あれから1年



 1年前のちょうど今頃、蝋梅が咲きほころんでいた頃、私は連日、原発立地のための活断層調査に従事していた。当時、電力会社の傲慢不遜な態度に義憤を覚えたものの、原発が危険なものとの認識は微塵もなかった。ただ、破格の単価と金に糸目をつけないやり方に、これでいいのかという、いたたまれない気持ちであったのも事実である。

 そして1年後の今、私は完全に原発アレルギーになっている。原発事故の惨状に慄き、知れば知るほど不可解な闇の原発行政に、眠れし私の中の正義が湧き出たからである。そしてあるとき、原発から足を洗うことを覚悟した。

 それは、口で言うほどたやすいものではなかった。原発関連の受注を自ら閉ざすこと。それに変わる別の分野へ方向転換すること。会社の経営上も厳しいものであった。それどころか、目に見えぬ圧力や誹謗中傷にもあった。

 人の考え方というのは1年でこうも変わるものである。それほどに、あの事故は悲惨なものであった。否、「悲惨であった」と過去形で言いたくない。まだ事故は継続していると認識している。

 1年経った今、改めて、私の決定は正しい選択であったと思う。これからも、ひとりの市民として反原発の意思を示したい。末端にしろそれに手を貸したことのある技術者の責務として、反原発に少なからず労を提供したい、そのように今、思っている。



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固定化



 言葉というのは曖昧であると同時に、使いようによっては便利なものである。最近よく耳にする「普天間基地の固定化にならないように」という言葉に対して、つくづくそう思う。与党も野党も異口同音に唱えるこの言葉にこそ、沖縄問題の糸口が見えない危うさを感じる。

 「固定化」の「化」とは「化ける」という意味であり、「固定化する」とは「固定」への変化の過程を示すはずだが。ならば、普天間基地は未だ固定していないのか。大平首相のときに沖縄の全面返還が確約されて早、40年。普天間基地は画然として今ある。これを「固定」と言わずして、何と言おう。普天間基地は事実をしても、既に「固定」しているのである。

 野田首相が昨日、初めて沖縄入りしての言葉。これまでのお粗末行政に対する謝辞行脚の言葉は丁寧でよかったが、それ以外は「辺野古以外にない」の一辺倒に終始した。これでは前首相のときと何も進展はない。もともとは「最低でも県外」と宣うた宇宙人の責任でもある。子供に飴玉をやると言っておきながら、飴玉をもらえないばかりか叱られた子供がすぐに立ち直るとは思えぬ。

 米軍再編の普天間分離、グアム移転先行は日本の優柔不断さに業を煮やした結果である。米国は既に固定的観念から離脱した行動を起こしている。米軍だって辺野古移転の難しさを理解しているからである。「唯一、有効な手段」と固持するのは日本だけである。固定化してはいけないのは普天間基地ではなく、日本政府の考え方にこそある。どうしてこの国のエリートはこうも「固定化」して頭が堅いんだろうと思う。




エゴのわけ


 震災の瓦礫の受け入れ自治体が少ない。ネックになるのが、放射線物質の受け入れを拒否する一部の市民運動である。神奈川県など、自治体としては積極的に受け入れに協力しようとしても、そうした市民運動が盛り上がると断念せざるを得ない。

 先日、青森県の雪を沖縄に運んで沖縄の子供たちを喜ばそうという企画があったが、放射能に汚染された雪を受け入れるのかという住民の投書があったらしい。自治体は企画を一旦、断念したが、市民の要望で復活したらしい。何と、投書したのは東北から沖縄に避難した人という。

 そればかりか、これまでにも東北の薪を使った送り火に反対したり、東北の野菜や米の非買運動があったり、風評被害も含めていろいろな拒否反応があった。

 沖縄の米軍基地の問題においては、沖縄の負担を日本全体で分かち合おうという旗印は立派である。しかし、いざ自分の近所に米軍が再編するとなると、一転、反対する。私が住む町も岩国基地に比較的近いのだが、沖縄の負担軽減には概ね賛同する人が多い。しかし、この度、岩国基地へのさらなる再編が取り沙汰されると、一転、県も岩国市も反対表明に国会に駆けつけた。

 こうした事態に対して、新聞など多くの論評は「住民のエゴだ。これで真の絆と言えるのか」とし、「エゴ」ですべてを決着している。

 さらに、こんな調査結果を目にした。米国の某大学と日本の某大学のいずれも院生や教師に対する調査である。「(A)あなたの年収は5万ドル、ほかの人の年収は2万5000ドル」「(B)あなたの年収は10万ドル、ほかの人の年収は20万ドル」の二者選択を問うている。自分の実入りだけ考えるのならBの方がいいに決まっている。ところが、米国の院生や教師の6割弱がAを選択したという。さらに驚くことに、日本の院生や教師の7割超がAであったという。米国と日本の1割超の差は大きい。大阪大学社会経済研究所の西條教授によると、他人の足を引っ張る「いじわる」現象だとし、他国に比べて日本人はいじわるな人が多い疑いがあるという。


 日本人が先天的に「エゴ」であり「いじわる」であるのか否かは別として、私は「エゴ」には「エゴ」の訳があり、「いじわる」には「いじわる」の訳があると考える。なぜ東北の物を受け入れないという「エゴ」が生じるのか。それは、明確な安全基準が示されていないこと、行政の数値に対する不信感が根源にあるからではないのか。なぜ沖縄の基地負担を我らの町で受け入れようとしないのか。過去の沖縄基地に関する密約の数々を国民は知っているからであり、基地を提供することの見返りについての安保防衛のコンセンサスが未だ成熟していないからではないのか。

