これからの日本について語ろう


 私のブログに対して、堂々とブログでもって論評を返してくれるのは他に誰もいない。憂国詩人の山猫軒さんだけであろう。改めて感謝する。友とはありがたいものである。

 さて、大阪ダブル選挙の橋下圧勝を機に、政界再編が進み、真の国民主権国家となることを望む私の意見に対して、彼は甘いと論じる。確かに、小泉劇場から先の政権交代の結末をみると、誰しも懐疑的になって当然である。

 このまま政界再編したところで同じ木阿弥になることは、百も承知である。その元凶は、政治家の多くが地方還元の使命を余儀なくされ、支持団体を抱えているからである。彼らの多くは確たる信念があるわけではなく、地元、連合、自治労、医師会など自身を支える組織・団体のために働いているからである。すなわち、国民のために働いていないという共通点を具備する。自民も民主も本質的な政策に大きな違いがあるわけでない。TPPに賛成するも反対するも、支援団体の違いからだけである。

 私のいう政界再編とは、今までのようにある党とある党がくっついたり離れたりということではない。あらゆる利益団体と決別した、信念と覚悟を持った志士の到来を期待しているのである。つまり、第二、第三の橋下さんに期待しているのである。そしてそのような人がグループとなり、新たな党を作ればよいと考える。そこには今の既成政党の概念はない。根本的には国会議員の大幅削減と選挙制度の改正が必要であるが、それには時間がかかる。だとすれば、地方主権から入るのは手っ取り早くて現実的である。とっかかりの軸足が地方にあっても、ゆくゆくは国政にまで広がる。

 何度も騙されると人間は悲観的になる。しかし諦めてはいけない。国民主権を唱えるには、当の国民一人ひとりが、これからの日本について真剣に議論し、行動せねばなるまい。今の日本のありようの原因は、国民にあるともいえるのだから。
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大阪発国民主権のうねり


 ダブル選挙から一夜明けた、まだ熱冷めぬ大阪。予想外の大差の勝利に対して、各党の言い分を聞くと、うんざりする。

 記者:「既成政党に対する国民の不信の結果とみる向きもありますが。」
 自民党・谷垣総裁:「私はそのような考えにくみしない。」
 記者:「都構想に対して協力するお考えは?」
 民主党・輿石幹事長:「協力の依頼があればそのときに・・・・」

 惨敗に既成政党はさぞ反省しているのかと思いきや、上から目線のこの傲慢な態度である。感が悪いのか、感性がないというのか、インスピレーションがないのか、それともただのアホなのか。この国の政党幹部というのはまるでなっていない。

 既成政党がこぞって支持に回った上に、地元の医師会や歯科医師会など数々の団体が平松氏を推し、大阪市の職員や連合大阪に教育関係者も支援する。大阪市が筆頭株主の関西電力も社を挙げて積極的に支援に回った。すなわち、一般の市民や府民以外のすべてが現職を支持した。それでも平松陣営は惨敗に終わった。この事実をどう見るのか。

 合理性を迎合する大阪ならではの風土が勝利を呼んだのか。都構想に賛同した勝利なのか。そのどちらも「ノー」である。過去にない投票率の高さが一般市民や一般府民を動かしているのである。だからこそ、既成団体のすべてを敵に回しても勝利できたのである。

 維新の会に票を投じた理由の一番は、都構想でも教育改革でも2重行政でもない。とにかく変革を望む声である。大阪の地に限った異変ではない。橋下氏と同じように行動的なリーダーがおりさえすれば、東京でもどこでも同じ現象を生むと確信する。

 既成政党の体たらくに国民は嫌悪感をもっている。さりとて国政ではどうにもならない。日頃蓄えたストレスを地方のこうした選挙に発散しているようにみえる。地方主権はイコール国民主権でもある。地方が変革して栄えなければこの国の将来はない。この選挙が大阪発の国民主権奪還の大きなうねりとなって、政界再編へと向かうことを願う。維新の会においては、むしろこれからが正念場の勝負である。中央政界からの秋波に惑わされぬように、初心を貫いていただきたい。

独裁は必要不徳


 大阪市長と大阪府知事のダブル選挙は「大阪維新の会」の圧勝で幕を閉じた。主役は何といっても橋下徹氏である。私は10月3日に彼の政治手法を「ケンカ民主主義」と題して評した。

 「ケンカ民主主義」とは、単純に黒か白かで決着をつける手法であり、反対意見をとことんやり込め、最後は多数決原理を楯に文句を言わせない姿勢である。最後の多数決原理は民主主義の世なれば当然のことであるが、彼にしてみれば府知事就任直後にその多数決で苦渋の思いをさせられたことがトラウマとなっている。今回はその数の力でもって、既成政党を蹴飛ばしての堂々の勝利である。

 さて、橋下氏のこういう「ケンカ民主主義」に対して、「独裁」だと揶揄する者も多い。しかしこと政治に関して、「独裁」ではなく、低姿勢で反対意見を丁寧な説明で納得させる手法が通用するであろうか。まして、スピードが要求される今日において。
 
 戦後の長期政権を思い出すがいい。佐藤栄作が一番の長期政権であり、次いで、吉田茂、小泉純一郎、中曽根康弘と続く。これらの人々は低姿勢で実直な人だったろうか。それどころか、みなさん傲慢でワンマン、独断専行、変人と言われた人ばかりではないか。低姿勢でまじめにやれば政治においても通用するとは、とても思えないのである。すなわち、こと今の政治の世界において「独裁」は「必要悪」ならぬ「必要不徳」でないのかと思う。

