逆転勝訴(環境の闇に一石)






 暑かった今年の盛夏を過ぎた頃、東京の弁護士事務所から私のもとに一通のメールが届いた。

 『・・・・・・・・去る8月6日にようやく高等裁判所より判決言い渡しがございまして、当方請求を全部認容し、操業差止を命じた一審判決を取り消す、逆転勝訴判決を得ることができました。判決文を分析致しましたが、勝訴の要因は、当然ながら、先生方から賜りました意見書及び調査報告書のお陰によるところが大きいと改めて感じた次第です。代理人弁護士として心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。安定型最終処分場の操業差止請求事件で、処分場側が勝訴した事例は非常に珍しく、当職らが調査した限りで公表事例で勝訴事例はほぼありません。本件は貴重な先例となるものと思われます。・・・・・・・』

 某市の最終処分場を運営する会社の社長と私が最初に出会ったのは、もうかれこれ10年も前のことである。国と県の認可を受けて操業開始したばかりの最終処分場が、地元住民による操業差止請求を受けて裁判沙汰になっていた。最終処分場から排出される有害物質が地元住民の井戸に浸透して健康を害するという訴えである。このことについて、科学的にそうでないことを立証して欲しいとの依頼を受けた。そもそも裁判案件に頭を突っ込むつもりはなく、にべもなく断った。なにも私のような零細会社に依頼しなくてもと大手の会社を紹介したが、面倒でリスクを伴うためどこも拒否したらしい。まだ40歳そこそこの若社長は勉強熱心で自らデータをとりまとめ、私に何度も懇願した。その心意気にほだされて、あくまでも中立公正な立場で検証することを条件に、やむなく受諾した。

 そもそもこの種の環境問題の裁判には、裏の闇組織が存在するのが常識である。環境破壊だの健康被害だのを旗印に、地元住民を巻き込む闇の組織があるのだ。闇の組織とは、あまり詳らかに言うことでもないが、あえて一文字で表すと「暴」「共」「部」の3つの組織である。これらが一体となって、裁判沙汰を嫌がる事業主体から多大な和解金を巻き上げるのが目的である。従って原告たる地元住民はあくまでも形式的なものであって、原告の本質は闇の組織にある。彼らは手段を選ばない。誹謗中傷を街宣カーで吹聴して廻る。無断で処分場内に立ち入り有害異物を散布する。その直後に化学分析を勝手に行い、それみたことかとメデイアに散布する。組織にはそれ専門のお抱えの弁護士がいる。名誉教授という肩書きだけの御用学者を抱える。彼らはみな闇金で繋がっているのだ。

 受諾した以上、あくまで中立公正な立場で徹底的な科学調査と解析を1年間かけて行った。その結果、処分場から許容量以上の有害物質が排出される可能性は極めて少ないことが明らかになった。また、万一許容量以上の有害物質が排出されたと仮定しても、地元住民の井戸に浸透する可能性は皆無に等しいという結論に至った。そして私自身も証人席に立たされた。まるでテレビドラマで見る法廷の場面に。相手弁護士は重箱の隅をつつくようにチクチクと証人の私を追及する。それに感情的になれば相手の罠に嵌る。あくまで冷静に客観的な事実を淡々と証言する。それでも相手は御用学者を何人も登用し、ついに地裁では敗北を喫した。

 全くもって不合理で理不尽な判決結果に納得できるはずはなく、控訴した。必勝を誓って、まず弁護士を東京の名うて弁護士事務所に変えた。裁判官の疑問や質問に対して、ひとつずつ科学的な論拠を示す努力を重ねていく。同時に相手の訴状の矛盾点をひとつずつ明らかにしていく。当方の主張に対して、専門の第一人者の意見をいただく。そのような努力を積み重ねた10年越しの逆転勝訴である。

 今回の逆転勝訴は、環境問題の闇の世界に一石を投じることになったことは確かである。しかし、それにしても日本の裁判は長い。また、この種の専門的かつ科学的な裁判の難しさを改めて思い知らされる。それに、そもそも国や県が許可した産廃施設が一部組織の闇工作によって訴えられるとは。そして万一敗訴して操業停止になれば、それこそゴミの捨て場に困るのは国であり県であり、住民である。こうした許認可権と利権に絡む闇組織と裁判のイタチごっこは、今の日本のアキレス腱と言っていい。





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24時間テレビ





 嫌いな番組だと言ったら、ある友人があの番組は「感動の押し売り」だと評した。全く言い得ているので、笑ってしまった。サブタイトルとして、「低俗偽善の祭典」と命名しよう。要するに、無理な演出の感動物語を作って善人の涙を誘い、チャリテイ―だとうそぶいているのである。

