流行り言葉


 その時勢によって「流行(ハヤ)り言葉」が生まれ、時とともに色あせる。やがて自然消滅し、また新たな「流行り言葉」が生まれる。昔から「流行り言葉」はあった。江戸時代末期の「ええじゃないか」などがその代表格である。しかし「流行り言葉」の変遷スピードがこんなにも加速したのは、ほんの10数年位前からのような気がする。

 今と10数年前と比較しても、既に死語となった「流行り言葉」と新たに生まれた「流行り言葉」の差は歴然としている。今の小学生以下の児童が知らない少し昔の「流行り言葉」は何だろう。「ボイン」、「ダサい」、「ハレンチ」、「ぶりっこ」、「ぞっこん」、「ムネキュン」などが思いつく。

 また、これは「流行り言葉」とは違うかも知れないが、「スラックス」、「アベック」、「茶柱」、「相合傘」なんて言葉も、恐らく今の小学生以下の児童は知らないだろうし、その親さえも使用していないだろう。

 今の「流行り言葉」は多種多様で数も多く、年寄りには到底、ついていけないものが多い。「ガチ」、「極(きわ)め」、「リアル」、「オシャンテイ―」などが、その代表格か。「流行り言葉」の多くが短縮言葉の傾向にある。最近では「とりまー」というのが流行りである。犬のトリマーかと思いきやそうではない。「とりあえず、まず」ということらしい。「とりまー、お茶しない?」と言えば、若者との会話は成立する。

 「流行り言葉」ではないが、最近の言葉は肯定なのか否定なのか、よくわからない言葉使いが多い。例えば「好きくない?」などの表現をする。これって、「好きだよねぇ」と肯定した上で同意を求めている。その逆は「好きくなくない?」であり、「好きじゃないよねぇ」と否定した上で同意を求めている。終いには、どちらがどちらなのか訳が分からなくなる。

 「流行り言葉」はこれからも生まれては消えるであろうが、その盛衰テンポは益々、加速すること間違いない。今時の「流行り言葉」をそれなりに理解して使うのも楽しい。若者との交流のツールにもなろう。ただ、その「流行り言葉」の盛衰のテンポについていけない老人も益々、多くなろう。また、「流行り言葉」は益々、短縮の傾向があり、イメージすらできないものが多くなるだろう。その結果、世代間の言葉の断絶が世代間の心の断絶になりかねない。そう思う私は、すでに「流行り」に乗り遅れた老婆心の年代者ということである。
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ともだち



 歌手のクミコさんが被災地で歌っていた。坂本九さんの「ともだち」を。昔流行った曲であり、歌声喫茶でも普通に歌っていた。その時には特別な感情はなく、普通に「ともだち」感覚で歌っていた。しかし、今、この年になって、この時勢に聞くと、何とも切ない感情が込み上げてくる。涙が出てくる。

 作詞「永六輔」さん、作曲「いずみたく」さんのこの曲、曲を生んだエピソードがある。昭和39年10月、全国社会福祉協議会の方が仙台の療養所を廻る。そこで、子供たちが坂本九さんの大のファンで、坂本九さんにベッドスクールの歌を歌ってほしいと希望していることを知る。帰京後、早稲田高校時代の同級生で、「上を向いて歩こう」の作詞者である永六輔さんに相談する。永さんは快諾し、永さんから話を聞いた「いずみたく」さんも趣旨に賛同し、無償で作曲を引き受けてくれることになった。その後、永さんの手元には、「歌詞をつくる資料に」と、子どもたちの作文・詩をまとめた文集がどっさり届けられてきた。こうして「ともだち」の歌は生まれたという。昭和39年12月に完成した歌はレコードとなった。


1.君の目の前の 小さな草も
  生きている 笑ってる
  ホラ笑ってる
2.君の目の前の 小さな花も
  生きている 泣いている
  ホラ泣いている
3.君が遠く見る あの雲も山も
  生きている 歌ってる
  ホラ歌ってる
  踏まれても 折られても
  雨風が吹き荒れても
4.君の目の前の この僕の手に
  君の手を重ねよう 
  ホラ友だちだ
  踏まれても 折られても
  雨風が吹き荒れても
5.君の目の前の この僕の手に
  君の手を重ねよう 
  ホラ友だちだ
  ホラ歌おうよ
  ホラ友だちだ


 つらいのは君ひとりじゃない。笑うも泣くも友だちや仲間がいる。一緒にやれば恐くない。一緒に手を携えて頑張ろう。避難所の被災者の方々が涙して聞く姿は、ほんとうに胸にジーンときます。まるで終戦直後の瓦礫の中から這い上がろうとしていた、あの時代を彷彿させます。我々はまだ、別の意味の終戦から這い上がっていないのです。

