「ならぬことはならぬ」





 新年より新たに始まった大河ドラマ「八重の桜」は好スタートを切ったようだ。前作の大河ドラマ「平清盛」があまりにわかり難くて不評であったのに対して、対照的に概ね好感を得ているようである。会津藩のジャンヌダルクと讃えられた女性を人気女優が主人公として演じていること、日本人好みの幕末を舞台にしていることが好評の原因と思う。

 ただ、福島原発事故を契機に、何としても福島(会津藩)を題材にした良い話のドラマ作りをしたいという既成概念が感じられる。被災した福島の復興を願う気持ちの意図は理解できるが、この主人公を大河の表舞台にするのには少し無理がある。わざわざこの作品を選んだ意図は何なのか。

 幕末に西の薩摩、長州を並んで傑出した軍事力を有していたのが会津藩であり、この会津藩を教育面で支えたのが「什(じゅう)の掟」であった。「什(じゅう)」とは上級武士男子10人程度で構成され、長幼の秩序や卑劣な行為を戒める「什(じゅう)の掟」が定められた。これを毎日連呼し、最後はに「ならぬことはならぬ」で締めくくるものだ。

 つまり幼き頃から藩主への忠誠と絶対服従を叩き込む洗脳教育であった。しかしこの頑なな精神が白虎隊の悲劇を生んだとも言える。また、西南戦争における薩摩への残虐な報復に繋がったとも言われている。さらには、東条英機元首相が敵の捕虜になることを恥とする「戦陣訓」を作って、多くの兵が死を強要されたことにも繋がる。つまり、「ならぬことはならぬ」の精神は会津藩の教えから軍国主義へ引き継がれて国の悲劇を招いたとも言える。

 「ならぬことはならぬ」は、現実を直視しないでひたすら主君に忠誠を尽くすものである。状況の変化に対応した柔軟な考え方を否定した、ひとりよがりの暴君の哲学でもあり、これこそが封建制の遺物と言える。

 軍国主義の悲惨さや恐さを知らしめる反面教師として紹介しているのであれば、それはそれでいいことである。ただもしも、「ならぬことはならぬ」を美化しようものなら、それこそ今話題になっている、「いじめ」や「体罰」に直結する反民主主義の風潮にならないとも限らない。



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再び、体罰について





 先日、「絶対に体罰はあってならぬことなのか」というタイトルのブログをアップしたところ、是も非も含めて思わぬ大きな反響があった。非とするコメントを読むと、それぞれに背後に苦い経験と事情が見え隠れして心が痛んだ。

 幼き頃の体罰や暴力の経験だとか、身近に暴力沙汰があったふしがあったり、それらの経験がトラウマになって、体罰イコール暴力の構図となり、体罰は絶対に許せないとなる。そう考えることはごく自然なことであり、素直に理解できる。故に、そういう苦い経験を思い出させた罪を感じ、ブログをアップしなかった方がよかったと反省もした。

 ただ、よくよく冷静に考えてみると、何かがおかしい。暴力は絶対にあってはならぬことは誰しも賛同しよう。しかし、今、問題になっているのは学校内のしかもスポーツクラブにおける度が過ぎた体罰についてである。このことを家庭内の暴力などと一緒に考えること自体がナンセンスなことではないのか。

 この問題はその後も市教育委と府教育委で責任の擦り合いをしている。事件はスポーツクラブにおける度が過ぎた体罰についてであるが、事の本質は、その是非よりも、なぜそれが見過ごされてきたかである。

 体罰をした部活の監督に責任を取らせれば事は済むのか。それを見過ごした学校の教師を責めてどうなる。教育委員会に報告しなかった校長を責めてどうなる。みなが皆、保身のために見過ごしたのである。自分が彼らの立場だったら、公然と立ち向かうことができると言い切れるのか。そうでなかかったら、見過ごした彼らを責めることができようか。

 ここでは詳しい教育制度、とくに教育委員会組織について割愛するが、教育制度そのものが見過ごす温床であることに誰がメスを入れるのか。人怨まず制度を怨むではないのか。

 体罰ではないが、スポーツにはスキンシップの喝や励ましはつきもの。昨年の日本シリーズにおいて阿部慎之助選手がサインミスをした澤村投手の頭を叩いたのが象徴的である。阿部慎之助選手のチームリーダーとしての自覚とチームの一体化を象徴する場面である。体罰というネーミング自体が陰湿なイメージである。スポーツには爽やかなスキンシップがお似合いである。





中高年の体力向上



 マンションから歩いてすぐの所にスポーツジムがある。いつもはさして気にも留めないで素通りしているが、あるとき大きな垂れ幕が下がっていた。「おためし会員募集、1週間何度使っても980円」とある。1000円以上だったら間違いなく素通りしていたし、990円でもわざとらしいので嫌ったが、980円という微妙な数字に惹かれて、即、おためし会員になった。

 おためし会員を決めたのには伏線がある。数年前からメタボ予備軍を自覚している。太ってもいないのにウエストだけがブトい。お腹が出た醜い体型だけならいざ知らず、パンツもスーツも礼服さえもサイズが合わない憂き目を味わっている。それに仕事柄、険しい斜面をよじ登る歩くこともあるが、歳とともに体力と筋力が衰えてきている。もう一歩足が上がらなかったり、腕力のもうひとふんばりが利かないことで危険な目に遭遇することがあった。身の危険を守り昔のパンツを履けるようにしたい、そういう思いの伏線があった。

 おためし会員になると、体力測定や体成分測定が無料で受けられる。恐る恐る測定した結果、体脂肪率と肥満度を示すBMIの相関から出された指標による「脂肪多め」の境界ギリギリであった。これが進行するといよいよ「かくれ肥満」になる。





からだ測定




 このジムにはストレッチや筋トレ、ランニングなどの各種機械が豊富にあり、大小のスタジオでは連日、いろんなバリエーションのリズム運動、ヨガ、エアロ、フラなどのレッスンが組まれている。プールのレッスンも豊富であり、風呂とサウナもある。しめしめと一週間を980円でエンジョイした。

 それが事の始まりで、お試し期間があっという間に終了した暁には、まんまと向こうの術中にはまって正式入会していた。会員は土日祝日も使用できるエキスパート会員と平日だけ使用の会員に分かれ、エキスパート会員も平日の使用が午前だけ、午後だけ、終日とに細かに区分けされていて、月会費もそれに応じて3,000円から8,000円までに憎いほどうまく線引きされている。

 正式入会して2ケ月、何事も凝るタイプだから、ほぼ毎日ジムに通っている。ジムに着くとまず体重、血圧を測ってストレッチ運動をする。その後、筋トレしてランニング。ランニングは5kmを40分かけてやると、トレーニングシャツは汗を搾れるほどになる。その足でサウナに入ってまたひと汗流して、風呂に入って帰るパターンである。土日は別にヨガとかエアロにも参加している。

 このジムにはどこから集まるのか、いつも多くの年長者で溢れている。どの曜日も、どの時間帯でもストレッチマットが満席だったり、ランニングマシーンが空いてなかったりする。中高年の体力向上意欲はすごいものがある。逆に若者の体力は低下していると聞く。中高年の体力が向上して若者が早死にすればどうなるのか。社会保障制度は益々追いつかなくなるだろう。さて、中高年の体力向上は国を守るのか滅ぼすことになるのか、考えされられながらのジム通いをしている。





絶対に体罰はあってはならぬことなのか


 誰も言わないからあえて書く。今、報道されているものの一部は明らかに体罰の域を越して暴行と言える。そのことを前提に議論する。では改めて問う。体罰はすべていけないのか。「体罰は悪であり決して許されるものではない」「良い体罰も悪い体罰もない」と終始している論評に無条件に賛同できるのか。

 昔から体罰はあった。バケツを持って立たされる。平手打ちや拳骨も当たり前。グラウンド何周とかもあった。だけど、そのことに誰も異を唱えるものはいなかった。それで生徒が自殺したという話も聞かなかった。少なくとも私たちの子供の年代まで体罰はあった。では、いつから体罰は許されなくなったのか。どうして体罰は許されなくなったのか。確かに今の学校基本法は体罰を禁じている。今の学校基本法はどのような経緯と趣旨で体罰を禁止したのか。

 別に体罰を推奨しているわけではない。体罰はないに越したことはないと思う。しかし、こういう事件が起きると、「あまりに悲惨だ、ひどいことをしたものだ、隠蔽だ、学校の責任だ」と報道が異口同音に唱える。そして落としどころは、文科省が学校に厳重注意をして、学校と先生が保護者に謝りに行く。それで一件落着となる。

 果たして、行き過ぎた体罰の根源はどこにあるのか。なぜ生徒は自殺に追い込まれるのか。他の生徒も見ているし先生も知っている。ひょっとしたら知らないのは保護者だけかも知れない。勇気ある生徒は先生に通報している。にもかかわらず先生は動かない。学校は教育委員会に報告しない。被害生徒は親にも相談しない。

 学校や先生の評価制度、教育委員会の存在理由など、教育のシステムや方法そのものに根源があるのではなかろうか。そのことが、生徒-先生-学校-保護者-地域の閉塞感の連鎖を波及させているのではなかろうか。

 とにかく世の中が陰湿で閉塞している。良いことは良い、悪いことは悪いと声を上げる者が誰ひとりいない世の中になっている。子も親も先生も、それぞれが保身に走り、互いに遠慮して、厄介なことから逃げている。子に遠慮して甘やかす親、まるで吹出物に触れるように生徒に接する先生、教育委員会のご機嫌をとる学校、地域も社会も他人のことに触れようとしない。みんながわが身の保身に逃げている。

 そもそも本質的な問題として、人間の成長にとって体罰は絶対に不必要なものなのか。そもそもなぜ自殺にまで追い込まれるのか。親は子に手を挙げることは絶対にしないで済むのか。それでは言葉でわからない子にどのように対処するというのか。今一度、親と子のあり方、学校と家庭のあり方を見直す必要があろう。そして早急な教育改革の必要性を感じる。端的に言えば、道徳教育の復活である。

 改めて断っておく。私は体罰容認論者ではない。このような事件のたびに、猫も杓子も体罰はいけないとただただ叫ぶことに反対しているのです。体罰の根源的な問題を抜きにして。自殺に追い込まれる生徒の根源的な問題を抜きにして。体罰よりもっとひどい陰湿で過激な精神的暴力が容認されている世の中を抜きにして。体罰はなくしても心のない教育は取り戻せない。





希望という名の光





日の出
(写真はマンションのベランダから撮影)





遠く太平洋の彼方から出ずる陽は
四国山脈越しに瀬戸内を覗き込む

そのとき暗黒厳寒な瀬戸内は
一瞬凪ぎとなり
やがて盆一面を朱色に染める

ここには村上も清盛もいない
平和の光ぞ

昨年までの暗い過去に別れを告げよう
昨日までの嫌なことを忘れよう

過去を忘れて明日を見よう
何とかなるさ
前を見て歩もう
世の中捨てたものじゃない
そのうち良いことあるさ

山の与作に告げよう
遠い病床の君にも伝えよう
必ず陽はまた昇ることを

われらは知るなかま
似たものどうしで
明すにむけて

そんな希望の光にしよう





除染の理想と現実



 新聞のトップに「手抜き除染相次ぐ」という記事があった。除染作業において川岸の落ち葉を長靴で川に蹴りだす、長靴を川で洗い流すといった行為が手抜き除染であると指摘し、こうした手抜き除染行為が常態化していると報告している。この記事を見て大いに違和感を持った。

 記事には手抜き除染の様子を証拠写真として掲載し、ヘルメットにピンクのラインがあるから現場責任者だとか説明している。まるで隠密に犯人捜しをした陰湿なチクリ記事である。しかし、果たしてこうした行為がほんとうに手抜きになるのか。

 調べてみると、これらの行為は除染作業の基本的なルールに従っていないから手抜きになるのだということがわかった。そのルールとは下記の内容である。

① 枝や葉、土、泥などは袋詰めして仮置き場に運ぶ。
② 住宅が隣接する場合、洗浄水が飛び散らないようにシートで覆う。
③ 屋根や壁は手で拭き取るかブラシでこする。
④ 洗浄に使った水は回収する。

 一見、当たり前のルールのように見えるが、実際にこのルールを完璧に守ることなど不可能である。また、なぜそこまでやらないといけないのか非常に疑問である。

 まず、①のルールに従えば、汚染地域全域の表層をすべて除去して丸裸にしなければならない。おまけに除去した表層土の全量は途方もなく膨大であり、とても仮置きする場所などない。費用も想像できないほど膨大となる。

 次に②~④のルール。雨脚の強い降雨は洗浄と同じ効果があるが、それでは、雨が降るたびに雨水が飛び散らないようにシートで覆うのか。また、流出した雨水をすべて回収するというのか。いずれにしても、基本的ルールとするこの方法は現実不可能である。さらに実行したとしても永遠に完了しないことは明白である。

 総額6500億円もの除染という国家プロジェクトをこのような無策な行為に使っていいのか。健康に害がある線量基準を明確にし、洗浄による除染効果を十分に調べた上で、除染のシステム、地域と場所の優先順位、除染目標基準、具体的方法、工程などを再構築する必要があろう。

 除染の理想ばかりを求めても何も解決しない。現実を見据えた対応が今、望まれる。汚染による被害住民が今一番望むのは、いつまでに帰れるのか、帰れないとしたらどうすればいいのかという目標である。高齢者も多く、あまり時間もない。こうした意味で、これは私の持論であるが、高汚染地域は廃棄地域として汚染物質の最終処分場として利用すべきだと思う。いずれにしても、現状では現実を見据えた除染の本気さが見えてこないのである。





引退の美学



 人には長い人生の中でいろいろな節目に引き際というものがある。男にとっての引き際の最大のイベントは現役引退かも知れない。定年制のサラリーマンのように自分の意思と無関係に現役引退を余儀なくされる場合は仕方ないが、そうでない場合、いつ引退するのか、それは男の人間性や人生観に関わってくる。