 「エゴ」を「エゴ」として片付け、「いじわる」を「いじわる」として片付けるのではなく、その根源を見極め、その先にあるものを洞察する英知と実行力、それこそが政治の役割ではないだろうか。



医療費がわからん



 最近、高血圧気味でT医院に1ケ月に1度の割合で通う。通うといっても、血圧を測定してもらって薬を貰う、ただそれだけのことである。血圧なら家で毎日、朝夕に測っているし、診察を受けても、さして気の聞いたアドバイスもない。

 それに、T医院の40そこそこの若い医師の診察は遠慮したい。というのは、以前にブログで紹介したが、診察時に私が血圧の推移をグラフにしたものを用意して話を始めたら、「だったら、勝手にしたら!」とカルテを叩きつけた、あの医師である。その折は、「先生、そんなこと言っちゃダメですよ」と医師を逆になだめたものの、後から冷静に考えてみると、どうも釈然としない。なぜ患者の私が医師の横暴をなだめないといけないものかと。

 そんなことから、T医院の医師には診察を受けたくないし、わざわざ診察してもらう意味もない。だったらと、3ケ月目からは診察は受けずに薬だけを貰いに行った。そしたら、診察を受けても受けなくても医療費は以前と変わらなかった。さすがにその場では聞けずに薬局に行って尋ねたけど、納得できる回答は出てこなかった。そりゃそうだ。薬局だって「その後どうですか?」って聞いてくるのも点数に入ってるんだもの。

 釈然としなくて、「医科点数」や「医学管理等」を調べていく。すると、どうも「医学管理料」なるものがクセモノであることがわかった。「医学管理料」というのは、“医師が患者の病気の経過を管理したり患者に病気について理解してもらい治療に専念してもらうように指導した場合に発生する料金のこと”らしい。“とくに高血圧や糖尿病など長期の治療が必要な特定疾患に対して診療が行われた際に算定される”とある。

 私は診察も受けていないのに、指導も受けていないし相談にも乗ってもらっていない。なぜ「医学管理料」が発生するのか、どうも府に落ちない。だったらと、先日、風邪気味だったので評判がいいMクリニックに行き、ついでにT医院と同じ高血圧の薬を貰った。明細を見ると、「医学管理料」はゼロであった。

 この際だからと、最近1年間に通った病院の診察料を引っ張り出して比較してみた(下記表、すべて点数でなく金額で表示)。薬(投薬料)やレントゲン(画像診断)はその時々によって違うから比較にならないが、問題は「初(再)診料」と「医学管理料」である。J診療所はとても良心的とお年寄りに人気の病院であり、T医院は問題の病院である。H総合病院は2ケ月に1度通う総合病院の耳鼻科だけど、毎回30分も治療してくれて210円しか支払わない。Mクリニックは先ほどの評判の医院。この「初(再)診料」と「医学管理料」の差は何でしょうか。私には、医療費は医師の匙加減ひとつでどうにでもなるような気がしてならない。ますます医療費がわからなくなった。どうしてこんなことになるのか、どなたか教えてください。


医療費



エネルギーのネジレ



 昨年の夏、あれほどまでに電力不足と節電に翻弄させられてきたのが、遠い過去のできごとのようである。気がつけば、54基の原発のうち稼動しているのはわずかに2基という。再稼動がなければ、今年の4月には全原発が停止する。それでも現在、電力はまかなえている。これって、おかしくないかい?

 そういうと、いや今年の夏の電力不足は深刻だとか、火力の燃料費が高騰して電気代を上げないともたないだとか、くどくどと言い訳を論じる。しかし、昨年の夏だって、原発の1基2基の停止で大騒ぎしたけど、結局、乗り切ったんじゃなかったっけ。ほんとのとこどうなの、と尋ねたい。尋ねると、とどのつまりは、それでも原発は安いと言い張る。

 原発が自然エネルギーや火力などと比較して安いという議論は不毛である。電力価格=原材料+人件費+リスク費であり、リスク費=リスクの確率×1回のリスクにかかる費用である。しかし、原発のリスクの確率をどうして決めるのか。原発を作り始めて50年でフクシマを経験したから1/50の確率だというレベルの話である。その間のもろもろのトラブルはどう計算するのだ。まして、1回のリスクにかかる費用は、原発の場合にはほぼ無限大といえる。だから、単純な論理でも原発が安いということになろうはずがない。

 一方、企業は独自に自家発電に切り替え、PPSから電力を購入するようにシフトし始めている。PPSへの参入も活発である。送電網共有化の議論も激しい。根拠のない電力料金値上げには不払い運動を起こす覚悟だという。

 国は一体、原発をどのようにしようと考えているのか。全く見えない。国がこの場に及んでも原発に関する基本姿勢を示さない中、世の中は待ってられないので勝手に自衛策を進めている。与野党のネジレなんか問題じゃない、既に国と現実の社会がネジレているのである。これほどまでに国を信頼しなくても、これほどまでに国に期待しなくても、この国の民間企業は切磋琢磨して生き残るすべを求めている。何とも逞しい日本の民間企業にエールを送りたい。


経済のかすなな光明


 円高にデフレスパイラルの日本経済。世界に目を転じても、ギリシャの破綻、イランの政情不安、石油供給の不安定、アメリカとヨーロッパの雇用情勢の悪化、ユーロを初めとする金融機関の格下げなど、世界も日本も、今、経済の底にある。

