伊達マスク

 風邪でもないのに、花粉症でもないのに、年中マスクをしている人がいる。中学生とか高校生とかにも多い。ゲーセンやファミレスなどであっけなく見つけることができる。「伊達直人」ならぬ「伊達マスク」である。

 そういう「伊達マスク」の子に関する記事によれば、彼らは、例えばファミレスにおいてコーヒーカップを持ち上げたときだけ、マスクをあごにずらす。ひと口飲むごとに、またすぐに戻すのである。外に出るときは基本的に着用して、完全に外すのは、ご飯、風呂、寝るときだけという子もいるらしい。「伊達マスク」を手放せない理由を聞くと、つけると何となく安心するという。そしてもっと不思議なのは、親も教師も注意をしないらしいことである。

 さて、「伊達マスク」着用の真意は如何に。シニアの「伊達マスク」であれば理解できようというものだ。例えば私の同居人が朝スッピンでゴミ出しをしようものなら、マスク着用を切に願うというものだ。シニアの女子が集まるとマスクを着用して欲しいほどに騒々しい。口の周りに泡を出している老人にもマスク着用をお願いしたい。このように、シニアの「伊達マスク」は景観維持と環境保全を目的とする。問題は若い子の「伊達マスク」である。

 思春期において顔に自信がないとか、顔にコンプレックスがあるといった理由でマスクを着用したいという思いもあるかも知れない。それはそれで理解できるが、恐らく「伊達マスク」の子は標準的な顔立ちと推測する。ならば、なぜに。結局のところ思いたどるのは、マスクで隠しているのは「自信のない自分」なのではないのかと。マスクで自身を隠すことで素の個から離脱して別の個となる。親や先生の言葉を他人の言葉として聞き流し、素の個としては答えない。

 この「伊達マスク」は「伊達サングラス」にも似たところがある。「自信のない自分」を隠すという共通点がある。「伊達サングラス」により「自信のない自分」を隠すと同時に、自分ではない別の自分を演じることができる。人と話すときには相手の顔を見て話しなさいとは、昔からの教えである。「伊達マスク」にしろ「伊達サングラス」にしろ、自ら顔の一部を隠すということは、自ら社会との関係を拒絶したことになる。社会からの逃避である。
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No title

きよしさま。こんばんは♪

流石に良いこと仰るわ。伊達マスク、伊達サングラス通じる
ものがありますよね。社会との隔絶、自信のなさ、などの
表れでしょうかねぇ。困ったもんだ!!

>朝スッピンでゴミ出しをしようものなら、マスク着用を切に願うというものだ。
>シニアの女子が集まるとマスクを着用して欲しいほどに騒々しい。
>口の周りに泡を出している老人にもマスク着用をお願いしたい

あはは~~!!かくいう姫もスッピン時、マスクは必需品ですわ。
あんまし、人のことは言えんわ(爆)それと職場で風邪、咳の人、
どうか、マスクして下され。かなわん!こっちが予防するしかなさそうね

Re: No title

姫、1日遅れのこんばんわ。

> あはは~~!!かくいう姫もスッピン時、マスクは必需品ですわ。

そりゃどうだか。大丈夫でねーの。

> それと職場で風邪、咳の人、
> どうか、マスクして下され。

それって、ほんとにかなわん!!

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