開店休業


 4月に入って仕事がピタッとない。電話もないし、メールもない。噂話すら入ってこない。会社は開店休業状態で、はっきり言って暇。春爛漫の陽気というのに、音なしの不吉な空気がよどむ。兎に角、動きがない。動かないから流れもない。株価まで低調である。一体、世の中どうなっているのか。それでも、会社と家庭の固定費だけは着実にかさむ。

 人間こんなときは、人さまはどうかと気にかかるもの。同業者も暇と聞けば、やっぱりそうかと、ひと安心する。他業種の他人まで暇と聞けば、さらに安心する。同類相憐れむこの心、どこか卑しい。

 さらに、どこぞの店の客が少なくなったとか、シャッターが下りて店を閉じたのではとか、あの会社が倒産したとか、そんな噂話を耳にする。口ではそりゃ大変だとか言ってて、どこかで内心ほくそ笑む嫌な自分がいる。

 こんな暇なときには日頃疑問に思っていることを勉強しようと思い立つ。しかし、なまじ医学のことを勉強して医者に接すると、医者から嫌がられる。会計監査のことが気になり経理を勉強する。すると、決算報告書の中に誤りを見つける。すると、今度は公認会計士に煙たがられる。

 専門は専門家に任せたらいい。なまじ勉強するから嫌がれるのだと、誰かに注意される。勉強した私が、間違いを指摘した私が悪者になっている。私だって、任せられるものなら任せたい。任せられないから勉強しているのに、と反論する。任せられるということは信頼関係がなければならない。私は要するにほとんど廻りの職業人を信頼していないのだと、自覚する。そんな自分を自覚しても、自己嫌悪に陥らない自分にはずるさがある。

 ただ、「信じるものが救われる」ともいう。馬鹿を装う度量くらいあっても良い(装うじゃないか、そのまんまか)。それじゃ、馬鹿でもアホでもなってやろうしゃないか。その方が身のためかも知れぬ。結局のところ、仕事が暇だからこんなつまらないことを考えるのだと、自分に言い聞かせる。果報は寝て待とう。なるようにしかならない。ともかく明日から連休。大いに連休を楽しんで、休みが終わって、まだ生きていたらまた考えるとしよう。




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活断層論議、どっちもどっち


 昨日、経済産業省原子力安全・保安院の意見聴取専門家メンバーが敦賀原発の現地調査を行った結果、原発の足元に活断層があると指摘した。大々的にテレビ報道されていたから、ご覧になられた方も多いと思う。

 もう少し具体的に言うと、敦賀原発2号機敷地内には「浦底断層」という活断層が存在することが前々から明らかになっていたが、2号機直下にある別の断層も「浦底断層」の活動に伴って連動する活断層であるという。

 これに伴って、保安院は他の原発の活断層を調べ直すように日本原子力発電株式会社に指示した。また、再稼動の是非で揉めている大飯原発の直下断層は大丈夫なのかと、これも再調査を指示した。これに対して、関電は活断層ではないと、きっぱり否定した。

 私の感想は「どっちもどっち」という印象である。まず、何を今更と思う。原発の活断層調査はもう何十年も前から実施してきている。今になってなぜと。活断層上の原発建設は法律上許されないため、電力会社とて活断層の調査は詳細(詳細の程度は半端じゃなく、この業務に長期間携わった技術者はおかしくなる)かつ慎重に行ってきている。国の専門家による審査も受けてきている。電力会社が今になって、と思うのも当然であろう。

 その背景には推進村の学者と反対村の学者の対立がある。電力会社は原発推進に協力的な学者を集めて国の審査に耐えうる報告書を作成する。国とて、そこそこ協力的な学者を集めて審査し、許認可する。当然のことながら、原発推進に懐疑的な反対村の学者は蚊帳の外である。敦賀原発直下の活断層の指摘に対して、「今までがいい加減な調査だから」とか「今まで幾度も提言したのに」とテレビで言い放つ学者は、蚊帳の外に置かれた今までの鬱憤を晴らしているのである。活断層議論の再燃は反対村学者の攻勢の証しでもある。

 さて、問題の本質に入る。活断層かどうかという問題である。13~15万年前以降に活動したものが活断層であるが、それを証明するには、13~15万年前以降の堆積物が断層によってズレて(移動して)いなければならない。13~15万年前以降の堆積物といえば、まだ十分に固結していない堆積物であり、活断層が通過する段丘面や沖積面で立坑を掘削して地質を観察しなければ判明できない。

 問題となっている「浦底断層」の活動に伴って連動するという敦賀原発2号機直下の活断層であるが、昨日のテレビ放映でも断層延伸部の山地露頭を観察しての判断である。そんな露頭で活断層か否かを判定できる訳がない。判定した専門家も「私の経験からすると・・・・」というばかりで、確証は示していない。まして、連動するか否かの判定など至難の業である。

 仮に段丘面や沖積面を掘削した活断層とおぼしき露頭があったとしても、専門家によって意見がかなり違うことも多い。最後は堆積物の時代同定に及ぶ。それに、保安院の意見聴取専門家メンバーにしろ、テレビによく出てくる専門家にしろ、ほとんどが地形学や地震学の専門家であり、肝心の地質学の専門家が少ない。それだけ地質学者の力がないからである。

 原発の活断層調査を今からでも再調査することに何も異論はない。調査し過ぎるということは決してない。しかしやるのであれば、村や専門家の壁を越えた公正な人選を望むのである。そうでないと科学が政治に操られることを繰り返すのみである。それに、専門家が発する判断は、「憶測」「推定」「確定」「断定」などの明確な言葉でなければならない。明確な論拠と具体的な数字がなければ科学とは言えない。「わからない」という言葉は、科学者として最も真摯で果敢な言葉であることを肝に銘じてほしいものである。



100キロ圏の根拠

100キロ圏
(図は24日付朝日新聞から引用した)


 大飯原発の再稼動に向けて、世の中、なんだか慌しい。地元自治体の同意が必要であるが、その「地元とは」の定義の入口から揉めている。法的には「地元」とは立地自治体に限られるが、原発事故の収束もおぼつかない現状では、国民も地方自治体もそれでは納得すまい。

 最初、国は30キロ圏にある滋賀県と京都府の了解は必要ないとの判断であったが、世論に押し切られた形でやむなく説明に赴いた。しかし、経産大臣自らではなく副大臣を遣したあたりに、仕方なくの姿勢がありありと。そして、これがまた反発を買う。滋賀・京都の両知事とも、とても納得できる説明ではないとしている。

