デコ文化

 若い女の子の携帯電話やデジタルカメラを見ると、キラキラ光るクリスタルが貼りめぐらされている。薄くて軽いのを求めているはずなのに、なぜかわざわざ厚くて重い「デコ電」や「デコデジカメ」に変身している。「デコ電」や「デコデジカメ」に限らず、パンツ、カバン、バッグ、靴、帽子といった日用品にも、やたらと装飾している。

 西欧では日用品は飾るものではなく、クリスタルは大人がネックレスやブレスレットとして身につけるのが慣習だから、「デコ電」や「デコデジカメ」は外国人には奇異に見えるらしい。そして、日本人は個性的であると評される。そういえば、原宿や渋谷を歩いて見るがいい。それこそハロウインかと思うようなファッションにお目にかかる。

 ちょっと待てよ。いつの間に日本は装飾過多になってしまったのか。日本の美といえば、昔から「わび」や「さび」だろう。そうブツウツ言いながらも、東急ハンズでデコを探している自分がいる。ハロウインをいぶかるでもなく楽しそうに観賞している自分がいる。

 日本の近代社会は、個人の自立や主体性の確立を目指してきた。それがほぼかなうと、今のように飾りが氾濫する日本に変身してきている。この過剰な装飾は「洗練されていない幼稚さの表れ」でもある。しかし、その「幼稚さ」を大人もほぼ肯定的に受け止めている。そして、「幼稚さ」は「かわいい」という言葉に置き換わっている。

 つまり、「幼稚さのままでよい」、「大人にならなくていい」という自己肯定感が広がってきている。これはどういうことなのか。洗練された大人になりたいが、それがかなわないので、逆の「幼稚さ」に走ったのか。さもなくば、そもそも「洗練された大人文化」が嫌いで、それに対する反発なのか。

 洗練され成熟した大人になるためには、社会常識も知識も必要であり、ある程度のお金も必要であろう。無論、自立してなくてはならないし、第一、しっかりとした自分の考えも必要であろう。そう考えれば、「デコ文化」は一言でいえば「自立できていない」ことの反作用の表れではないのか。自立し洗練された熟女が少しだけデコを使えば、もっと魅力があろうというものを。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

何もかも
なんでもありの時代
なんでもありは
なんにもないに
等しいのに

Re: No title

riplleさん、こんにちは。

> 何もかも
> なんでもありの時代

何でもありの時代、
恐いですね。

アジアカップ、最後まで見られましたか。
痛快でしたでしょ。

では、また。

派手過ぎますよね~

こんばんは~

実はですね、○クヨの商品に「デコ」ノートというのがありまして、
表紙を自分でデコできるように、ロゴが薄い色で仕上がっているのです。
主に女子中学生が買っていましたが、去年はコンテストまでありました。


携帯のデコは知っていましたが、他のものはほとんど知りません。
うちの娘達はそういうのはまったく興味がないようで・・・

>「幼稚さ」は「かわいい」という言葉に置き換わっている。

私もそう思います。

Re: 派手過ぎますよね~

おしゃれな猫さん、ようこそです。

> 実はですね、○クヨの商品に「デコ」ノートというのがありまして、

へえ~、そんなのがあるんですか。
知らなかった。
そこまで進んでるとは。

>去年はコンテストまでありました。

そりゃ、やり過ぎっていうもんだ。

> うちの娘達はそういうのはまったく興味がないようで・・・

それは、親がまともだからかな。

じゃあ、ね。
プロフィール

geotech

Author:geotech
geotechのブログへようこそ!

団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
blogram投票ボタン
フリーエリア
シニア・ナビ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR