「はだしのゲン」問題に思う




 思想的判断を行う場合、判断の根幹たる考え方は、よほどしっかりとした信条に基づかなければならない。何よりも体系的な考え方の構築の上に立って、熟慮を重ねた判断をしなければならない。そうして決められた判断であれば、他からの批判に怯むこともあるまい。

 浅はかな考えからの思想的判断を露呈したのが、「はだしのゲン」問題である。そもそものきっかけは、ある男性から市議会に提出された陳述書であった。「ありもしない日本軍の蛮行が掲載され、子どもたちに悪影響を及ぼす」という内容であった。これを受けて松江市教育委員会は当初、「はだしのゲン」の閲覧制限を校長会に要請し、現にそれを受けて閉架図書(自由に読めない図書)にしていた学校があったが、全国からの批判を受けて閲覧制限要請を撤回したというものである。

 撤回した措置をめぐって、市民から電話やメール、郵便物でさまざまな意見が寄せられたという。内容をざっと区分すれば、賛成約600件、反対1800件であったという。つまり、25%がどの学校でも閲覧できるようになったことに賛成しているものの、75%の大多数が逆に閲覧制限に賛同していることになる。現在、松江市の35校の小学校と17校の中学校の約8割の図書館に「はだしのゲン」が置かれおり、いつでも自由に見れる状態にある。

 市教育委員会が閲覧制限をした背景には、作品後半にある旧日本軍がアジアの人々の首を切断するなどの描写があまりに過激であるとの考え方がある。ただこれも、市教育委員会独自の考え方ではなく、陳述書に背中を押されたものである。これに対してある専門家からは、作品前半にある原爆投下で人間が溶けていく描写の方がはるかに残酷であると指摘している。また、松江市教育委員会は今回の撤回の理由として、「情報の制限を子どもに加えることは、子どもの知識に偏りが生じる恐れがあり、発達にマイナスである」との、とってつけたような言い訳をしている。

 果たして、「はだしのゲン」は子どもに読ませて良いものなのか悪いものなのか。これにはまず、子どもにとっての残虐な描写とは何かを考える必要があろう。作品の文脈全体が戦争を否定し平和を望むものであっても、残酷過激な描写が子どもの精神状態を阻害するものであれば読ませない方がいい。その場合に、子どもを皆ひとくくりにするのは乱暴である。小学生と中学生では精神の発育状態も違うし、精神疾患を患っている子どももいるかも知れぬ。

 その上で、「はだしのゲン」に書かれた内容が史実かどうか、あるいは思想的に偏向していないか検討する必要がある。旧日本軍の行為、昭和天皇の戦争責任を厳しく糾弾する行為などである。

 この問題において、私は「はだしのゲン」を読ませた方がいいとか、読ませない方がいいとかを言っているのではない。教育者の態度である。仮にも教育者が、教育的効果と子どもに与える影響を熟慮して決めたことであるなら、他から何か言われてすぐ引っ込めるような真似はするなと言っているのだ。要するに、「はだしのゲン」を見せる見せない以前に、教育者としての信条や覚悟に欠けると思うのである。これでは「はだしのゲン」も浮かばれまい。

 なお余談であるが、そもそも歴史教育の中における近代史の割合があまりに少なすぎるのが教育の基本問題としてある。戦国武将の話は面白いかも知れぬが、なぜ日本が戦争の道を歩んだのか、なぜ日本は敗戦したのか、なぜ中韓と摩擦があるのか、戦時中に犯したと言われる日本軍の罪とは何か、そこらの正確な近代史をちゃんと精査した上で子に教え伝える義務が我々先人にある。




スポンサーサイト

酷暑を乗り越えて




 長い長い今年の酷暑は一日で秋へと一変した。西日本では先週末土曜日から日曜日にかけての大雨が通り過ぎると、明くる日には一気に秋らしい涼風が吹いた。日本全国、多少の違いはあっても、秋への変わり目の速さは似たものらしい。それまでのエアコンなしでは寝苦しかった夜が、一夜にして、窓を開けて寝ると寒いと感じるこの急変はどうしたものか。

