役人の今昔




 伝統的に官尊民卑の色濃い日本においては、昔から権力をもつ役人は威張り、民間業者は媚びへつらうを常としてきた。それは今でも常態化していることに変わりはないが、今の役人の方が質(タチ)が悪い。昔の役人には同じ威張っていても人間らしさを感じたものだが、今の役人は冷徹にして陰湿なこと甚だしいのである。

 地方の小さな会社の顧問をしている関係で打ち合わせに同行すると、仰天するような役人の悪態を見てしまう。役人はまず会社の規模やランクで態度を豹変する。OBを沢山引き取ってもらっている大手には大目に見るが、相手がちっぽけな会社だと見くびるなり、チクリチクリと嫌味タラタラ文句を並べる。まるでそうすることが唯一の趣味のように。

 時間にルーズなのも役人の専売特許。先日の打ち合わせは夕刻16時の約束であった。1時間待たされても始まらない。これが立場が逆だったら、とてもあり得ない話である。それこそ、社長を呼べとか指名停止とかになりかねない話だ。これには私も少し切れて、1時間待たされた頃、こちらにも予定がありますからと言い放し、退出した。その後、さらに1時間待たされて挙句の果てに、打ち合わせが中止になったらしい。

 官尊民卑に変わりはないものの、なぜこのように役人の質(タチ)がこうも悪くなってきたのか。まず、ISOの導入によって書類の雑用が増え、地権者との協議に時間をとられ、役人の専門職はほとんど実務をしなくなっていることがあげられる。昔は国の役人でも、自ら現場に出向き、自ら図面を引いたものだが、今では全く知識も経験もない者が監督する立場にいる。常識的なことまでチクリチクリと探るから、民間業者との軋轢を生むのである。

 それでは、知識も経験もない役人が何に拠り所を求めるのか。それは過去の実績の踏襲であったり、基準書、文献や指針といった活字である。彼らは兎も角、活字になっているものは正解であり、そうでないものは誤りであると認識する。かくして究極のハンドブックエンジニアのもと、考える力も新たな発見もない形骸化した業務の遂行が蔓延しているのである。

 役人の質(タチ)が悪くなったもうひとつの原因は、官庁の行政改革にある。役人の数が多すぎるとか賃金が高すぎるという批判をかわすため、姑息な手段で対抗している。穴埋めに民間企業から国の職員として出向させているのだ。これで見かけ上、職員の数が減って人件費も減少しているのだが、外注費が嵩んでトータル費用は高騰し、作業はとてつもなく非効率的なのである。

 民間から出向している職員がまた問題である。民間の立場を理解して民のために働くのかと思いきや、まるで正反対の行動をとる。官の威を借り、ここぞとばかり偉そぶり、意地悪をするのである。官にいじめられてきた腹いせをここでやる。この出向社員は少しは専門的事項をわかっているから官に頼りにされ、それでまた増長し、さらに民をいじめ、それで点数を稼ぐという悪しきスパイラルの構図である。

 馬鹿で高慢ちきの役人を相手に、それでも民は耐え忍び、明日の糧のために働いているのだ。おべっかを使う民がいて、それでまた官は増長する。一見、公明正大な入札方式や官民のあり様も、一皮剥けば闇の世界。昔のような賄賂や飲食を伴わなくなった分、陰湿なる闇の悪徳は巧妙となっている。かつて、大災害に出動した私の宿に土木の所長が一升瓶を持って駆けつけて酒を交わした。事務所で寝食を共にし、官民隔たりなく災害復旧に全力を尽くした。帰り際には土産までいただいた。そんな良き昔の時代がたまらなく懐かしいのである。あ~、少しすっきりした。







