意識して体で覚える





 メタボ予備軍という健診結果がきっかけでスポーツジムに通い始めて、もうかれこれ3年経つ。厳しいトレーニングの甲斐あって、今ではメタボの面影は微塵もない。ただ、一番に効を奏したのは、厳しいトレーニングよりも何よりも、普段からの意識なのだと今では思う。普段から背筋を伸ばし、常にお腹を引っ込める、そうした意識をもつことなのだと。


 長い間、筋トレを暗中模索で継続してきて、ようやく掴んだ感触。それは、トレーニングする体の部位を意識し、可動域を広げて、ゆっくり行うことである。例えば胸の筋トレの場合、両腕をできるだけ広げた状態から、胸を意識しながらゆっくりと挟み込む。少し軽めのウエイトでゆっくり10回を1セット、5セット位行う。
 

 ほぼ毎日、ランナーマシンで5km走っている。最初の間は超ゆっくりで走っていたが、それでもきつかった。1年間継続して、時速10kmで30分の記録が出た。しかし、そこが限界で初めて知る。継続的に同じスピードで走れることが大切であることを。ゆったりした走る姿勢と呼吸が大切であると。金哲彦先生著「ランニング・メソッド」には肩甲骨を使った走り方が記されている。最初は理解できなかった。でもランニングを継続してみてわかった。時速8 kmを9kmにスピードアップしても、腕を振って肩甲骨を使えば、推進力が上がって8 kmと同じペースで走れることを。


 スポーツに限らず、私の好きなギターにしても、ライフワークとする学問にしてもそうだ。上達の基本は書物の中にあるかも知れないが、実際に上達に導くためには体で覚えるしかない。頭であれこれ考えても駄目だ。実際にやってみて、訓練に訓練を積んだその後に、実感として得られる感触、それがひとつ壁を乗り越えることができた成果なのだ。ヒントは机上の頭にあらず現場の体にあり。


 「生きる」においても、生きる目的のために、苦労し汗をかいて、初めて生きている実感がつかめるというものだ。そしてなによりも、「生きている」という実感と意識が人生にとってとても大切なのだと思う。 




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ポケモン現象







 幻の偶像を追い求めて、まるで夢遊病者のごとく人が行き交い、集う。人はみなうつむいたまま、無口に、気ままな方向に。人と人が交錯しながら、ときに接触しながら歩む。所かまわず、時間かまわず、意味もなく、ただただひたすら歩き進む。


 ポケモンGO現象の象徴ともいえるこの情景に、なんとも世紀末を目の当たりにしたように感じる。現実の人生に夢を追い求めるわけでもなく、現実の課題に果敢に挑戦するわけでもない。ただただ現実から逃避し、貴重な時間の多くを虚偶という罠に興じる者たちを見て、呆れる気持ちを通り越し、腹立たしくもあり、嘆かわしくもある。


 私は他人の趣味嗜好に一言の文句もつけるつもりはない。勝手といえば、人の勝手。とやかく言う筋合いはないし、ましてや、いい悪いの議論を起こすつもりもない。だから、あえてこれを容認した上で言おう。他人に迷惑かける行為に対する責任の所在を明確にして、罰則を規せよと。そして、それによって生じる本人の被害に情けは無用だと。


 広島や長崎の平和記念公園や原発敷地内、その他重要な公共施設などにポケモンが現れないよう、関係各機関が開発会社に要請したと言う。そもそも開発時点で混乱や事件に繋がりかねないことは十分に予見できた筈である。なのに、開発会社や販売会社に社会的責任はないのか、それを罰する規範はないのか、はなはだ疑問である。


 鳥取砂丘でゲームに興じる人に、熱中症に気をつけてくださいとアナウンスされているとか。これって、必要でしょうか。意地悪なようですが、熱中症になればいいし、街の中で電柱にぶつかって怪我をすればいいと思うのですが。日本という国はどこまでお人よしなのかと、つくづく思う、自称、ゲルマン系日本人であります。




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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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