 いずれにしても、この際、橋下氏には「独裁」と言われようがどうしようが、気の済むままに都構想を進めてもらいものである。ただし、大阪府民と大阪市民に後々、「不毛な興奮」であったと後悔させることのないようにしてもらいたいものである。小泉旋風の後遺症を少し引きずる私である。

憂国の忌に



 41年前の今日、私は大学三年生であった。作家・三島由紀夫が東京・市谷の自衛隊駐屯地に乱入し、クーデターを呼びかけて割腹自殺した日である。不思議なことに、そのときにはそれほど大きな事件として受け止められなかった。しかしその後、壮絶な死を知るにつれて私の中で大きな衝撃となっていった。

 彼が死をかけて訴えた「憂国」とは、一体何だったのか。戦後民主主義のあり方、日本国憲法改正の必要性、自衛隊の存在意義、日米安保への懐疑などであろうか。

 ここで今一度、彼の演説内容を読んでみよう。



三島由紀夫



 ………は、聞き取り不能
太字は、野次に対する三島の叱咤
斜字は、野次


『私は、自衛隊に、このような状況で話すのは空しい。しかしながら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。われわれは、自衛隊に対して、日本人の………。しかるにだ、我々は自衛隊というものに心から………。
 静聴せよ、静聴。静聴せい。 
 自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。
 以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みを気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。
 静聴せい。静聴せい。 
 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
 静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。 
 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。去年の十月二十一日に何が起こったか。去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。
 なぜか。その日をなぜか。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できるという自信をもったからだ。
 治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が………。
 諸君は、去年の一〇・二一からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。
 おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!  
 男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。 
 それがだ、いま日本人がだ、ここでもってたちあがらなければ、自衛隊がたちあがらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。
シビリアン・コントロール………シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。
 ………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ちあがる日を。………そうした自衛隊の………最後の三十分に、最後の三十分に………待ってるんだよ。
 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。
 それでもそのために、われわれの総監を傷つけたのはどういうわけだ 
抵抗したからだ。憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。
 一人もいないんだな。よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。
 それでも武士かぁ!それでも武士かぁ! 
まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!』



 今、彼の演説を再読するにつれ、日本はそのときから何も変わっていないことを実感する。否、変わっていないどころか、むしろ後退しているのである。米国から押し付けられた現・日本国憲法は今だに改正されていない。改正されていないどころか、改正への積極的な気運すらなく、むしろタブー視されているではないか。

 今、流行の「シビリアン・コントロール」という言葉であるが、彼は41年も前に使っているのである。その「シビリアン・コントロール」について、現内閣の防衛大臣は就任直後、「私は防衛問題には素人である。そのことがつまりシビリアン・コントロールになる。」と発言した。この何ともお粗末な馬鹿な発言を、三島由紀夫は雲の上で何と思おうぞ。嘆かわしいどころか、やはり生きながらわなくてよかったと、さぞ胸を撫で下ろしていることであろう。
 
 私は右でも左でもない。天皇制尊奉論者でも反対論者でもない。しかし彼の言っていることには共感する部分が多い。それは、今の日本に警鐘を鳴らすいくつかの要素があると考えるからである。最も大切なことは、日本人が「日本の心」を失いつつあることである。日本の文化と伝統を守るために、日本人がどれほどれほどの努力をしてきたのか。日本人たる資質をどれほど大切にしてきたのか。武士たる魂を持つ日本人がどれほどいるのか。日本を救う覚悟と信念を持っているのか。

 今日、憂国の忌に、「金閣寺」でも読み直して秋の夜長をつらつらと日本の未来に思いを馳せたい。

労することに感謝


 震災は私の身の廻りの仕事環境にも甚大な影響を与え、未だに回復の見通しは立たない。この環境は世界経済の動向からみても、当分続くであろう。もはやバブルのような景気が再来することはないことは言うに及ばず、どこが底なのか見えないのが最も大きな不安要因となっている。つまり、経済は今、向こうが見えない雲の中にいる。

 仕事の方向性を脱原発にシフトしたが、公共工事はさらに激減し、受注は大幅に減少している。どのような方向性に社会のニーズがあって、なおかつ社会に還元できるのか、震災後からいろいろと模索してきた。

 そんな中、最近になって少しずつ仕事の依頼が増えてきた。今、目指している仕事内容のキーワードは「特化」である。「特化」とは聞こえは良いが、発明をするとかいう大それたことを考えているのではない。つまり、誰もがしないことをすることである。人が嫌がることをする、人が寝ているときに働くという、第一次産業の最も基本に戻ることである。

 そういう風に仕事の方向性を考えれば、ニーズは結構、あるものである。汚いことが嫌い、休日に働くことが嫌い、難しいことが嫌いな方は、私の大切な顧客である。

 もともと11月23日は「新嘗祭」(にいなめさい)と称して、農作物の恵みを感じる日であった。日々の労働に対して「農作物」という形のあるものが目に見えて返ってくることが少ない現在では、昔以上に意識して勤労を感謝することが必要であろう。

 そんなわけで、今日、勤労感謝の日も働いている。震災後の仕事がないつらさに比べれば、どんなに忙しくてもその方が楽である。今更ながら、労することに感謝する日である。

芸術の秋


 秋といえば、各地で美術館の催し、文化祭、講演会など、たけなわである。ネットで隈なく情報を共有できる現代とはいえ、絵画を直に見たり、著名な方の話を直に聴講するのは、ネットや文字、映像によって得られる情報とは全く性質を異にする。こと地方に住んでいると、そのチャンスは都会に比べて少ないので、見逃すことができない。

 ということで、昨日はマツダ財団講演会を聞きに行った。今年で第30回であり、これまでノーベル賞受賞者など、その時々に名を馳せた著名人が講演してきた。今年の講師は姜尚中(カン・サンジュン)さんである。彼の講演を是非、聞いてみたいとの思いは、テレビなどで歯に衣着せぬ論評の内容に興味がある反面、彼が韓国籍であること、さらに彼に対しては「在日の耐えられない軽さ」などとの批判もあることなどである。彼に対する批判についてはまた別の機会に紹介しよう。


カンサンジュ



 講演会場は平和公園内にある広島国際会議場である。ついでに平和記念碑や原爆ドームを拝むことにした。

講演会場

平和公園


 講演の演題は「『悩む力』とこれからの日本」である。その内容の要旨はこのようである。自然災害や混迷する経済・政治を含めて、人知によっていかようにもならない時代になってきている。こうした時代はしばらく続き、人はこれを受け入れざるを得ない。しかし個人の力ではどうにもならない。そこで悩む。この不確実な世でどのように生きればよいのか。その答えは姜氏自身もわからないと言う。しかし言えるのは、今を生きる、この瞬間に全力を尽くすことしかないのではと。安定しない不確実なことを前提として個として生きるすべをもつことが大切であると。

 震災後、私なりに今後の生き方をいろいろと模索してきたが、今回の講演内容は参考にしたいと思う。

おれ竜(流)の終焉


 昨日の日本シリーズ最終戦をもって今年のプロ野球は終わった。そして我らが中日ドラゴンズは日本一を奪還することを果たせず、「おれ竜(流)野球」と称された落合野球の終焉となって幕を閉じた。兎にも角にも、これで毎日、気を揉むことがなくなり、気が楽になる。他愛もない、たかが野球のことである。野球に関心がないものからすれば馬鹿馬鹿しいことであろう。しかしファンにしてみればこれが結構、真剣だから、世の中いろいろである。

 今年の日本シリーズは最終戦までもつれ込んだが、中日ファンから見ても、力はソフトバンクホークスが格段に上であった。やはり野球はピッチャーである。和田、杉内、ホールトン、山田といった先発陣もすばらしいが、それ以上に、摂津、森福、ファルケンボーグ、馬原などの抑えがすばらしい。これではいくら試合巧者の中日でも点は取れない。負けて悔いはなく、ソフトバンクホークスに敬意を表する。
 
 それに何と言っても野球はチーム力である。親会社と球団幹部、球団幹部とフロント、フロントと現場の意思統一が重要である。それは、勝利の宴で孫さんや王さんが選手、コーチ一と緒になって酒をかけ合って喜び合う姿を見てもよくわかる。人事問題で内部告発でゴタゴタする巨人と大きな違いである。

 巨人に限らず、どこの球団にもフロントと現場で折り合いが悪い。おれ竜(流)の落合監督もフロントと意見が食い違った。そもそも、営業収入を目的とするフロントと勝利を目的とする現場に考えの違いがあって当然である。昔は、フロントと現場が喧々諤々と争ったものである。一般の会社でも同じである。昔は支店長や営業所長には変わり者もいた。そして本社と喧々諤々と議論を重ねてきたものである。意見の違いや議論を許す環境がそこにはあった。それでも最終的には本社の独断決定もあった。しかし、少なくともそこには今の時代のような陰湿さはなかった。

 いつの時代から、社員はイエスマンになり、組織がサラリーマン化してしまったのか。いつの時代から、フロントと現場は意思疎通になってしまったのか。いつの時代から、プロ意識が欠如してきたのか。いつの時代から、コンプライアンスなどといったまことしやかな言葉だけが飛び交って、肝心な心が通じない組織になってしまったのか。もはや名物監督、名物支店長といった者も出てこないであろう。おれ竜(流)落合監督の退場は、「おれ流」時代の終焉を示唆するものかも知れない。面白くない世の中になったものだ。

小国からの贈り物


 震災後初めての国賓として来日したのは、なんと小国「ブータン」のワンチュク国王であった。結婚したばかりのお美しいジェツン・ペマ王妃を伴っての登場には、新婚ホヤホヤのお目出度いムードが満載であり、どこもかしこも喝采と歓声が沸きかえっている。

 ヒマラヤの王国ブータンで農業指導した故西岡京治さんの努力の縁が取り持つ国どうしの友情の証は、とても清清しい話題である。故西岡京治さんは海外技術協力事業団(現・国際協力機構)による最貧国支援計画の一環として、妻・里子さんとブータンに行き野菜栽培の指導や米の品種改良に努めた。59歳だった1992年に現地で病死するまで、ブータンの農民がいかに豊かになるかを考えて実行してきたという。

 ブータンは「国民総幸福量(GNH)」を提唱する国としても知られる。つまり、金銭的な豊かさの指標となる国民総生産(GNP)ではなく、精神的なことを含めた幸福感を重視する国である。 外務省によると、ブータンの1人当たり国民総所得は2000ドル(約15万4000円)足らずだが、2005年の国勢調査では国民の97%が「幸せ」と回答したという。

 昭和天皇が崩御されたときも国をあげて喪に服したという親日ブータン国であるが、今回の訪問で一番注目されたのが、ワンチュク国王の国会演説である。「このような不幸からより強く大きく立ち上がることができる国があるとすれば、日本と日本国民だ」と復興に立ち向かう日本にエールを送る。そして、「これからも平和と安定、調和を享受されますように」と締めくくった。

 何という力強く慈愛をこめた励ましの言葉ではないか。国の指導者にはこのような言葉が欲しいものである。政治も経済も国内情勢が混迷のこのとき、はからずも日本にエールを送ってくれたのは「国民総幸福」を唱える小国「ブータン」であった。震災後のこのとき、日本が経済的な豊かさ一辺倒から精神的な豊かさを求める時代へ変換する契機にしたいものである。そしてブータンと同じように、国民のほとんどが「しあわせ」を実感する国になって欲しいものである。

