文章力

 シニア・ナビのブログには多くの小説家がいる。人それぞれに、個性あふれる文章が盛りだくさんである。そして、文章をみれば作者の人柄を髣髴させられ、会ってもないのに勝手に想像をかきたて、人格までを確立してしまっている。

 私には、Sさんのような流暢で知才あふれるしなやかな文章は書けない。Yさんのような研ぎ澄まされた感性的抒情詩は私の能力限界を裕に超える。さりとて、Bさんのような普段着でいてしっかりほのかな文面を書くほどの朴訥(ぼくとつ)さをもちあわせない。
  
 文章を書いていると、ついつい、句読点は適切か、主語と述語は、送り仮名は、論理性は・・・・などと考えて筆が止まる。いかん、いかん、硬すぎる。しかし、それは一種、私の職業病でもある。理系の論文や報告書には正確な文章が不可欠だし、一切の感傷は弊害であり、あくまで論理性を追及するからである。

 文章力にとっては、必ずしも正しい文章は必要としない。まして、論理性などほとんど関係ないのだ。要するに、読むものが感動し、読むものが納得すれば、それこそが文章力であろう。第一、小説に対して文章的に正しいとか間違いだとかいった論評を聞いたことがないし、論理性がある小説なんて見たこともないし面白くもないだろう。

 文章にはその人の過去の経験が見え隠れし、それが文章力となる。このことに関して、大江健三郎が東大在学中に恩師、渡辺一夫教授からしっかり読むように言われたという本が一冊ある。ジョルジュ・デイアメル著、渡辺一夫訳『文学の宿命』の第二部である。

 そこには、作家志望の若者への語りかけ調で以下のように記されている。
〔注:文面は大江健三郎の引用文をそのまま掲載したものである。古文(歴史的かな使い)であることから、原文訳と同じと考えられる。〕

 「それぢゃ、まづ 第一に生活なさいよ。さう、人生の乳房からたつぷり乳をお飲みなさい。将来生まれる君の創作を養ひ育てるんですね。君は、立派な小説を作りたいと言ふんでせう?そんなら、よござんすか、どこかの船にでも乗込み給へよ。さゝやかな仕事をしながら世界を駆けまはり、貧乏も我慢し給へ。急いで筆を採るのはおよしなさい。苦しみも試練も忍従なさい。幾百となくゐる多くの人達を見給へな。そして、私が多くの人達を見給へと言ふ場合、その意味は、人々によって不幸に陥れられたり、また人々を幸福にする為に不幸になったりするのを拒むな、といふ意味なのです。(中略)立派な小説を作りたいと言ふのでせふ?それぢゃ君!まづ手始めに、そんなことをあまり考へないやうにし給へな。行手をきめずに出かけ給へ。眼や耳や鼻や口を開けて置くのだ。心を開け放しにして、待ち給へ。」

 小説に限らず、文章力ある文章を書くには多くの人生経験が糧になるということでしょう。そして、眼や耳や鼻や口をしっかり見開いて人生を送りなさいという人生論をデイアメルは提言しているのであろう。


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