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都知事選に物申す




 「政治と宗教は語るべからず」とはよくいったものだ。その掟を破って、私はときどき吠える。政治を語ると大概、周囲に反応はなく、静まり返る。しかし有難いことに先日、勇気ある論者が1名いた。見ると案の定、東の孤高詩人であった。彼曰く、都知事選において脱原発を掲げるのは突破口として意義あることだと申す。時同じくして、朝日新聞の天声人語に同じ趣旨の記述があった。

 改めて言う。私は脱原発論者である。今すぐにでも原発から足を洗うことを願い、脱原発によっても日本経済は成り立つことを信じる者のひとりである。都知事選に脱原発を最大の争点として突破口を見出したい、その気持ちは痛いほどわかる。しかし、情熱や思いだけではどうにもならない。現実を冷静に見据えてはどうか。都知事が脱原発を決定する権限は、法律的にも制度的にも存在しないことを。だからして、都知事選のひとつのテーマとして脱原発を掲げるのはまだしも、最大の争点にすることは無意味だと私は主張する。このことに対して反論があるなら、天声人語は論理的に明確に述べてもらいたい。100歩譲って仮に脱原発を都知事選の最大の争点にすることに一定の意義があるとしても、脱原発の具体的な道筋と工程を示すべきであろう。

 何も選挙だけが民主主義とは思わない。こうしていろんな意見を述べ、また反論するのも民主主義の礎である。デモも大いに結構。討論会や集会も大いにやるべきだ。しかし、現実はどうか。投票率の低さをみればわかる。都知事選の争点として何を求めるかとのアンケートによると、身の回りの生活のこと、社会保障のこと、消費税のことが上位を占め、脱原発を掲げる人は少数である。まだこの国民は原発の怖さを悟っていない。これが現実である。

 「政治と宗教は語るべからず」が示すように、どうも日本人には政治を語らない人が多すぎる。平和ボケなのか、無関心なのか、自己満足なのか。政治への関心や熱意が薄いのも事実。脱原発の前に、日本人に真の民主主義が根付くことを願うばかりである。




地方の民意と国策




 辺野古への移転に反対する市民に支援されて当選した名護市長が拒否権を発動したところで、国策が変わるものではない。同じく、仮に原発反対を唱える新しい都知事が誕生したとしても、原発は推進されるだろう。だったら、これら地方自治の選挙は意味があるのか。

 辺野古移転や原発是非は地方の問題ではなく国としての大きな問題であることは、誰しも十分承知している。しかし一方では、辺野古移転が名護市の市政にもたらす影響は計り知れない。東京電力の電力消費母体であり大株主の東京都とて同じこと。名護市と意味合いは異なるが、原発の是非によってオリンピックの準備など都政に与える影響は計り知れない。

 それでは、地方自治と国策のねじれという現実はどう解決すればいいのか。まず、地方自治体の首長が国策を拒否する権限は法律的に存在しない。仮に協議の段階で地方が拒否権を発動したとしても、その影響は限定的である。国は計画どおり、粛々と手続きを進めていくであろう。

 ここでは辺野古移転の是非や原発是非の本質を議論しているのではない。そもそも地方自治の首長選挙において、国の重要な課題を争点にすることに意義があるのかと問いたい。どちらが勝っても何も解決に繋がらないからである。国の重要な課題については、時の政府が暴走しないための国民投票制度を立法化することが先決であると考える。秘密保護法や憲法改正など、この国が危うい方向に向いていることを危惧する国民が大多数をしめる現実だけは確かである。






雪宮島
(このところ安芸の宮島はうっすら白いです)



MS社の陰謀


 MS社とはサドマゾ秘密結社のことではなく、言わずと知れたMicrosoft社のことである。そのOSであるWindowsXPが2014年4月9日をもって、MicrosoftOffice2003とともにサポートが終了となる。終了までもう3ケ月を切った。マイクロソフト社からの重要なお知らせにはこう記してある。「サポート終了後はマイクロソフトからのセキュリテイ更新プログラムの提供が受けられなくなります。このセキュリテイ更新をせずにパソコンを利用し続けることは、セキュリテイ上危険であるため、新しいパソコンへの買い替えをご検討ください」と。

