職業人としての父(その一)

 娘や息子には職業人としての私の姿をあまり見せたことはないし、語ったこともない。サラリーマンであったから、仕方ないと言えば仕方ない。娘や息子がよく目にしたであろう、夜遅く飲んだくれて帰る姿も確かに私のサラリーマンの姿であるが、昼間の姿について、これまであまりに語ることがなさ過ぎた。サラリーマンとして、そしてその後に企業独立した、職業人としての父の姿を伝えよう。

 高校、大学、就職と、私の人生に選択肢はなかった。その後の多くの資格試験も含めて、思い返せば、人生、受験はみな1回きりであった。1回しかないチャンスだからこそ、それを確実に活かすように最大限の努力をしてきた。また、周囲の環境にも最大限に順応しようと努力してきた。生まれながら負のスタートをした自分には、それらを否定するような立場にないことを十分に理解していた。サラリーマンになってからも、器用貧乏に部署や勤務地を転々とした。そのことを逆に、与えられたチャンスと思った。しかし、転勤や引越し、転校を余儀なくされ、そのたびに家族に迷惑をかけてきた。もっとも反省すべき点は、好きな仕事に打ち込むあまりに、家庭をまったく省みなかったことであろう。

 息子が浜松で生まれて間もなく、伊豆半島で地震が勃発した。運転免許を取得してから1週間くらいの頃だったろうか。はじめての運転実務は、何と浜松から東名高速を上って下田までの250kmの走破であった。被害直後の河津の町並みは壊滅的であり、そこから天城トンネルまでの10km、ズタズタに寸断された道なき道を必死の思いで被害状況を調査して登った。

 途中、東海バスの乗客が生き埋めの現場やセドリックが埋まった現場もあった。その場の私の任務は被害状況の速報を知らせることにあったが、悲惨な現場を目の辺りにしながら救助に手を貸さなかった自分を今でも悔いて恥じる。天城のトンネルに着くと、もうすっかり日は暮れていて、火の玉が出てきそうな暗闇をガクつく恐々とした足取りで河津の町まで一気に駆け下りた。それから半年間、余震が続く中で伊豆半島に泊りがけの単身生活が続いた。
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