断絶からの回帰

 日常から断絶された非日常という現状。ここから脱皮するため、人も社会も、もがき苦しんでいる。回帰の方向性にはふたつの路線がある。ひとつは「立て直し」であり、もうひとつは「世直し」である。「立て直し」とは、被災された方々の切実なる願いである元の日常を取り戻すことに他ならない。他方、防災対策は言うに及ばず、エネルギー政策から日本のあり方に至るまで、この際、抜本的に見直す必要性、つまり「世直し」の声も大きい。

 無論、「立て直し」は優先して実行しなければならない喫緊の課題である。さりとて「世直し」の方向性を間違えると日本の存在すら危うくなる。正しい「世直し」という舵(かじ)とりを行いつつ、同時に「立て直し」を計っていくことが、国民と政治に課せられた大きな課題である。

 それでは、「世直し」とはどのようなビジョンを描くのか。知識人による復興会議なるものがどうのような青写真を示すのだろうか。防災都市空間など夢物語の大きなビジョンを掲げたとしても、問題はビジョンの根底にある精神である。その精神とは、震災後我々がよく耳にした「想定外」という言葉の認識にあると思うのである。

 「想定外」とは文字どおり“夢だにしなかったこと”であるはずである。しかし、震災後に我々がよく耳にした「想定外」とは、真に「想定外」であったのであろうか、非常に疑問に思う。例えば『三陸海岸大津波』(吉村昭著、文春文庫、460円)の中の「明治二十九年の津波」を一読すると、今回の大津波に酷似した状況が記載されている。すなわち、津波は海抜50mまで遡上し、地震から30分間の行動が生死を分けたことなどである。つまり、「想定外」は既に歴史の中に刻まれていたのである。

 とすると、我々が震災後によく耳にした「想定外」とは、文字どおり“夢だにしなかったこと”ではなく、過去に起きた事実、すなわち「想定内」を恣意的に「想定外」にしていただけではなかろうか。

 「天災は忘れた頃にやってくる」とは寺田虎彦の言葉である。我々は「想定内」の歴史上の事実を、できるだけ見ないように、知らなかったように「想定外」としていたのではないのか。とすると、それは「想定外」ではなく人間によるミス(ヒューマンエラー)ということになる。

 すなわち、日常から断絶された非日常から回帰するための重要な基本精神とは、過去の事実を「想定内」の教訓として生かすことに他ならない。
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No title

自然を相手に何をもって想定していたのでしょうね。
想定外等と言うのは良い訳のようにも思います。


Re: No title

maiさん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

> 自然を相手に何をもって想定していたのでしょうね。

まったく、そうですね。
言い訳の方便ですね。

これからもよろしく。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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