義兄の死






 私は今、恩人の義兄が亡くなり、打ちひしがれた思いで泣きじゃくっている。


 義兄は寡黙で不器用な大工職人であった。大工仕事一筋に、家事はおろか、日常の一切を私の姉に任せっきりであった。姉の死後、世間のことも家の事情も一切わからず、それこそ現金ひとつ通帳から出すことすら儘ならなかった。


 義兄の人生は、頼りきっていた姉の死によってぽっかりと空き、それに癌の病が追い討ちをかけた。生きる希望も生気も失せ、いわば亡骸の状態であった。最期は体全体に癌が進行して、痛々しい姿で逝ってしまったと聞く。頼り切っていた姉の死後の義兄が不憫でならない。せめてもの救いは、一人娘と孫のいる関東に引き取られて後のことであった。それに、頼る姉の元に逝って良かったと思う。


 私が高校3年のとき、到底、大学に行けるような経済環境ではなかったが、たまたま育った田舎に国立大学の医学部と工学部があった。もうすっかり進学を諦めていたところ、工学部だったらわが家に下宿して通えるから進学したらどうかと、義兄から救いの言葉をいただいた。文系を目指していたがそんなことはどうでも良く、一気に進学という重い扉が開いた歓喜の瞬間であった。


 その義兄がポツリと発した、天使のような救いの言葉は今でも耳に残る。工学部の学生生活は厳しい。昼間は講義を受けて、夜は遅くまで実験をやる。寝袋で大学に寝泊まりすることも多かった。そんな私に、姉と義兄が夜の弁当を届けに大学に来てくれた。深夜に下宿先の義兄の家に戻ると、食卓にニッカウイスキーの大瓶が置いてあり、「自由に飲んでください」と書置きがあった。


 姉と義兄には恩返ししたつもりでいたが、ふたりを亡くしてみて、恩というものはそうたやすく返せないものだとしみじみ思う。義兄が手を差し伸べてくれなければ、大学の進学も今の自分もない。しかしそれよりも、義兄の死は、人の恩を慈しみ、感謝して生きねばならぬことを、改めて私に教えてくれた。最期のお別れをすることすら叶わなかった私を、寡黙の義兄が天国から叱っているかも知れない。



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理性と感情






 人間には理性と感情という対立軸があり、ときの状況や環境、相手によって理性が強く働いたり、感情が強く働いたりする。相手がいる場合、そのことによって喧嘩をしたり、分かち合ったりもする。その相手が友だちや夫婦であればまだマシなのだが、国家の行く末を左右する案件となれば、これはただ事では済まされない。


 そのただ事でない事態が発生してしまった。イギリスのEU離脱国民投票結果が世界を驚かせ、瞬く間に、経済不況の波が世界に拡散している。残留派のキャメロン首相が辞任を宣言する一方、EUには離脱を正式に通告せず、離脱交渉ができないまま混沌とした状況にある。


 そもそも、国民投票の選択そのものに問題があったのだと思う。EU離脱派による攻勢を受けて、キャメロン首相は「そこまで言うのだったら国民投票して決着しようじゃないか」と感情的に意気込んだ。まさか国民投票で負けるとは夢々思わない、高をくくった判断であった。キャメロン首相のこの感情的な判断が火種となり、国民全体が感情に走り、感情が理性を超えた結果を招いたと言える。


 イギリスのEU離脱が不適切な判断であり、残留が正解であるということを言っているのではない。問題は、国民投票後に離脱派の幹部が離脱条件の約束を反故にしたり、離脱に投じた人を中心に自身の投票行為を悔いたりして、国民全体が失望に陥っていることである。それほどに、この国民投票は中味を熟知した上での慎重な選択ではない、感情的なアクシデントであったことを物語る。


