父の生い立ちと青春(その六)

 大学に行けるのかどうか半信半疑の中、大学受験も本番を迎えたが、その頃も以前にも増して貧困であった。受験勉強の最中、寝不足で朦朧(もうろう)とした意識の中、腹が減った勢いから釜の中の飯を鷲づかみにほおばった。が、それをオヤジに見られた。

 大切な飯を泥棒猫みたいにと、こっぴどく叱られた。確か東京オリンピックの年だったから、世の中そんなでもない良い時代であったのに。これじゃ、受験勉強どころじゃないと考えた。母親が泣く姿を毎日目の当たりにして、どうにかしないといけないと決断した。

 既に結婚していた姉に借家を手配してもらい、ある日、私は母を連れて家を出ることを敢行した。義理のオヤジからの逆勘当ともいえる家出であった。勿論、大学受験どころか高校も中退して母を養う決意でのことである。すべてを投げ出しゼロからのスタートであったが、一番喜んだのが母親であった。とりあえず休学届けを出し、家計を維持するために奔走したが、姉の旦那が窮地を救ってくれた。

 姉夫婦の援助と奨学金で、たまたま地元にあった国立大学の工学部に入学することにした。そもそも文系志望であったし、京都に行きたかったが、そんな希望は無意味であった。私に選択肢はなく、大学に行けること自体、私にとって奇跡であった。当時の国立大学の授業料、月額千円と生活費はアルバイトをして十分にまかなえるとふんだ。

 しかし予期せぬ事態が起きた。どうやら1年間は35km離れた大学の教養学部に通わないといけないことがわかったのだ。同期で入学した友達はみな一年間の寮や下宿を手配したが、私は自転車通学を決めこんだ。9時からの講義に間に合うため、3時に家を出た。当時、まだガタガタの道を六時間かけて通った。のちに周囲の人には、1年間自転車通学したと苦学を鼓舞したが、実を言うと、試験の前日は友達の下宿に泊めてもらったし、雨の降る日には電車で通ったこともあった。

 そんな大学教養時代も終えて専門の学部へと進学したが、世の中、学生運動の真っ只中に突入していた。原理主義だ、革命だのと周囲の学生が騒ぐ中、東大安田講堂事件が勃発した。しかし私にとっては大学生活を早く終えて自活することだけが目標であり、世の中を批判する余裕はなかった。
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すごい精神力

このような体験があればこそ
娘や息子さんたちへ堂々と引導を渡したり
体当たりで守ったりできるのですね。

お母さまを守られたことに一番感銘を受けました。

今どきの子どもだったら親を恨んだり
すねたりすべてを親のせいにするでしょうね。
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