父の生い立ちと青春(その二)

 しかし、父親が逝った時、どのように父親と最後のお別れをしたのか記憶にない。父親の生前、姉も兄も名門幼稚園に通ったほどに家は裕福であったらしかったが、亡きあと、生活は一転した。生計を立てるべく、母親は男衆に混じって労働者となり、二歳の私を毎日、飯場(はんば)に連れて通った。

 姉や兄は今でも父親の生前の豊かな暮らしぶりを懐かしがるが、私にとってはこの貧乏が原点であり何の違和感もない。戦争で夫を亡くした未亡人労務働者は、当時、めずらしくなく、トラックで労務者が出陣したあと、飯場は置き去りされた多国籍軍の子供の遊びと戦(いくさ)の場となった。幸い、私は朝鮮人の子供から火箸で左手首に火傷を負わされた程度で済んだ。今でもその傷は鮮明に残っている。
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