歌を忘れたカナリヤは、今


 灼熱の太陽は還暦を過ぎた老体を容赦なく焦がし、かくして、この時期の現場は地獄である。さりとて、節電の室内勤務はムッとし、それはそれで辛いものがある。先の梅雨災害による災害現場をようやく終え、今はそのムッとした室内で新たなプロジェクトと格闘中である。

 その新たなプロジェクトといえば、難解な理論と数式に包み込まれた、もつれにもつれた大きな毛玉である。微分、積分、ベクトルまではまだしも、行列式や複素数まで出てくるとお手上げである。その毛糸の一本、一本を解きほぐす、気の遠くなるような作業を進めてきた。

 そんな訳で、歌を忘れたカナリヤならぬ、文を忘れたこのカラスは文欠乏症に陥っている。文章を書きたくとも書く余裕がない日々であった。ブログの更新はおろか、ナビの閲覧もままならない日々を送ってきた。そこで、ブログやナビの来訪者には、そこんとこの事情をご理解していただき、ここに私の無沙汰を詫びる次第です。

 幸い、最近になって新たなプロジェクトは解決の糸口を見出してきている。行き先知らずの闇の鈍行貨物の先に、確かな希望の光を見出した。それもこれも、早朝出勤の恩恵であり、加えて、諦めが悪い私の天性の執拗さ故であろう。

 そんな多忙な中にあっても、新聞だけは隅から隅まで目を通している。最近、朝日には長期間の沈黙を破って筒井康隆先生の連載が始まった。「聖痕」というオカルトなタイトルが気になって読み始めたが、中身も男子の一番大切な部分を切られるというオカルトである。しかし、小説の内容より文章が毎回、気になっている。

 先日はこのようなくだりがある。
『実際付近には、警察の記録に残るような犯罪者、虞犯者はいず、浮浪者の溜り場はもちろん、個人の敷地内へ侵入でもしない限りは、たった一人の居場所すらなかったのである。・・・・・・・・・』

 それを、私は以下のように添削した。
『実際、家の周辺には警察記録に残るような犯罪少年や問題少年はいない。浮浪者の溜り場だってない。個人の敷地に侵入でもいない限り、犯人は白日の下にさらされているようなものである。・・・・・・・・・』

 編集者は新進気鋭には手厳しく編集するが、さすがに文壇の重鎮である筒井康隆先生の原稿には手も足も出せないのだろう。文のポイントは句読点のつけ方や主語述語であり、何よりも簡易な表現が大切だと思うのだが。そんなことをつらつら思いながら、新たなプロジェクトの完成を目指して、もうそろそろブログを再開しようかとも思う今日この頃である。




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降雨災害

梅雨前線の影響で、各地で災害が発生しています。
みなさんのところは大丈夫でしょうか?
私、雨による斜面災害の調査のため、
明日から出張いたします。
河川に近いところや山に近接したところに
お住まいの方は、十分にご注意ください。



貧乏暇なし



 相も変わらず景気低迷により、無給の役員報酬の日々が続いている。公共事業業界にいながら、国の公共事業費と人件費単価は低下の一途をたどっているのだから、それはそれで仕方あるまい。こんなときは、人が嫌がる仕事や誰それとできない仕事に活路を見出すしかない。

 そんな中、新しいプロジェクトに取り組むことになり、プロジェクトに必要な新しいソフトを手にした。手にしたといっても、零細企業の私が買ったのではなく、他社が買ったものを借用したまでだが。優れものだが、何でも何百万円もするとても高価なソフトだという。清水の舞台から飛び降りた心境で購入したものの、難し過ぎてとても使えそうもないらしい。そこで私にお鉢が回ってきた。

 人の不幸を自分のチャンスと心得て、ここは人肌脱ぐことに。ま、早く言えば、人のふんどしで相撲を取るようなものです。しかし、他人が諦めたものを使いこなすには、それはそれ相当の努力が要るのは覚悟の上。ここが勝負と、新たな挑戦の日々が始まった。


