寡黙がそれほどに美徳なのか

 増位山が歌った「男の背中」という曲がある。「♪男の肩と背中には ♪むかしの影がゆれている ♪恋も涙も悲しみも ♪誰にも言えない傷あとも・・・・・」言葉に出せない男の胸中を男の背中に例えた名曲である。「沈黙は金なり」に始まり「男は黙ってサッポロビール」に至るまで、寡黙、とくに男の寡黙は日本において賞賛されてきたように思う。

 中日の落合監督の息子である落合福嗣さんは、父の寡黙な仕事ぶりをある記事で賞賛していた。選手としても監督としても実績は十分な父(落合監督)であるがなぜか嫌われる、という嘆きからその記事は始まった。嫌われる理由をこう解説している。発言を曲解され、何を言っても無駄だという思いから多くを語らず、それがさらに誤解を招いているからであると。

 具体的な例として、日本シリーズに敗れたとき「一番低い山でけつまずいた」と言い、対戦相手のロッテを見下す発言だと批判されたことをあげている。ほんとうは違うのだと息子はいう。シーズンが最も高い山で、次いでクライマックスシリーズ、日本シリーズと続く。だから「3番目に高い山」と言ったのだと。「低い」という表現ではないと。父はむしろロッテを賞賛していたとも、つけ加えた。

 彼にはコラムニストという肩書きがついていた。いつからコラムニストになったのか、私は知らない。コラムニストにしてはあまりに稚拙な文もさることながら、父をかばうあまりのその言い訳もあまりに筋が通っていない。「低い」という表現ではないと言ったって、現に「一番低い山でけつまずいた」と言っているのである。誰が聞いても、一番低い山はロッテということになるであろう。実際に落合監督がロッテを賞賛しようがすまいが関係ない。言葉は言葉である。

 この例に見るように、単に話すのが苦手であったり、舌足らずであったり、話し言葉が不適切であったことを、すべて寡黙のせいにすることが多い。失言や無礼を寡黙のためだと容認したりする風潮もある。少し厳しい言い方をするようだが、寡黙は美徳でも何でもない。誰しもわざわざしゃべりたくないこともあるが、しゃべらないといけないのが世の中である。しゃべらなければ何も始まらない。しゃべらなければ何も伝わらない。しゃべらなければ何も解決しないのである。寡黙は美徳でも何でもない。
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