ドラフトの悲喜こもごも


 今年のドラフトの目玉であった東海大・菅野投手は、誰もが巨人の単独指名と思われた。それもそのはず、巨人の原監督は菅野の伯父にあたるからだ。それにあえて挑戦したのが日本ハムである。日本ハムが競合指名を表明した瞬間、ドラフト会場はどよめきと拍手が起こった。さらに、くじ引き抽選で日本ハムが交渉権を勝ち得た瞬間、会場は歓声とさらに大きな拍手で沸きかえった。

 ドラフト前、東海大の横井監督は「菅野の気持ちは強く決まっている」と、他球団を牽制していた。それをもろともせず英断した日本ハムに、まずエールを送りたい。私に限らず、多くのプロ野球ファンは巨人の姑息な選手獲得に辟易しているからである。

 昨年のドラフトでも同じような光景があった。今シーズンの新人王間違いなしの巨人・沢村投手のことである。沢村は昨年ドラフトの大きな目玉であったが、事前に巨人系列紙が「沢村は巨人以外なら大リーグ」の報道をした。結果的に巨人は沢村の一本釣りに成功している。沢村投手の今シーズンの勝利数11勝がなければ、巨人のAクラス入りはなかったであろう。

 ドラフト制度とは、戦力の均衡と契約金の高騰を防ぐためにできた制度である。選手個人の希望がかなえられないなど、問題点は多々ある。しかし、均衡あるチーム力がプロ野球を面白くするという共通認識のもとに発足したはず。その趣旨に反して、金と報道の力でもってルール破りに近い行動をする。そうした読売巨人軍の傲慢さに対する反感が、ドラフト会場の歓声と拍手に現われたのである。こんなとき、どうしても高慢ちきな「ナベツネ」の顔を思い浮かべてしまう。

 どうしても巨人の悪口に終始してしまうドラフト制度であるが、それでも今年のドラフトには例年にない趣きがあった。ヤクルトが3位と4位に被災地・日本製紙石巻の選手を、さらに5位には仙台・東北福祉大の選手を指名したことは、少なからず震災復興を意識したのかも知れない。広島カープは地元・広陵高校の甲子園準優勝チームから1位の野村、4位の土生の両選手を指名する粋な計らいをみせた。また、各チームとも無名の異色選手を発掘することに努力している。日本ハムはプロ野球としては初めてソフトボールの選手を指名した。さらに、オリックスはバーテンダーとして働く野球部員を指名した。

 いろいろな話題を残した今年のドラフト会議であるが、将来の有望選手を発掘するという本来のスカウトの妙、選手育成の方法など、各チームが公平な条件で競った形で新しいプロ野球の魅力を築いてもらいたいものである。最後に、日本ハムが交渉権を得た菅野投手については、巨人にこだわることなく第二のダブビッシュに成長してくれることを期待する。

読書の秋によせて


 読書週間にちなんで、毎日新聞は小中学生と高校生を対象にして、好きだと思う伝記を毎年、アンケートしている。その順位は、小中学生と高校生とも男女で順位が同じだそうだ。男子の場合、小中学生、高校生ともに、1位がイチロー、2位がエジソン、3位が野口英世である。また女子の場合は、1位がヘレン・ケラー、2位がマザー・テレサ、3位がナイチンゲールという。

 男子、女子ともに1位から5位まで、同姓の伝記を選んでいるのが興味深い。それと、選んだ理由について、男女とも「努力しているから」をあげている。いかにも日本的感覚であり、なんだか懐かしくて嬉しいような気分がするが、逆に少しつまらない気もする。エジソンや野口英世など、その顔ぶれは昔とちっとも変わり映えしないが、男子の1位のイチローには驚いた。伝記というのは、大人が勝手に故人の偉人伝と思っているだけであって、その定義はない。それも現役バリバリの選手を選ぶあたりは、如何にも型にとらわれない現代人の考え方ともいえる。さらに、織田信長や真田幸村などが武将者人気に押されて上位に位置している。テレビやゲームの影響も大きい。

 そういえば、10月24日、作家・北杜夫さんが亡くなられたことが報じられていた。「どくとるマンボウ青春期」などの「マンボウシリーズ」が再び、ブームになることだろう。北杜夫さんといえば、大歌人・斉藤茂吉の息子であることはあまりに有名である。父親と同様に医学と文学を志した青年であるが、父の存在に畏怖を抱き、反発を覚えた青春であったろうと想像する。そのことがペンネームを変え、父とは違う文学を切り開いたことに現われている。

 斉藤茂吉といえば、私が住んでいる地にも馴染みがある。今はプレジャーボートの整備で埋め立てられた広島西端・五日市港の海岸線の土手を茂吉が歩いていた。当時、結核療養のために五日市の沖土手に移住していた歌人・中村憲吉を見舞うてのことである。広がる瀬戸の海。はるかに厳島の島影が浮かぶ風景を、憲吉は2階の下宿から毎日眺めていた。