 そんな中、ここにきて経済のかすかな光明を感じる。円安が数日間続いている。東証1部の株価が持ち直しの傾向を示す。東証2部は連騰している。ニューヨークでは、男性物のバッグやアクセサリーが3倍も売れるという珍現象が出てきているらしい。

 身の廻りでもそれを肌で感じる。建設関連サービス業という仕事柄、経済情勢を一番先取りして感じる。ここにきてマンションの建設に活気が出てきた。全国大手のマンション不動産会社であった○○不動産が一時は倒産したが、最近また復活してきている。自分が手掛けたマンションの販売が華々しく新聞広告にデビユーしている。不動産販売の活況を感じる。震災特需に刺激されてか、土木建設工事が少しずつではあるが活気を取り戻している。

 少し前、日銀がインフレ容認とも取れる発言をして財政出動したことも、大きな要因となっている。経済というものは魔物であり、不安が払拭されて自信が回復すれば、すぐに回復する。逆もまた真なり。一寸先は闇でもある。すべては精神状態によるところが大きい。

 このかすかな光明は不確実であり、か細いものである。しかし、何とかこの光明を大切に育てて、デフレを脱却したいものである。そう切に願う。そのためには、日本も世界も経済復活のさらなる覚悟と自信を発信することが何よりも大切である。経済とは精神力と忍耐力である。




橋下旋風の行く末



 今、話題の橋下旋風の行く末は、その是非にかかわらず、また好き嫌いにかかわらず、この国の行く末にとっても大きな鍵を握ることだけは間違いない。そこで、批判を覚悟の上で、私なりに橋下旋風を分析してみた。

 橋下氏が大阪府知事時代に打ち立てた大阪都構想。そして、大阪府から大阪市に鞍替えした選挙での維新の会の大勝。その段階までは、間違いなく大多数の国民が諸手を挙げて賛同したと思われる。また、既成政党も猫撫で声で維新の会に擦り寄った。その根拠は、地方自治のあり方に同調してのことだ。

 しかし、船中八策から国政へ動き出したとたんに、国会議員の雲行きが変わってきた。さらに、首相公選制や参議院廃止など維新八策の骨子が見えてくると、さらに引いてきた。あれだけ擦り寄っていた既成政党が、「性急すぎる」「現実性がない」などと、確実に拒否反応を示すようになった。それもそのはず、自分たちの首が飛ぶような話の展開になってきたわけだから。

 保身のことしか眼中にない国会議員のことはどうでもよい。それより、国政に打って出る態度を明確にした現時点において国民の支持がどう変化するのか、これが最大の関心事である。そもそも、橋下旋風の源は国民の支持であるからであり、国民の支持なくして、到底、彼の願いは成就しない。

 橋下旋風に反対の人あるいは疑問符を投げかける人には、あるパターンがある。まず第一に、政策以前に彼の人となり自体が嫌いだという印象的嫌悪派がいる。彼の歯に衣着せぬ物言いや独断的な発言、さらに毒気を感じる物言いに嫌毛がさす人がいるであろう。これはゲルマン民族派か農耕民族派かの違いのようなものであり、それはそれで仕方ない。彼の発言は、白黒はっきりさせないと気が済まない彼の性格からきているものであり、それが彼の長所でもあり短所でもある。ただ、彼のキャッチフレーズは自身の考え以上に誇張した演出があることを見逃してはいけない。何か事を起こすときにはセンセーショナルな言葉が必要であり、彼は実は相当な演出家でもある。

 次に彼の考えの根幹部分に反対する人がいる。競争原理主義、能力主義、多数決原理、現実主義などが彼の物の考えの根幹にある。彼のそうした思想の背景には彼の生い立ちが少なからず影響を及ぼしている。そして、大阪府知事に就任直後、反対派多数の議会や市長会にとことんやりこまれたトラウマが確然としてある。ただそれにしても、「競争して勝つものが常に正義」という考え方はあくまでも勝者・強者の論理であり、その果てには弱者や少数を排除する危うさをもつことは否めない。

 さらに、維新八策に示された国のあり方の基本方針に反対する人もいる。そのどれもが唐突で性急すぎるという拒否反応も理解できる。ただ、たとえば首相公選制や憲法改正は中曽根首相時代から言われたことであり、30年経った今もちっとも進んでいない現実がある。彼の言うようにクーデターでも起こさなければ何も変わらないのは事実である。ただし、彼は今のところキャッチフレーズとして発言していることであって、ひとつひとつの方針には具体的な検討が必要である。たとえば、参議院不必要論にしても、今のような参議院なら要らないといっているだけである。私は二院制を維持し、参議院には本来の良識の府としての役割を担うべく選挙制度を改正すべきと考えている。

 最後に、橋下旋風を応援できない人の中には、都構想から国政へ打って出る論理矛盾を言う人がいるかも知れない。確かに地方自治と国政では違うが、都構想自体も国が変わらないと変えられないと、彼の最初からの読みがあったに違いない。つまり、都構想を発表した時点で彼は国政に足を踏み入れる覚悟をしていたはずである。ただ、そこまでの覚悟をしているのであれば、首相になる覚悟はあるのかと問いたい。そして、その覚悟がある場合には、大阪市長として彼を選んだ大阪市民にどう答えるのかが聞きたい。

