3末を乗り切って




 年度末の繁忙期のことを、我々コンサルタンツ業界用語では「3末」という。国や地方自治体の年間予算の執行期限が3月末であるため、委託業務の工期や検査が3月末に集中する。だからコンサル業界においては、2月、3月は不眠不休の稼ぎどきとなる。これも公共事業に携わる者の宿命である。

 その3末を、今年は土佐にて締めくくることになった。検査する側も検査を受ける側も、それこそヘトヘト状態で3末を無事終えた。怒涛のような3末を乗り切り、官庁を出て空を見上げると、眩いばかりの満開のサクラであった。その夜は、自分へのご褒美に、土佐の初鰹と土佐鶴で一杯やる。明くる日、やりとげた達成感に浸りながら意気揚々と凱旋する。

 さて、明日から卯月。別れる人や去る人もいれば、新しい人との出会いもある。消費増税も開始する。物の値段も変わり、組織も変わる。心機一転、新たな仕事に取り組もう。しばらくひかえていた趣味を再開しよう。ジム通いも継続して体力をつけよう。木々の芽が吹き出し、いろんな花が開花するのも楽しみである。そろそろ山菜取りを始めよう。フキノトウはもう終わったが、タラノメ、コシアブラ、土筆、ワラビ、ゼンマイ、コゴミ、イタドリと続く。美味い食材と楽しみが尽きないこの季節を謳歌するとしよう。





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それでもエールを送りたい






 快挙に対して、マスコミは異常なほどに媚び、必要以上に流布する。しかし一旦その快挙に味噌がつくや、事実に先行して疑惑や人そのものを徹底的に叩く。媚びし高らかにに流布するのもマスコミなら、手の平を返して徹底的に叩くのも同じマスコミである。STAP細胞に関する一連の報道についてである。

 科学技術の世界においては、引用にはことの他、神経をとがらかす。科学技術に携わる私と同じ世代の研究者や技術者なら、若い頃から耳に胼胝(たこ)の如く先輩から叩き込まれたものだ。どんな小さな引用であっても、引用の所在を明らかにすること。既往の文献の図表を模倣したものはないか。考え方そのものは独創的なものかなど。

 しかし今日日、これほどまでにコンピューターが発達したネット社会では、科学技術のそうした掟が覆されそうになっているのもまた事実である。学生は勝手に他人の論文をコピペ(コピーペーストの意味)して単位取得のための論文提出を行う。審査する教授も、知ってか知らずか、見て見ぬ振りをする風潮。学会発表論文にも平気で他人の図表を引用したものを散見する。科学技術と関係ない日常生活においても、我々はモニターの有用な情報をコピペする習慣を知らず知らずのうちに身につけている。

 他人の論文を勝手に引用している学生には、恐らく悪いことをしているという認識はない。他人の論文を引用したとしても、それに自分の成果が加われば、全体として自分の成果だと認識しているに違いない。ネット社会がもたらした危うさと病みがそこにある。彼女もまた、悪いという意識はなかったのかも知れない。研究者以前に社会人としての未熟さ故でもあるが、廻りの指導者や研究機関にもその責任はある。

 最近の報道では、捏造ということまで進展しているようだ。引用にしても模倣にしても捏造にしても、それは済まされることではない。そのことは承知の上で、彼女にはすべてを返還した上で、原点に立ち帰って再度、チャレンジして欲しい。まだ彼女は若い。まだまだやり直すことができる。研究したい、その一念があるのであれば、出直して研究を継続してもらいたい。そして再び、表舞台に出てきて欲しい。そう願うばかりである





サクラ咲く


 この2ケ月間というもの、怒涛のような日々を送った。午前2時にガバッと起きては会社へ行き、午前3時に静かに覚醒しては出向く。自宅はさながら仮眠所と食堂に化し、その姿はまるで夢遊病者のようでもあり、畏敬なる妄想信者のようでもあった。消えることのない自宅の外灯に、日頃あまり会話もない隣の老夫婦が心配されて声をかけてくる始末である。