 まず、見え透いた演出が目に付く。早速、昨日の番組でもプロレスラー・ハヤブサの演出誤解が取沙汰されている。いかにも今すぐに引退だと感動を呼んでいたが、番組直後から批判が殺到したらしい。24時間の最後を飾るマラソンに至っては、ほんとうに100kmを完走(というか完歩)したか甚だ疑問。毎年、番組終了間際にゴールすること自体があり得ないこと。

 次に慈善性。ほんとうにチャリテイ―だと言うのであれば、まず出演者の莫大なギャラからチャリテイ―にしたらどうか。日本テレビの大きな収入源として、止められない止められない事情が見え隠れする。チャリテイ―とは程遠い世俗番組である。

 まあ、こんな番組嫌だったら見なきゃいい訳だが、ひとり暮らしならそれもできるが、家族がいると嫌でも眼にする。延々と見ては感動し、共鳴し、涙するその姿に、日本は大丈夫かと思う。感情と涙腺がゆるいばかりか、頭がゆるい善人が涙するようである。

 それにしても、これだけ見え見えの低俗番組なのに誰もツッコまないのが不思議である。見て見ぬ振りをしているのか、それともそれを承知でアホになりきっているのか。どちらも、こうしてほざく私よりはるかに大人の態度である。せめて、すべてが真だと信じて見ていないことを望む。こういうこと言うから嫌われるのだなぁと自覚している。



朝日の「それから」






 人によっては朝日新聞をことさら嫌う人も多いようだが、私はなぜか若い頃から朝日を読み続けてきた。幼い頃から、貧乏してもなぜか新聞だけはとっていて、それも朝日に執着した家庭に育った影響かも知れない。いつしか私も、朝日をとっているだけでインテリだと勘違いしていたふしもある。

 その朝日新聞といえば、天声人語。推敲を極めた名文に心打たれて、若い頃から感銘したものである。その名文は大学受験の問題にも引用されるようになり、つい最近では天声人語書き写しノートがブームになった。

 今でも天声人語の名文は切り取ってスクラップ帳(といってもただの裏紙であるが)に貼り付けているが、最近では貼り付ける機会がめっきり減った。名文はおろか、この文章はどうかと思うものが出てきている。いつだったか、あまりのひどさに朝日に直接電話で意見した。そのときの、つき返すわけでもなくすんなり認める編集室の対応にも落胆した。

 天声人語の質の低下どころの話ではない。最近では、朝日の報道には重大な誤報がありもろもろの問題が噴出し、多方面からの批判がすさまじい。ブレないはずの朝日が、今では朝日批判が社会現象化している。

 最近の朝日の話題のひとつとして、漱石の「こころ」が朝日新聞に連載されて100年を経過したのを記念して、100年振りの漱石復刻版が随時、連載されていることである。「こころ」に始まり、「三四郎」と続き、今連載中の「それから」もそろそろ終盤であるが、最近、読むのが嫌になってきている。

 なぜ読むのが嫌になったのか。「それから」の主人公である代助が、いい歳をして親に無心する風太郎の身でありながら、お手伝いや書生を使うその生活態度に鼻持ちならない。加えて、優柔不断な態度、のらりくらりの物言い、どっちつかずで煮え切らない態度、それなのに理屈っぽい、その人間性である。

 代助は、食うために働くのは誠実な労働ではないと拒む。しかし最後は職を探しに町へ出る。すると目にするいろいろなものが頭の中に飛び込んできて、すべてが音をたてて崩れていく。作者である漱石自身が、人間はなぜ働くのかについて結論を得ていないように思う。

 朝日の昨今の紙面の質の低下と批判の嵐に鑑み、漱石の「それから」ではなく朝日の「それから」を憂うものである。




センチメンタルな夏の終わり




 夏のもろもろの行事を終え、喧騒から静寂へと、ようやく普段の日常を取り戻しつつある。気づけば、秋めいた日差しとなり、朝夕は少しだけだが涼しい風も舞い込む。駆け足の夜長に、ひとり、例年より一段と暑かった今年の夏のことをあれこれと振り返る。

 お盆に集った娘や息子との会話から、彼らの行く末を案じる。孫のあまりの成長の早さに仰天したこと、仲間との再会など、それもこれも私の年表に刻まれたよき夏の思い出となる。

 そして、今年の夏も大切な友を失った。年々歳々、友を見送るたびに命の儚さを思うとともに、人の命は定めなのだと実感するような歳になった。苦しんで逝った友も、突然に逝った友も、それはそれで定めなのだと。であるなら、残されし者は己に正直に、一日一日を悔いることなく精一杯生きることしかないのだと。

 高校野球はいよいよ佳境を迎える。どの試合を見ても泣ける。レギュラーも控えの選手も、記録員もスタンドの野球部員も応援団も、ひとつの輪になって戦うその姿に感動する。サヨナラホームランを打った選手と打たれた相手ピッチャーが、試合終了のサイレンに笑顔で固く握手する。その後、打たれたピッチャーはベンチに帰ってひとり泣きじゃくる。そんな姿のどれもこれも純粋であり、真剣に生きているのだと思うと、泣かずにはいられない。一年間を真剣勝負のひと試合に賭けてきた高校野球部員の夏も終わる。

 この夏も喜びあり悲しみあり感動もあり、一杯泣いて、一杯笑って、一杯汗を流した。夏の終わりを告げる蝉しぐれを聞きながら、またひとつ夏を越したのだと思う。

 蝉しぐれ なにせかされし 吾にとふ





知の継承






 今年もまた偉大なる知の巨匠を亡くした。「思想の科学」創刊者である鶴見俊輔さんである。同じようにここ数年、我々は日本を代表する知の巨匠を次々に失っている。丸山眞男さん、加藤周一さん、吉田秀和さん・・・・・・。

 彼らが知の巨匠と称される所以は、ただ単に知識が広く深いからではない。共通することは、事の本質をとことん自らの頭脳で考え抜き、自らの言葉で発することにある。どんな相手にも逃げず臆せず、堂々と正面から立ち向かう姿勢にある。そしてその思想は、決して既成の概念や考え方に囚われることなく、あくまでも独創的である。玉石混交の中から、とかく見失われがちな炉端の石に大きな意義を見出そうとする姿勢に偉大さがあるのだと思う。

 そして彼らの何が一番すごいことかって言うと、知の幅がとてつもなく広くて底が深いにもかかわらず、決して威張ることがないことだ。ここが偉いところだ。巨匠と呼ばれし人は数多なれど、ほんとうの巨匠とは、頭が下がるほどの力量と親しみ易さと品格を備えた人間であると私は思う。そういう意味で、彼らは日本が誇る真の知の巨匠といえる。

 死して改めて彼らの偉大さに尊敬するばかりであるが、さて、彼らを失いし行く末の日本はどうかと考えると、不安感と危機感を感じざるを得ないのである。我々は彼らの知の精神を継承できているだろうか。子や孫に知の精神を継承しようとしているだろうか。はなはだ疑問であり、まずは私自身ができていないことに焦りに似たものを感じるのである。

 日本は世界は、ますます混沌とした時代を迎えようとしている。戦争は失くしたいが絶えることはあるまい。経済も政治もますますグローバル化し、知が知を犯し、別次元の犯罪の連鎖を伴う時代へと確実に進むであろう。子や孫はそのような時代に今からどっぷりと浸かるのである。そんな行く末の時代だからこそ、確固たる己自身の考え方が問われるのである。そんな時代でこそ、事の本質を己自身の頭で考えることが必要なのである。

 夏目漱石没後100年のこの年、漱石がほんとうに訴えたかった「個人主義」の考えが未だに日本人に根付いていないことを憂慮する。国民はおろか、国会議員や先端的地位の者にもである。個人主義とは利己主義にあらず。先入観や既成概念に囚われることなく、己の頭で考え、己の言葉で発し、己の意思で行動することである。日本人が真の意味の個人主義を身につけて物申すことのできる時代を、そして真の民主主義国家になることを所望する限りである。





磯崎発言の深層




 
 首相補佐官といえば首相が最も信頼を置く懐刀。その首相補佐官による「法的安定性は関係ない」発言は本音の本音であり、首相も同意見であることに間違いない。なにも参考人招致で陳謝する必要などない。堂々と「法的安定性など関係ないのだ」と、首相および補佐官は持論を訴えればいい。

 この時期このタイミングで最悪の発言だと、野党のみならず与党からも批判の嵐。それもそのはず、黙ってさえいれば参議院で粛々と審議し、仮に公明が反対して参議院で否決されたとしても60日ルールで可決する運びとなるからだ。

 だとすれば、首相補佐官の単なる本音のこぼれ話なのか。そう考えるにはあまりに単純で御粗末な話である。ほんとうにそうなのかと大いなる疑念を抱く。

 今や国会周辺に限らず、安保法制反対の風潮は国民的支持となって広がり、憲法学者や著名人から主婦や高校生まで幅広い包囲網が展開されている。与党議員の中にも実は危機感をもっている議員がいる。安保法制が戦争法案なのか否かの議論は別として、そもそも中身が曖昧でわかり難いというのが国民から支持されない根本的理由である。

 少なからずいる安保法制反対の与党議員が、この法案を流れでもって可決していいのか、あるいは阻止すべきかということを考えた場合、これを阻止すべき方法は限られてくる。発案者の首相の身に何かあるか、あるいは戦術的クーデターである。

 ソフトランデイングな戦術的クーデターのひとつとして、首相側近から問題発言を意図的に出させ、そこで問題を大きくして収拾できなくする戦術がある。いわば自爆テロ発言である。こうすれば、強行採決は見送られ、次回に持ち廻され、内閣支持率も回復するという戦法。私の穿った見方であろうか。さて、真相および深層は如何に。願わくば、党としての自浄作用の現れであって欲しいものだ。




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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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