追い出し部屋




 独立する前にいた会社での支店長時代、私より2年先輩のFさんは組織のラインから外され、私の管理下にあった。すべては本社の人事であり、逆らうことはできない。本社から取締役が来るたびに、Fさんは支店長室に呼ばれて檄を飛ばされた。「あれだけ辞めろと言っただろう!」「まだ辞めてないのか!」などと罵倒されるFさんだが、後輩の私は忍びない気持ちで黙って同席するしかなかった。

 その後、私は自ら志願して退職したが、Fさんはとうとう定年まで勤めたという。罵声を浴びせられながらも耐え忍んで最後まで勤めあげたFさんは、ある意味、とても偉いなぁと思う。とてもじゃないが、この私には真似ができない。

 当時は、こんな無茶なことをするのはこの会社くらいだろうと思っていたが、最近、名の知れた大企業の多くで同じようなことをしていることが発覚している。退職してもらいたい人を同じ部署に集めて、時間をかけて自主的に辞めるのを待つという手の凝りようだ。

 これまでに発覚した主なものは、キャリアチャレンジプログラム(日立製作所)、キャリア開発課(コナミ)、事業・人材強化センター(パナソニック)、キャリアデザイン室(ソニー)、プロジェクト支援センター(NEC)、マーケット開発担当(ノエビア)、キャリア開発グループ(セイコーインスツル)、業務支援センター(東芝)、企業開拓チーム(朝日生命保険)などである。どこも日本を代表する大企業である。

 各社は報道関係からの問い合わせに対して、「退職を強要していない」「単純作業は命じていない」と言っているが、実態は「追い出し部屋」そのもののようだ。本人の専門と関係ない簡単な単純作業をさせる、社内・社外での就職活動をさせる、評価や給与を一方的に下げる、名刺を持たせない、電話に出させない、社内ネットにアクセスさせないなどの行為である。


 中小零細だったら、無能な人がひとりいるだけで大きな負担となるので、辞めてもらいたいという会社の気持ちはわからぬ訳ではない。中小零細では手をこまねく間もなく、即刻に首にしてしているのが実態だろう。しかし、追い出し部屋をもつ上述した会社はどこも大企業である。その人の能力や専門性、人間関係などを考慮して、最大限にその人が活かされるように配置転換が可能だと思うのだが。それに、仮にその人に能力がないとしても、その人を雇ったのは会社であり、会社の責任でもある。

 私にとっては、会社を辞めさせるという行為そのものよりも、その手段が陰湿なことが気に入らないのだ。その人に問題があるとすれば、また会社にとって不利益なことがあるとすれば、なぜ当人と向かい合って、とことん話をしないのだろうか。そのための人事部であり人事課ではなかろうか。いじめ問題を始めとして、現代の多くの社会問題が「陰湿」というキーワードで共通する。

 また前にいた会社のことであるが、当時の社員数は2000人程度であったが、何でも人事ソフトを使って配置転換していたことを聞きつけた。それで本社の人事部長に、その程度の人数、全国行脚すれば一人ひとりの人となりを頭に刻むことができるはずだと談判したことを思い出す。

 人事、つまり人を動かすことは、国家にとっても企業にとっても家庭においても、最も大切な要素のひとつである。人ひとりを巧く使うことができなくては、国家の長にも企業の長にも、あらゆる組織の長にもなれない。人ひとりを使うということは、それだけの度量が備わなければならない。つくづくそう思う。





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気性の伝承




 秋たけなわの運動会シーズン。今年も孫の保育園の運動会に行った。3歳児としては平均以上の身長らしいが、3月生まれのため、同じクラスの4歳児と比べるとまだまだ小さくて可哀相な気もする。それでも、「人一倍、周囲に気を使ってリーダー的存在なんですよ」とは園の先生の談。その話どおり、出番が来ると人一倍張り切って、ぴょンぴょン跳ねている。周囲をキョロキョロして、みんなと同調しようとする素振りがありあり。ただ、少し落ち着きがない。

 運動会も無事終了し、よく頑張ったねと孫を褒め称えた。飲食業の娘の旦那もたまの連休だということで、わが家で一緒に食事をすることになった。いつもは寝つきが悪い孫であるが、さすがにソファーでぐったり寝ていた。よほど疲れたのだろう。

