職業人としての父(その二)

 一連の地震の調査が落ち着いた頃、私は営業所長に抜擢された。入社してまだ5年目のことである。技術屋の営業所長としての生活は過酷なものであった。入札や現説、見積といった営業行為はもとより、用地交渉から現場の段取り、技術屋としての本業の調査や報告書のとりまとめなど。夜を徹して仕事に明け暮れた。

 朝まで業者仲間と談合をすることもたびたびであった。考えてみれば、この頃、家にゆっくりいた記憶がない。娘や息子とゆっくり遊んだ記憶もない。ただ、仕事が忙しいことは苦にならなかった。就職までの苦難に比較すれば、十分に耐えられる内容であったからである。

 そんな無謀で多忙きわまる日々の中、広島に転勤を命ぜられたが、この時すでに体の臓器は犯されていた。転勤して半年経った頃、私の体は夢遊病者のように宙に浮いた。やがて黒い便を出して、意識が遠のいた。救急車に運ばれていくことに安堵を感じた。

 大学病院に到着した時の血圧は上が60であったという。その時、私には出血性胃炎という病名が知らされたが、ほんとはどうだかわからない。緊急手術をした。胃壁からの出血がひどくて大量の輸血が必要となった。親戚や会社から多くのA型血液が集められて胃の摘出手術を終えたが、術後も輸血した人さまの血液さえも大量に逸した。この間、今思うと不思議なくらいに死が怖くなかった。どうにでもしてくれ、早く楽にしてくれという気持ちが死の怖さを上回った。術後数ヶ月して、死の怖さを実感したが、その時が回復の兆しであった。

 6人の相部屋の病室は皆、違う臓器の患者であったが、共通している点は、私を除いて、のちに、みな別々の癌で死んでいったことである。私だけが例外というのもおかしな話であると、あとで気づいた。

 現役の銀行支店長だという隣のベッドの患者はすい臓癌だった。腰の裏に水が溜まって苦しみ悶えては、何度も何度もモルヒネを打った。本人には知らせてないらしく、奥さんからも固くそのことを頼まれた。最期まで本人には知らずじまいに逝ってしまったが、奥さん以上に私の方が裏切りの念でつらい思いをした。嘘かほんとか知らないが、上等なコーヒーとワインを毎日いただいてたらしく、そのためにすい臓癌になったとか。

 反対側の隣の患者は肝臓がんであったが、最期はまるでパンパンに腫れた山吹色のウリのような顔になって個室に運ばれた。斜め向かいの患者はまだ若かったが直腸癌であった。最期は便が口から出て、最もぶざまな最期であった。肝臓癌の患者がもうひとりいたが、彼は建材会社の社長とのことで、猿の腰掛が癌に効くと家族の手厚い加護があったが、それでも駄目であった。

 病室の中では患者どうしの無責任な死や癌に関する会話が行き交った。癌と自覚した患者や癌を疑っている患者が6人も寄り添うと、いろいろな会話も出てくる。一番多かったのが、死への誘(いざな)いの夢物語である。昨晩見た内容を報告しあったが、誘いの情景は多くの場合で共通していた。よく言われるように、両側を美しい花に飾られたロードの向こうから手招きされるというものがほとんどであった。しかし、どういう訳か私の場合は、小汚い居酒屋であった。それは、現世があまりに不徳なためだと同じ病室患者から非難されて、自分でも納得した。

 私を非難した患者も、最期まで仲良くお付き合いしていただいた患者も、最期まで嘘を通した患者も、ひとりまたひとりと去って逝き、結局、6人部屋で私だけが生還することになった。何と悪運が強い男だと思ったが、よくよく考えると、私の父親が私が2歳のときに亡くなった時と同じ年齢の30歳であり、しかも同じ病気にかかっていたことに気づいた。父の加護と考えるべきなのか、不思議な因縁である。

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