 さてそれでは、この場に及んでは回復する術(すべ)はないのだろうか。ひとつの方法として、キャメロン首相が辞任しないことだ。国民投票の結果とその後の世論風潮から、離脱しないと宣言するのである。もうひとつは、EUに離脱の通告をしないことである。EUの規約には相手国が離脱通告して初めて離脱協議が始まるとされている。この不備な規約を逆手にとって離脱通告しないことはありうる。最後に、首相改選して新しい首相のもとに離脱しないと宣言することである。


 感情という衝動と理性という根気。その狭間で人間はそのときどきで揺れ動く。感情という衝動はいかにも勇ましいが、根気ある理性もまた勇気あることである。キャメロン首相には勇気ある根気によって有終の美を収めてもらいたいものである。




沈黙の理由(わけ)








 台所の洗い場(シンク)の右隣に食器乾燥機がある。食器乾燥機の中には箸立がある。洗った食器を右側の食器乾燥機に移すとき、箸立が左にあると邪魔になる。だから、箸立は食器乾燥機の中の右隅に置く。このなんでもないやり方を、家人はそう思ってないらしい。彼女が食器を洗った後、決まって箸立は左側に移動しているからだ。


 かくして、私が食器洗いし家人が食器洗いするたびに、箸立は左右に移動する。だからといって、なんでそうするのかと相手に尋ねるでもない。作業するには右が便利だとか左が勝手がいいとだとか議論するわけでもない。ただただ黙って互いに右を左に、左を右に移動するのである。もうかれこれ15年もの間、この沈黙の箸立争奪戦が続いている。


 「男子厨房に入らず」で済むものなら、私も是非そうしたい。そもそも私が台所に立つようになったのは、ご飯と味噌汁という私の朝食パターンを、痩せる目的から家人が敬遠したことに始まる。その後、私はずっと自身で朝食の準備をしている。朝食を一日の食事のメインに考えているので、三品四品に味噌汁付きの豪華版である。だから手間もかかる。味噌汁は前日から下ごしらえしておく。


 私は別にそのことを嘆いてなどいない。自分のことは自分でやる主義だから、むしろ良いことだと思っている。お陰で今では、先立たれてもちゃんと自立できる自信がついた。ただ台所に入るようになると、調理器具や食材の置き場所から食器の洗い方、食器の置き場所など、やり方とか順番とか、それなりに流儀が生じてくる。そこで衝突や摩擦も生じる。箸立争奪戦もそのひとつである。


 「男子厨房に入らず」ではないが、昔は男女の役割分担が明確であったので、そんな衝突や摩擦を生じることはなかった。しかし家事を男子が分担すれば、それなりに軋轢を生じる。女子は女子なりに長年家事を支えてきた自負があり、男子とて企業で培ってきた工夫を家事に活かそうとする。


 家事に限ったことではない。長年ひとつ屋根の下に暮らすとなれば、いろいろな軋轢を生じるは当然のこと。おまけに、歳をとればどちらも頑固になり、譲ろうとしない。さりとて、本気で議論したり喧嘩する気力も体力もない。というか、そうしても益々事態が悪化することを承知している。その結果、黙って見過ごす、黙ってやりかえる、黙ってとりかえる。不毛な議論を避け、淡々とやり過ごすことが軋轢を最悪の事態に及ばせない最善の道と心得る。





『しつけ』の難しさ






 北海道で起きた小学生置き去り・行方不明騒動は、無事に保護され事なきを得た。本当によかったねと、誰もがほっと胸をなでおろした。しかしそれも束の間、「置き去りするとは何事か」と、その子の父親をなじるメールや電話が殺到した。テレビでお馴染みの某教育評論家に至っては、「両親の行為は虐待であり、警察に間違いなく逮捕される」と自身のブログで批判する始末。身近の家人も「なんて酷いことをする」とテレビを見ながら父親を批判する。