 それにしても、今年の夏は暑かった。それに長かった。気温の上昇も記録ずくめだったが、ゲリラ豪雨も記録的であった。大気の不安定さ、海水温の上昇変化、黒潮の流れの変化、局所的な豪雨と雷、それに火山の噴火。何もかもが不安定で記録ずくめの今年の夏であった。この異常気象は日本だけではなく、世界中どこも同じようである。

 排水工などの今の土木技術は時間雨量を50mmを基本に構築されてきた。30年前に山陰で時間雨量90mmの記録的豪雨に見舞われて多くの死者が出たことがある。その当時では時間雨量90mmはとんでもない数字だった。だが今年、時間雨量100mmを越す雨量が東北、山陰、山口、北九州と全国各地で頻繁に観測された。

 経験則や過去の気象データの統計処理によって予測・構築される気象学、土木学、防災学、水文学など、すべての学問が今までのやり方を見直されるときにある。そればかりか、我々自身の生活のあり方や物の考え方も見直す必要があるのかも知れない。梅雨はこの時期だとか、暑さもお盆までとか、この程度の雨だったら大丈夫だとか、定常的な季節感と気象に裏づけされた今までの生活の常識を疑ってみる必要があろう。

 兎にも角にも、今年の酷暑を乗り越え、生き長らえた気持ちで今はホットしている。ただ、この後の秋は短い。仕事に遊びに、短い秋を存分に楽しもう。



iwashigumo

敗戦記念日



 終戦記念日に戦没者を悼むのは、それは日本人だからという意味でも、戦前の人間、戦後の人間という区別もなく、素朴に人間として当然の行為である。ただ毎年のように、終戦という2文字を旗印に同僚相憐れむが如きのこの儀式に、何かしら違和感を覚える。そしてこの違和感は、日本の現閣僚がこの日に靖国神社に参拝したとかしないとかで日本と中韓が引きつり、国際関係にまで影響することへと通ずる。

 中韓がここまで靖国参拝に神経質になる理由は、とりもなおさず、先の大戦における日本の敗者としての自覚と反省を求めているからに他ならない。だったら、侵略して虐殺したのは日本軍だけなのか、従軍慰安婦の組織を設けたのは日本軍だけなのか。すべてはNOである。ただはっきりしているのは、日本が敗戦したという事実だけである。

 なぜ勝者が正義で敗者が不正義なのか、そんなことを言っても始まらない。この末路は、すべては日本が敗戦したことに起因する。それでは日本はなぜ敗戦したのか。決定的な軍事力の敗北であったことは言うまでもないが、そこに行きついたものは何か。国としての智と組織の敗北であったと思わぬか。

 それでは今、日本がなすべきことは何か。無謀な戦いに突き進んでいった愚を決して忘れてはならない。諸外国にとやかく言われるまでもなく、日本人自らがその愚を反省し総括することが肝要である。最近の憲法改正の動きなどの懸念材料が頭をよぎる。間違っても同じ轍を踏むことのないよう望む限りである。

 それにしても、同じ戦後の身といえども若い人の危機感のなさを憂う。どこかおかしい、どこか能天気、ひょっとしたら自国のことについて何も考えてないのではないか。老婆心であればいいが、団塊世代亡きあと、日本が異国の隷属になっていないことを望む。憂いが募るばかりの敗戦記念日である。





家族



 義母が亡くなって3年目のお盆を迎え、妻の兄弟筋だけで小ぢんまりと供養しようと山口の実家に集合することになり、私もお供することになった。お盆とあって、たまたま我が家には娘と孫、息子が帰省していた。法事ではないので、どこの家族も夫婦だけの参加と聞いている。だから、無理して行くことはないよと言った。それに、お盆で高速道路も渋滞が予想されるから、家でゆっくりしていたらと。だが、お祖母ちゃんが喜ぶのならと、みな一緒に行くと言う。ならばと、大人4人と孫の5名の家族を乗せて車で出かけた。

 歳をとると長時間の運転が苦痛である。片道2時間半の運転の帰路、息子が運転を代わってもいいと言い出した。乗っていた車は、息子が帰省したときに乗れるように家族車両保険に入っている。だから運転を代行してもらっても安心だねという会話をした。そうこうしていると、今度は娘が、私が運転を代わってもいいよと言い出し、みんなで顔を見合わせた。そもそも娘の運転に身を任すつもりは誰もいないが、それに嫁いだ娘が家族車両保険の適用になるのかどうかという疑いもあった。