 そこに維新の会が割って出る。100キロ圏を影響圏とみなしてのことである。100キロ圏で考えれば、大阪市を含む大阪府の1/3以上、岐阜県および兵庫県の1/2、さらに三重県、奈良県の一部も含まれるからである。それに、何と言っても大阪市は関西電力の筆頭株主であるから、物申す権利はある。

 昨日、橋下市長と松井府知事は、100キロ圏の自治体との安全協定締結を盛り込んだ提言を官邸に提出した。これには官邸は聞く耳をもたない。さらに関西電力は、筆頭株主としての大阪市の意見は意見として聞くが、100キロ圏に何の根拠もないと主張する。

 それは異なことを。というのは、私はいくつかの原発立地のための環境調査に携わってきたが、初期段階の地質調査は原発予定サイトから100キロ圏内の活断層調査から始まるからである。これはほぼマニュアル化している。だとすれば、電力会社は自ら原発の影響圏を100キロと決めているのである。

 しかし、問題の本質は原発からの距離ではない。原発の安全性に関して真摯に取り組む国および電力会社の姿勢である。どうみても、国民にはそのような姿勢には見えないのである。それと、非常に気になることがひとつ。あれだけ脱原発を主張していた枝野経産大臣の、ある日突然の身変わりようである。そこで黒幕を意識せざるを得ないのが、かの「自殺行為発言者」である。



シニア・ナビ事務局との往復書簡

【4月24日11:38 ジニア・ナビ事務局からの回答】
geotech様

ご連絡を頂きましてありがとう御座います。
シニア・ナビ事務局です。

ご連絡を頂きました内容を下記にてご回答させて頂きます。
> 是非改善をお願いします。主な改善点は下記2点です。
> 1.外部ブログへの直接リンク
上記の件ですが、以前の仕様(外部のブログへ飛んでしまう)の際に
「ちょっと見たいだけなのにブログを見るたびに違うサイトに行くので大変」
「いきなり違うサイトへ行くので怖い」などの意見を多数頂戴し、
事務局でもどうにか解決できないかと考え、現在の仕様に変更いたしました。
しかし、前者のご意見はなくなった一方、一部の方から使いにくくなったという
ご意見を頂戴しているのも事実であり、様子を見ながらどのようにしていくか
検討していきたいと思っています。
これまでの改修の全てはシニア・ナビのメンバーの皆様からのご要望であり、
シニア・ナビは皆さんに支えられていると実感しております。
いつも貴重なご意見ありがとうございます。

> 2.ギャラリーの動画投稿の制約解除
シニア・ナビでは現時点におきましても動画をアップロードできる仕様はないため、
恐らく動画=アニメーションの制約解除のことかと推測させていただき、
ご回答させていただきます。

現時点では、アニメーションの容量の制約は行っておりません。
しかし、シニア・ナビにアクセスが集中した場合や、メンバーの皆さん個人の
パソコンやインターネット環境によっては、アップロードしている最中に
タイムアウト(※)してしまい、結果的にアップロードができない場合があります。

事務局でできることとしましては、サーバの容量やスペックをより高性能な
ものへのバージョンアップとなります。気持ちとしましては今すぐにでも
ご要望に対応させていただきたいのですが、高性能なものへの変更は
多くの時間や費用を要するため、現在検討している最中です。

※処理やデータ転送に時間がかかりすぎる時に、途中で打ち切って終了すること。
詳しくは下記をご参照ください。
(http://e-words.jp/w/E382BFE382A4E383A0E382A2E382A6E38388.html)

もし、2の回答が質問の意図の違い(動画をアップロードできるようにしてほしい等)から
誤っておりましたらご指摘いただければ幸いです。

以上よろしくお願い致します。
失礼致します。



【4月24日13:08 ジニア・ナビ事務局への返答】

シニア・ナビ事務局 さま

geotechです。
下記の丁寧な回答、ありがとうございます。

> 「ちょっと見たいだけなのにブログを見るたびに違うサイトに行くので大変」
> 「いきなり違うサイトへ行くので怖い」などの意見を多数頂戴し、

> しかし、前者のご意見はなくなった一方、一部の方から使いにくくなったという
> ご意見を頂戴しているのも事実であり

少なくとも私の周囲では前者の意見は聞いたことがありません。
全員が後者の意見です。

仮に前者の意見が優勢ということであれば、
事務局としてオフィシャルに意見集約として紹介
するなり、投票するなり、公正な措置が必要と考えています。

いずれにしても、私の知る限りでは、皆さん
白けていて、諦めムードから
シニア・ナビを離脱しようと考えている方が多いです。
私もそのひとりです。
無論、運営上の経営的な視点もあるだろうと
理解はしています。
シニア・ナビの発展という観点から
再考いただければと思います。



パソコンの機嫌


 パソコンとて生き物。その日によって機嫌が良いときもあれば、悪いときもある。気分の浮き沈みの大きさと情緒の不安定さは、この世の女子と同等かそれ以上かも知れぬ。(いや失礼、人による)

 パソコンはきっと低血圧なのだろう。スロースターターであり、全般に朝の機嫌が悪い。夕べあれだけサックサックだった子が、朝、スイッチ入れた途端、すこぶる機嫌が悪い。まだ眠いのかどうなのか。兎に角、朝は動作がとても鈍い。Coreタイプじゃないから、2個以上の動作が同時にできない不器用な子である。それにしても、すぐに腹を立てて固まってしまう。困ったものだ。

 パソコンにはメモリーという胃袋があり、もうひと廻り大きな胃袋を与えてやれば機嫌がよかろうものを。それをケチっているから機嫌もよくない。その代わりといっては何だが、パソコンの中に溜まった膿やヘドロを毎日、削除してやってる。すると、少し軽くなって機嫌を取り戻してくれる。

 そのくせ、このパソコンって奴は要らぬメッセージだけはきっちり発する。「!使用していないアイコンがデスクトップにあります」なんて。要らんお世話だ!アップグレードのサインだって、いちいち小うるさい。そんなの、自身の体調を整えてから言ってくれ。

 思い返せば、昨年一年はパソコン受難の年であった。ある日突然、ショートしたり、突如、電源が入らなかったり、お払い箱になったもの4台。どいつもこいつも原因はわからず、あえなく廃棄物と化した。今までの私の経験では、SONYは熱に弱くて最悪。DELLは良い子と悪い子の当たり外れが大きい。比較的タフで安定的なのはNECだと思っている。

 なぜこれほどにパソコンは壊れ易くなったのか。昔のDOS時代には壊れることってなかったけど。肝心要の基盤が海外の大量生産によって品質が低下している。それと反比例して、パソコンの体重は不必要な機能の増加でどんどん重くなってきている。この傾向は変わりそうもない。当分は、腫れ物に触るようにパソコンと接する毎日が続く。



パソコンの 機嫌と女子を にらめっこ 
男はいつも 気配り疲れ 


ひゃ~、つかれた・°°・(*_*)・°°・。

経過報告とお願い(シニアナビ会員の皆さまへ)



 シニアナビ内部に専用ブログが開設されて以降、シニアナビから外部ブログへのリンクはシニアナビブログを介する手間が増えるなど、シニアナビの使い勝手が非常に悪くなっています。このことについて、以前より私はシニアナビ事務局(以下、「事務局」と称す)に元の状態に戻してくれるように求めてきました。しかし、事務局からは「現時点におきましては以前の形に戻す予定はございませんが、今後ご検討させていただきます」(4月4日)との回答がありました。

 4月20日(金)の午後、私がたまたまシニアナビからブログを閲覧していたところ、外部ブログに直接繋がる時間帯がありました。そこで事務局に問い合わせしたところ、「本日サイトの調整を行っておりましたのでその際に一時的にリンク先が違う等の事もございました。恐らくその事かと思いますが、現在は全てシニアナビ内のブログへ繋がっております」(4月20日)と回答がありました。

 すなわち、事務局は4月20日午後、ブログのリンク先をあれこれ試験的に調整していたわけであり、事務局がシステム調整すれば外部ブログに直接リンクされることを証明するものです。それを、またあえてシニアナビ内のブログへ繋がるように設定したということです。
 
 そこで本日、再度、以下の内容の要望を出しました。
『事務局さま
 先日よりシニアナビの不便さについてお願いしてきましたが、再度、お願いいたします。多くの会員さまから事務局へ要望があったかと思いますが、私の方にも多くの方から使い難いとの不満の声が寄せられています。改善された方がシニアナビの発展のためにも有効であると思いますので、是非改善をお願いします。主な点は下記2点です。
1.外部ブログへの直接リンク
2.ギャラリーの動画投稿の制約解除』

 これに対する回答は未だ頂いていませんが、皆さまからも再度、下記事務局トップから意見・要望を出していただくとありがたいです。できるだけ多くの方からの意見・要望が事務局を動かすものと思いますので。

シニア・ナビ事務局:http://senior-navi.com/inq/index.html



狼少年


 今、不確実な地震予知情報の負の連鎖が起きている。内閣府は南海トラフのマグニチュード9.1の地震で津波が34mと想定する。文部科学省は東京湾北部直下型地震で最大震度7の予測図を作る。これをもとに、東京都が被害想定図を公表する。この種の地震予知に関する情報が連日、繰り返され、ある情報がまた新たな想定を生み、それが次々と連鎖している。

 これらの情報に共通していることは、「もし」南海、東海、東南海のトラフが連動し「たら」、「もし」これらの地点で同時に地震が発生し「たら」、「もし」考えられる最大級の津波が到達し「たら」と、仮定のまた仮定をいくつも積み重ねていることである。そして、それではその確率はと尋ねると、俄然、言葉を濁す。

 数億年を扱う地質学や地震学における時間のスケール感覚は、一般市民とはかけ離れる。100万年前は最近であり、1万年前はつい昨日のような感覚である。だから、「1000年後に発生しても今日起きても不思議ではない」と真顔で専門家が語るのは、当の本人にとっては1000年後も今日も同じ程度の感覚でしかないからである。

 考えうる最大限の危機や最悪のパターンを想定外として想定することは結構なことである。しかし、具体的な確率を数字で表せないものは想定外に過ぎない。それはちょうど、北朝鮮が南海上に飛ばそうとした弾道ミサイルが人間に当たる確率と同じようなものである。

 その想定外の予測に対して沖縄にまでPAC3を配備したのは裏に別の意図あってのものだが、想定外の地震予知をもとに真面目に対策を考えるというのか。本気でやれば、国家予算の全てを投じても足るまい。

 想定内と想定外を分けなければならない。想定内には万全の対策を講じる必要がある。想定外に対しては心構えの備えが必要である。専門家は発言内容の確実度と確率をしっかりと伝えなければならない。そうしないと、ただの狼少年に過ぎない。



シニア・ナビから外部ブログへのリンク

 最近、といっても今日からですが、シニア・ナビのホームにあるメンバーズブログを押して出た画面の5個のブログに関しては、直接、外部ブログにリンクされる。しかし、「もっと見る」を押した画面だと、従来どおり、やはり一端はシニアブログに繋がる。外部ブログへのリンク状態も不安定。おかしい。事務局に問い合わせ中です。何か設定を変更しているとしか考えられません。

穀雨(こくう)


桜吹雪のあとの
冷たい春の雨は
地面を悲しい桃色に滲ませる
田畑を曇らせ
遠く野山を煙らせる

儚いと思えば思うほどに
うつろな雨なれど
地面に浸透したその暁は
大地の源に行きつきて
やがて田畑と百穀を潤す

そんな恵みの雨にせんがために
勇気を出して
雨の窪みに足を差し出そう



若者へ!


 時代の流れとともに、若者の意識も移り変わる。毎年、新入社員を対象とした意識調査というのがある。その調査結果の経年変化をみてみると、時代の変遷というものが若者の意識の変化に如実に反映されていることがわかる。

 平成元年の新入社員はバブルの絶頂期にあった。若者の会社への帰属意識が薄く、海外旅行や財テクに最も関心が高かったようである。それから12年経った平成12年は不況の初期。新入社員はその不況をチャンスと捉えた。まさかそれ以降、ここまで不況が続くとは新入社員ならずとも思わなかったからかも知れない。さらにそれから12年経った今年、平成24年の新入社員の意識は、さてどう変わったのか。

 今年の新入社員の意識は、ひと口で言えば「安定」志向と「プライベート」志向である。出世や高給よりも安定的な仕事を志望する。会社や仕事よりプライベートを優先する傾向にあるらしい。海外に行きたがらない。社長になろうとも思わない。ひと儲けしようともしない。何とも若者らしくない後ろ向きな意識に、私は愕然とする。これはどのような社会現象として、捉えたらいいのか。

 不況の底から抜け出ることもできなければ、先も見えないこの経済状況下にあっては、「安定」を望むのはむしろ当然かも知れない。魅力的な仕事や自分に合った仕事でなければ、「プライベート」に走るのも当然かも知れない。それはそれで、若者個人の考え方だから仕方あるまい。

 しかし、若者はどれだけ真剣に考えたのだろうかと、ふと疑問に思う。自分は何のために生まれてきたのか、何のために仕事をするのかということを。その問いが難しければ、君らが目指す「安定」とは一体何を指すのか。君らが守りたい「プライベート」とは何なのかを。

 君らの語り口はこうだ。「今の仕事では自分が活かされない」「もっと自分に正直に生きたい」「もっと自分探しをしたい」など。

 しかし、君らは気づいていない。自分、自分と連発するが、その自分なんてどれほどのものでもないということを。自分探しをしても、結局は自分の背中は見えないことを。君らのいう「自分探し」とは、君らにとってうまくいかないことからの逃避に過ぎないことを。

 君らは一定の知識と素養を身につけた社会人となった。しかし、まだほんとうの人生を味わっていないのだ。廻りをよく眺めよう。親や友だち、先生・・・・・。そのような人がどのような思いで君らと接してきたのかを。君らはそのような廻りの人と、一度だって真剣に人生を議論してきたのか。

 自分が置かれた状況をしっかりと見つめた上で、ともかく何でもいいから歩き始めるのだ。世の中や時代のせいにしてはいけない。言い訳はするな!甘ったれるな!逃げるな!多分、君らの親も先生も優しかっただろうが、社会はそんなに優しくはないぞ。だから、あえて苦言する。



笑う門には・・・・


 最近、健康のために自宅と会社の間を歩いている。片道20分、往復40分で4000歩のお気軽コース。途中、公園の木々が芽吹く経過やいろんな民家の創作庭と創作花を愛でて歩く、一日のお楽しみとして定着してきた。

 公園の大きな桜の樹が満開の頃、思わず立ち止まって、見事な開花を見上げていた。すると後から、学校の先生を長年されてきた長老が近づき、しばし並んで、一緒に見とれていた。別れ際、私は「あと何回、桜が見られることかと感ずる歳になりました」と言った。長老は「お若い頃から忙しくされてこられたのでしょう」と答えて去った。

 あとになって、長老の言葉の意味を考えてみた。「若さで邁進してきたからこそ今がある」なのか、「若い頃は見向きもしなかったものを今になって感じるようになった」なのか。まあ、そんなことはどうでもよく、そのような穏やかな会話が嬉しかった。

 コンビニに行くとお年寄りと店員が穏やかな表情で談笑している。暖かくなると、家から人が出てきて、たわいない話題で井戸端会議をしている。日常の中の穏やかな会話と笑顔は気を和まし、元気を与える。

 「人は誰も笑顔の人のそばにいたいもの」と何かの本に書いてあった。本当にその通りだなあと思う。穏やかな人の周りには、自然といろんな人が集い、みんなの心が明るくなるのだろう。今日は40回目の結婚記念日。穏やかに笑顔でもって同居人を労おう。



シニア女子は強し


 シニア・ナビに登録されている女子の行動力には、いつも感心させられる。とくに、今は寡婦となられている独身の女性の多くが生き生きと毎日を過ごされていることに、感動さえ覚える。

 ある人はプロ顔負けのカメラマンであったり、ある人はパソの水彩画に長けていたり、ある人はウオーキングや菜園に勤しんでいる。読書家が多く、ブログの文章を見ても知性と感性が溢れ出ている。そして、何よりも元気である。まだ現役バリバリで働いている方もいらっしゃる。

 こうしたシニア・ナビの女子に共通していえることは、彼女らはそれぞれに自分の趣味を活かしていること。オフ会やサークルを通して、積極的に人との交流を深めていることである。公園や美術館、コンサートへと、どこへでも出没する。そして、よく食べることである。兎にも角にも、人生を前向きに、はつらつ生きている。

 無論、そこに至るまでには、他人には言えぬ苦悩や困難もあったろうと想像できる。また、今でもひとりになったときに、ふっとした寂しさを閉じ込めているであろうことも想像できる。それでも表面的には、前向きに生き生きと過ごしていることに敬服する。

 それに引き換え、シニア男子のなんと弱いこと。やれ心臓がパクパクすると言ったり、体力や気力が薄れてきたと嘆いたり、私のように酒に溺れたり弱音を吐いたりと。何ともおぼつかないことこの上ない。なぜ、シニアの女子は強くてシニアの男子は弱いのか。女子も男子も同じ数だけ苦労や涙を味わってきただろうに。

 女子の強さの源は、ひとことで言うと、切り替えの速さと開き直りにあるのではないかと思う。男子は過去を引きずって現実を直視する。すると、未来がないと頭で考え、体が動かない。しかし、シニアの女子は切り替えが速く、開き直って腹をくくることができる。すると、前を見て楽しく生きる方が得策だと体で実感する。無論、女子だって過去は引きずっているであろうが、そんな後向きの生活でいいのかと自浄する能力も備えているように思う。

 いずれにしても、女子が元気なことは喜ばしいことで、廻りの男子に活力を与え、社会を元気にする。恐るべきシニア女子のパワーである。そのパワーにエールを送りたい。ついでに、そのパワーと度量、懐の広さの垢でも今の政治家に煎じて飲ませたいものである。



男の涙


男には外に7人の敵がいて
内では家の中にも心の中にも
悩みの種を抱えてます

今日という戦い終えて
闇のとばりが降りる頃
満身創痍の体を横たえると
涙がじわっと出てきます

涙のわけはいろいろで
悔しさと情けなさと・・・・
人に語れぬ辛さもあって
今日という日を涙に解凍し
涙のアリバイ作ってます

男には背負う十字架あるってこと
十分承知はしてますが
せめてこのひととき
自分をいたわらせてください

このまま朝が来なくても
それはそれでいいかなと思う
それでも朝が来たならば
男は黙って素知らぬ顔で
また明日という戦場に出かけます
濡れた枕カバーを置き去りにして



あの鳩は正義の使者か不正義の使者か?


 今日は別のテーマを考えていたが、折角のご意見を頂戴したので、急遽、変更した。
 
 物の見方は人それぞれによって異なる。異なる意見が出るから議論が深まる。議論が深まるから互いの「違い」と「同じ」が見えてくる。これぞ民主主義の根幹であり、異なる意見は大いに歓迎する。主人公は他でもない、あの鳩である。

 私があの鳩に「恥を知れ!」としたことに対して、憂国の詩人こと山猫軒さんが反論をぶつけてきた。私が恥鳩とした理由は、一端は辞任すると明言した人が今だに国会議員でいること自体が恥だと。次に、のこのこ単独でイランに行って、言っただ言わないだのと、向こうの術中にまんまと引っかかった恥である。これに対して山猫軒さんは、あの鳩はアメリカに隷属しない崇高な行動を示したと。さらには、イランとアメリカの険悪の仲裁役を担ったもので、逆に賞賛すべきだと。

 イランに対するアメリカの横暴的な仕打ちに正当な根拠はなく、日本はそのアメリカにこぞって隷属していることに何の疑いもない。その意味で、あの鳩は日本人にはないある種の信条をもった、文字通り平和の使者なのか。しかし、朝令暮改もはなはだしいあの鳩に確たる信条があるのだろうか、はなはだ疑わしいのである。さらに、いくら何でも彼は民主党員であり、二元外交と揶揄されれば日本の恥にもなる。彼が離党しての行動であればまた違う。それに一番大切なことは、彼がイランに行って何か改善されたのか。政治は結果がすべてである。恥を上回る結果があればまた違う。

 結局のところ、あの鳩は平和を運ぶ正義の使者なのか、規律を無視した能天気な不正義の使者なのか。どちらにしても、鳩の真価を語る以前に、我々はあの鳩そのものを信じていないのではないのか。

 これだけは間違いない。私も山猫軒さんも、こんなことを議論してるってことは、4月に入ってどちらも仕事が暇なのだ。



反抗の時代の終焉



 昨年より、昭和を生き抜いた民俗学者、歴史家や思想家が次々と亡くなっている。先日亡くなった吉本隆明氏もそのひとりだ。学生時代をノンポリで過ごし、還暦を過ぎても確たる思想を持ち合わせていないこの私に、吉本さんを論評する資格はない。それを承知でも、あえて評したいほどに、彼には独特の魅力がある。

 代表作である「言語にとって美とはなにか」や「共同幻想論」をはじめとして、彼は数多くの書を残している。私はそれらのひとつだって、最初から最後まで読んだものはない。最後まで読まなかったのは、面白くないことに加えて、私の頭脳では到底、理解できなかったからである。

 しかし驚いたのは、彼が亡くなった直後の反響の大きさである。死を契機に、彼のことを少しずつ調べた。調べれば調べるほど、いかに彼が偉大な思想家だったかということを思い知らされるのである。

 彼のことを「詩人で評論家」と紹介するのは週刊誌の紋切り型であって、彼の肩書きは詩人や評論家では語れない。そのほかにも、彼には革命家、思想家、経済学者、宗教家という肩書きが与えられよう。ほとんどすべての分野に精通し、受け売りでない独自の考えで根源的に考察してきている。彼の考えの良し悪しは別として、その知識の広さと深さには敬服するかぎりである。

 彼の一連の言動は「体制批判」というキーワードで一貫されている。全共闘時代の安保闘争に端を発して、既成の革新勢力を批判してきた。戦争に協力した文化人の責任追及をしてきた。丸山真男をはじめ知識人への批判も多い。文芸評論家である花田清機との芸術論争もある。

 彼の思想の原点には東北(山形)、貧困、敗戦があり、そこから生まれる反抗的エネルギーを市井、在野、下町の立場から論じるものが多い。そして、彼は「大衆迎合」を何よりも嫌った。「言語にとって美とはなにか」や「共同幻想論」では国家、家族、言語を原理的に考察している。

 彼のことを象徴的に言えば、「反抗の美学」ということになるだろうか。彼の死により50年安保体制に始まるひとつの反抗の時代が終焉したような気がする。


 しかしである。「体制批判」の旗頭である吉本隆明氏が、驚くことに原発推進派であったのである。彼のこの言葉がそれを象徴している。『これほど安全なものはない。航空機よりももっと安全だ(1994年、「原子力文化」)』 人とはわからないものである。そしてもっと面白いのは、吉本隆明氏と同じ山形県出身で、同じく「体制批判」的論者の佐高信は「原発文化人50人斬り」において彼のことをめった切りしていることである。

 吉本隆明氏は原発に対する自身の考え方を懺悔する形で逝った。吉本隆明氏の死は、ひとつの反抗的思想時代の終焉とともに原発時代の終焉をも予感させるに十分である。



恥を知れ!


昨今の政治家のお粗末さには目を覆いたくなる。
その上に羞恥心をも持ちあわせていないとなれば、
もう人間の屑としか言うより仕方あるまい。

羞恥第一号、鳩山由紀夫どの。

議員を辞めるといった人が密かに議員を続けている。
それだけなら、まだご愛嬌で済む。
やること言うことが宇宙人だと揶揄されても
動じないその根性。
それはまさに、羞恥心のなさから育まれたもの。
そんなあなたを最高顧問と祭り上げる党も党。
これまた羞恥心のない集団。
羞恥心だけはお金じゃ買えないって、
どうしてお母さまはこの子に教えなかったのか。


『イラン(要らん)こと 言っては恥の 重ね塗り 
鳩の口害 誰ぞや止めよ』



羞恥心第二号、田中直己どの。

連日の国会クイズ番組で、さぞお疲れでしょう。
腹話術はもういいでしょう。
廻りも疲れますから。
知識もなければ知恵もない。
機転もなければ緊張感もない。
言う先々でトンチンカン。
「お父さんもう帰ってらっしゃい」と、
さぞや奥さまにもいわれてるでしょう。
ほんと、こんなお父さんが国会議員でいること自体、
日本の恥ですから。
あなたが人の良いどこかのマンションの管理人だったら
許せますが。


『マジ声で 答える端から 無知露呈 
人の良さそな 婿さん徹して』 



第三号以下、
情けなくて、書く気力すらなくなりました。



たかが就活、されど就活


 昨年度の就活戦線に勝利して4月から意気揚々、新入社員としてスタートした諸君。そして、あえなく戦線離脱した者。昨年度の就活は厳しいものだとの報道を、何度も見聞きしてきた。しかし、事実はどうだろうか。

 厚生労働省と文部科学省による「大学等卒業予定者の就職内定状況調査」は、毎年10月1日、12月1日と翌年2月1日現在の就職内定率を調査し、4月1日現在での確定就職率を調査している。今年4月の確定就職率はまだ公表されていないが、下図に示す過去の就職(内定)率の経年推移からして、1昨年の就職率91.0%を底に昨年はやや持ち直したと思われる。



就職率



  「過去最悪の就職率」というキャッチフレーズがよく使われるが、その「過去」とはデータがある期間という意味だろう。掲載した就職(内定)率の経年推移も1996年以降のものであり、いずれにしてもオイルショック以降のものだ。我々団塊の世代の就職率はもっと悪かったように思うが、そのような古いデータは加味されていない。

 データの見方にもよるが、1996年以降の就職(内定)率は大局的には概ね91%~97%の範囲内で推移しているともみれる。すなわち、「過去最悪」といった表現よりも、「ある周期で限定した範囲で変動している」との見方の方が正しいと思われる。

 昔と今と比較した場合、大学生の数は飛躍的に伸びている。昭和60年の大学生の数は185万人であったが、平成23年では289万人にまで膨れている。大学全入時代の到来が間近という勢いである。だとすると、就職率の分母は加速的に増えるのだから、就職人口(採用人数)が同じ勢いで増加しない限り、必然的に就職率は低下して当たり前である。ここに就職率という数字のマジックがある。

 だからして、就職率という数字で一喜一憂するのもおかしい。問題は、一流大学=一流企業=幸福達成という図式が崩壊した現代においても、猫も杓子も大学に行き、誰もが上場企業を目指し、そうでなければ安定的な公務員を狙うという学生の意識にあるように思う。なぜなのか。

 今の学生はまだ昔の図式を信じているのか、それとも自分の可能性を信じて自分探しをしているのか。仕事に自己を実現しようと夢中なのか。はたまた、身の程を知らなさすぎるのか。

 考えてみれば、私の時代には大学に行けることは幸せであった。就職だって個人に選択の自由はなかった。指導教官の言われるままに就職するのが掟であった。就職できること自体が幸福であった。石の上にも5年、就職してすぐに辞めるのは大学の恥と思った。企業も優秀な人材を求めるために大学に行脚した。

 今はどうだろう。前述したように猫も杓子も大学に行き、誰もが上場企業を目指す。企業は優秀な人材集めに行脚しなくとも、ネットで群がる多数の学生の中から篩いにかければ済む。学生は「あの会社は給料がいい」「安定している」といった情報をもとに、選択肢をフルに活用する。結果、自分の思うところに就職できないと嘆く。

 しかし、学生は選択肢が多いということを妄信し、誤解しているのではないだろうか。企業にはとっくに終身雇用や年功序列はなくなっている。大きな会社だっていつ倒産するかわからない。どの会社も不安定で、給料が上がる見込みも薄い。それなのに、一流企業だと妄信して希望する。「この仕事が自分のやりたいことだ」と思い込む。自分は何に向いているとか。そもそも、大学に行けば幸せになれると妄信している。選択肢が多いと思われる現代、実は選択肢は非常に狭いのではないだろうか。

 選択肢がない与えられた環境のもとで自分探しをする。不得手な分野で別の自己能力を発掘する。そのような柔軟さを企業は学生に求めているのだと思う。就活戦線に離脱した諸君。まだまだ遅くはない。まだ君らは人生のスタートラインにいる。時間はたっぷりある。今からでも、じっくりと自分探しをしてみてはどうだろうか。



敵は財務省なり


 今ここで、消費増税の是非を議論するつもりはない。しかし解せないのは、「4年間は消費増税しない」と華々しく宣言した民主党がなぜそれを反故にしてまで消費増税に奔走するのかである。もっと言うならば、あの泥鰌総理はなぜ「命をかける」とまで消費増税に血気するのかを問いたい。

 その答えは、役者を見れば一目瞭然であろう。今の泥鰌総理は前財務相であり、泥鰌総理の親分でもあり恩人は税調会長の藤井さん。この藤井さんも元財務相である。内閣府の事務次官には財務省出身の松元氏を置く。おまけに、密室談合や大連立が噂される自民党の谷垣党首も元財務相である。すなわち、泥鰌内閣は発足と同時に消費増税のためにキャステイングされているのである。

 消費増税は、もとより財務省が自らの既得権益を守るための悲願である。大きな財布が財務省の権益に繋がる。その財務省と結託しての消費増税である。「脱官僚」を謳った民主党であるが、発足当時からこのようなシナリオは見えていた。当時、現総理も前原氏も国土交通省や農林水産省を叩いても財務省とは手を握ると明言している。

 なぜ民主党の政権交代は失敗したのか。官僚主導を打破して統治のあり方を根本から変えるとした民主党が、なぜこういう体たらくになったのか。無駄遣いを減らすにも財務省の支援が必要であったからだ。

 民主党は発足当初、財務省を使って無駄遣い削減のキャンペーンを大々的に行った。その見返りの消費増税である。おまけに、財務省事務次官の勝栄二郎氏の退官花道に間に合わせようという魂胆だからひどい話だ。さらに、財務省事務次官の勝栄二郎氏は東電の勝俣会長と繋がっている。消費増税問題と原発問題は、実は繋がっているのだ。

 結局のところ、民主党政府は肝心要の予算編成の主導権を財務省から奪っていないのである。敵は財務省にある。なのに、その敵の財務省と結託している。まさに、ミイラとりのミイラとはこのことだ。



原発依存の論理思考


 政府が、というより電力会社が大飯原発再稼動をなぜ焦るのか、理解できない。政府は、福島第1原発事故の教訓を盛り込んだ安全性の暫定基準をクリアすることを、再稼動の前提にするという。そこまでは良しとしよう。それでは、肝心の暫定基準を誰が作成するのかといえば、もうすぐ消滅する経産省原子力安全・保安院が策定するという。それも3日程度の急ごしらえで。それでは責任の所在もなく、橋下市長の発言を待たずとも到底、容認できるはずがない。

 そもそも脱原発を考えるとき、原発依存論者は「原発をやめることができるかどうか」ということを論点の基準に置く。原発を止めてそれに代わる再生可能エネルギーがあるのか、コストは抑えられるのか、産業の空洞化なしで実現できるのか、などなど。これらの問いに対する答えがひとつでも「ノー」であれば、「だから止めるべきではない」という論理を展開する。

 経団連のおじいちゃんこと米倉会長は「太陽光発電を高い効率に持っていくには時間がかかる。世界的に原発なしでやっていけるかどうか疑問だ」と話す(朝日新聞インタビュー)。また、自民党の石原幹事長は「生活をどうするのかということに立ち返ったとき、国民投票で9割が原発反対だから、やめましょうという簡単な問題ではない」と述べている。

 こうした議論は「原発に依存することを前提とした」議論であり、その前に「そもそも原発を止めるべきか否か」という原理的な議論が必要ではないのか。というのは、原発事故は人類の生命と財産を犯す恐ろしいものであり、人間の手では到底、支配することができないことを、事故の教訓として学習したからである。そういう意味で、「そもそも原発を止めるべきか否か」という議論は、科学技術、生活基盤、経済活動などを超越した倫理的かつ原理的な問題として議論すべきである。

 仮にそういう議論を行った後に原発の必要性を議論するとした場合も、電力の需要供給、電力会社の会社情報などをすべて開示して、そこから初めて議論の土俵が作られよう。いずれにしても、原発依存論者の論理思考に惑わされることのなきよう、国民の良識を信じたい。



満開の桜の樹の下で


春爛漫、日本全国、満開の桜が咲きほころび、
どこかしこ、雅やかさと陽気さが共存する。

その一方で、ここ数年、
桜が咲く頃になると思うようになった。
もうあと何回、桜が見れるだろうかと。

3月の弾ける冬の終わりを掻い潜り、
ようやく到来したこの春。
しかし、それは冬の苦悩の代償でもある。

凍結から融解に転じるとき、
桜の蕾がはじけるように、
人間も大地も自然も内なる圧力が弾ける。

心の病を最も発症し易いのが3月であり、
自殺者が最も多いが3月である。
そういえば、大学教授の友人が自殺してちょうど2年になる。

大地も自然も同じように弾ける。
冬場に地震が多いのは、蓄積した大地の歪が、
気圧と水、さらには宇宙線の変化によって、
内なるストレスが弾けるからである。

そして、この春は人間の営みの変化の節目でもある。
新しい家族や職場、環境のもとで、
それぞれが、ストレスを溜め易い節目の春でもある。

今の桜は満開でも、あと1週間もすれば散るだろう。
いいことも長続きはしないし、
悪いことが続けばやがていいこともある。

人間の営みには節目、節目というものがあり、
節目によって、運も不運もついて回る。
節目には出逢いや楽しみがあれば、
その一方で失望や試練もある。

私の場合、今年の春は試練の節目と感じる。
今度の試練は少し時間がかかるかも知れない。

ゆるりと、スローペースでこの試練とつき合っていこう。
そのくらいの汪洋さと度量がなければ、
試練を乗り越えることはできまい。
桜の花の優雅さに秘めた気風のよさと潔さにあやかりながら、
運にまかせて、のんびりと。

満開の桜の樹の下で、
そんなことを思う今年の春である。



費用対リスク


 命はお金にはかえられないとはいうが、逆にお金がなければ命を救えないこともある。難病をかかえた子どもの命を救えるのは、募金で集めた大金で手術できる限られた人であったり。重篤な病の命を救えるのは、名医を選べるお金持ちであったり。しかるに、そのお金には限度というものがある。だからして、持ち合わせたお金の許容範囲の中で効果的に運用せざるを得ないのが実情である。それは家庭においても、国家においてもまた同じである。

 例えば、道路沿いに落石しそうな岩塊があったとき、対策工事をするのかしないのかを考えてみよう。落石によるリスクを回避するために、対策工事をした方がいいに決まっている。しかし予算には限度があるので、工事の必要性と優先順位、対策工事の種類などは割り切って費用面から算出根拠を出さざるを得ない。

 落石を生じた場合の人身事故の確率を、その道路の通行量(1日何台通るか)から算出する。その結果、何も対策を講じないで落石による人身事故を招いた場合の費用(人の命など)と対策工事費を比較して、前者が後者を上回るならば、対策を行う。こういう考え方は「信頼性設計」と称され、もう30年も前から定着した土木におけるひとつの考え方である。一見、人の命をお金に換算して冷酷なようだが、限りある予算の効率的運用を計れば、結局のところこうなる。

 どこから対策するかという優先順位の考え方も同様である。同じ規模の落石のリスクがある場合でも、1日数万台も通過する高速道路が優先され、1日数台しか通らない村道が後回しにされるのは、当然といえば当然である。そこには、限られた費用でどの程度のリスクが回避されるのかという「費用対リスク」および「費用対効果」の考え方がある。

 さて、北朝鮮の衛星だかミサイルだかの発射に備えて、PAC3を沖縄にまで配備するという。ミサイルの落下地点はフィリピン近海であり、石垣島の上空を軌道するという。軌道範囲は海上であり、そこに仮に破片が落ちて人身事故を招く確率を出せば、天文学的数字となろう。一方、PAC3を沖縄へ配備する費用や万一、迎撃した場合の費用の合計は半端な額ではない(正確にはどこも発表していないが)。それでも配備するのか。

 最近、突如として出現した南海トラフの地震活動に関する問題。東海、南海、東南海が仮に3連動した場合の津波の高さを示しているが、これが途方もなく大きい。想定外を想定したという津波の高さは地域によっては20mを越す。東海、南海、東南海のどれかが発生する確率もさることながら、それらが3連動する確率とは、これまた天文学的数字になりはしないか。3.11以降、既に各自治体では防潮堤の工事に入っている。10mの防潮堤を20mに変更するには、単純に10m嵩上げすれば済むというものではなく、基礎からすべて作り直さないといけない。すなわち、今まで作ったものや作っている防波堤はすべて無駄になる。

 地震予知連絡協議会がどのような趣旨で発表したかわからないが、発表するからには確率を明記しなければなるまい。100年に1度程度なのか1000年に1度程度なのか。それすらもわからなくて、万が一という寓話に導かれて現実の対策に走るというのか。

 瓦礫の処理に関しては汚染の拡散という問題もさることながら、周知のとおり、廃棄物企業や運搬企業などの利権と政治が絡む。いずれにしても、瓦礫の処理は地元で処理した方がどんなにか安くあがる。250億円とも300億円とも言われる瓦礫処理費用を地元で処理すれば、子育て支援などすぐに解決できる。

 日本に捨てるほど財力があれば別である。命を賭けてまで消費増税しなければならないという日本の財政難である。この現実の下において、なぜこうもいとも簡単に思慮なき出費をするのか、理解に苦しむ。リスクに対する対価は、リスクの実情と確率などを検証しなくてはならない。それに、リスクに対する防御は何もお金を使えばいいというものでもない。要するに、知恵と工夫が足りないのである。

 改めて申し上げあげる。3.11とフクシマ原発事故は決して想定外ではない。想定内の検証せずして、想定外を想定しても意味はない。





外部ブログの件


 昨日、外部ブログがシニア・ナビのブログにリンクされたことによって、返って不便を感じたことを記した。そのことで、多くの皆さまから同感の意見が寄せられた。この場を借りてお礼申し上げます。

 その後、調べたところ、外部ブログの全文がリンクされているものもあれば、ほんの一部しか掲載されていないものまで、リンクの仕方がまちまちであることに気づいた。外部ブログの管理者(種類)によるものかと調べたがそうでもない。1行あけるところまでといった掲載範囲の基準があるのかと調べたが、そうでもない。このリンク設定はどうなっているんじゃ、と思った次第です。

 皆さまの後押しによって、シニア・ナビ事務局に不便さと変更希望のメールをしましたところ、以下のような返答がありましたので紹介します。

『ご連絡を頂きましてありがとう御座います。
シニア・ナビ事務局です。
ご連絡を頂きました内容を下記にてご回答させて頂きます。
貴重なご意見ありがとうございます。
大変恐縮ですが、現時点におきましては以前の形に戻す予定はございませんが、
今後ご検討させていただきます。
以上よろしくお願い致します。
失礼致します。』