 これらの両親に対する一連の批判に対して、『しつけ』という観点から何だか割り切れないものを感じる。その子は直前まで他人や他人の車に石を投げていたという。注意しても止めないから一旦、車から降ろした。そして再度乗せたがそれでも続けたので、お仕置きのつもりで置き去りの形をとったという。伝えられている内容なので事の詳細は定かではない。しかし父親の会見を見て、とても優しい父親であり、その子の将来を見据えて育ててきたであろうことは間違いなく読み取れる。


 確かに山中にひとり置き去りするのは危険かも知れない。『しつけ』の時と場所を間違っていたと言える。そのことを前提にして、「あの子がかわいそう」「父親はむごい」と批判だけする人に問いたい。それではあなたはどのように『しつけ』しますかと。悪ふざけの内容にもよるが、人に石を投げれば怪我をさせることになり、車に石を投げれば補償することになる。そんな行為も見て見ぬふりをするのですか。そうでなければ、どのような方法で『しつけ』すると言うのですか、と。


 幼稚園の年長から小学校の低学年にかけて、最初のやんちゃで聞かない時期がある。ただのやんちゃであればいいが、ときには凶暴であったりもする。私も子どもで経験し、今は孫にも同じ経験をしている。突如道路に走り出して命を落とすこともあり、物を投げて他人を傷つけたりもする。一方、この時期は自我が芽生える時期でもあり、自我を大切に育む必要がある時期でもある。


 子や孫が大切で可愛いのはどの親も同じ。では、可愛い、可愛いでよいのか。優しい、優しいでいいのか。なにをしても許していいのか。それは違うでしょ。その子の将来を見据えて教育的観点からの『しつけ』が必要でしょ。ただただ優しいばかりの親や先生が多い今日の状況を見て、これで日本の将来は大丈夫かと憂う。愛情を持ちつつ、ときには体を張った覚悟の『しつけ』が必要であると私は考える。実は、家人との心のすれ違いは子の『しつけ』の考え方の違いから始まった。『しつけ』とはそれほどに難しいものだと、北海道の不明騒動を見て今更ながら思うのである。




茶番の上塗り






 もともと茶番であるものを、どう理屈付けようが、どうひっくり返そうが、所詮は茶番の上塗りに過ぎない。その茶番劇に、日本中が真剣な振りして取り組んでいる様子が滑稽でならない。一連の東京都知事の疑惑に関してである。しかしながら、ひとりの茶番によって世界の大都市機能が停滞していることを考えると、笑ってもいられない深刻な事態である。


 頭脳明晰なあの方の品性はいわずもがな、パジャマや回転寿司まで公費とくれば、もうこれは品性というより人間性の問題であり、かえって、大きな悪事はできない案外わかり易い人間かも知れぬ。ここまで苔にされてもなお執着するとは、敵ながらあっぱれである。往生際が悪いと罵倒されても居つくその根性たるや、並みの精神ではない。


 彼が繰り返した「第三者による公平な厳しい調査」は、はからずも茶番であることを立証するものになった。ヤメ検のふたりの弁護士による調査は明らかに「第三者による公平な厳しい調査」ではないからである。その理由は以下のとおり。


1. 被疑者の秘書を通じて選任されていること。被疑者と無関係に選任されなければ公平な第三者と言えない。第三者は第三者によって選任されなければならない。

2. ふたりとも同じ弁護士事務所所属の上司と部下であり、内通していること。

3. 第三者委員会というのは少なくとも3名以上の専門が異なるメンバーで構成されることが要件であり、その要件を満たしてないこと。

4. 被疑者および被疑者の秘書のヒアリングを基に調査結果を作成しており、それを裏づける関係者へのヒアリングが皆無であること。


 こんな調査結果は別に弁護士に頼まなくとも自身が吐けば済むこと。それとも第三者に頼まないと善悪も常識もわからないというのか。巷ではこの時期に辞めさせると厄介だとか言ってるが、そんな悠長なことを言っている暇はない。即時に退陣して大都市の機能を回復すべく国を挙げて超法的な策を講ずるべきである。




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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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