 しばし沈黙のときを経て、娘がこう切り出した。「私って家族よねぇ。私らみんな家族じゃないん?」悲痛な声で懇願するような娘に、みな唖然とし、とっさに「無論、家族さ。でも保険適用上の家族に該当するかどうかって確認してみないと」とか何とか言ってお茶を濁した。

 そこで、家族って一体何だろうと、少し調べた。まず、法律的にはあまり「家族」という言葉は使われないようである。民法などにも「親族」の定義はあっても、「家族」の定義はない。ただし、育児介護休業法には「家族」の定義があり、その法律によれば、「配偶者(事実婚含む)」・「父母」・「子」・「労働者が同居し、かつ、扶養している祖父母、兄弟姉妹及び孫」・「同居の親族」が『家族』に当たるとされている。

 その他いろいろ調べたが、家族の定義には様々なものがあり、時代や社会によっても異なるし、個人によっても異なるようである。人々はどこまでの範囲を家族であると認識しているのだろうか。内閣府の国民生活モニターが、家族と考える範囲について尋ねたところ、同居している親族については、「配偶者」と答えた人が91.4%と最も多く、次いで「子ども」が87.6%、「親」が70.8%となっている。また、「孫」、「祖父母」、「兄弟(姉妹)」についても、それぞれ4割以上の人が家族と考えると回答している。そして、別居している親族については、「親」が66.1%と最も高く、次いで「子ども」が55.4%、「兄弟(姉妹)」が53.2%と高くなっているほか、「配偶者」が40.1%、 「孫」が45.1%、「祖父母」が43.3%とそれぞれ4割を超えている。つまりここからは、同居別居にかかわらず、親、子ども、祖父母、孫などの直系の親族と、配偶者、兄弟(姉妹)までを「家族」の範囲ととらえる人が多いことが見て取れる。
 
 まとめると、社会一般には、「家族」の範囲は直系の親族、配偶者、兄弟と考える人が多いようである。法律を使うときや契約を交わすときなど、公共の場における家族は「その場の定義」次第で決まるようである。しかし、日常生活における「家族」というのは我々ひとりひとりの心の中にあるのではないだろうか。つまり、私が、あなたが「家族」と思う人が「家族」ということになる。結婚していようがしていまいが、学生だろうが、別居してようが、私が、あなたがどう思うかで家族の範囲が決まるものと思う。そして、できれば私の心の中の家族は多くありたいとも思う。娘に「私ら家族じゃないん?」と言わしめたのは、私の心に中で嫁いだ娘にどこか距離を置いてたためでろう。娘よ、ごめんね。お前はいつまでも私の娘であり家族だよ。家族について考えるお盆のひとときであった。




山里に夏は来ぬ

 
 連日の猛暑と日常の喧騒から逃避して、久しぶりに、山里の山小屋に籠る。自宅から車で45分のところにある山小屋の標高は850m。近くにスキー場や牧場があり、市街地との温度差は6℃もある。季節感覚は平地と1ケ月から1ケ月半位のタイムラグがある。12月から2月末まではほとんど積雪でクローズし、3月末にようやく山開き。5月のゴールデンウイークあたりに桜が満開となり、先週行ったこの時期がようやく紫陽花満開の季節である。薔薇も少し残っていた。平地と同じように灼熱の太陽が照り返すが、さすがに日陰は涼しい。夏はエアコン要らずで、夜は少し寒い。



2013夏らかん


山の薔薇


 山小屋は計画して建てるまでは楽しいが、建てた後が大変。使っても使わなくても毎年、固定資産税がかかる。電気も水道もガスも電話も、それぞれに基本料金がかかる。それに、何と言っても管理が大変である。ときどきは風通しをしないと湿気でカビ臭くなる。スギナと笹が繁茂し、草取りと伐採が大変である。雨と雪による建築材の腐植が激しい。積雪の重さでテラスが全壊した年もある。野鼠、ヘビ、タヌキの駆除。冬は凍結防止と忙しい。先週は階段の手摺りに防腐ニスを塗りに行った。


