花咲か爺






 マンションの敷地の中扉を出た通路には、両側に一戸建てが5軒ずつ並び、その向こうは右に空き地、左に小さな公園があり、その先は道路とTの字で繋がっている。つまり、右側の一番奥のお宅は空き地に隣接し、斜向かいに小さな公園があることになる。その右側の一番奥のお宅の爺(爺といっても私と同じ歳位かも)は無類の花好きとみえて、玄関先に置いた沢山の植木鉢への水遣りに余念がない。

 花好きでは一歩も引けをとらない私の同居人は、斜交下手で滅多に人に声をかけることがないのに、その爺にだけは趣味が合ってか、通りがてらに声をかけているらしい。消極的な人間が趣味なりと人と接することは、精神衛生上よろしいと安堵していた。私自身はその爺に声をかけたことはないが、一見、人の良さそうな爺である。いつぞやその爺が洗車していたら、水を撒き散らさないでと二階の奥さんからガミガミい言われていたのを見てしまった。いつの間にか、わが家の中ではその爺のことを「花咲か爺」と呼んでいた。

 ところが、その花咲か爺、趣味が高じてか、隣の空き地の一角に石を積み土を盛り、花壇らしきものを作り始めた。しばらくすると、そこに花を植えたり苗木を植えたりしたり、水遣りを欠かさない姿を目にするようになった。わざわざ苗木や花を買ってきて植えたものではなく、自分ところの花や木々を分けたり挿したりしている様子である。どこか不統一でどう見ても綺麗なものではない。仕舞いには植えるものがなくなったのか、サボテンまでもが植えられていた。

 しかし、しばらくしてその花壇に立て看板が立てられた。「私有地につき勝手に立ち入らないこと」と。その後、植えてあったもの一切が取り除かれていた。所有者が根こそぎ除去したのか、花咲か爺が泣く泣く移したのか、知る由はない。まあ、そこまではご愛嬌で済む。

 ところがその1週間後、今度はその花咲か爺が自宅の斜向かいの小さな公園でなにやらゴソゴソやっているではないか。よく見ると、どうも公園のフェンスの内側に沿って幅2~3mの花壇を作り始めているらしい。公園の固い土を掘り起こし、大きな篩目で濾した植木土を盛っている。その様子を、近所の住人がひそひそ話をしながら遠巻きに見ていた。

 その公園は子どもの遊び場になっていて、屋根付日よけをゴールに見立ててシュートに興ずる子ども、親子でキャッチボールをする姿をいつも目にしていた。公園でサッカーやキャッチボールをやっていいかどうかはわからないが、そもそも公園の管理は市にあり、勝手に手を加えることは違法である。

 わが家にて、どうみても違法であり撤去すべきだと主張する私に対して、花好きの同居人曰く「花が好きで公園を綺麗にするのだから、いいじゃないの」と。「いや、そういう問題じゃない。ダメなものは駄目」と俺。花好きが高じた花咲か爺の行動がわが家の論争にまで飛び火してしまった。その後聞いた話によると、通報を受けた市の職員が花咲か爺に説得し、それに従わない場合は強制的に撤去するらしい。

 花好きもよし、花を愛でるもよし。ただね、社会規範を犯してまではどうかと思う、融通がきかない頑固人間のつぶやきである。





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ポップアウト現象





 昨日、東京・歌舞伎町でビルの外壁の一部が剥離して落下する事故があった。ビルの老朽化が基本的な原因であることは間違いないが、それだけの理由ではない。気温変化による「ポップアウト(pop-out)現象」がその理由と考えられる。

 「ポップアウト(pop-out)現象」とは、モルタル内部の膨張圧によって飛び出すように剥がれる現象です。突発性凍結融解作用とでも言おうか、内部に閉じ込められた水分が凍結し、外部が急激に温度上昇することで内部の膨張圧が高まって剥離・破壊する現象です。

 ちなみに昨日の東京は春を思わすポカポカ陽気でしたので、そのことが原因と考えられます。夜は氷点下になっても昼間は気温が上昇するこれからの季節、外壁の剥離・落下や落石の事故が一番多い季節です。

 人間もしかり。冬場に溜めたストレスを徐々に発散しないと、ポップアウト現象によって爆発します。ご注意ください。





凍結融解

深奥幽玄





 真冬のこの時季、マンションの北に面した私の部屋から外を眺めると、山からの吹き降ろしの寒風が樹木に絡まった枯葉を舞い上げ、寒々とした真冬の原風景が広がる。ところが、一歩自分の部屋を出て南側の瀬戸内海に面したリビングに行くと、雲の隙間からパーッと陽が差し込み、煌々とした日差しが部屋中に広がり、まるで真夏と錯覚してしまうほどである。テーブルの上に眼を転じると、埃のひとつひとつさえも見えるのである。