 以上、反対あるいは疑問符の立場に立って分析してみたが、どちらにしても今の既成政党の政治では何も決められないし何も進まないこと、これには国民の大多数が異論ないはずである。であるならば、これを機に国を変えることも必要であろう。それも時間は限られていて急がねばならない。毒には毒で制す。クーデター的なことを起こさない限り、今の能天気な国会議員の目を醒ますことはできまい。ただし。彼の言動には危うさがあることは否めない。彼を諫める強力なブレーンが必要となる。ただ独裁を危惧するとしても、良識ある国民はそれを避けるバランスを選択するに違いない。



待ったなし

 大相撲の話ではない。消費税の話です。「待ったなし」とは、一刻、一刻と経過が時を刻んで、万策尽きてもうあとがない状態だと、私は理解している。大相撲においても、立ち会いが進んでいって制限時間一杯の最後の立ち会いになると、行事が「待ったなし」を宣告する。つまり、「待ったなし」にはそれまでに果たせなかった努力の経緯があり、それを実行する最後の機会となってしまったという意味合いがある。

 それでは、天下の泥鰌が盛んに繰り返す「増税の待ったなし」はどうなのか。今まで増税を訴え続けて準備や環境作りに万策を尽くしたが、もうあとがないというのか。そうではなかろう。ある日降って湧いたような、風雲急を告げる施策である。それどころか、民主党は政権を奪取したとき、政権期間中に消費税は上げないと確約していたはずである。

 国民とて誰しも、消費税を上げざるを得ない事情を理解している。それなのに国民の過半数が反対するには訳がある。つまり、まずマニフェスト違反の反省がないこと、次にマニフェストと真逆の政策転換になったことの説明がないこと。このことに異論を唱えているのである。

 そもそも、増税議論のきっかけがさもしい。とりもなおさず、社会保障制度の破綻にある。それも破綻を宣言するというならまだしも、破綻を認めずに繕うとするから嘘になる。繕っても繕っても、破綻は破綻である。それは、社会保障と税の一体改革の中身を見ればわかる。

 破綻を認めず現行制度を容認することを前提としているので、その改革たるや、要するに借金返済の期間を40年にするか50年にするかという議論である。最低保障年金だって、現在10代の子供が70歳以上になったときの話である。到底、我々の世代には関係のない話である。返済期間を何年にするとか、最低保障年金を定めるや定めないという議論が続く。究極は与党内部でも増税そのものに抵抗してまとまっていない。

 こういう不毛な議論の最大の問題点は、税と社会保障に関する将来のあるべき姿、つまり全体の骨格を示していないからである。手段だけを提案して目的を示していないことに最大の問題がある。

 私の提案は、社会保障制度の破綻を認めた上で、一旦、清算した上で新たな社会保障制度をスタートさせることである。清算においては、これまでの個人個人の支払額と支給額の差額を国が返済し(人によっては既に支給額が上回っているがその場合はチャラにする)、その上で1割負担、2割負担、3割負担といったメニューの社会保障を国民に選択してもらう制度である。原則、掛け捨てが望ましい。

 ほんとうに「待ったなし」なのは、増税をすることではなく、具体的な将来像を示すことである。




予定変更


 ほんとうは、明日から3月中旬まで、東北へ長期の旅に出る予定だった。旅といっても仕事ですけど。今、入院している社員の身代わりみたいな意味合いもあって、どうしても断れなかった仕事です。

 出るにあたって、1週間前から着々と準備をしてきた。会社を長期に留守にするということは大変なことです。その間の継続的な仕事や新規の仕事のこと、その他、もろもろと。まず、旅先の宿で夜、会社と同じような環境で仕事できるようにするため、ノートPCを1台購入した。セットアップから業務用ソフトやドライバーのインストールまで行い、会社のデータを全てバックアップした。

 今、抱えている仕事をできるだけ出発までにこなして、顧客に迷惑をかけないよう、日夜、励んだ。それも大方、終了した。顧客には、長期の旅になるが迷惑はかけないと連絡した。長期の宿の連泊予約も難儀した。途中に大学受験が控えていたからだ。レンタカーの手配や人の手配もクリアし、いよいよ最終準備。パソコン、プリンター、防寒具など、もろもろをダンボールに詰めて、事前に宿に発送した。

 その矢先の昨日の夕方、突然、出張の旅は中止となった。理由は詳しく言えないが、どうでもいい国の審査の関係です。予定というものは、得てしてこのようなものです。よくあることで、そんなにびっくりもしていない。すぐに気を取り戻して、段取り変更の諸手続きをして、今日から普段の勤務パターン戻っています。人間、どのような環境の変化にも柔軟に対応しなければいけません。

 ただ気が付けば、手持ちの仕事はほとんど終わっており、ぽっかりと穴が開いた感じです。人間、目標があるとこれほどできるものかと。逆に言えば、普段は悠々と仕事しているってことです。それはそうと、朝、出がけに、「長く留守してくれるのでホッとしてたのに」と嘆く同居人の響きは、私には外の寒さより凍えて聞こえたのです。


薩長と会津


 江戸時代からの藩の名残りは、その土地の風土と人間性にも継承されている。そして、藩(国)と藩(国)との確執や因縁が150年も経った今も根深く残る。

 佐高信(Satake Makoto)は自身の著書のプロローグにこう書いている。

『菅直人は自らを長州人としている。高杉晋作が好きというのも同郷だからという要素が大きい。小泉純一郎は父親が薩摩の出身であり、やはり長州人を自負する安倍晋三を加えれば、薩長がいまだにこの国の政治を動かしているとも言える。』

 さらに、佐高こう続ける。『福島を含む東北は「白川以北一山百問(ひとやまひゃくもん)」として、その政治から切り捨てられてきたのである。「薩長軍は官軍にあらず、官賊だ」とする会津の人たちがいまも薩長に恨みを深くしているのは、彼らが戦いで死んだ者の葬儀を許さなかったからである』と。

 そしてこう結んでいる。『震災に対する復興援助の遅れや原発に対する信じ難い無為無策を見ていると、第二の東北処分ではないかとさえ思われる。東北人の私としては、てめえら、本気で助ける気があるのかと怒鳴りつけたくさえなるのである』と。

 さてさて、長州人を自負する私としては、ここまで言われると心外である。こじつけだとも言いたくもなる。東北人の僻(ひが)みだとも思う。しかし、それほどに根が深いのである。

 いうのは、実は私の知る限りにおいても、長州人は会津の人を嫌う風潮が今だにあるのである。現に、山口県と鹿児島県では会津との婚儀はできるだけ避けている。少なくとも、長州から会津に嫁を出すことはまずない。甲子園で山口県と福島県が対戦すると、両方の地方紙に「因縁の対決」という見出しがつくほどである。

 それほどに根深いものである。私自身も、これまで会ってきた会津の人とは、誰ともそりが合わなかった。そのかわり、薩摩や土佐、肥後の人とはそりが合う。先祖からの言い伝えが先入観となって、現代の人と人の関わりにも影響を及ぼしている。今、たまたま薩長と会津のことを触れたが、若い頃から全国を旅して思うことは、同じ類の国(藩)と国(藩)との確執や因縁が今だに全国各地に残っているという印象である。



Microsoftの陰謀

 今、持ち歩いているノートPCはモバイル形式であり、手軽にメールやネットができる他、外出先でもOfficeを使ってちょっとした作業が手軽にできて便利である。しかし、本気で作業するとなると、作業性はすこぶる悪い。出張の旅先で仕事するのには、ある程度のサイズのキーボードとモニターが必要であり、そういう意味で、もう1台ノートが欲しかった。

 そんな気持ちでいたとき、たまたま行った電化量販店で「決算価格」という値札に魅せられて、ノートPCを衝動買いしてしまった。99,800円という値札はさも演出とわかっていながらも、ついついその商法に落とされてしまった。それでも、端数の9,800円はまけてくれと頼むも、これは決算価格で本当はこういう価格ですよと、ペラッと決算価格の下に隠れた札を見せる。敵もなかなかやる。

 そこから、店長を呼べとかすったもんだと交渉を続けた挙句、結局、98,000円で手を打った。こんなとき、端数の800円をまけてくれというと、すぐにGameOverとなる。いくら何でもという法外な値引きから始めるのが常道手段である。

 買うのを決断するに当って、気掛かりなことがひとつあった。欲しいXPシリーズは店頭には影もなく、すべてWindow7であることだ。XPが欲しけりゃDELLか中古品になる。DELLは本体価格が安くても保証を長くとると案外高いし、保証期間を過ぎた対応の悪さに懲り懲りしている。中古品は品質の当たり外れが恐い。仕方なくWindow7にした。

 自宅に帰ってセットアップして準備していくと、気掛かりなことが現実になる。まず、分かってはいたが使いなれたOutlookExpresなどなくLivemailとなるが、この使い勝手の悪いこと。Office2010も使い勝手がすこぶる悪い。仕方なく古いOfficeをインストールするも、共存するため良い環境にはならない。

 最悪は仕事に必要なビジネスソフトの一部がインストールできなかったり、できても問題を起こすことだ。いろいろ思考錯誤したが、原因は64ビットにあった。それでもPhotoshopなどはバージョン6を先に入れといてバージョン7とか8のバージョンアップソフトCDを差し替えながらスルーした。しかし、どうしてもAutoCadだけは上手くいかない。64ビットで使えるようにするにはWindowXPモードにする必要があり、そのためにはWindow7Upgradeを購入しなければならない。なんてこった。

 他にもいろいろと苦労させられ、ここ2~3日、仕事が手につかない。結局これはMicrosoftの陰謀ではないかと、ついには責任転嫁する心境に。OSもソフトも、なんでこんなに互換性がないもの作るんじゃ~!と。



考えよう、そして決断しよう!


 原発を存続させて子孫の生命と安全は守られるのかと問われれば、原発の存続は断じてあり得ないと思う。その一方、原発が立地する住民は原発なしでは生活が成り立たないと訴える。環太平洋経済連携協定(TPP)に加盟しないと産業空洞化を招くという。一方で、参加しない方が産業育成につながるとも言う。財政破綻が迫っていると聞かされれば、消費税もやむをえないと思う。その一方で、消費税など上げても税収は増えないし、そもそも上げる必要がないと唱える者もいる。

 難しい時代になったなあと、つくづく思う今日である。その専門、専門に個人として調べるにも限度がある。それでは、各界の識者の中から信用できそうな人を見出し、その説を信じるしかないのか。それとも、何でもいいから勝手にやってくれと匙を投げ出すのか。それも良くなかろう。

 日本人は右か左か二者択一が好きだという。どちらかに大きく流され易く、集団催眠にかかりやすい。閉塞感が強まれば強まるほど強者への待望論が生まれる。それがかなわぬと、やけくその「うっぷん晴らし政治」を渇望する。

 日本人気質を表す最近の象徴的な言葉がある。オリンパスの不正を追求してきたマイケル・ウッドフォード元社長の言葉である。「日本人の大株主は一言も批判せず経営陣の続投を許している。まるで不思議な国のアリスだ」と。彼はやるかたない思いを胸に英国に帰って行った。

 私は日本人が二者択一を好んでいるとも思わない。その証拠に、選挙の結果は決して片方の大勝とまでいかずにバランスを保っている。さりとて、不満だといっても暴動の類は起きない。ウッドフォード氏に言われるまでもなく、不思議な国である。
 
 古今東西、物事には両極端の考え方が存在する。まして、立場や状況が違えば、人それぞれにいろんな意見が出てくるのは当然である。さらに、立場が同じでも、設問の仕方や条件が違うと全く逆の結果が出てしまう。

 しかし、決断するときには決断しなければならない。そのためには、考えるという思考回路が備わっていなければならない。今、最も危惧するのは、日本人の思考回路が停止することである。今こそ、考えよう。そして、決断のときは迫っている。



糞害のビフォーアフター


 私の会社は住宅地にある。住宅地にあるため、ご近所に迷惑のないよう、常日頃から細心の注意を払っている。そこらに違法駐車しないようにするのは序の口で、会社廻りから表の幹線道路まで掃除している。住宅区画毎の所定のゴミ収集場所にゴミ出しすると、やれ企業ゴミだとかゴミ当番だとか、厄介なことになりそう。だから、ゴミは自宅に持って帰る。要するに、できるだけご近所とトラブルが出ないよう、細心の注意を払っている。

 会社の駐車場と別に、近くの空き地を会社の駐車場として借りている。車が7台位は置ける広さに常時は2~3台しか停めていない。その空き地の隅に近所の奥さん方がプランターで野菜を植え始めた。まあ、お互いさまだからと気に留めない。すると、野菜の鉢植えの数が徐々に増えてくる。それにも目をつむる。

 そこまでは近所付き合いの範疇で容認できる。しかし困ったことに、駐車場にしているこの空き地にいつも犬の糞が散在する。私も社員も被害に何度も遭った。糞を見つけたらすぐに排除するが、それでも糞害は続く。そこで「フンお断り」の看板を立てた。しかしそれでも止まない。

 犯人はわかっている。空き地の斜め前の家である。夕方から夜にかけてコーギーを空き地で放し飼いで遊ばせている。糞の始末をしている素振りがない。しかし面と向かって抗議すると、角が立つ。他の住民もわかっていて、見て見ぬふりをしている。さて、「憤慨」やる方ないこの「糞害」をどうしたものか。

 そうこう悩んでいるとき、同業者の方からこんなアドバイスをいただいた。「○○公衆衛生推進協議会」と銘打ったお役所仕様の立て看板は効果がないのだと。そういった上から目線の定型看板は見慣れていて、気に留めないのだと。だったらどうすればいいのかと尋ねたら、飼い主の心情に訴える内容の看板が効果があるのだと。

 早速、飼い主の心情に訴える内容の看板なるものを作成して立てた。すると、これが意外に効果があった。それ以来、もう半年になるがまだ糞害は発生していない。まさにbeforeとafterで効果は歴然と違う。先日、近所の方が急ぎ足で出てきて、「いや~、助かりました。この看板のお陰です」と、お礼に野菜をいただくことに。この効果、いつまで続くことやら。それでもまた糞害が発生したなら、今度はさらに人情ものを作成する。




糞害


孫の成長


 娘夫婦は共働きであり、娘は月曜日から金曜日まで孫を保育園に預けて出勤する。娘の旦那は客商売で土日も働く。娘も1ケ月に1度の割合で土日出勤がある。そんなときは、土曜日の夕方、私が保育園に孫を迎えにいき、我が家でお泊り預かりとなる。そうした生活リズムから、きっちり1ケ月ごとの孫の成長振りが手に取るようにわかる。

 早いもので、孫は1歳と11ケ月になる。来月のお雛さまにはもう2歳になる。最初の「ジー」から「ジジ」に変わり、「ジジイ」というのを嗜めると、愛嬌たっぷりに「ジ~ジ」に変化してきた。そして、最近では単語と単語が繋がり、なんとなく会話が成立するようになった。

 先日の保育園お迎えのときも、園の門をくぐって園内に入ると、私の姿を見つけるや、すっ飛んで来た。「朝から、ジージ来る、ジージ来るって、何度も言ってましたよ」と先生が苦笑する。周囲のお友だちに「○○ちゃんのジージ」って紹介しているからおかしい。帰りの車中、運転する私の手を横のチャイルドシートから手を伸ばして離さない。「ジ~ジ、大好き!みんな大好き!」と、ひとりはしゃいでいる。

 お泊り預かりとなると、いろいろと準備や段取りが大変である。危なそうなインテリア類は仕舞う。テーブルの角という角にクッションを付ける。引き出しが開かないように紐で結ぶ。ドアの隙間に手を挟まないように隙間テープを張る。だからほんとは準備でへとへとなのだが、到着すると、さらに過酷な肉体労働が待っている。

 まず、一時としてジッとしていない。和室に陣取ると、「ジ~ジ、あそぼ!」と声をかける。パズルをして、完成しては崩す。また完成しては崩す。それを何度も繰り返す。部屋中にアンパンマンの曲を何度もリピートさす。手を繋いで何度も童謡を歌うから、もうほとんどの童謡は暗記した。少し横にでもなろうものなら、「ジ~ジ、お・き・て!」と引っ張り起こす。

 先日、孫の妙な行動を発見した。私の携帯を略奪し、テーブルの上に置いて、45度に開いている。そして、私の小銭入れからやはり10円玉を略奪して、携帯の横に置いている。そして、「いらしゃいませ」って言っている。最初、何のことかわらなかった。何か品物を渡すと、何やらぶつぶつ言いながら、携帯を押している。そう、レジ係の仕草なのだ。

 そして極めつけは、携帯を叩いた後、品物にテープを付ける振りをしている。そして、「あり@とう@ました」と言っている。おそらく、娘がスーパーに連れて行ったときのことを覚えているのだろう。恐るべし観察力である。そんな孫の成長を見ながら、ジ~ジは疲弊した老体に鞭打ってさらに元気になるのである。



トンネル事故


 昨日、岡山県水島でトンネル事故が起きた。海底トンネル工事現場における突発的な出水事故である。行方不明者が5人いるという。いずれも東京や愛知から来た、元請大手K建設の下請け会社の作業員である。

 工事はシールド工法を採用していた。シールド工法といっても、全くの無人ロボット工法ではなく、どうしても作業員を伴う海底の危険な作業である。

 早速、手元にある資料を調べたところ、付近は水深約10mであり、海底には層厚10mの粘土層(Uc)が堆積し、その下は砂礫層が分布する。この海底からわずか5mの位置に、直径4.5mのトンネルを掘っていたという。

 つまり、トンネルは粘土層(Uc)の中央付近を抜いていたことになる。そうすると、単純に水圧だけ勘定しても100kN/m2という圧力が作用する。粘土層(Uc)の強度がそれを大きく上回るとは考え難い。あまりに無謀な工事であり、事前に予測できた事故である。


トンネル事故



 今回の事故はシールド工法だからという気の緩みがあったに違いない。しかし、それ以上に、事前に1本のボーリング調査も実施していないことに驚く。また、コンサルタントに工事の安全性について検討依頼しなかったのか、不思議でならない。今日のような不景気の時代であっても、安全の担保は不可欠である。安全をケチる風潮、安全を怠る工事現場があまりに多すぎる。各地で同様の予測可能な事故が起きるのではと危惧する。



かの国の大臣


 「開いた口が塞がらない」と言えばいいのか。呆れるし、情けないし、それを通り越して、痛々しいほどのお粗末さである。かの国の防衛大臣のことである。前任者もお粗末千万であったが、それを上回る馬鹿さ加減である。今になってみれば、まだ前任者の方がマシに思えるから不思議である。

 就任時の沖縄での発言に始まり、腹話術のような国会答弁、防衛の基本も知らない無知さ加減。もうどうしようもない。そこらのできの悪い工務店の社長を連れてきても、そうはならないだろうと思う。夫の操縦はできても議員としての操縦は、あの豪腕な彼女にもできなかったのか。

 そもそも、なぜこのような不適格者を大臣にしたのか。前任者が参議院、小沢派とかの党内勢力バランスと党内融和、年功序列でしか人事してこなかった結果である。それでも「適材適所」というか。その四文字が泣いているだろう。

 任命責任は重いはずだが、当の泥鰌は「消費税」しか頭にない。どうやらこの泥鰌は、地震も感じない、鰻の寝床に居候するなまけ泥鰌らしい。何度も何度も同じ轍を踏むこの国のやり方。国会議員に恥を知れと言いたい。せめて、速やかに大臣を辞任していただきたい。そして、できれば議員バッジも返還されてはどうか。



働けど我が暮らし・・・・・



 早いもので脱サラしてもう20年になる。先月末で営業19期目を終えて、2月から20期目に入った。考えてみれば、脱サラしたのは歳の頃で、40と少しであった。まだ若かった。体力も気力も充実していた。何も恐いものもなかったし、不安もなかった。今の歳だったら、まず無理である。今だったら、藁をもつかむ思いで会社に居残ったであろう。

 脱サラしても不安がなかったのは、年齢だけのことではない。長きのサラリーマン時代、雇われているという意識は全くなかった。自ら経営していたという自負があった。それでも、起業して経営難や人事面、技術の継承など、山あり谷ありの難局が続いた。しかし、紆余屈曲しながらも20年という節目の年を迎えることができた。ありがたいことである。ひとつだけ会社の自慢をするとすれば、銀行に全く世話になっていないことであろうか。困ったときに金を貸さずに困ってないときに金を借りてくれという銀行を、私は全く信用していない。

 起業した頃、この不景気な時代にと周囲から揶揄された。しかし、今日ほどの不景気は想定外であった。今になって思うと、あの頃は実は景気が良い「いい時代」であった。まず、仕事が途切れるということがなかった。人件費の単価が抜群に良かった。恐らく今の倍はあったろう。建設ラッシュで大きなプロジェクトがあった。さほど審査も厳しくもなかった。毎年、福利厚生のために何を買うか迷ったものだ。卓球台とか、マッサージ機とか、ランニングマシーンだとか。今思うと、考えられない夢のような時代であった。

 世の中が厳しくなったのは、ISOが導入された頃からだろう。訳のわからぬ欧米のISO仕様が導入され、そのための人と時間をとられ始めた。日本のJISがしっかりしてればそういうことはなかったであろうに。報告書も電子納品となり、図面はすべてCAD化された。その後、公共事業が大幅に削減されて、単価も大幅に下がった。それにもかからわず、益々、本質的な品質向上というより見栄えだけが追求された。

 不景気が決定的になったのは小泉改革の頃からだ。藤圭子の歌じゃないけど「15.16,17と・・・・・」と、平成15年~平成17年の間に大きな赤字を食らった。それでも、社内の改革で乗り切り、平成20年までにそれまでの借金を取り戻した。しかし、その後、再び赤字経営に陥り、2期連続となる。ソニーやパナソニックだって赤字なのだから、このような吹けば飛ぶような零細じゃ仕方ないとも思う。