 しかし、当の本人には辛いとか苦しいとかいった感情はなく、むしろ意気揚々としている。義務感もなく束縛感もない。仮眠の中で構想すると、自然に頭脳に目覚ましが働く。この流れは非常に効率的で無駄がない。体はどうかというと、むしろ深酒できない分、いたって健康であった。アベノミクスという名ばかりの仮想景気の場末にて、好きな仕事を存分にさせてもらったありがたさに、今はとても感謝している。

 ようやく仕事も峠を越し、改めて世を眺めたら、春一番の嵐が吹き荒れ、時すでにサクラ咲く季節になっていた。あの寒い、漆黒の闇の冬がこの上なく好きな私だが、好きな冬を惜しんで人並みに春を迎えるとしよう。

 拙ブログにて「多忙にて」をしたためた際、いろんな方から励ましをいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。ブログもボチボチとスローに再開いたします。




多忙にて





 このところ湧き水の如く仕事が舞い込んでます。まるでバブル期の年度末のようです。夜中に目を醒ましては会社に出かける毎日です。忙しいと遠慮するのに、土日があるでしょう、祝日があるでしょう、何とかできないかと頼まれます。無論、土日祝日も勘定入れてのことですが、頼み込まれれば人情の血が騒ぎ、結局、請け負う始末。ありがたいことです。

 そんなわけで、今のところブログを更新する暇もありません。3月末までお休みさせていただきます。みなさんのところには気分転換で時々参ります。ブログ再開の折はもう桜も咲いているでしょう。では、みなさん春までもう少し。風邪など召さぬようにお元気で。




嫉妬






 今朝も、いつもと同じようにひとりご飯していた。何気につけたテレビで、昔のおしんを放映していた。とたんに涙がとどめなく湧いた。覆った手の端からしたたり、お陰で、おかずが少なくなったご飯が少し塩辛かく美味しかった。

 おしんに擬えて、自身のことが走馬灯のように思い出された。小さい頃から本を買ってもらえなかったけど、小学3年生のクリスマスの朝だけ、枕元に小学館の小学三年生が置いてあった。その本を6年生になるまで大切にしたこと。その小学校6年生のときに入った化学クラブで、ビーカーの代わりに空き瓶を持って行った。それをみかねて、半田君がフラスコをひとつくれたこと。宇部高に入った冬、みんなが制服のグレーのコートを着て通学するのを横目に、寒くはないと強がった自分。京都を志望するも諦めて失望した、東京オリンピック・女子バレー優勝の夜のこと。下宿する大学の同僚を横目に、4時間もの自転車通学が楽しいと嘘ぶいた俺。そんな、切ないけど大切なひとつひとつの思い出がよみがえった。

 考えてみれば、私の人生は失望と嫉妬と羨望の日々であった。でも、それを糧に生きてるのが、今ある自分でもある。物や人への嫉妬や執着心がなければ、今の私はなかったろう。今でも嫉妬はある。東京・京都出への嫉妬と負けん気、学閥と財閥への挑戦状、学会への痛烈な批判、国家、社会、組織への抵抗。それらの嫉妬と抵抗が自身のエネルギーとなって、今の自分を支えているようでもある。

 自分でもときどき思う。俺って素直じゃないなぁ、意固地だなぁ、頑固だなぁ、堅物だなぁ、辛口だなぁと。でも、それが私であり、それが私の所以でもある。変えようとしても変えられない。この自分を受け入れて生きていくしかないのだ。嫉妬を経験したからこそ、人の痛みがわかる。人への感謝が生まれる。くやしくても頑張れる。優しくもなれる。嫉妬も無駄ではないのだ。先日、太宰治論と題して悪態を垂れたのも、実は、彼が女にもてたことへの嫉妬からかも知れない。偉そぶっているようですが、何を隠そう、私は嫉妬と妬みの塊の人間なのです。





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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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