野良になりたい

 人間は生まれながらにして、家族とか地域とか、会社とか国とか、多くの「しがらみ」を背負う。その「しがらみ」があってこそ、生きながらえてきた。しかし、こんな「しがらみ」なんかなければ、どんなにか自由に過ごせるのにと、瞬間、頭をよぎることもある。こんな考えは無謀なことはわかっているし、第一、ひとりじゃ生きていけるはずがない。なのに、ふと頭をよぎるのはなぜなのか。

 都会の浮浪者が寒さや飢えに苦しみながら、それでも生きようとしている。その姿は切実に映る。しかし反面、彼らに何の「しがらみ」がないことを妬んだりもする、もうひとりの自分に気づく。昔から、家を突然出て行方知らずの不明者がいたものだが、究極の状況を察すれば、その気持ちもわからないでもない。

 こうした「野良になりたい」という願望は、人間の誰しもの心に潜んでいるのではないのか。ただ、常識や理性、慣性によってそんな考えが打ち消されているのではないのか。それでは、なぜ「しがらみ」から遠ざかって「野良になりたい」という願望が潜んでいるのだろうか。

 そもそも「しがらみ」という言葉自体、心に潜む拒否反応を表しているともいえる。人間関係、信頼関係といったものが、いつしか「しがらみ」に変化していることに問題があろう。組織、運命共同体といったものが、いつしか「宿命」という気持ちに変化していることに問題があろう。

 それでは「しがらみ」に変化したのは、いつからなのか、どうしてなのか。もともと正常な関係であったものが、利害、不正、不純な要素が加わり、歪められたものが「しがらみ」ではないのか。

 そう考えると、「しがらみ」を捨てて「野良になりたい」という願望は、あながち浅ましい考えでもない。むしろ人間本来の、純粋な心に帰りたい気持ちの表れでもあり、人間としてまっとうに生きたい本性でもある。

 しかし問題なのは、仮に利害、不正、不純な要素が強い「しがらみ」があったとしても、その「しがらみ」から逃げようとしていることである。なぜ知恵を出して全力でその「しがらみ」と対峙しないのか。そこに人間の弱さがあるように思う。人間の強さと弱さの狭間において、葛藤するのが人生なのかも知れない。
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うーむ。

秋の夜長は難しい思索にふけりまするなぁ。
しがらみ・・・なかなかムズカシイ。
良くも悪くも人間、しょせん一人では生きていけましぇん。
どこぞで折り合いをつけて、しがらみを自分のなかに
取り込み、プラスに転化させる・・・
このほうがラクに生きられまいか・・・?

野良には野良の

しがらみがあるかも。
山の中に住んで、雨水と木の実だけで生活すれば、
全てのしがらみから逃れられるかもしれないけれど。

しがらみって、たぶん友人が欲しい、家族を作りたいと思ったときから
発生するものじゃないかな?
仲間を求める気持ちというのも、また人間の本能だから。
だから人間は自ら求めて、しがらみに縛られるものなのかも。
そしてそれを窮屈に思うもの。
記事を読んで、私はそんな風に思いました。

Re: うーむ。

しあわせさがしさん、こんばんは。

急に忙しくなって今日も現場に行ってました。

> どこぞで折り合いをつけて、しがらみを自分のなかに
> 取り込み、プラスに転化させる・・・
> このほうがラクに生きられまいか・・・?

確かにそれしかないのでしょうね。
晩秋はいろんなことを考える季節です。
私、いたってナイーブな性格(?)ですから。
(↑自分で言ってどうするv-8

Re: 野良には野良の

yayaさん、お久しぶりです。
まだ、LCですね。

> しがらみって、たぶん友人が欲しい、家族を作りたいと思ったときから
> 発生するものじゃないかな?
> 仲間を求める気持ちというのも、また人間の本能だから。
> だから人間は自ら求めて、しがらみに縛られるものなのかも。
> そしてそれを窮屈に思うもの。

要するに、人間の欲望や本能の裏返しということですか。
いつも直球解説、ありがとうございます。

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