 まったくもって、人騒がせの責任放棄としか言いようがない事件である。つまりはXP後にVistaや7や8と進化させた結果、あっちもこっちも面倒見切れなくなったということだが、どうも陰謀説が暗躍する。パソコン業界、電気量販店、SEの情報を総合するとこうである。マイクロソフト社としては、XPのサポートを終了することで7や8への買い替えが画期的に進んで大きな利益となる。同時に、ソフト業界やパソコン周辺機器業界との連係によって莫大な資金を手にすることができる。さらにセキュリテイ更新やアップグレードを専門とする業界との連携もあり、いわばPC関連業界を一手に巻き込んだ利益誘導構想である。

 個人の場合はサポート終了後にセキュリテイホールに嵌ったら、その時点で買い換えればすむが、官公庁や会社はそういう訳にはいかない。今、どこの役所も会社もてんやわんやの大騒ぎ。膨大な予算で買い替え合戦が繰り返されていて、どこも怒り心頭である。ただ、プロに聞くと、よほどのことがない限り、そう滅多やたらにダウンすることはないという。まさに脅しとも言える買い替え斡旋販売が横行している。

 細々と経営する自社はどうするか。サーバーパソコンはXPであり、これからLANケーブルによってPCを繋げているが、こちらもすべてXP。これらをすべて7や8にする経費はない。対策は、最後の最後まで諦めずにXPのセキュリテイ更新プログラムの提供を受ける。リスクを避けるため、サーバーパソコンではネットをしない。ネットもメールやヤフーなど限定したものに制限する。もっとも恐いのは作業中データの損失である。1時間おきに作業中データを別々の外付HDにバックアップする。こうして魔の4月9日を乗り越えようと思う。

 余談ですが、PCをされる方には「履歴書.zip」なるものに注意して欲しい。これは標的型メール攻撃であり、件名、本文、添付ファイル名などに日本語が使われている。「履歴書.zip」という名称の添付ファイルを解凍して得られるWordファイルを開くことで、PCがマルウェアに感染するというものです。 感染すると、Microsoft Office等にリモートからコード(命令)が実行される。脆弱性が存在し悪用された場合、アプリケーションプログラムが異常終了したり、攻撃者によってパソコンを制御される可能性があります。この攻撃の特徴は以下のとおり。
(1)メールの件名、本文、添付ファイル名には日本語が使われている。
(2)添付ファイル名は「履歴書.zip」となっており、解凍して得られる
  Word文書ファイルを開いた場合、マルウェアに感染。
(3)問い合わせ窓口へのメールを装うという手口が使われていた
 日本語なので、何気なく開いたWordファイルが「ウイルスだった・・・」ということが起こり得ます。日本語だとしても、安心せず注意する必要があります。




老人の主張



 成人の日にNHKで放送されていた「青年の主張」がなくなって、もう何年くらいになるのだろうか。ちょっと気になって調べてみたら、1955年に始まって1988年まで続いていたというから、私が物心ついた頃に始まって40歳頃まで続いていたことになる。若い頃は同じ若者の血潮に刺激されたり共感したり、大きくなってからは若者の意気込みに感動し、いつも決まって涙したものだ。その「青年の主張」も1989年から「青春メッセージ」となり、ついにはそれも2003年には廃止されたらしい。

 成人の日の恒例であった「青年の主張」や「青春メッセージ」が廃止されるに至ったのには、時代とともに社会の変化があったのだろうか。2000年代に入り、成人式での参加態度の悪化が社会問題化し、年々若者を取り巻く環境が変化した。アーティストのライブも入ったりするなど、これまでの弁論コンクールとはかけ離れたものになり、イベントとしての人気にも陰りが出たのだろう。情報化社会の到来によってパソコンや携帯電が普及し、筆や活字からメールが主流となり、趣味が多様化していったことも背景にあるのだろう。でも、なんだか寂しい。