 丁寧な返答でしたが、要するに、今のところ変更するつもりはないとのことです。皆さま方からも、シニア・ナビのトップページ右側にある意見欄にて不備や要望を送信していただければ幸いです。より使いやすいシニア・ナビにするために。



ブログのリンク


 シニア・ナビにブログが開設されたとき、外部ブログをそのまま続けるかシニア・ナビのブログに切り替えるか迷った方も多いと思う。そのとき、外部ブログであってもシニア・ナビのブログにリンクさせれば済むことだと思い立ち、シニア・ナビ事務局にその旨、要望した。

 その甲斐あってかどうかはわからぬが、4月から外部ブログもシニア・ナビ内にブログページが作成されるようになった。しかしそれは不完全なものであり、全文を見ようとすると、外部ブログにジャンプしないといけない。結局のところ、またひとつ手間が増えた形となった。

 私が事務局に要望したのは、外部ブログをそのままシニア・ブログの形式で見れるようにすることであった。無論、ブログによって設定様式が違うので、シニア・ブログ掲載にあったっては変換設定ページが必要であるわけだが。

 外部ブログの一部が現在のようにシニア・ナビ内に掲載されるメリットは何か。ブログ記事の冒頭を見て、続いて見たければ外部ブログにジャンプし、興味がなければスルーするという点なのか。それはメリットというべきものでもなさそうである。外部ブログの一部が現在のようにシニア・ナビ内に掲載されるようになったのは、果たして、改善というべきか。それとも改悪というべきか。さて、どうしたものか。



科学における専門の馬鹿と壁



 およそ専門家と呼ばれる科学者や研究者の多くは、すごく狭い専門的知識に長けているものの、専門分野から少し外れたことには案外、無知である。まして、多くの研究者は社会常識からは逸脱した人間が多い。いわば社会から隔絶された大学という闇なる巨塔の中で、専門的分野のさらに専門性の深い特定のテーマをひたすら研究しているからである。また、そうでないと国からの科学研究費は下りないというジレンマがある。長年、いろいろな大学と分野の研究者と付き合ってきたからよくわかる。

 これが所謂、「専門馬鹿」という奴である。だから、優れた専門家ほど自分の研究分野と関連性があっても専門から少し外れた問題には案外疎いものである。しかるに、科学技術の進歩は数多くの専門分野を補間するように多岐に発展していき、分野を跨ぐように多面的かつ巨視的な物の見方をしないと問題の本質は解決できないのである。

 この「専門馬鹿」に加えて、「専門の壁」が問題解決の大きな障害となる。例えば地震予知に関連する分野においては、工学系の地震屋が集う地震学会、理学系の地質屋が集う地質学会の他に地形屋、気象屋などが集う学会などがあり、それらは互いに見向きもしない。それに加えて、東大派、京大派といった派閥があって、これらの専門と派閥という大きな壁が科学技術の発展にとって大きな障害になっている。

 地震予知の大きな柱である地震と地質の壁について説明する。一般に工学系の地震屋は理学系の地質屋を卑下する傾向がある。工学が理学より偏差値が高いのもあるだろう。工学系の研究者は一般に社会や企業との繋がりが大きく、社交的で商売も上手である。方や地質屋というと、リュックにハンマーのイメージだから想像もできるでしょう。口下手で非社交的で、商売する気などさらさらない訳である。必然的に油と水の如き両者に大きな壁が生じる。ちなみに私は異色の工学系の地質屋なのです。

 この壁が大げさな言い方をすれば、東日本大震災を救えなかったとも言える。地質屋は東北地方を襲った過去の大津波の痕跡を丹念に掴み、大津波の発生間隔は平均して800年から1100年に1回と結論づけた。さらに、貞観11年(西暦869年)の貞観津波が歴史的に東北地方を襲った最大級の津波であり、それから既に1100年の時を経ていることを警告した。この警告は1986年の地震学会を発端に幾度も発したが、地震屋は見向きもしなかった。それどころか、地震屋はせせら笑い、1960年代に登場したプレート・テクトニクス理論にばかり傾注したのである。残念なことに社会もメデイアも力のある地震屋の意見ばかりを登用してきた。今もなお、テレビに登場する地震に関する研究者は地震屋ばかりである。

 最近になって一部の地震屋が地質屋と共同研究する動きが出てきているが、遅きに失する。科学の真実なるものは、多岐にわたる分野から多面的に総合的に研究しなければ見えてこない。それには、専門の馬鹿と壁を補間するコーデイネーター的役割を担う研究者が必要である。それと、社会とメデイアにも大きな責任がある。偏った意見ばかりを登用することによって、あたかもその考えが真実かのように定着するのである。その背景にはどうしても金が絡む。防災ビジネスや環境ビジネスが蔓延(はびこ)り、それが科学の真実を偏見へと導く。市民がスポンサーなる公正な情報チャンネルなるものも必要であろう。科学者だったら誰しも異論を唱える地球温暖化理論。この誤った理論が今ではあたかも真実のように定着し、世界がそれを基軸に回っているというおぞましい現実を、我々は決して見逃してはならない。



春なのに


もう春だというのに、我が家はまだ寒々としている。
冷たく重苦しい空気が澱んでいる。
連れが、心の病とでも言おうか、欝(ふさ)ぎ込んでいる。

女にも男にも業(ごう)というものがあると思うが、
大抵は、社会の荒波の中で清算されて処世を学ぶ。
しかし、社会に出たことのない温室育ちの女には業が蓄積する。

気の弱い女ほど業が強い。
そして困ったことに、気の弱い女ほど業を発散できない。
かくして、温室育ちの女は老いととも業を繁殖さす。

女の更年期には前期も後期もありまして、
その節目、節目に、やり場がなくて、
身近な男に当っては男を悩ませる。

笑いとジョークで挽回しようとしても、怯んだ心には通じない。
そんなときには、慰めの言葉さえも過敏になる。

少し正気なときに、一通のメール。
「あれから考えましたが、あなたに悪気はなく私が過敏だった」と。
それでもまだ謝らないところが業なのか。
「今はただ静かに見守っていきます」と返した。

そんな中、1ケ月ごとの孫のお泊り保育があると、
我が家にもパッと遅咲きの花が咲き、
ひとときでも、失いかけた笑いと癒しが戻る。

子どもが小さい頃は子どもが鎹(かすがい)となり、
犬を飼ってたときは犬が鎹となり、
今は孫が鎹になっている。ありがい、ありがたい。

今日で2歳と1ケ月になる孫の瞳はどこまでも澄んでいて、
心の回復を願って遠くを見つめているようである。




二歳
プロフィール

geotech

Author:geotech
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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