 さて、このソフト、かなりの厄介もの。マニユアルはあるにはあるが、通り一遍で間違いも多い。ソフト開発者は専門的なことを知らないし、使う立場に立っていないから、不親切極まりない。結局は、使いながらノウハウを身につけ、バグを見出し、自分用のマニユアルを作る位にならないと使いこなせない。

 頭が冴えるのは朝。日課の昼間ウオーキングはこの季節では体力消耗が激しい。それでこんな日常生活メニューとなった。朝5時起床、ザザアーと顔を洗って歩いて出勤。7時過ぎまで考える仕事をすると、ゴミ出しと朝食に徒歩で帰宅。朝食を済ませて身支度して車出勤。午前中は日常の仕事をして、昼飯後に15分の昼寝。午後はルーチンな雑務をこなして19時に帰宅。夕方のウオーキングをして、シャワーを浴びて、食事して熟睡。1日の睡眠時間6時間、歩数8000歩。早起きは三文の徳。当分、貧乏暇なしの生活が続きそうである。




この国を支配するもの



 事故の検証というものは、事故に関与しない第三者によって中立厳正に行わなければならないことは言うまでもない。原発事故に関しては、ことさら厳正さが求められる。その意味で、原発事故に関する政府調査委員会や東電調査委員会による検証結果は、当事者の言い訳に過ぎず何の意味も持たない。

 さすれば、超党派による国会事故調査委員会による検証はどうか。これにも問題は多々ある。東電会長の証人喚問に躊躇し、本質論の追求に甘さがあり、東電びいきの感が拭えないなどである。それでも、政府や東電の検証結果に比べればそれなりに意味があると言える。国会事故調の検証結果は、ひとまず中立公正なものと評価しなければなるまい。

 その国会事故調の報告書は、あの事故は「人災」であると結論付け、その原因は規制当局と東電の「逆転関係」にあるとしている。つまりわかりやすく言えば、東電を中心とした原発ムラが政治家を手玉にとり、規制どころか野放し状態の自己怠慢を繰り返したことが事故に繋がったとしている。

 東京電力の国会での答弁、委員会での証人尋問、被災者への対応、株主総会の運営などをみるに、その言動は一貫して慇懃無礼でふてぶてしい。なぜそんな偉そうな態度が取れるのか不思議で仕方がないが、東電こそ日本の実権を牛耳る組織であるという後ろ盾があるからに他ならない。

 普通に考えてみればわかる。あれだけの事故を起こした張本人が、当時の首相を名指し罵倒できるわけがない。国から求められるビデオ記録の提出を断固、拒めるわけがない。誰もが東電の全員撤退と認識していたものを、嘘ぶいて否定できるわけがなかろう。

 どうも我々は社会のありようを勘違いしていたようだ。政治家の命によって官僚が実務を行い、その結果を国の方針とし、民間を助成・指導・規制していると。そして、メデイアはこうしたプログラムのありようを、中立公平に報道し、不正ありきときは糾弾するものだと。

 しかし残念ながら、どうもこの国のありようは逆転も甚だしいようである。電力会社を中心とする原子力ムラが国策を定め、その命によって官が実務を行い、官の思惑のもとに政治家が踊らされる。原子力ムラは政府とともにメデイアを丸め込む。そうして、政治家とメデイアは電力会社傘下の呉越同舟となっている。

 ただ、それでも不思議である。国家権力の構図がかくもたやすく逆転されるものなのか。利権や財力だけでこのような構図が構築できるものなのか。原子力ムラの背後に何かがあるようでならない。背後に暗躍する闇は何か。米国なのか、反社会的組織なのか、未だに見えない。国会議員は何に怯えて原発再稼動を唱えているのか。