沖土手
(写真は「五日市の今昔」より引用した明治初期の五日市)



 医者でもあった茂吉は早速、憲吉を診察した。が、憲吉の死期が近いことを茂吉はすぐに悟った。茂吉の心の中に、人知れず響く落涙の音はいかばかりであったろうか。憲吉が世を去るのはこの翌年のことである。茂吉52歳、憲吉45歳。

 『友のこと 心におもひ 寝つかれず 幾時か聞く 海鳥の声』
(茂吉)

 この「幾時」というのは、茂吉は「逝くとき」を案じてのことではないかと、私は思う。それにしても、後輩歌人の憲吉を思う茂吉の心情が痛いほどよくわかる句である。

 読書の秋に、読書週間から始まって、マンボウ、茂吉、憲吉へと、徒然に、思いを巡らせた秋の夜長であった。



オリンパス社長解任劇の真相


 オリンパスの外国人社長としてマスコミの注目を浴びたマイケル・ウッドフォード氏。その彼が、CEO兼任からわずか2週間後に解任された。この解任劇は、過去の買収案件に巨額損失があることを彼が突き止めたことに端を発する。社長就任からわずか数カ月後のことである。その後、彼は会長他の経営陣と対立を深めていき、辞任に追い込まれた。

 この解任劇の真相について、日経ビジネスの記者が本人とのインタビューに成功した。以下、日経ビジネスによる記事を引用する。

 10月20日、午前11時30分、記者はロンドン中心街のホテルで彼の到着を待っていた。2日前、彼から取材を受けるというメールが届いた。電話で連絡を取ると、彼は興奮した声でこうまくしたてた。  「身の危険を感じているから、とにかく詳しい話をして真実を世に広めたい。電話より会ってじっくり話したい。」  そこで飛行機に飛び乗ってホテルの一室で待った。約束の時間から30分が過ぎていた。本当に現われるのか不安がよぎったその時、大柄な英国人(マイケル・ウッドフォード氏)が姿を見せた。  「すみません。朝8時からメデイアの取材が続いていたので腹ペコだから、食事を取っていい?」  そう言うと、ステーキサンドを注文し、ついに2時間のインタビューが始まった。

 マイケル・ウッドフォード氏談
 『まず、問題として指摘したいのは、英医療機器メーカーのジャイラス買収の件だ。2008年に、オリンパスが20億ドル(当時の為替レートで約2000億円)を投じて買ったことは知っていた。私は当時から、「買収価格が異常に高い」と批判的だった。それは社内の多くの人が知っていることだ。

 でも、そのことはまだいい。問題は、買収後に買収価格の3分の1に当たる6億8700万ドル(約520億円)もの手数料を財務アドバイザー(FA)に払っていたことだ。これは全く知らなかった。しかも、支払った相手は、英領ケイマン諸島にあるAXAM(アクザム)という会社などで、実態はいまだに誰も分からないという。そんなことが許されるわけがない。

 すべては、雑誌「ファクタ」8月号に載った記事が始まりだ。あれがなければ、私は今でも何も知らないまま社長を続けていただろう。

 その記事には、2006~08年にかけて買収した国内3社のことが記されていた。医療関連の産業廃棄物処理を手がけるアルティス、電子レンジ用容器を企画・販売するNEWS CHEF、化粧品を通信販売するヒューマラボの3社で、そこに合計700億円ものカネを投じていた。いずれも本業とほとんど関係がないうえ、買収額に見合うような売上高がない。社外の親しい友人が見つけて、わざわざ英訳して「この記事を見ろ。深刻な内容だぞ」と教えてくれたんだ。 』
 

 一連の買収案件について、日経ビジネスがオリンパス社に質問したところ、「適切な手続き・プロセスを経たうえでの買収であり、会計上も適切に処理している」「評価額はDCF(収益還元)法による企業価値評価により算定されており、外部会計事務所による適正な評価を受けている」という内容の回答があったという。

 しかし、ファクタ誌は指摘している。アルティスの企業価値を算出した公認会計士は将来のキャッシュフローを過大に見積もっていると。3年で売上高が20倍になるとの計算だが、その根拠が薄いとしている。

 ウッドフォード氏は、こうした事実の深刻さを徐々に知っていき、当時の経営判断の真相を追及していくことになる。


 引き続き、マイケル・ウッドフォード氏談
 『2週間ぶりに帰国し、8月1日、新宿の本社に出社した。この記事のことを誰かが話しに来ると思っていた。ところが、誰も報告に来ない。不思議に思い、信頼できる社内の人に尋ねると、菊川剛会長が「記事の存在をウッドフォード社長に話すな」と指示していたことが分かった。