 さて週明けの夕方、娘から電話があった。孫が38度の高熱を出していると、保育園から連絡があったという。園の規定で体温が37.5度を上回ったら帰らすことになっている。娘の仕事はまだまだかかりそう。急遽、保育園に迎えに行く。園の先生曰く、「運動会の疲れがでたのでしょう」と。それから夜間診療に連れて行き、深夜に娘に届けた。それもこれも、孫かわいさで故である。

 そういえば、娘も小さい頃、学校から帰ると熱を出したり、機嫌が悪かったりしたことが多かった。その頃、私の母はまだ健在であり、孫にあたる娘のことをよくこう言ったものだ。「〇〇ちゃんは、学校で気を使って一生懸命だから、家に帰ると疲れが出るんだね」と。全く、娘と孫は同じである。そういえば、私もそういうところがある。外面がいいというか、外では周囲に一生懸命気を使うが、その反動で内ではぞんざいである。親から子へ、子から孫へと、気性も伝承されるものだなぁと、つくづく思う秋の夜長である。





男の背中




 取引先のKさんと車で現場に行った。Kさんとは彼が若い頃からの長い付き合いだが、歳を聞いたらもう50を越したという。片道2時間の狭い車中を互いに他愛ない会話で過ごす。便乗したワゴンは社有車でまだ新しいが、何とマニュアル車だ。マニアだねぇと言うと、そうじゃないんだと。毎日使う車だから楽なオートマにしたかったのだが、10万円高いので会社の命令でこうなったと言う。それだけじゃない。パワーウインドウじゃなく、オートロックでもない。それもこれも、経費節減のための会社指示だと言う。そういえばこの会社、ETCや電話の利用にも厳しかったことを思い出した。「もっと節約するとこあるのに、ったく現場のこと何にも考えていないんだから」と、それから延々と会社の愚痴を聞いた。

 それでもまだ現場に着かないので、家庭のことに話を振った。娘さんがふたりいて、上は大学2年生で家を出ていて、下は高2だという。奥さんと奥さんの両親と2世帯住宅に5人で暮らしているという。会社の給料は下がる一方で、奥さんが介護の仕事に行き、それでも家計は火の車だという。だから、奥さんも子どもも携帯を持っているのに俺は持たされてないと嘆く。家にいて、たまに子どもの躾で怒ると、義父から注意される。残業手当がつくわけじゃないけど、家に自分の居場所がないから、遅くまで仕事をして深夜に帰るという。

 終日、愚痴を聞いて帰り、近所のイタ飯屋に行くと、いつものように店長が出迎えてくれた。子煩悩な方なので、「お子さん、そろそろ運動会じゃないの」って話かけた。すると店長、こんなことお客さんに話す筋合いじゃないんですがと断りして、実はと内輪の話をし始めた。何でもつい最近、離婚したのだと。不景気で従業員も少なくして店にいる時間が長くなって休みが取れない。子どもと接する時間も取れないそんな日々には飽き飽きしたと、妻から離婚を言い渡されたらしい。運動会の話を切り出したがばっかりに、ごめんねと謝ったが、店長曰く、誰かに聞いてもらいたいと思ってたのでと。気持ちを切り替えて頑張るしかないねって、店を後にした。

 働き盛りの男は、あいつもこいつも家族のために精一杯頑張っているのに。その男の背中にもの悲しさを感じる一日であった。今夜のギター曲は増井山の「男の背中」にしよう。


http://www.youtube.com/watch?v=D3HgXcaqr1k


凍結壁



 凍結壁とは、読んで字のごとく、地盤を凍結させた壁体をいう。この凍結壁でもって福島原発建屋を取り囲み、汚染地下水が漏れないようにするという。地盤や土木に精通した者なら、誰しも耳を疑ったであろう計画である。

 凍結工法というのはもともと、ルーズな地盤(砂)を乱さない状態でサンプリングするために開発されたものである。仕事柄、私も凍結法によるサンプリングを何度も経験している。この凍結技術を応用して遮水壁に応用していることも承知している。ただ、それは非常に小規模な場合に限定的に適用される。福島原発建屋を取り囲むという大規模工事への適用の実績はなく、しかも汚染地下水漏れを防ぐにはあまりにも不確実な工法である。さらに、維持費や長期の遮水性という観点からも非現実的である。

 なぜこのような工法がまことしやかに計画されているのか。わが国には地盤と地下水に関する優秀な技術者や研究者が山ほどいるのに。それでは、なぜ優秀な技術者や研究者は本件に関与しないのか。それは東電が問題を隠蔽し、公開していないからに他ならない。つまり本気でこの問題に対処していないからであり、そのような疑惑案件に自ら名乗り上げて携わろうとする科学者がいようはずがない。

 地下水はダルシー則に基づいてポテンシャルが高いところから低いところへ拡散する。そして、地下水は水を通し易いところを選択的に浸透する。この基本原理からして、既に汚染された地下水を取り囲んで遮水するという案は本末転倒である。山側からの地下水の流出を遮断し、選択的な流路を確保して大半を海に流出させ、原発建屋への地下水浸透を抑制する。これが本件対策の基本である。

 オリンピック招致にはオールジャパンで成功したものの、原発に関してはオールジャパンどころか閉鎖ジャパンを貫いている。組織を解体しなければどうにもならない。凍結壁ならぬ、正に身も凍る話である。




五輪と原発(続)




 2020年の東京オリンピック開催決定を受けて、日本中が歓喜と熱気に沸く。オリンピックは日本の将来に夢と勇気を与え、日本人の絆を一層強めるという。日経株価も全面高となり、オリンピック特需による公共事業の嵐を迎える。首都圏のさらなるインフラ整備と高層ビル群の林立によって、新たな未来都市・東京が生まれるという。 

 そんな祝賀ムードに水をさすようだが、何かおかしい、何かがおかしいと思う。まず第一に、国民の70%以上が五輪招致に反対であったはずだが。身の回りの常識人のほとんどが、少なくとも手放しでは喜んでいないのに。それなのに、報道はすべての日本人が歓迎しているかのような容態を営々と映し出すのである。

 そりゃ、私のような慎重論者にマイクを向けても面白くなかろう。五輪どころじゃなく明日の生活に困窮する方の話を聞いても、番組編成の趣旨にそぐわないだろう。メデイアの凋落は今に始まったことではないが、最も恐るべきは、メデイアに騙されて踊らされる国民である。東京の五輪招致において国民支持率が低いのがネックであったはずだが、決定した途端に、どうだ。どこに隠れていたかと思うほどの湧き出る人が祝賀する。

 メデイアに踊らされているのはわが国民だけではない。IOC委員もしかりである。最終プレゼンにおいて、首相はいみじくも「ヘッドラインではなく事実をみてもらいたい」と語った。それをそっくり返しましょう。首相のその後の答弁「汚染水は福島原発湾内の0.3平方キロメートル内に完全にブロックされコントロールされている」によってIOC委員が納得したとすれば、それこそ事実を見ないで言葉に踊らされたことになる。

 日本人の日和見根性は今に始まったことではない。そもそもその日本人の日和見根性が気に入らないのであるが、あえて我慢もしよう。それは返せば、気転が利く、環境変化に馴染むということでもあろうから。ただ、嘘はいけないぜ。汚染水は完全にブロックされコントロールされているとの首相発言は、何を根拠に言っているのか。無知か虚偽報告の鵜呑みか、自発的な嘘かのいずれかである。頭脳明晰なるIOC委員がいたとすれば、その嘘に騙された振りをしたのであろうか。あえて質問した委員とそれに答弁した首相のシナリオが見え隠れするのである。

 今となって重要なことは、良識ある国民の一人ひとりが国の汚染水阻止への取り組みを監視することであり、そして何よりも、福島を見捨てない心である。





五輪と原発




 あと数時間したら、2020年のオリンピック開催地が決定する。私は正直、東京でなければいいと思う。その理由は以下のとおりである。

① 汚染地下水漏れにみられるように、原発事故は2020年時点で収束していないと明確に予測できる。
② 2020年時点で福島の原発事故が収束していないのに、東京がなぜ安全と言えるのか。
③ 一体、福島と東京は別の国なのか。

 この私の考えの前提条件は、7年後の2020年時点で原発事故が収束しているか否かという一点である。このことについて、収束していると明確に回答できる学者がいるとしたら、名乗り出るがいい。

 原発事故収束を、オリンピックという祭り事でごまかすでない。我々日本人は、足元をちゃんと見ないといけないのではないか。単なるイデオロギーではなく、普通に素朴に考えて、そう思うのだ。


 東京決定であれば、有頂天の結末を見届けるとしよう。東京落選であれば、それに越したことはない。その理由を真摯に考え直してもらいたい。






台風列車顛末の記




 台風が来ているのに出張とは。最初から嫌~な予感がした。本日、5日朝に徳島で会合があり、それに間に合うためには、昨日、4日中に徳島入りしないといけなかった。のんびりと夜遅くに徳島入りして、居酒屋で飲むのがいつものパターン。だが、台風が接近しているので昼過ぎに出ることにした。