 北に面した私の部屋も、南に面したリビングも、同じ冬に違いはない。テーブルの上の埃だって、陽が差してできたものじゃない。同じ季節であっても、見る方角によって見える風景が違う。まして自然環境が変われば、見えるものと見えないものが逆転することもある。さらに見る側の心のありようによっても、見えるものと見えないものがあり、見えるものも感じ方が大きく違ってくる。

 我々は、今見えているものが正で、今感じているものが正だと思っている節がある。しかし、それは大きな勘違いである。今我々が見えているものはほんのひと握りであり、見えていないものの方がその何百倍も、あるいは何万倍もあるであろう。今我々が感じているのは、単にごく限られた見えているものからの評価に過ぎない。昔、ミリが最小単位であったものが、マイクロ、ナノの世界が普通になり、さらにピコやフエムトと、可視単位は無限に小さくなるであろう。

 それでは、今、現実に見えているものに対して、我々はどのような立ち位置にあればいいのか。まず、今見えているものは、置かれた環境下で自身の視力で見えているほんのひと握りに過ぎないという認識が必要であろう。その上で、今見えているものが楽しく好意的で前向きなものであえば、それはそれで素直に受けとめればいい。それ以上に見えないものを見ようとする努力は無意味である。逆に、今見えているものが鬱陶しいものであったり、悲惨なものであったりした場合は、今見えているものはほんのひと握りであることを自身に言い聞かせ、見えていない多くのものに期待し、あるいは希望を見出すようにしよう。

 科学が進歩し、人間関係が複雑になり、自然が破壊されるにつれて、今まで見えなかったものが次第に見えてくる。しかし見えることがいつも幸せに繋がるとは限らない。見えないで済むことがしあわせであることも多い。それに、深奥幽玄(しんのうゆうげん)という言葉があるように、見えないものを見ようといくらあがいて努力しても、奥が深く、結局のところ、我々は真理に到達しないのだと思う。

 名もない道端の一輪の花を見て、美しいと感じ、可憐だと感じる人は、なんとも感じない人より少なくともしあわせだと思う。今、見えているものに最大限の癒しや安らぎを見出すことが、今できる最大限のしあわせなのだろう。そして、今が良けりゃ、見ない勇気、詮索しない勇気も必要かも知れない。真冬のマンションで思った老人の戯言である。




集中と夢中





 女流歌人・俵万智さんがツイッターに投稿していた、息子さんに関するエピソード話が興味的であった。『宿題を少しやっては「疲れた~」と投げ出す息子に、「遊んでるときは全然疲れないのにね」とイヤミを言ったら、「集中は疲れるけど、夢中は疲れないんだよ!」と言い返されました。』と。

 なかなかに、親が親なら息子もちゃんとした言葉のセンスを持っているものだと、親譲りの天性に感心した。確かに、集中と夢中は違う。集中も夢中も結果の質を高めるスキルである。では、集中も夢中では何が違うのだろう。

 物事に集中できない子どもや若い社員に「もっと集中しなさい」と説教することはあっても、「もっと夢中になりなさい」とは言わない。言葉を代えれば「集中力をあげる」とは言うが、「夢中力をあげる」とは言わない。さらに言うと、集中力は努力によってあげられるが、努力しても夢中にはなれない。

 こうして考えてみると、集中というのは効率的かつ効果的に成果をあげるために後天的に身につけるスキルであって、夢中というのは好きだからこそ集中できている状態であり先天的なものかも知れない。だからこそ、集中力は疲れるから限られた時間で途切れるが、夢中は好きなわけだから疲れないし、だからずっと続くのだ。

 そういえば、サラリーマン時代の初代社長が「男は四六時中仕事だ」と言った口癖を思い出した。これは、「四六時中、仕事に集中しなさい」という意味ではなく、「努力して壁を乗り越えれば仕事が好きになって勝手に四六時中、夢中になるのだ」という意味だったのかと、最近になってわかってきた。遅い!

 私の場合、幸いにも自身で天職とする今の仕事を好きでやっているので、夢中に近いのかも知れない。だからこそこの歳になっても、仕事をすることが億劫ではなく、むしろ仕事そのものが生きがいになっているのだろう。無論、仕事する上で努力は不可欠であるが、その努力だって多くは娯楽化している。いわば、私にとって仕事は趣味なのだ。ただし、仕事する上で副次的に生じる人間関係の嫌な部分は避けて通ることはできないが。

 では、子どもや若い社員に押し付けではなく何かに夢中になってもらい、他人に真似できない成果を生み出してもらうにはどうしたらいいのだろうか。それには、その人となりをよく観察して、特性や資質を見抜き、それに合った題材やテーマをそこらへんに散らかしておく。そして当人が自然にそれを選択し、面白いと思ったらしめたもの。当人の天性の才能とマッチすればもっといい。そのような環境作りができる親や学校、会社のスキルの向上が夢中人を多く生み、ひいては国の人材力向上に繋がるのかも知れない。何でもいい、何かに夢中になれることが人の幸せだと思う。



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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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