一枚の喪中葉書


 「喪中につき年末年始のご挨拶ご遠慮申し上げます」
 郵便ポストに葉書が一枚、届いていた。差出人は大学の同級生Y君の細君である。印刷された定型文の横に、手書きで「大変お世話になりました」と添えられてあった。しかし、その文字は怒り狂ったように乱れた殴り書きであった。

 Y君とは高校も大学も一緒の、いわば同じ釜の飯の仲である。大学時代、普通の家庭に育った彼は下宿していたが、私は経済的に恵まれなかったので片道30Kmを自宅から大学まで自転車通学した。試験の前の日だけは彼の下宿に泊めさせてもらった。そんなことから、同級生といえども、彼にはもともと恩があった。

 大学時代の彼は根暗であった。対照的に私は際ぶる社交的であった。酒場や家庭教師のアルバイトに奔走する私とは対照的に、彼は勉学に勤しんだ。彼は真面目で、思いつめるタイプであった。大学二年のときに、彼はコンパで知り合った女性と失踪したこともあった。やがて彼は大学に残り、私は会社人間となり、離れ離れになった。

 私が広島に戻って、学会関係などで彼と接するようになった。その時、彼は努力して既に大学教授になっていた。彼は地元の学校にボランテイアで防災知識を教える活動をするなど、地域に貢献する学者としてその名を馳せた。その反面、彼は気が弱くいろんな誘いに乗ることも多かった。バーの女性に夢中になって、一時期、酒に溺れた。業者の誘惑に乗るなど、良からぬ噂も立った。

 そんな彼は精神的な病気を患った。あるとき、彼も私も同じ学会に参加するのに、同じ新幹線に乗ってくれないかと頼んできたこともあった。途中で何かあったらと心配してのことであった。時々は大学の彼の部屋に訪れて体調を気遣った。大学改革や大学での人間関係に疲れた様子であった。自信なさそうな気弱な声で、眼鏡の奥にあるうつろな目で私に相談も持ちかけてくることもあった。

 そんな彼が自ら命を絶った。それも大学の構内の屋上からの飛び降りという衝撃的な出来事であった。いろいろな噂が立った。彼はその当日朝、大学病院の精神科に出向いていたことが分かった。良からぬ噂に彼が関与していないことを私は信じる。ただ、彼の細君の怒り狂ったように乱れた文字の殴り書きが気になる。私に何かしてあげられなかったのかと、悔いが残る一枚の喪中の葉書を今、手にしている。

日本人の曖昧さ


 野田首相は日米首脳会議において、TPPへの交渉方針について「重要品目に配慮しつつも、すべての品目やサービスを自由化交渉の対象にする」と説明をした。これを受けて米ホワイトハウスは、「大統領は野田首相が『すべての物品及びサービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せる』と発言したことを歓迎する」と発表した。

 これに対して日本側は「米側の勝手な解釈であり云々」と反論している。そして、新聞は「日本、TPP加速に焦り」だとか「国益を背に対日要求を突きつける米国」だのの見出しで論調している。

 これって、おかしくないかい?どうみても日本には分はない。「重要品目に配慮しつつも」という未練たらしい装飾を付けようが付けまいが、「すべての品目やサービスを自由化交渉の対象にする」と断言しているのである。米国にしてみれば、「重要品目に配慮しつつも」はどうでも良いことであり、要するに日本は完全貿易自由化交渉のテーブルに載ると解釈して当然であろう。
 
 これはもはや、折衝能力とか国語力とかいう以前の問題である。日本語の曖昧さ、否、日本人の曖昧さが問題なのである。そうではなくて、仮にそのように言えば例外を考慮してもらえると思ったのであれば、浅はかとしか言いようがない。さもなくば、日本国内の反対派に遠慮してそういう表現をしたのであろうか。されば、これは反対派に対する詐欺にもなろう。

 実は、これにはどうも伏線があるのではないのか。つまり、自民や民主の反対派の大多数は、本音はTPPの交渉テーブルについても良いと思っているらしいのである。全農などの反対派に対して配慮した猿芝居だとすれば、とんでもないことである。しかし、国際舞台では曖昧さは通用しない。玉虫色の発言は日本国内だけにして欲しいものである。日本人が国際舞台でYESとNOをはっきり言える日はいつの日になるのか。

伊集院静について


 山猫軒文庫から又借りした本、伊集院静さん(以下、敬称を略す)の「大人の流儀」を読んだ。内容は、どうということもない。あるていど場数を踏んだ大人の男なら、いちいちもっとだと思うことだらけである。一言でいうならば、仕事にしろ遊びにしろ、叱るにしろ食するにしろ、いい大人の男なら覚悟してやれということである。

 この本の本題の内容は別として、注目すべきは、この本のエピローグに「愛する人との別れ~妻・夏目雅子と暮らした日々」を記していることである。この本は2011年3月18日に第1版を発行している。震災によって発行が多少遅れたであろうが、原稿は震災前にできていて、出版も大方、仕上がっていたはずである。しかし、震災によって、彼は妻・夏目雅子さんのことを始めて口にすることを決断し、エピローグにしたと思われる。その証拠に、加筆されたと思われるエピローグは、「大人の流儀」本体のものとは文体、体裁も全く違うのである。そして、彼は震災からあまり日が経たないうちに世に出すことを決意したものと、私は考える。