山の紫陽花




 ここは携帯が繋がらない、テレビはない、パソコンもない、オーブンもない。不便極まりないが、たまにはそれもよかろう。ギターを弾く、音楽を聞く、読書する、絵を描く。七輪に炭を熾して肉と野菜を焼いて食べる。至ってシンプルであるが、考えようによっては贅沢な生活である。



らかんでギター




 そんな山小屋から娑婆に戻ってくると、一時忘れていた熱波を受ける。瀬戸は凪ぎで波もない。今日も不安定な天気で対岸の厳島もかすんでいた。




マンションからの眺め




原爆の日に




 ここ広島の地に移り住みて35年。広島の風土や文化・風習に、それなりに慣れ親しんできたつもりである。しかし心の奥の奥では、どこか他人行儀に構え、広島を異国の地と見ている節がある。

 市内には原爆ドームがあり、平和公園があり、原爆記念病院があり、原爆放射線研究所がある。明らかに原爆の閃光を受けたと思われる茶褐色を帯びた石橋や石畳を、日常的に目にする。病院に行けば、原爆手帳が普通に取り交わされている。日常会話の中に原爆後遺症の話が交わされる。

 そのように否が応でも原爆を意識する生活の中にあっても、広島の地に移り住みて35年間、毎年のように8月6日の記念式典をテレビで迎えてきた。そして8時15分になると、朝食の合間に形だけの黙祷をする。

 一体、これでいいのかと、自問自答する。2時間もあれば会場に駆けつけることができるのに。灼熱の閃光を浴びた方々のことを思えば、暑いなんて言えるはずもなかろう。忙しいとか、予定があるとのかの言い訳をしては逃げてきたのではないだろうか。結局のところ、私はどこか偽善の祈りを捧げてきたのではないか。そう思ったら居ても立ってもいられなくなり、午前6時に家を飛び出た。




原爆-1
原爆ドーム前は原発阻止のグループと機動隊でごったがえしていた。


原爆-4
一般席は7時には満席。遠巻きから見守る。警備にあたる広島市の女性職員は凛々しい顔立ちで仁王立ち。


原爆-3
来賓退場の後、一般者の献花が行列をなす。


原爆-2
今日の原爆ドーム。



継続は力なり(続編)



 過日(5月24日)、「継続は力なり」というブログをアップした。
 http://geotech.blog134.fc2.com/page-2.html
 スポーツジムに通い始めたこと、ジムでのトレーニング内容などを記した。

 あれから2ケ月が経過し、ジム通いは今も続いている。もともとメタボ予備軍を自覚して始めたものだが、それなりにきつい日々であった。仕事の合間という時間調整にも苦労した。通い始めて少しはウエストが細くなったと自覚はするものの、果たして実際にどの程度、からだは改善したのだろうか。気になるところである。

 ジムにはボデイ―何とかという優れものの体測定器がある。体重計の親分みたいな機械の台に立って両手で測定器を掴んで何分かすると、体のすべての要素が測定できるというもの。お試し体験入会したときに測定したが、有料なのでその後は測定していない。半年も過ぎたので、今回は入会時と比較したい気持ちで測定することにした。

 その結果は以下のとおりである。

〇体重:   前回59.0kg ⇒ 今回55.9kg
〇体脂肪量: 前回13.6kg ⇒ 今回9.5kg
〇筋肉量:  前回42.9kg ⇒ 今回43.8kg
〇BMI:    前回21.4 ⇒ 今回20.3
〇体脂肪率: 前回23.0% ⇒ 今回16.9%
〇ウエストヒップ比:前回0.91 ⇒ 今回0.89




体測定



 スポーツジムのスタッフが驚くほどの体の改善が見られた。入会時に脂肪多めギリギリ境界線であったのが、理想の細めへと移行している。あとは、筋トレによってさらに筋肉量を増していくようにとの指導を受けた。

 このように具体的な数字を見るとモチベーションがあがるというもの。引き続き頑張ろうという気になる。ただ私の場合、折角のトレーニングによる改善が夜にはお酒でリバウンドしてそうだ。「継続は力なり」を改めて感じる一方、されど「酒は止め難し」の日々である。





プロフィール

geotech

Author:geotech
geotechのブログへようこそ!

団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
blogram投票ボタン
フリーエリア
シニア・ナビ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR