最後の晩餐



 今年最後の出張は土佐・高知となった。自宅から広島駅に出向き、広島から岡山までの新幹線はスムーズであるが、岡山駅から特急・南風号(別名、アンパンマン号)に乗って高知までの道のりが約3時間。さすがに陸の孤島と言われるだけあって、「遠いぜよ」(龍馬風)。広島からだと、東京に行くのも高知に行くのもさほど時間が変わらないという不思議さ。

 そんな長い列車の旅すがら、うつらうつらと、年末のこの時期になると決まって、これが最後の晩餐だとすれば何を食べたいだろうかと思うのである。そんなとき、名古屋のタケちゃんマンのことを思い出す。彼は会社に出入りする印刷業者の社長で、私とは個人的に親交があった。私が広島に転勤してすぐに、タケちゃんマンは病に伏した。何も食べることができない癌との闘病生活が続き、もう長くはないだろうとの家族からの連絡があって鶴舞病院に見舞いに行った。

 そのとき驚いたことに、タケちゃんマンは上寿司と鰻が食べたいと言った。無理だとわかっていても見せるだけ見せよう。そういう思いで名古屋市内を駆け回って、特上の寿司と鰻を目前に用意した。ところが、タケちゃんマンはそれを一気にたいらげたのである。見舞いから帰った翌日、タケちゃんマンが息を引き取ったと連絡があった。

 タケちゃんマンにとって、あれが最後の晩餐だったのだなぁと思う。さて、それでは自分はどうかと考えると、特段に食べたいものが思い浮かばない。あえて言うと、昆布と高菜と梅干を添えた茶漬けを食べたいくらいか。

 しかし最後の酒となると、執着する。最後はビールでも日本酒でもない。ワインもいいが、それよりもスコッチ・ウイスキーを飲みたいと思う。贅沢は言わない。せめて35年もののバランタイン(Ballantine)をダブルで3杯、ストレートで飲みたい。最初の1杯は懐かしみながら飲み、2杯目は楽しみながら飲み、最後の1杯は未練なく一気に飲み干したい。

 最後の晩餐の料理と酒にこだわるくらいなら、この人生の最後にやりとげたいことを改めて考えてみよう。我が人生の日々を思い出し、自分にとっての天職を自覚し、まだやり遂げてないものは何か、そんな思いをふつふつと募らせていると、列車は終着駅の高知にすべり込んだ。

 今日で仕事納めとなります。この一年、愛読していただいた皆さまにお礼申し上げます。皆さまにとって、来年が幸多い年となりますようお祈りします。それでは良い年をお迎えください。






宮島・冬景色




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自律神経・人分類



 理系のよくないところは、何でも体系化したり分類したりすることである。場合によっては、人の性格まで容易に分類してしまう。そして困ったことに、その推測の根底には独断と偏見があるにもかかわらず、あたかも論理的であるように偽装することである。

 過去に血液型による性格分類を述べてきたが、人の性格を大きく左右する要因としては、血液型以上に自律神経の作用に拠るところが大きいと、私はかねがね考えている。

 人間の自律神経には交感神経と副交感神経がある。おおまかに言うと、交感神経がアクセルの役割であり、副交感神経がブレーキの役割といえる。交感神経が高まると心拍数が上がり、呼吸が浅く速くなって、体は緊張し興奮状態になる。一方、副交感神経が高まると心拍はゆっくりになって血圧が下がり、体がリラックスモードになる。




自律神経



 
 交感神経と副交感神経は互いに拮抗して機能する。両者がバランスよく機能するのが理想だが、片方の神経が偏って作用する人も結構多い。ここでは仮に、交感神経の作用の偏りが大きい人を「アクセル派」とし、副交感神経の作用の偏りが大きい人を「ブレーキ派」と呼ぼう。

 交感神経の偏りが大きい「アクセル派」は常に積極的であり、何にでも前向きである。人前に出ることを厭わず、むしろ目立ちがり屋のところがある。人との交流が好きで、パーテイー好きであり、イベント好きである。自ら好んで忙しくしている向きがあり、性格的にはせっかちである。日常的にテンションが高く、たまに訪れる谷間とのギャップが躁鬱をもたらすことになる。

 一方、副交感神経の偏りが大きい「ブレーキ派」は物静かな内向的タイプが多い。あまり多くの人との交流が苦手であり、特定な人とこじんまり集うのを好む。目立った行動や発言は厳に慎む。パーテイーやイベントに出るより家でゴロンとしたいタイプである。ゆったりのんびりが信条である。究極の鬱に至る危険をはらむ。

 このように「アクセル派」と「ブレーキ派」に分類して自分の周りの人を見ると、明らかにこの人は「アクセル派」だとか、この人はきっと「ブレーキ派」だとかに区別されるから面白い。

 水と油の「アクセル派」と「ブレーキ派」が集うと、ややこしい問題が発生することになる。例えば会社だと、渉外折衝や工程管理は「アクセル派」の得意とするところであるが、ときどき早とちりや先を読みすぎてポカをする。「ブレーキ派」にはじっくり時間をかけて仕事をさすとすばらしい結果が出ることがある。しかし、いかんせん「ブレーキ派」には時間感覚がなく、人との連係が苦手である。

 会社はまだしも、「アクセル派」と「ブレーキ派」が夫婦や恋人だと、もっとやっかいになる。例えば、ふたりで旅行するとする。「アクセル派」はタイムスケジュールを細かく検討し、行動の予定と順序をあらかじめ想定する。しかし、あまりに早めの準備によって逆にロスが生じたりする。

 一方、「ブレーキ派」は旅行前にあたふた準備すること自体が嫌なのである。ゆっくり旅行を楽しみたいと思う。なるようになると言い張る。しかしなるようにならないわけであり、そんな万一の事態に対して「ブレーキ派」は収拾回復能力に欠ける。だから言ったことじゃないと喧嘩になる。

 ただ、「アクセル派」ばかりが集うと船頭ばかりで物事が決まらない。毎日、パーテイーやイベント続きになる。気が休まることがない。互いに疲れる。逆に「ブレーキ派」ばかりが集っても通夜のようになる。誰も言い出さないから、話がまとまらない以前に何も出てこない。

 世の中よくしたもので、「アクセル派」と「ブレーキ派」が適当な割合で集うのでうまく事が運ぶ。「アクセル派」も「ブレーキ派」も幸いまだ自律神経が失調してないという証拠でもある。さてあなたは「アクセル派」ですか?「ブレーキ派」ですか?




無意味な活断層論議



 大飯原発敷地直下の断層が活断層かどうかで、原子力規制委員会の委員で意見が分かれたのも束の間、今度は敦賀原発敷地直下の断層を原子力規制委員会が活断層と結論付けたのに日本原子力研究開発機構が反発している。

 国は活断層の真上に原発などの重要施設を建てることを禁じているため、敦賀原発は廃炉となることが濃厚になった。しかし、それでは大飯にしろ敦賀にしろ許認可段階でなぜ活断層と認定していなかったのか。

 つまり活断層が政治的に利用されているのである。政府寄りの専門家が活断層としたものを、反政府寄りの別の専門家は活断層でないと主張する。もはや活断層か否かの学術論争というよりも、利益母体となっている村の争いになっているのである。

 そもそも活断層であるか否かの論議こそ意味のない不毛なものだと、私はかねがね述べてきた。なんとしてもこのことを強調したいので、繰りかえし述べる。意味のない不毛な議論だとする第一の理由として、地震時に断層が活動すればそれが活断層であるということが挙げられる。これは「地震断層」と呼ばれるものであるが、この「地震断層」は活断層が再活動するものとは限らないからである。なんでもない断層が地震時に活動することは大いにあり得る。そういう意味では日本全国どのにも断層は存在するので、全ての原発が活断層の恐怖にさらされているといっても過言ではないのである。

 第二の理由として、活断層の定義そのものがあやふやになっていることを指摘する。従来、活断層のの定義は「12~15万年以降に動いた断層」としてきた。しかし最近になって40万年まで拡大定義された。容易に定義を変え得るということは、すなわち活断層の定義そのものがあやふやである何よりの証拠である。

 第三の理由として、大飯原発において活断層か否かで専門家の間で意見が分かれたように、断層露頭の観察だけでは活断層を認定するのは難しいからである。私自身もこれまで数多くの活断層露頭を観察してきたが、よほどの典型的な活断層を除いて活断層であることを疑うものを見てきた。同じ断層露頭を見ても研究者によって意見が違うのも事実である。

 大飯原発では、活断層であるという意見と地すべりによるものであるとの意見に分かれた。崖(がけ)が形成されて地層がずれている点では共通するが、形成過程が違うのである。このことをわかり易く表現しようと、シニア・ナビ仲間でニューヨーク在住のトパーズさんにお願いしてアニメを作成していただいた。

 まずは真の活断層の場合である(Fig.1)。新第三紀以前(約260万年以前)に形成された基盤岩の上に、約12~15万年前以降に砂礫、砂、粘土の順で堆積する(堆積の順番はどうでもかまわない)。地殻変動による海退または地盤隆起によって陸化した後(海底であってもかまわない)、ある時期に地震によって断層に沿って地層が変位する。これが活断層であり、形成された崖(がけ)は「断層崖(だんそうがい)」と称される。


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 次に地すべりによる場合である(Fig.2)。比較的新しい時代に形成された基盤岩の上に砂礫、砂、粘土の順で堆積する(堆積の順番はどうでもかまわない)。海底地すべりを発生して地層がずれた後に陸化する。こうして形成された崖(がけ)は「滑落崖(かつらくがい)」と称される。


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 こうして形成された、一見、活断層を思える偽活断層は数多い。活断層の認定をするためには、活断層の定義を明確にすること、活断層の認定根拠(地質時代測定など)を明確にすることが重要である。そんなことより、活断層か否かの論議自体が無意味なものであると私は主張するのである。原発敷地直下の断層が地震時に活動しても大丈夫な構造にすれば良いことである。経済的に採算が合わなければ建設しないことだ。最後に、アニメを作成していただいたトパーズさんにこの場を借りて再度、お礼申し上げます。






宮沢賢治と地質学



 今の総理大臣や財務大臣を知らなくても、宮沢賢治(以下、賢治を呼ぶ)は誰しも知っている。「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」などの有名作品は、永遠のベストセラーとして後世にも名を残すだろう。私もその賢治のファンのひとりであるが、思わぬところで私との共通点を見出した。それはともに「地質学」を愛するという点である。

 大の賢治ファンであっても、あまたの賢治作品を見た人であっても、賢治と地質学の関係を知る人はあまり多くなかろう。

 賢治は盛岡中学校時代には「石っ子賢さん」と呼ばれるほど、石や鉱物や地質に興味を持っていた。「鬼越(おにこり)の 山の麓(ふもと)の谷川に 瑪瑙(めのう)のかけら ひろひ来たるぬ」は賢治が13歳のときに詠んだ和歌である。信じられないほど岩石や鉱物に興味を持った少年時代の様子が伺える。

 その賢治は盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)の「地質および土壌教室」に進学し、本格的に地質学を勉強した。そしてさまざまな岩石や鉱物を取り込んだ和歌や詩や文章を残している。それらを見ると、相当高度な地質学の専門知識をもっていたことが伺える。

 『阿耨達池(あのくだっち)幻想曲』にはこんな文章がある。「砂がきしきし鳴ってゐる/わたくしはその一つまみをとって/そらの微光にしらべてみよう/すきとほる複六方錐/人の世界の石英安山岩(デイサイト)/流紋岩(リパライト)から来たやうである」

 文章に岩石の名前が散りばめられているばかりか、「複六方錐」なる専門的用語も用いられている。賢治は岩石名や地質の専門用語を用いることによって、非日常性を表現しようとしているのだろう。好きな地質を、どこかメルヘンチックな世界への誘いツールとして用いる賢治のしたたかさも伺える。

 賢治に負けず劣らず地質学を愛する私ではあるが、賢治の研ぎ澄まされた感性と究極の優しさには足元にも及ばないのである。寒い夜は賢治の本がお似合いである。年末年始に時間がとれたらまた読んでみたい。








岩石鉱物
(いつも携帯している岩石鉱物のバイブル本)

トンネル崩落事故原因


 中央道・笹子トンネルでトンネル崩落事故が起きた。天井つり金具のボルト脱落したもので、今のところ金具コンクリートの老朽化が原因とされている。果たしてそうであろうか。非常に疑問に思う。

 いずれ事故調査委員会が発足するであろうが、いつものように、恣意的な人選と事実の隠蔽が懸念される。トンネルの調査・施工・検査に長年携わってきた者として、本件事故原因について現在知り得る情報から語る。

(1)  構造的な欠陥

 つり天井式のトンネルは排ガス規制以前の構造である。天井裏に送気と排気を連続して設けるための構造である。排ガス規制以降は排気ガスの質と量の改善によって喚気はトンネル延長数100mに1ケ程度の割合で天井にファンを設けるだけでよくなっている。長いトンネルを走行しているときに天井の所々に細長い気球みたいなものがあると思うが、それが喚気ファンである。

 問題はつり天井式の構造である。ボルトはたかだか長さ16cm程度コンクリートに根入れしてあるだけである。天版はコンクリートとボルトの周面摩擦力だけで支えられている。それも鉛直方向だから弱い。なぜボルトが切れても両側の梁で支える構造にしていなかったのか。構造のそもそも論がでてきそうである。

(2)  犯人はボルトではなくコンクリートの可能性が大

 中央道・笹子トンネルは1977年の開通であり、まさに高度成長期に建設されている。高度成長期の建設材料の品質は劣悪であり、とくにコンクリートの品質が悪い。その原因は、山砂の調達不足によってコンクリートに山砂ではなく海砂を使用していることにある。

 海砂に含まれる塩分と大気中の二酸化炭素が反応して、中性化反応という劣化現象が発生する。この年代に建造されたコンクリート構造物の多くに中性化による劣化現象が認められている。最近よく目にする橋桁の補強工事はコンクリート劣化に対する工事である。トンネルの天井コンクリートの劣化については見過ごされているのが実態である。

(3)  トンネルの錯綜

 中央道・笹子トンネルの周辺には中央本線・笹子トンネルや国道20号新笹子トンネルなどトンネルが錯綜して交差している。トンネルは岩盤の中の空洞であり、掘削して空洞を設けると岩盤の緩みが周辺に及ぶ。空洞が近接して複数あると、岩盤緩みの干渉作用によって緩みは助長される。


修正笹子
(図はマピオンから引用・編集)


(4)  老朽と疲労

 コンクリートもボルトも時間の経過とともに老朽化する。また、応力の長期化によって疲労が加わる。飛行機事故のとき耳にしたことがあるであろう金属疲労である。老朽と疲労は設計荷重以上のものが加えられた場合に加速度的に早まる。今、ボルトという材料にばかり着目しているが、周辺岩盤からの地圧や水圧がボルトやコンクリートに加わっていたと考えられる。1箇所のボルトではなく連続して落下した事実がこのことを示唆する。

(5)  発注事情

 事故が発生した箇所周辺は地質の状態が相当に悪かったという情報がある。しかし、仮に調査段階において局所的な地質の不良箇所が明らかにされたとしても設計に反映されないことが多い。さらに設計から施工への反映もされないことが多い。これらはトンネルの調査から工事までの発注システムに起因するところが大きい。





トンネル発注
(土木学会編・著者執筆「よりよい山岳トンネルの事前調査・事前設計に向けて」より引用)



(6) メンテナンス

 公共事業削減の余波はメンテナンス費用の大幅な削減を招いている。トンネル点検業務を好んで受注する会社はないほど単価が安い。目視観察と打音調査もままならない状況である。まして天井裏の高い位置の接着部は見るような仕様になっていない。




老いらくの人格



 人間、誰しも人に好かれたいと思う。できれば嫌われたくないとも思う。還暦を過ぎた歳にもなれば、余計にそう思う人が多いだろう。この歳になって疎まれたり、そっぽ向かれたり、陰口を叩かれたりすると、された本人が一番ショックで気が滅入るものである。

 しかし一方で、同じ還暦を過ぎたこの歳の仲間は大人も大人。大抵の者は社会常識を十分過ぎるほど身に付けている。百戦錬磨の実践経験から、嫌いだと思っても面と向かって態度を示すことは少ない。そこで、ソフトランニングが行われる。さりげなく避け、さりげなく断り、そして互いの関係は自然に消滅する。

 しかし後々になって、人を介して実は嫌っていたなどと聞かされることもある。面と向かって嫌いと言われればその時は腹も立つが、間接的なそれはダメージが大きく、ボデイーブローのように尾を引く。逆に、人を介して間接的に褒められるほど嬉しいことはない。

 私にも苦い経験が多々ある。酒の席である人が「Aさんは君のことを嫌っていた」と聞かされた。なぜかと尋ねると、「学者ズラしているから」と。Aさんとは会話をしたこともないので、学者ズラした話し方をした訳でもない。今更、ズラを変えることはできない。私に非はないのだが、世間とはそういうもので、見掛けで人格まで判断する嫌いがある。最近無罪になった政治家の顔を見て、きっと悪いことをしてるに違いないと思うのと一緒である。

 この例はともかくとして、直接的にも間接的にも疎まれたり嫌われたりしないためには、どうしたらよいものか。それは、自分が相手のことを嫌だと思う経験の中にヒントがある。

 義母に先立たれて2年になる義父からの電話は、くどくどと長いので辟易する。それも同じ昔話の自慢話を何度も何度も繰り返す。そして、いつまでも女々しく、寂しいを連発する。嫌だなぁ、そうなりたくないなぁと、つくづく思う。

 しかし、同じことは自分には絶対にないのかと自省すると、必ずしもそうとはいえない。自分ではさりげなく話をしていても結局は自慢話であったり、くどくどと繰り返し言ったり、相手の話に耳を傾けずに一方的に話をまとめたりと。

 還暦を過ぎたこの歳には、それなりにふさわしい人格というものがある。相手の話をよく聞く、自己主張しない、我を通さない、どこまでも温和な態度。しかしよく考えると、そのどれもが私と正反対なのである。自己主張し、挑戦的であり、とても温和とは言えない。

 さて、この老いらくの人格は死ななきゃ直らないのか。そう言いながらも、それでもいいのだと、全く反省していない開き直った自分がいるのだ。困ったものだ。





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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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