 伊集院静の文を読んでいると、私と同じ匂いを感じる。骨太であるがすごくシャイな部分、破天荒であるが繊細な部分などであるが、最も似通ったところは「二日酔い主義」というところだろう。ただし同じ二日酔いといっても、彼は銀座を闊歩して飲み歩き、私はそそくさと場末の居酒屋を飲み歩く。スケールが違うのである。それ以外に、伊集院静と私には共通点がある。1950年2月生まれの伊集院静と1949年1月生まれの私。私の方がちょうど1つ年上であるが、ほぼ同じ年代であること。それに同じ山口県人であることである。しかし、決定的に違うのは人種が違うことである。

 今から16年前、伊集院静は三人目の妻として篠ひろ子を選ぶ。そして、篠ひろ子の故郷・仙台に移り住むのであるが、そこでひとつの転機があった。瀬戸内海の海辺(山口県・防府市)で生まれ育った彼は海沿いの土地に住むことを提案する。が、海辺ではなく高台に家を建てたのである。篠ひろ子の母親の『神主が来てお祓いした土地は、10年住まないと本物にならない』という話に従ったからである。震災直後、彼はこうつぶやいた。「昔の人の言うことは、90%は間違いがないということをおもい知った」と。「女房たち家族は16年前、私の意見を退けたことで、みんなの命を救った」と付け加えた。

 彼にとってこれは、死というものが生と紙一重であることを改めて実感した体験であったろう。さらに彼はこう続けた。「2年前、地震に備えて耐震工事をすませておいたのは正しい判断だったし、非常食や手回しラジオなどの防災品を用意しておけと命じたことも功を奏した。言われた通りに備えをしてくれた女房には、感謝をしなければいけません」と。

 この震災を「天罰」と意味づけした人がいたが、それはあまりに無謀な言い方である。そもそも地震は地球が起こしたものである。天罰でもなければ神の啓示でもない。どのように科学技術が進歩しようとも、人類は大自然の前にはほとんど無防備である。だからして、自然に背くことなかれ。自然を欺くことなかれ。昔からの言い伝えや知恵を引き継いで自然と共存してこそ、生きながらえてきた術(すべ)があるように思われる。

 伊集院静さんは震災を機に、それまで封印してきた夏目雅子さんとのことを世に知らしめ、そのことによって、現在、自身が生かされていることに感謝しようとしているのだと、私はこの本を読んで思った。











大人の流儀


「出来ない上司」と「出来ない部下」

 
 例えば「出来ない上司」がいて、「こんな上司には付いていけない」と、部下が啖呵を切ったとする。それで何か生まれるだろうか。啖呵を切っただけで、そのままその上司に仕えたとする。上司は啖呵を切った部下を良くは思わないであろうし、部下は部下で、それでも居座ることに後ろめたさを感じ、ますますやる気が失せるであろう。

 啖呵を切った後に、部下がその組織を飛び出したとする。しかし、次に行く組織に「出来ない上司」がいない法則はない。一方、部下に逃げられた「出来ない上司」はリーダーシップがないと烙印を押される。いずれにしても、「出来ない上司」にとってもその部下にとってもいいことにはならない。

 少し前の政局でのこと、海江田経産相が辞意を表明したときもそうであった。玄海原発の再稼動のために、経産相は県知事と町長に同意を求めに行った。その直後の首相のストレステスト発言である。菅前首相が「出来ない上司」に相当するか否かは別として、少なくとも経産相は「出来ない上司」と思ったであろう。

 経産相は「やってられない」と感じて辞任を口にしたのであろうが、それがまずい。それもプロの政治家である。「やってられない」と思っても、それを口にしないのが、職業人としての矜持(きょうじ)である。

 話を一般社会に戻そう。逆に、「出来る上司」ばかりいたらどうだろう。「出来る上司」は何でもひとりでこなすから、部下に頼らない。「出来る上司」の元では往々にして部下は育たないものである。「出来ない上司」がいるからこそ、部下は育つという側面もある。

 それでは、「出来ない部下」がいて上司が手を焼く場合はどうだろう。上司が部下を「出来ない」「出来が悪い」と繰り返しても何にもはじまらない。「出来ない部下」を「出来る部下」に育てるのが上司の役目であろう。「出来ない部下」を「出来る部下」に仕立て上げることができれば、上司冥利につきるというもの。「出来る部下」ばかりいるのであれば、上司は要らない。

 「出来ない上司」に仕える部下と「出来ない部下」をもつ上司。ともに、「出来ない」相手だからこそ自分の励みになるのではなかろうか。「出来る上司」と「出来る部下」ばかりでは面白くも何ともない。何のドラマも生まれない。それに、「出来る人」とか「出来ない人」とかは社会の物差しで計った偶像であるのかも知れない。いろんな人がいてこそ、この世の中うまくいくし面白い。いろいろな人に仕え、いろいろな人を教育してきた長年の社会経験からの感想である。

わからない


 人生の何たるか、わからない。しかし同じ程度に、このTPPもどうにもわからない。一方では、参加すると「日本の農業は壊滅的になる」と断言する。また一方では、今このチャンスを逃せば「永遠に日本経済は生き残れない」と言う。双方の言い分は何度聞いてもわからない。説得力がない。具体的に出てくるデメリットの数字も、その算出根拠となる条件がおぼつかない。それよりも何よりも、なぜ、急ぐのかがわからない。

 そもそもこのTPPは、菅直人・前首相が昨年10月の所信表明演説において「第3の開国を実現する」と意気込んで参加を打ち上げたものである。大震災の発生もあり、今年6月としていた交渉参加の判断時期を先送りしてきた経緯がある。それ以降、政府の対応がストップしたままだったのに、APECが近づいたからといって、大慌てで議論を進めようとし、産業界や農業界などを巻き込んでの大騒動になっている。

 震災対応や首相交代など内政面に注力せざるを得ない面もあったのは確かである。が、それにしても、もっと計画的に調整作業や対策を進めることはできなかったのだろうか。未だにTPP参加のメリット、デメリットを巡る論争が続いている現状に、うんざりする。

 なぜ、アメリカはこれほどまでに結論を急ぐのか。なぜ、日本はこれほどまでに結論を急がされているのか。その背景に、普天間をはじめとするアメリカとの駆け引き論が浮上している。それもさりありなん。しかし、普天間とTPPは違うだろ。

 アメリカが急ぐ核心はむしろ中国にあると思う。それに追随せざるを得ない日本の事情が見え隠れする。アメリカの脅威は、今、もはや日本ではなく中国にある。アジア太平洋地域での主導権争いという意味合いももちろんあるが、将来における中国のTPP参加や、FTAAPへのプロセスをにらんで、今、アジア太平洋地域において自国に有利な市場を作り上げて、中国企業にそれに適合した行動を取るよう求めるという狙いがある。日本がTPP参加に前向きという空気が伝わった途端、中国は日中韓3カ国のFTA交渉の加速を求めてきた。EUも日本とのFTAに前向きになってきた。そのことがあって、米国は一層TPPの推進を強めている。

 いずれにしても、TPP参加について熟議を重ねてきたたとは到底、言い難い。急がされるものに付き合う必要など、どこにもない。開国だ、鎖国だという大事態とは思えぬが、それほどに重要な案件であれば、国民的議論とすべきである。元凶はこれまでの農業政策の失政にあると私は思う。日本の農業の将来をどう考えるのか、そちらの方が先だろう。それにしてもわからない。1日熟慮するのが単なる泥鰌の演出にならねばいいが。

「おぶぶ茶苑」飲み比べ



 生来、コーヒー嫌いでお茶好きという副因もあるが、はっきり言って物好きである。その物好きが高じて、今回、シニア・ナビが企画する「おぶぶ茶苑」試飲モニターに参加してしまった。「しまった」というのはシニア・ナビ事務局に失礼な話である。が、軽い気持ちので参加した試飲モニターとはいっても、ブログ掲載となると、それなりに厳正な感想も要求されるというもの。そのことに、後になって気づいたからである。

 ということで、引き受けたからには徹底的に厳正に試飲せねばならない。試飲の方法は、下記のとおりとした。なお、試飲の対象は「太陽の煎茶」、「かぶせ煎茶」、「大地の煎茶」、「玄米茶」および「ほうじ茶」の5種類である。

① まず何はともあれ、今を時めく放射能の検査を行う。
② 次に、適量かつ同量の湯を同じ容器の湯飲み茶碗に入れて、少し冷ましてから同量のお茶の葉を入れる。
③ 一定時間を放置した後に、茶漉しにて漉す。
④ 順次、まず香りを嗅いだ後に、少量を口に含み、口当たりを確認した後に、溜飲する。
⑤ その繰り返しを3回程度行う(温度低下による味の変化を考慮して)。

 結果は以下のとおりであった。


1. 放射能検査結果
 5検体とも0.09~0.10μSV/hであり、問題ないことが確認された。


お茶の放射能検査




2. 試飲結果


試飲煎茶


〔太陽の煎茶〕
 「抹茶」のような味わいである。「うまみ」と「しぶみ」を兼ね備えて、すっきりした飲み心地がするお茶である。

〔かぶせ煎茶〕
 所謂、典型的な「煎茶」の味わいのお茶である。「甘み」と「コク」がある。「クセ」がないものの「奥」が深い。「しぶみ」が抑えられてあり、飲みやすく、飽きがこない。

〔大地の煎茶〕
 軽い「煎茶」の味わいのお茶である。文字どうり「大地のような広がり」を感じる。「しぶみ」も少しある。

〔玄米茶〕
 まさしく典型的な「玄米茶」であるが、ちょっと贅沢な上等の玄米茶という味わいがする。

〔ほうじ茶〕
 軟らかく味わいがある「ほうじ茶」である。普通の「ほうじ茶」と違って香ばしさが違う。香ばしい香りが残る。この香りは何だろうと思わすところがよい。

 試飲を終えた感想として、もともとお茶には目がないが、お世辞抜きで、お茶がこんなにも美味しいものとは思わなかった。


 なお、今回の試飲モニターはシニア・ナビの企画で参加しました。
「シニア・ナビ」 http://www.senior-navi.com/
「おぶぶ茶苑」 http://www.obubu.com/

安芸の太公望

 小型の釣り船を所有するMさん(通称:船長)から、久しぶりに釣りの誘いがあった。メンバーは、船長と居酒屋の店主(通称:マスター)と私の3人である。

 震災以降、ここ安芸の瀬戸内においても漁獲が少ない。震源から1,000Kmも離れたこの地においても、魚たちは戦々恐々の日々を送っているのだろう。

 コンビニで弁当と飲み物を買い、釣具屋で餌と釣針を仕入れ、思い思いの大小のクーラーボックスを船に積み込んで、いざ出航。ほとんど無風の凪(なぎ)の朝であった。向こうには宮島からの定期船が見える、いつもの風景である。



出航

 はるか東方を望むと、四国の山並みの隙間から既に太陽が顔を覗かし、穏やかな安芸の海を照らしている。

日の出



 マスターは出航前から赤ら顔であったが、出航と同時に缶ビールを飲み始める。船長と私にも、景気づけだと言って酒を勧める。社内旅行でもイベントでも、大概、こんな輩はいるものである。勧められた酒は断る訳にはいかぬ。4人も乗れば満杯の小型の船は、凪といっても走れば水しぶきを立てて轟音とともに波をバシバシ叩く。缶ビールを片手に、もうひと方の手で船を掴んでないと吹き飛ばされる勢いである。