 大人の「今時の若者は・・・・・・」という言い方は好きではない。でも、「今時の若者はって、ひとくくりにして欲しくない」とか「個性がないなんてことはない」と、今時の若者が異口同音に唱えるのも、少し無理があるように感じる。実際、若者がそうでないなら、そこまで意固地に反論することもあるまいと思うからだ。

 今、若者の離職率が高いと言われるが、昔から若者はすぐに会社を辞めたものだ。今月は誰かれさんと誰かれさんの送別会という風に、合同送別会をよくやった。それでは昔と今とで何が違うかというと、昔は若者が会社を辞めることをさほど気にしなかったが、今は離職率が高いのは社会に問題があると大騒ぎすることである。なぜ会社をすぐに辞めるのがいけないことなのか、よくわからない。すぐ辞める人がいてこそ、我慢して成功する人が浮かばれる。辞めるということは、適応性を早く知るということで本人もよかろうに。ただ、そういう人はどこに行っても長続きしないだろうけど。

 成人の日にちなんで、若者と大人のトーク番組が放送される。若者ひとりひとりの言葉はあまりに稚拙で論理性は全くない。しかし、そこにはテレビでお馴染みの若者を代表するリーダー的存在の人が決まって出てくる。そのリーダーが若者の言葉を吸収して今の若者の価値観論を展開する。よく聞けばそれにも説得力はまるでないのだが、出席する常識的な大人たちがそれを容認する。若者をけなすでもなく、やっつけるでもなく、シャンシャンと終わる。

 「青年の主張」がなくなった背景にも関係するが、社会が若者に気遣いし過ぎてないか。あまりに柔になりすぎてないか。過剰に遠慮していないか。もっと堂々と、駄目なものはダメと主張する、昔青年の大人の主張が欲しいものである。





やっぱ好きやねん



 歯に衣着せぬ物言いの、私好みの人がまたひとり逝った。やしきたかじんさんである。私と同じ歳。関東ではあまり人気はないかも知れないが、関西では、たかじんさんの知名度と人気は抜群であり、「浪速の視聴率男」と呼ばれた。バラエティ番組などほとんど見ない私だが、トークバラエティ番組の「たかじんのそこまで言って委員会」だけは毎週欠かさず見ていた。

 政治や経済、社会現象から自然災害、闇社会まで、あらゆるジャンヌをテーマに取り上げ、とことん本音で論争する番組である。出演者も論客揃いであり、胸襟を開いて、本音と本音がぶつかるさまが共感を呼ぶ。ほんとうに、「そこまで言っていいんかい」と思われる内容に、毎週、胸がすく思いであった。

 現、橋下大阪市長を生み出したのも彼であり、政治的にも影で大きな力を持っていた。だみ声の毒舌で有名な彼だが、東京では絶対に仕事しない、NHK(公共放送)では絶対に仕事しない、ABCでは絶対仕事をしないなど、こだわりと好き嫌いが半端でなかった。一方で情にもろく、シャイな優しさを持っていた。現、安倍総理が尾羽打ち枯らしたときに温泉に誘った秘話がその例である。彼のこだわりと人間らしさに共感した。やっぱ好きやねん!

 今頃、クラブのお姉さんたちに囲まれて好きなドンペリを飲んでいることでしょう。たかじんさんの冥福をお祈ります。




一年の計



 数年前まで、会社の若い技術者に、毎月A4一枚の目標達成表を提出させていた。月の初めに、個人の意思で今月の目標設定を書いてもらう。目標は自己研鑽に繋がることなら何でもいい。ただ、できるだけ具体的に書いてもらう。例えば、少なくとも学会誌の目次とabstractには目を通すとか、どの専門書の何ページまで読むとか、あるいは仕事の効率を上げるため具体的にどのようにするとか。会社のことでなくてもいい。個人が研鑽できることであれば何でも良しとした。そして月の終わりに、目標が達成できたどうかを書いてもらう。達成できなかった場合は、その理由も書いてもらう。

 そんなことを数年やっていると、できる子とできない子が色濃く選別されてくる。かなり優秀な子は、できるだけ目標を高いところにもっていき、かなりのところまで努力したがあと一歩で目標達成できなかったなどと報告する。普通にできる子は、確実にできそうな目標を立ててそれを実行達成する。そして、できない子はそもそも目標が具体的でない。そして毎月、達成できなかった同じ言い訳を繰り返す。

 できる子、できない子と区別したが、実際には、できるできないが問題なのではなく、やる気があるかないかの意識の問題である。自己研鑽を目的にしているのだが、真の目的は自己研鑽の姿勢を正しているのだ。しかし、できない子は最初から逃げの姿勢で取り組み、目標設定した時点で、既にできない言い訳を考えている。

 できる子もできない子も、優秀な人も凡人も、人間という者はみな、元来、等しく怠け者である。怠け者の自分を正すには、自分で自分を追い込むしかない。嫌なものにどう立ち向かうか、苦手なものにどう取り組むか、プレッシャーにどう対処するか、できるだけ窮地に自分を追い込んでこそ、人は進化するのだろう。

 本田圭佑選手がイタリア1部リーグ・セリアAのACミランに移籍した。そのこと自体が仰天するほどのビッグニュースである。しかし、さらに驚かされたのは、本田選手が名門クラブのキャプテンナンバー10を要求したことである。彼はさらに自分を窮地に追い込み、プレッシャーを与えているのだと思う。

 人それぞれに、目標設定はさまざまであっていい。日常的な行為から趣味の世界、高望みのものまで。それぞれの年齢や力量、置かれた環境によって、手が届きそうなものを選べばいい。問題は、明確な目標を持つことである。

 さて、年の初めに、私も明確な目標を日記の最初のページに書こう。ともすれば体力の減退や気力の衰えを感じ易いこの年齢においてこそ、目標は大切なのだと思う。何を隠そう、私はこうして書くことによって自身を鼓舞し叱咤しているのです。目標に向かって、今年もはつらつと、一歩一歩、一日一日を大切に生きていこうと思う。ちなみに今日は休肝日。この目標こそが、私にとって一番苦しいことなのです。






フク
(写真は今が旬のフク刺しです〔山口では「河豚」を福を呼ぶ「フク」と言います)〕



また新しい年を迎えて(新年の巻頭言)




50億年前の惑星の衝突によって 
偶然にもこの青い地球が誕生した
天変地異のイベントを繰り返し
偶然にも地球に生命が宿る
その生命のひとつが偶然に人として進化し
今この地球上にいる

悠久のときを経て
途方もなく果てしない空間の中で
気の遠くなるような偶然という十二単によって
私もあなたも
個という命が今ここにある

新しい年の日の出は
遥か宇宙の彼方から出ずる 
その太陽という惑星の
なんと神々しいことか

この世に私とあなたという個があるのも偶然
あなたと知りあえたのもまた偶然
新しい発見もまた偶然
日々の暮らしの発見はさらに偶然なり

この奇遇な
偶然すぎる偶然こそ
必然ぞよ

生まれるも
出会うのも必然であるなら 
失うも亡くすもまた必然なり

だったらこの必然を
わがままにしよう
吾のものにしよう

昨年と今年
昨日と今日
けじめはあってもそこに境目はない
年年歳歳
日はまた昇り日はまた沈む

この小さな幸せという必然を大切にして
生あるかぎり精一杯生きる
これこそが
宇宙と必然への感謝であろう

偶然と必然
果たして
これこそが人間の
永遠の果てしないテーマなり

また新しい新年を迎え
また新たな目標と希望をもって
吾らはともに生きようぞよ



本年もよろしく
みなさまに幸多いことをお祈りいたします


きよし



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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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