、姉夫婦が一緒に暮らすようになり、兄が結婚するのを契機に、当然のことながら長男たる兄が母親の面倒を見るようになった。しかし、兄の嫁さんは女兄弟ばかりでみな嫁いでいたから、むこうの両親を誰が面倒みるのか問題になった。

 こんな話はよくある話であり、問題になるのは最初からわかっているはずである。しかし、事が深刻になるまで誰も触れようとしないのもまた人の常でもある。結局、兄夫婦は嫁さんの両親の面倒を見ることになり、母親はすがる思いで私たち夫婦のもとに来た。というよりも、娘の早産というのがひとつの契機になり、母の手助けが欲しくて呼んだのであるが、母は兄夫婦の家で何があったとか愚痴や悪口を言うような人ではなかった。

 娘の出産以来、母は我々夫婦と、娘と息子の成長を見ながら一緒に暮した。私は仕事の関係で転勤や引越しを数多くしてきたが、母は少しも嫌がらずについてきてくれた。我々夫婦は母に甘え、母は母で我々を頼りにした。我々が若い間、母に子供の面倒を見てもらい、子供が少し大きくなると、母は、主婦は家に二人も要らないと仕事にでかけ、家に毎月食事代を入れた。

 安サラリーマンの家族であったが、毎週のように母も連れてどこかに遊びに出かけた。この頃よく女房の母親と間違えられた。どこの家庭にもある子の成長を記録するアルバムが20冊以上あり、そのどれにも母の姿があるのが何より仲の良いことを物語る。母との生活の15年間で、嫁姑のいさかいは聞いたことがない。私がいない時も含めて、一切なかったと今でも言う。いつしか我が家は母親の味付けが浸透し、昔料理のレパートリーも増え、娘や息子もおばあちゃん子となっていった。

 そんな母親であるが、70歳を越した頃から、若い頃からの無理がたたり、病気がちとなった。そして、ついに山口の姉夫婦のもとに行きたいと言いはじめた。母親は結局、最後は娘のもとに帰りたがるものだとよく聞いたことがあるが、それが現実になった。時々、山口に顔を見せに帰ると、身ぎれいにして化粧をしていた。年をとっても母は女であり、息子である私にぶざまな姿を見せたくないという気持ちが伝わった。

 姉夫婦のもとに移って1年後、母は持病の肺を患い入院し、徐々に弱っていった。こんな時、母は娘である姉につらく当たり、姉は姉で母親に冷たかった。逆に姉の旦那がやさしく介護した。病院内では姉の旦那と母が親子と見られた。母はついには痴呆となったが、姉夫婦は病院に通いつめた。

 母の危篤の知らせが夜、あった。とるものもとりあえず、家族全員で駆けつけた。当然、兄にも知らせたが、最初は仕事の関係がどうとか言って行くのを躊躇していた。結局、何時間か遅れて兄は嫁を伴わずひとり駆けつけた。母は朦朧と生死をさまよっていたが、明け方、「ヒイー」という言葉を残して逝った。その瞬間、それまで気丈な兄がベッドの母を抱きしめ、人目はばからず号泣した。姉と私は兄の号泣の意味をその場で察知した。姉と私は互いに、悲しいながらも満足感とも安堵感とも知れぬ思いを共有した。
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お初です。

お兄さんの号泣が私にも痛いほど分ります・・・
我が家も主人が長男で私は嫁いだ時から主人の両親と同居でした、

義母は身体が弱く、23年間入退院を繰り返し7年前に天国へと召されました、それまで義母の世話は私達長男家族だけに押し付けていた義理の弟でしたが、義母の通夜に枕元で一晩中泣いて泣いて、まるで懺悔でもしているかのようでした。

geotechさんの満足感とも安堵感とも知れぬ思い、私も同じような気持ちで義母を見送りましたので思わずコメントさせていただきました。

Re: お初です。

コメントありがとうございます。わかっていただいて嬉しいです。
まだ、シリーズは続きますので、今後ともよろしくです。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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