 船長があらかじめ予定していた宮島沖の小島のポイントに到着する。午前中はここでギザミ(通称:ベラ)を釣るという。広島では「ベラ」のことを「ギザミ」と言い、赤いものを「赤ギザミ」、青いものを「青ギザミ」という。スーパーで見ると、一匹150円位する。酢付けが一番であるが、刺身、焼き魚でもいただける。餌はゴカイかエビであるが、今日はエビしか買っていないと、船長。マスターがゴカイに触ることすらできないので、ゴカイを餌にするとマスターの餌付けまでしないといけないからシンドイらしい。確かに。

 ギザミは比較的水深が浅い岩場の深みにいて、とても神経質である。だからして、腕の見せ所でもある。糸を底に垂らした瞬時に食いついたところを上げねばならない。こんなとき、誰ひとり喋らない。誰かが釣ると、それを横目に黙々と餌を付けては垂らす。船は戦場と化す。

 ひとしきり釣ると、互いの戦果を披露し合う。さすが船長は腕がいいだとか、マスターの餌はしっかりしたエビだから釣れて当たり前だとか、そんな他愛もない会話をしながらも、各々、虎視眈々と次なる手を打つのである。

 午後をとっくに過ぎた頃の引き潮、鯵のポイントに船を移動する。牡蠣筏に船を付けて、船長がサビキ釣りの準備をしてくれる。餌は当然のごとくアミである。タップリと蒔きえさをしてサビキを降ろす。これは腕ではなく、ほとんど運・不運だろう。やはり私が最初に上げる。比較的形のいい鯵であった。続いて船長が上げる。が、鯵はそこまでで。その後、鯵は食わなかった。マスターひとり、鯵が釣れないと拗ねていたところ、船長が海底から少し上のポイントで鯛を釣る。その要領を真似て、マスターと私は一目散に鯛狙いをする。

 時が立つのも忘れて、あったという間に、あたりはもう夕暮れ時となる。我がマンションの前を通って港に帰ることにした。


夕時

 

 さて、私の今日の戦果(漁果)は以下のようであった。

・ 鯛7匹
・ 鯵2匹
・ ギザミ27匹


大漁

痛みの分かち合い(脱原発に向けて)


 先々月、東京の街で「さようなら原発」を掲げて6万人の人が歩いていた。久しぶりに大きなこのデモの様子を、私は何気なくテレビで見ていた。が、どうもいつものデモと違うものを感じた。6万人という人の多さではない。大江健三郎さんや落合恵子さんなど著名人が呼びかけたということでもない。それは、子どもや学生、普通の主婦やお年寄りなどが自然発生的に参加していたということである。

 組織による動員という雰囲気がない。これまでデモに参加したこともなさそうな、一般市民が参加していたように思える。いわば「出前の参加」という意識が高いデモであったように思う。このことが今までのデモと決定的に違う。その意義は大きい。

 このデモは、原発事故を通して国民の民意が政官財とメデイアによってかき乱されてきたことに気づいてきた象徴ともいえる。言い換えれば、これまでの間接民主主義に対するイラダチと反発である。直接民主主義への期待でもある。

 そんな中、原発事故直前まで原発関連の仕事をしていた後輩のA君のことが気になっていた。彼は事故直前まで電力会社と直接、向き合って仕事をしていた。傲慢不羈(ふき)な電力会社の社員に接するたびに、彼はその不満を私にもこぼしていた。その彼は原発事故直後から連絡が取れないという。そのことを、彼がいた会社の上司からの電話で私は初めて知った。A君は事故直後に会社を辞めたが、その後、連絡できないのだと。

 その後の調べて、彼は原発と無関係の会社に雇用されていた。正義感の強い彼は、やはりこれ以上原発に手を染めることができなかったのであろう。原発の仕事ばかりをやってきた世間知らずの彼にとって、新転地では苦労も多かろう。たまたまその会社の社長をよく知っていたので、A君には内緒で社長にA君のことをよろしくお願いしておいた。A君もまた原発事故の被害者である。

 私自身も脱原発へ仕事をシフトし、ささやかながら抵抗をしているひとりである。国民の多くがそれぞれの立場で脱原発のために、何らかの負担や痛みを強いられている。今、原発立地の地域が揺れている。原発利権との脱却には苦悩と痛みを伴う。原発交付金や寄付金なしでは地方財政は破綻しよう。それでもいくつかの自治体で交付金を拒否している。

 脱原発には多くの痛みや苦悩を伴う。しかし、それを国民で分かち合ってこそ、ほんとうに脱原発は実現するのだと思う。

高血圧、その後


 高血圧診断の結果、医者の処方により血圧降下剤を毎朝、服用することにした。血圧も毎日、朝夕に計測する日々が続いた。傾向的には、朝起きてすぐの血圧が最も高く、昼から夕方にかけてやや低下、夜はアルコール摂取に伴ってさらに低下する。しかし、全体としての高血圧傾向は一向に改善されない。1ケ月を経過して、医師の反対を押し切って薬を変更した。

 すると、ものの見事に血圧は低下していった。これは薬の効果なのか偶然なのか。それを検証するため、薬を一時、中断してみた。血圧は一気に上がると思いきや、下がったままの状態が続いた後、徐々に上昇傾向に転じた。




血圧
(図は朝夕の血圧をプロットして折れ線グラフにした経日変化図)




 そこで医師に相談した。「これこれこういう風な傾向で、薬を止めても一時的には低い状態が続くので・・・・・・・・・」と、話し始めたその時である。こともあろうか、若い医師は「だったら、好きにしたらっ!!」と、暴言を吐いた。それも、カルテをバチツと投げつけて。あまりの態度に私は唖然としたが、廻りの看護師さんもビックリした表情で、一斉に医師と私に注視した。

 私は言った。「せんせい、そんな言い方をなさってはいけませんよ.薬を服用しないで済むものならそうしたいってのが、患者の願いというものですよ.私はまだ何にも話してないでしょ.できることなら、2日に1錠とかにできないものかとか、相談するために説明しかけたところですよ.」と、我ながら冷静に。

 それで、場は何とか収まり、引き続いて薬を服用することで一件落着した。それにしても、患者を客だと思えとまでは言わないが、せめて医師としてのモラルがないとね。そりゃ、まあね、私みたいな患者は嫌がられるタイプだってことは承知しています。でも、患者はみな、納得ある説明なしでも医師の言うことを鵜呑みすると思ったら大間違いである。

 今回の件でわかったことは3点である。
①薬の種類によって人との効果の相性というものがある。
②薬によっては遅延効果がある。
③医師に説教


ナース症候群


 数年前から、健康診断のたびに高血圧を指摘されていた。それにはわけがある。私は小心者故に、ナースに対面すると血圧があがるのである。それも、若いナースほど血圧があがる。「深呼吸してぇ」と優しく言われると、もっと血圧があがる。私は自己診断によって、この症状を「ナース症候群型高血圧症」と命名する。

「ナース症候群型高血圧症」というのは、ナースをことさら意識することに起因する。あらぬ妄想も手伝って、血圧は160を優に越す。そこで、広い総合病院の館内を一周して気を落ち着かせてる。そして再度、計測すると150台になる。さらに、健康検査をすべて終了してナースの影も微塵もない男性医師の最終問診の折には140台となる。

 まあそんな風に、血圧というものは心理状態によってかなり上下するものである。そのことを身をもって体験してきた私である。が、そんなの関係なく「高血圧です」と、キッパリと最終裁定が下された。

 「ナース症候群型高血圧症」は別として、大して太ってもいないこの体型で何故に血圧が高いのか、自問自答の日々が続く。若い頃から辛いものが好きで何でもかんでも醤油やソースをかけていたが、もう10年も前から薄口を好むようになった。最近では、同居人の料理に辛いと注意する勇気もなく、できるだけ自分で作るようにしている。ブログのトークが辛口といってもそれは関係あるまい。煙草はとっくに辞めている。運動は毎朝、散歩するし、第一、現場があれば嫌でも体を動かす。さて、何が原因なのか。

 消去法で残った要因はアルコールである。しかし、飲酒すれば血圧は下がる。お酒を飲みながら30分毎に血圧を測ると、みるみるうちに血圧が下がっていくのがわかる。そりゃ、血のめぐりが良くなるんだから、当たり前といえば当り前。だったら、血圧を下げるため、朝から晩までお酒を飲んだらどうだろうと医師に相談したら、薄ら笑いでいなされた。ということで、毎日、朝夕に手首に手錠して計測する日々が続いている。

時の流れに身をまかせ


 昨日、世界の人口が70億人を突破した。国連は、昨日に世界中で生まれたすべての赤ちゃんに対して、「70億人目の赤ちゃんの1人」であることを証明する認定書を発行するらしい。人口増加は人類の繁栄の象徴であり、それはそれで喜ばしい、ということになるのか。否、どうも手放しで喜べない事態となってきている。

 人口増加の速度が尋常でないからだ。1959年に30億人であったものが、僅か半世紀で2倍以上に増えたことになる。人口増加傾向は、年とともに「加速度的」という表現がよく当っているほどに、尋常なものではない。異常な人口増加に加えて、人口の偏りにも問題がある。70億人のうち何と25億人が中国人とインド人である。日本を始めとする人口減少国と爆発的に増加する東南アジアのアンバランスが拡大している。国力はその国の人口に比例するとの見方もあるが、この傾向で推移すると、近い将来には中国とインドが世界を支配するのではと疑うばかりである。

 世界の潮流の速さは人口増加ばかりではない。環境や自然、食糧事情、政治・経済、医学、通信を始めとする技術進歩など、すべての諸条件が猛烈なスピードで変化してきている。このまま推移すれば、中国人とインド人の老人たちが地球上に割拠し、無線と衛星を駆使した無機的空間という近未来を想像してしまうほどである。

 翻って、身の廻りの見渡せば、早いもので、今日からもう11月である。めくるカレンダーに残りの薄さを感じる。が、世間はそれ以上に先廻りしている。本屋に行けば来年のカレンダーや手帳が並べられてある。街に出れば、クリスマスのイルミネーッションが既に着飾られている。百貨店にはお歳暮のコーナーが設営されている。おせちの申し込みが開始し、人気商品はもう売り切れという。今日には年賀葉書が売り出しとなる。

 世間はなぜそんなに急ぐのか、まだ11月に入ったばかりの秋真っ只中なのに、と思う。秋には秋を存分に楽しみ、冬のことは冬になって考えればいいではないか。クリスマスはイヴに楽しみ、年末にお歳暮を考えて、年が明ける少し前にカレンダーをぶら下げ、晦日におせちを作り、年賀状は年を越して書いてもよかろう。

 世の激流に逆らうことはできない。まして逆流することはかなわない。また、世の潮流を批判しても不毛な抵抗である。しかし、世の潮流の中に留まるのは自由である。河の流れに浮かぶ木の葉のように、河淵に沿って漂うのもいい。河の澱みの中でクルクル回転して遊ぶのもよかろう。

 世の潮流と河の流れに流されながらも、あるときは流れに寄り添い、あるときは岸辺に留まり、あるときは澱みに漂う。あくまでも自然体で、たおやかに、しなやかに。それこそが浮かぶ木の葉の「生きる力」ではなかろうか。ただ、世の潮流が激しいがゆえに、木の葉の自覚は必要なれど。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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