 ということで、今期から思い切って私の役員報酬をゼロにすることにした。そもそも、報酬があってもなくても私は働く。それに、報酬をいただくとその分、年金がなくなる。結局、報酬を貰おうが貰うまいが個人の収入に大差ない。おかしな話である。普通だったら仕事する意欲もなくなるというものだが、幸い、私は仕事が趣味である。仕事という概念がない。私にとっての仕事とは、生きがいであり、遊びであり、天職である。そんな訳で、今日から無一文の年金生活者となりました。お見知りおきを。




今年の節分


 北の国から屋根の雪落としの苦労が伝えられ、それを人ごとのようにテレビで眺めていた。その矢先に、寒波が日本全土を襲った。北海道の友から札幌の最低気温は意外に高くて0℃という。かと思うと、鹿児島は大寒波で最低気温-9℃という。日本はどこも、みな同じようで違うし、違うようで同じである。

 この寒波の中、広島も雪の節分となった。鰯を買い、恵方巻を準備をしよう。子供が小さい頃の節分の思い出が懐かしい。嫌がる息子に近所の公園に柊の葉を取ってこさせる。娘に鰯を焼かせる。柊に刺した鰯を玄関に飾る。家族が一斉に恵方に向いて巻き寿司をほうばる姿は滑稽であった。新聞紙に飴玉やチョコ、10円玉や50円玉を結んだのを準備する。明かりを消して真っ暗中でそれを投げる。子供が競って拾い合う。明かりを付けた瞬間の面白さがあった。

 今年の恵方は北北東だという。その北東方向、尾張は名古屋も大雪だそうだ。その名古屋の病院にて彼は昨日、手術を受けた。重篤な病気で大きなリスクを伴う大手術である。今日になっても連絡が来ないので気を揉んでいた。

 すると、先ほど彼の奥さんから電話が入った。14時間もの手術を終えたという。まだ本人は麻酔から醒めてなく、集中治療室にいるらしい。本人に直接会ってはいないが、医師からは悪いものはすべて摘出して手術は成功したと聞いたらしい。電話の向こうから小さな安堵のため息が聞こえた。彼女を労い、本人によく頑張ったと伝えてもらう。これを寒中の花としたい。雪牢の中からの生還を祈りたい。今年の節分は思い切り、「福(健)は内、鬼(病)は外」と叫びたい思いである。



巨大地震は起きるのか


 東大地震研究所の平田教授による「マグニチュード(M)7以上の地震が4年以内に70%の確率で起きる」との発表があった。時同じくして、相模湾、富士五湖周辺、茨城沖など関東一円で最近、地震が多発している。

 さらに最近、謎の深海魚であるリュウグウノツカイやクジラが各地の海岸に打ち上げられ、宏観(こうかん)前兆現象とみなされたりもしている。こうしたことから、にわかに巨大地震発生の危機感が広まっている。果たして、ほんとうに巨大地震は起きるのか。

 ほんとうに巨大地震は起きるのか。そんなこと、誰にも分かりはしない。ただ、先の平田教授による地震発生確率の話などに誤解があってはならないので、以下に少し補足しておく。

 そもそも、地震予知は過去の履歴をもとにした確率論の域を脱していない。つまり、理論的に明確な根拠があるものではないことを認識していただきたい。

 地震学の分野では1/10の法則というのがある。分かり易く言えば、ある小さな地震の頻度に対して、マグニチュード(M)が1ランク上の地震の発生確率は1/10になるという法則である。これは、有史以来の地震の発生頻度を規模別に整理した結果から生み出された経験則である。

 それでは、「マグニチュード(M)7以上の地震が4年以内に」というのはどのように計算されたのか。例えば、現在M3以上の余震が1ケ月(30day)に200回程度起きているとする。その確率は1回/0.15dayとなる。すると、M4の地震が起きる確率は1回/1.5dayとなり、M5の地震が起きる確率は1回/15dayとなる。さらに、M6の地震が起きる確率は1回/150dayとなり、M7の地震が起きる確率は1回/1500day、すなわち約4年に1回の割合で発生することになる。話は割合と単純である。他にもいろいろ難しく計算するケースもあるが基本的な考え方は同じである。

 次に、「70%の確率」という数字はどこから来るのか。これは統計学を少しでも勉強された方ならわかるであろう。例えば1日に起きる地震回数が3回だったり、4回だったり、5回だったりする。これを1ケ月でみてみると、2回の日が1日、3回の日が3日、4回の日が10日、5回の日が6日、6回の日が3日といった頻度分布になる。頻度分布が正規分布である場合、平均値から標準偏差の1/2を引くと、その確率は70%になる。つまり、70%は元になるデータのバラツキを考慮した確率である。




標準偏差


 「マグニチュード(M)7以上の地震が4年以内に70%の確率で起きる」のカラクリは以上である。従ってこの予測は、あくまでもある仮定条件と適用範囲の基に試算されたひとつの結果であるという注釈を明確に添えなければならない。試算結果だけを発表するから誤解が生まれる。

 それはそれとして、3.11以降、余震の頻度が数倍増えていることだけは事実であるそれだけ列島は3.11に刺激された歪を起こしていることは間違いない。巨大地震の発生確率は間違いなく高まっている。備えあれば憂いなし。できることから地震に備えよう。



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