 事前にネットで列車の運行状況を調べたら、JR四国各線はどれも「運転見合わせ」となっている。それでも確実な情報が入っていないか、出発前に最寄の駅に電話で尋ねた。すると、「JR四国のことは分かりません」と、にべもない返事。何てこった。こりゃ駄目だわ、民営化していないわ。

 最寄のJR駅に到着すると、発車電光掲示板には9時03分発広島行きとある。9時前から山陽本線もストップしていたことを、そこで初めて知る。ザアーーと、しばらく降ったがそんな大した雨でもないのに。まさか平野部を走る山陽本線まで運転見合わせとは。意外に鉄道は弱い。

 駅でキップを買う。普通乗車券を徳島まで、新幹線で岡山、乗り継ぎ特急で徳島、いずれも自由席と。その際、若い女の子の駅員に聞いた。岡山まで行って仮に徳島まで行けなかったら、払い戻しはどうなるのかと。若い女の駅員はしゃきしゃきした口調で、「岡山駅にて証明をもらえば全額払い戻しになります」と。

 少し安心して、4時間遅れの列車で広島駅まで行く。山陽新幹線は運行しているようだ。新幹線乗り場でJR四国の運行状況をまた尋ねた。少し待ってくださいと言って帰るなり、「平常どうり運転しています」と。スマホを見せて、運転見合わせになっているけどと、再度、確認する。駅員同士顔を見合わせて少し待ってくださいと。そして返ってきた言葉が「すみません、運転見合わせでした」。その程度の情報だったら要りませんから。

 その際、ここでも払い戻しのことを確認した。若い駅員が中堅の課長クラスの駅員に聞いた。すると戻らないと言うではないか。最寄の駅では若い女性の駅員が全額払い戻しできると言ったのだがと食い下がると、中堅駅員はニヒルな顔で「誤った説明をしている」と。

 運転再開をここで待ってても仕方ないので、ともかく岡山まで行こうと決断。すぐに入ってきたのぞみ号東京行きに乗り込む。乗ってかなり時間が経って、前方掲示板に列車の運行状況が流れている。「西明石~神戸間、岐阜羽島~名古屋間が運行見合わせ」とある。その頃から少し乗客がざわめく。そりゃそうでしょ。私は岡山で降りるからいいけど、名古屋・東京方面に行く客は西明石のホームで停車した車内で待たされることになる。それだったら岡山で降りたい客もいたろうに。

 ともかく岡山まで進めたが、在来線への乗り換え口はごった返していた。吉備線、伯備線、宇野線、JR四国各線ともすべて運休と運転見合わせになっている。ここで在来線への乗り換え口を越すか否かが大きな岐路となる。越せば、新幹線特急券は機械に回収されるので、新幹線特急券払い戻しの証拠を失うことになる。はたと踏みとどまり、新幹線内待合室にて待つことにした。

 「運休」と「運転見合わせ」の区別が妙である。終日運休となれば諦めてすぐに帰れるものを、運転見合わせとなると待たねばならない。JRとしては営業面から可能性がある限りできるだけ「運転見合わせ」として、発車30前までに運休か運転か判断するらしい。だから列車一本毎に「運転見合わせ」が「運休」になるのか「運転」になるのかを確認しないといけない。なんとしても4日中に徳島入りしたいがため、最終の特急列車まで待った。結局、最終列車も「運転見合わせ」が「運休」になり、つごう5時間も岡山駅新幹線待合室にいたことになる。

 結局、徳島入りを諦めて広島へ帰ることに。最後の課題である払い戻しについて、駅員に尋ねた。すると、何のこともなくスムーズにキップに払い戻し証明スタンプを押してくれて、広島に帰って全額払い戻しできますと。若い女性駅員の言い分が正解で、ニヒルな課長駅員が誤っていたのだ。

 帰りの新幹線は、名古屋・東京まで行こうとした客の帰路と合わさり自由席200%の混雑。広島駅に着く頃には、マツダスタジアムの照明はもう9回のスコアボードを照らしていた。何とも無駄な、腑に落ちない、長~い一日の顛末であった。





老いてなお




 還暦をとうに過ぎしこの歳になりしも、仕事上の苦労は絶えない。この歳で零細企業を続けていくということは体力的に大変なことであるが、実は精神的な負担の方がもっと大きい。それでも、私の人となりを知る者にはそれなりに崇められ感謝もされ、それが励みになる。しかし日常のビジネスにおいては、歳も資格も経歴も関係ない。関係あるのは如何に自分にとって有利な契約関係を結ぶかということである。契約関係は本来、甲乙平等でなければならぬが、官尊民卑という古き悪しきしきたりが厳然とあり、人間関係や年齢などに関係なく、容赦ない仕打ちを受けることも多々ある。

 息子ほどの若い相手に頭を下げることもある(滅多に下げないが)。理不尽なことを無理強いされたりもする。単価を一方的に値切ってきたり、裏工作されたり、約束事を反故にされたりと、卑劣な仕打ちも日常茶飯事である。それだけ、ビジネスというものは厳しいものである。

 そういう苦労をしているのも、私が生涯現役を決め込んだがためである。今すぐに会社をたためば楽になる。生涯現役の旗を降ろせば済むことである。しかしそれでいいのかといつも躊躇する。第一、そうなれば私は朝から酒を飲んでるかも知れない。毎日、家の中でダラダラと過ごすやも知れぬ。それだけ私は己を律することができない弱い人間である。もしかして生涯現役を決め込んだのは、そういう己の弱さを知ってが故かも知れぬ。

 ならば、会社をたたんで好きな仕事を選択的にやればいいではないかと。しかし、仕事というものは利益あってのものである。それでは仕事ではなく趣味である。それに第一、それでは社会から逃げたことになる。社会への不屈な挑戦が君の持ち味だったのではないのかとのお告げが聞こえる。

 実は、こうしてタラタラと愚痴を書いているは、愚痴を己の中で消化するためである。そうこうしている間にも、私の中にメラメラと燃えさかる炎が湧き出てくるのである。この魑魅魍魎とした社会の現実の中で、社会の不合理や理不尽と戦いながら、さらには私の中にあるちっぽけな正義感とも闘いながらも、好きな仕事(学問)を続ける。このことこそ、私にとっての進化であり研鑽だろうと改めて思うのである。老いてなお仕事が続けられる喜びを、改めて噛みしめよう。老いてなお、私の挑戦は続く。社会に対する挑戦でもあり、己自身に対する挑戦でもある。その暁には、その報酬を苦労の倍返しでいただく所存である。





消費増税の裏闇




 消費増税を来年四月から予定通り実施すべきかどうか、実施すればデフレ脱却に水をさすことになりやしないか、先延ばしすべきだ、1%ずつ上げるべきだなど、有識者の意見を交えて喧々諤々とした議論の真っ最中にある。ご存知、消費増税は社会保障制度の維持にとって、そして何よりも国家財政破綻の解消にとってやむ終えぬ措置であり、その財源に充てることになる。そのはずである。

 その一方、来年度の予算編成においては制限なしの大盤振る舞いの申請を続行中である。無論、消費増税を見越してのことである。そして今、日本社会の現実はどうか。そんな中、ブログ仲間の最近の記事を目にした。

詩の料理店
http://isoisomao.blog3.fc2.com/
「知らないところで」

 民主党政権下では事業仕分けによって公共事業が低調であったが、安倍自民党政権に代わって独立行政法人などからの発注が半端ないほど相次いでいるというもの。とくに、農水省関連がすごいと書かれてある。

 この記事を見て、やはりね、と思った。符合する事実を私も今、体験している。このところの官公庁発注量が半端ないのだ。国土強靭化と銘打って、道路、鉄道、ダムに無制限の予算がつけられている。これには、和歌山選出の国会議員のドンであるN議員が牽引している。これはどう見ても無駄だと思う全国一律の予算措置もある。例えば、ここ何十年も実施してこなかった農水省管轄の老朽溜池の業務である。溜池からの漏水がないかの測量地質調査業務が全国一斉に発注され、コンサル1社で数十件受けもっても間に合わないらしい。各独立行政法人からの発注も半端ない。今や公共事業の目白押しである。

 国の財政破綻を解消せねばならない。そのための消費増税である。そのことに国民は納得し了承している。しかし、実態は必ずしもそうではない。増税分のかなりの割合が無駄な公共事業に使われようとしており、既に増税をあてにして使われているのだ。

 古い自民の体質の復活によって、何やら暗澹たる魑魅魍魎の世界が展開しつつある。「ボロは着てても心は錦」「正直の頭に神宿る」借金を少しずつでも返す謹厳実直な日本人たれ。





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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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