梅雨なればこそ



梅雨は鬱陶しいものなれど
それはそれで風情もある
雨足はショパンの調べにて
濡れた紫陽花には凛とした気品を感じる

木々や草花は暑い夏に備えて
隅々にまで滋養を巡らせる

人とて同じこと
やがて来るべきときに備え
今がまさに蓄えのときである

自然も人も水も溜まりのときにて
大きな器の備えによって
いざ真夏への心構えとせん

読書もよかろう
音楽もよかろう
勉学や静養もよかろう

梅雨なればこそ
心穏やかに淡々と




快挙に胸が躍る




 昨日、世界を駆け巡った久しぶりのビッグニュースに、私は興奮気味です。前世紀から今世紀にかけての最大の快挙といえるでしょう。ヒッグス粒子の発見です。もう政治も経済も、どうでもいいって感じです。

 建設費5,000億円を投じて地下100mのところに延長27Kmの円形トンネルを掘削し、1万人ともいえる研究者による日々の苦労がようやく実を結んだ。日本からも多くの費用と研究者が投じられた。これまで素粒子理論の最大の難関であった扉が、一気に開け放たれた瞬間です。

 ヒッグス粒子の発見は、宇宙誕生や人類誕生の仕組みを解き明かす鍵になる。今後の期待が膨らむばかりです。宇宙誕生や人類誕生を知るということは、その逆である宇宙滅亡や人類滅亡の鍵を知ることにもなる。

 素粒子理論がさらに進化すれば、人間の生存と生活に寄与するところが大きい。例えば、IPS細胞と素粒子を組み合わせた完璧な癌治療。一時的に質量を失くした道具や物体の開発。X線と組み合わせた人体内部の3次元撮影。空飛ぶ人間などなど。夢は膨らむばかりです。もっとも、ヒッグス粒子が発見されたとしても、体重計に乗ったときのあなたの数値が下がるわけではありませんが。





〇〇家のルーツを追う




 私の父「百合馬」は、私が2歳と少しのときこの世を去った。母は幼い私を高杉晋作が眠る菩提寺によく連れていき、同心円状に並べられた何周目かの石を指し、「あれがお前の先祖の墓だよ」と諭した。それも一度や二度ではないだろうと思う。耳に蛸ほど聞かされた。しかし、その先祖とやらが高杉の直属の部下なのか、奇兵隊なのか、母もとっくにあの世に召された今となっては、知るよしもない。

 残されたのは、私は長州藩士の子孫だと思い込んだ妙なプライドだけであるが、それとて何の証拠もない。古い過去帳もない。いつしか、わが〇〇家のルーツの真相を知りたいという思いは置き去りにされていた。ただ、私の苗字である〇〇は珍しく希少であり、聞くところによると、山口県と鹿児島県にだけいるという。

 過日、なにげなくテレビを見ていたら、伝統技術の金箔屏風などを手がける人と会社を紹介していた。そのとき、画面にその会社の〇〇社長という文字が出ていて、目が点になった。伝統技術を継承しているので、〇〇家のルーツがわかるかも知れない。そんな期待から思い切ってメールした。翌日、是非お越しくださいとの返事があり、尋ねることにした。

 金箔を商いとして受け継いでこられたようである。4代目当主と6代目当主にお会いしたところ、系譜をもって説明していただいた。調べによると、ここ〇〇家の生い立ちは1807年に遡る。大政奉還の60年も前のことである。もとは紀州藩のお抱え刀剣師であったお方が、大奥にいた○○家の娘と結婚し、以来、〇〇家を継いだというものであった。ただし、肝心な大奥の〇〇家の素性は不明である。

 長州藩とのゆかりを想定していただけに、やや期待はずれであったが、それでも何がしら手がかりが得られた。それも倒幕方長州藩に対して、幕府方御三家のひとつである紀州藩、さらには大奥とゆかりがあるとは意外であった。〇〇家の当主はこう付け加えた。「三越の画廊に行ってみなさい。そこに男系〇〇家を継ぐ方がいるから」と。私の〇〇家ルーツを追う旅はさらに続くのである。




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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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