アメリカの苦悩

 またもやアメリカで乱射事件が起きた。このような乱射事件が繰り返されるたびにアメリカのリーダーは銃社会の悲劇を訴える。しかし、銃の所持は肯定され続けている。1993年のプレイデイ法は銃の販売時に犯歴を照会することが義務づけられているが、保守派は合衆国憲法に「武装する権利」が明記されているとして規制に反対しているからである。

 アメリカにおいては、銃は「平等をもたらす装置」と呼ばれているが、果たしてそうであろうか。言論に対して銃弾1発で対等になれるという考え方そのものが民主主義に違反するのではないのか。

 また、「銃が人を殺すのではなく、銃を持つ人が人を殺すのだ」というが、これは屁理屈である。それでは、「原子爆弾の存在が悪いのではなく原子爆弾を戦争に使用する国が悪い」と同じ論理になる。銃があるから人を殺すことが可能なのであり、銃さえ所持しなければ銃による被害者は出ないのだ。こうした銃所持肯定の論理はテロの論理と同じである。おぞましい妄想の世界である。

 第16代アメリカ大統領リンカーンは、暴力ではなく民意によって国を変えるのだと演説で訴えた。そのときの言葉、「Ballot(投票用紙)はbullet(弾丸)より強し」は重い言葉である。しかしそのリンカーンでさえ、南北戦争のあと凶弾に倒れている。ケネデイ大統領暗殺事件しかり、レーガン大統領銃撃事件しかり、アメリカの政治家が銃で撃たれる事件は後を絶たない。

 民主主義発祥の地アメリカにおいて、はからずも武力や弾丸によって民主主義が狙われている。アフガンにしてもイラクにしても正義の御旗を掲げてアメリカは武力を強行してきた。その反動が2001年の同時多発テロである。今回の犠牲者の中に同時多発テロが起きた日に生まれた少女がいる。「悲劇の日に生まれた娘が悲劇の日に命を奪われた」と言う父親の言葉が重い。今こそ、アメリカは銃社会と決別すべきである。
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