職業人としての父(その三)

 それだけの大病を患うと、人は普通、その後の人生をおとなしく自重して生きるものであるが、私の場合は逆らった。まだ30歳という若さがそうしたのかも知れぬが、一度命を亡くしてもうけものの人生という、変な開き直りがあった。

 退院する時に酒か煙草か、どちらかを辞めるように医者から言われ、パイプ煙草を辞めて酒を続けることを即答した。退院後も自重することなく、健康人と同じように振舞い、同じように働き、ほとんど同じように飲食した。実際、当時の会社での私の立場から、病気を言い訳にできるような環境ではなかったことも事実である。そうした挙行がもとで、何度か手術の後遺症で入院した。ある時は国のヒアリングで霞ヶ関の建設省ビルの中で発症した。病院まで搬送された救急車の振動は、助かるという安堵の気持ちに私を感じさせるに十分であった。

 胃の手術とその後遺症に加えて、さらに悪魔が襲った。中耳炎と思って耳鼻科で診てもらったところ、真珠種という重い病気であることが判明した。中耳炎が悪化して耳の内部が腐食し、痛みとめまいを伴い、放っておくと裏側の神経に及び顔が歪み、命を脅かすことになるらしい。顔面神経に係る脳外科や顔を中心とした手術には危険が伴い、臨床経験の多い名医に手術してもらうことが成功の秘訣という。

 かかりつけの耳鼻咽喉科医とできるだけ懇意になることからはじめ、次第に耳鼻咽喉学会での情報を得て、最終的に耳鼻咽喉学会では当時、著名な某大学医局の某教授に執刀してもらうことを決意した。医学会に縁遠い私に人脈はなく、かすかな人脈を探りながら、ようやく某教授にアポをとることができた。こうなったら度胸しかないと、ある日、医局に意気込んで参じた。紹介状を出しても、見ず知らずの患者にみるべくもなかったが、あらかじめ包んだ分厚い封筒をテーブル下で渡すと、教授はいきなり助教授を呼んで病室の空き状況を確認するに及んだ。

 大学病院の耳鼻咽喉科には舌癌などの患者が目白しで手術を何ヶ月も待ち望んでいるのに、私は飛び級の手術アポをとりつけた。自身に罪悪感は残ったが、これも生きるすべだと割り切った。

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