 最近の引退劇で印象的なのは松井秀喜である。引退会見において、なぜ日本球界に戻らないのかと問われた彼は、ファンは10年前の松井を期待しそれを裏切ることになるからと答えていた。それほどファンは馬鹿じゃない。野球を知る者であれば10年前の松井はもうこの世にいないことを承知している。それでも日本球界に戻ってきて欲しいと思うのがファンであろう。

 日本の野球プレーヤーで一番金持ちは誰かと尋ねたら、野球界を知る人間は異口同音に松井秀喜の名をあげるだろう。無論、大リーガーでの年俸が破格だったのだが、名を推薦する人の気持ちには皮肉が込められている。彼は飲みもしないし大勢で食べもしない。若い者や仲間に奢ることもないらしい。つまりお金を使わないからだと言いたげであった。つるんで飲むことや食べることがすべて良いとは言わない。ただ彼の社交性のなさが孤立を招き選手生命を短くしたことも事実である。

 さらに彼は、巨人とヤンキースに最後まで拘ったと明言している。しかしそれでは最後にプレーした大リーグのアスレチックやレイズに失礼というものではなかろうか。大リーグで彼を雇う球団はなかったが、日本球界は彼を誘った。しかし彼はそれを断った。そしてその理由が前述の内容である。ほんとうにそうであろうか。日本球界でもプレーする自信がないのであればそれを素直に述べればいい。でなければ、格好いい自身を守りたかったのか。いずれにしても彼の会見には素直な気持ちが伝わってこなかった。ほんとうに彼は野球が好きだったのであろうかとも思えてくる。

 対照的に、29年間の現役野球人生を達成した工藤公康。多くの球団を渡り歩いて、それでもどこか拾ってくれと懇願した。それまでした彼の言い分は、ただただ野球がしたかったのだと。往年の工藤選手を知るものからすると、スピードもなく上手くかわすピッチング姿には寂寥感すら漂った。しかし彼はプライドや誇りをかなぐり捨てて最後まで投げ通した。

 サッカー界においても、ヨーロッパでの活路の道を閉ざされた中田英寿は直後に何をしたか。私には偽善の世界旅行に逃避したとしか思えないのである。彼もまた松井と同じくチームの中で常に孤立していた。それに引きかえ、私はゴン中山やカズにエールを送りたい。名誉やプライドをかなぐり捨ててまで、サッカーがしたいという気持ちが伝わってくるのである。とくにカズはフットサルまで参加した。喩としては適切ではないかも知れぬが、大リーガープレーヤーにソフトボールをしろと言うようなもの。そのような真似は松井にはできないであろう。

 同じ理由で、トリノオリンピックで金メダルを取った直後に引退した荒川静香も嫌いだ。要するに、彼らに共通しているのは引き際が格好良すぎるし、計算高いのである。もっとできるだろう。もっとやれよと言いたい。

 人の引き際はひとそれぞれであり、他人が文句言う筋合いでないことは重々承知している。ただその上で、私だったら体力のある限り燃焼しつくしたいと思う。野球が本当に好きな工藤公康と同じように、サッカーが本当に好きなゴン中山と同じように、私も今の仕事が好きで好きでたまらないからである。





新しい年を迎えて



 年々歳々、好むと好まざるにかかわらず新しい年を迎える。還暦を過ぎしこの歳の新年とはいかがなものか。「新年おめでとう」と素直に言えない自分がいる。なぜ「おめでたい」のかと屁理屈をこねる。実際、何もおめでたいことはない。とくに、仮設住宅で2度目の正月をおくることを余儀なくされている被災者のことを思うと、正月を素直に祝えない。それでも新たな年の始まりは、人生の新たな区切りであることには違いない。では新しい年の区切りに、吾にとって何の意義を見出すのか。

 還暦を過ぎしこの歳になって、相応に品格が備わった素敵な紳士となるのが理想である。しかし、どうもそれはかなわぬことだと、この歳になって初めて気付く。もって生まれた品性のなさは如何せんともし難い。であれば、穏やかで人の話を聞き入れる度量の御仁になれるのかというと、それも無理である。常に挑戦的で信念を曲げない性格も、今となっては直らない。

 であれば、最低限の社会の常識と通念は備えるとして、君子ぶらずに「吾は吾しかあらず」と開き直ることにしよう。そうすれば気が楽である。その上で、この歳の吾に与えられし残責とは何かを考える。幸い、地質学を礎とする今の仕事は吾の天職と思える。できるだけわかり易い地質学を武器として、少しでも多く社会や地域に還元していきたい。それも、足腰立たぬ老いぼれになるまで執拗に。生涯現役を貫き通そう。そのことを新年の吾に課せし誓いにする。大切な友がいて、大切な家族がいて、そうした周囲の人や環境に支えられしことに感謝しつつ。

 皆さま方におかれても、それぞれの思いで新たな年をお迎えのことと存じます。皆さま方にとって、今年一年が人生において意義ある年になりますよう、心よりお祈りいたします。




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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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