 決算報告書などに署名するのは私だ。従って、企業リスクを伴う取引は、その経緯も含め十分な報告を受ける必要がある。そう書いたうえで、ジャイラス買収で莫大な金額をFAに支払った経緯や、国内3社の買収に関わる詳細な報告を求めた。こうしたやり取りは痕跡を残しておかないとまずいと思い、すべての手紙にCC(カーボンコピー)をつけ、ほかの取締役や監査役、社外取締役にも同時に電子メールで送ることにした。

 確かに、手紙への返答はあった。だが、文面こそ丁寧だが、内容は表面的で、納得できる説明にはなっていなかった。しかも、9月26日に菊川会長に送った手紙に対して彼は同日、こうメールを返信してきた。「あなたと森が(一連の買収について)こんなにメールのやり取りをしていると聞いてびっくりした。時間のムダとは言わないが、時間を食う割に成果はあまりない。社長としての心配は分かるが…」

 うやむやに終わらせようとしている。そう感じて、以降は当社の監査法人であるアーンスト・アンド・ヤングにもCCをつけて送信することにした。

 しかし、オリンパスのガバナンス(企業統治)は全く機能していなかった。それを確信したのは、9月30日の取締役会のことだった。

 その前日、私は英国人の同僚と一緒に、菊川会長と森副社長と会っていた。社長として責任を持って経営するには、役員の人事権もなく、あまりに権限が小さい。そう痛感していたので、菊川会長が持っていたCEO(最高経営責任者)の肩書を譲り受けて、しかも、今後、菊川会長が経営会議に出席しないことも要求した。

 しかし、それを聞いた菊川会長は、「無理だ。そんなことは日本の株主が許さない」と譲らない。そうするうち菊川会長が怒鳴り出した。あまりに失礼な物言いだったので、私も席から立ち上がり、「怒鳴るんじゃない。私はあんたの子犬じゃないんだ」と怒鳴り返した(ちなみに菊川会長のパソコンのスクリーンセーバーは2匹の子犬の画像だ)。そして、「CEOから降りないのなら、私が社長を退任させてもらう」と言った。

 これは彼らにとって好ましくない展開だった。私が辞任すれば、オリンパスの経営がいかにガバナンスに問題があるかが白日の下にさらされることになるからだ。この期に及んで、菊川会長はついに私の要求を承認した。
 (この時に涙を流してCEO退任を懇願したとの報道が日本で流れているが)それは、事実ではない。誰かに足でも折られたら涙を流すかもしれないが、こんなことで私は泣かない。 』


 2001年の社長就任から10年間にわたってオリンパスを率いてきた菊川会長が、ついにその権力をウッドフォード氏に明け渡した瞬間かと思われた。ところが、菊川会長に、そんな気はなかったようである。そのことにウッドフォード氏が気付くのは、わずか1日後の9月30日のことであったという。

 こうした解任劇の真相に、日本企業の膿を見た気がする。これはオリンパスだけの話であろうか。昨日、この解任劇にFBIが捜査に乗り出したという。事は日本企業一社の経営者による背任行為だけでは収まらないようである。企業と社会の闇との悪しき関係が露呈した事件であるような気がする。こうした問題を放置すれば、日本経済に明日はない。

今こそ、決断力が求められる


 政治や経済の大きな節目においては、国をあげての思い切った決断が求められる。今がそのときと思う。なぜなら、国内においては復旧から復興への大きな転換期であること、年金と社会保障の一体改革の岐路にあること、国際的には欧州に端を発した通貨不安の連鎖が始まろうとしていること、TPPなど国際経済協調の岐路にあることなどである。

 今、決断しなければ、恐らく後々の時代において、あのときあのように決断していればと悔やむような気がしてならない。今がまさに、そんな時期にあると思う。庶民向けの人の良い泥鰌(どじょう)であることに、いささかの異論もない。しかし、そのくらいのセンスある髭を持ち合わせた泥鰌であって欲しい。今こそ、実践躬行(きゅうこう)が求められる。そのためには、まず泥の中から出なくては仕方なかろう。

 まず、国際的な通貨不安についてであるが、マーケットはユーロもドルに対しても危機感をもつ。その隠れ蓑として、復興という目標をもった円に期待しているのである。過激な円高基調に対しては、日銀が積極的な介入をしなければなるまい。そのことによって、日本が世界通貨調整のイニシアティブをとる絶好のチャンスである。円高というデメリットばかりを危惧していてはだめだ。円高というまたとないチャンスを活かさない手はない。

 今、国内ではTPPに参加するだしないだのと、全農と経済界が真っ向から対立している。それに農林系や経産系の族議員が便乗しての混乱状態となっている。農林系の主張の根底には、参加すれば日本の農業が壊滅的になるという旧態依然とした発想が澱む。その一方で、若い農業経営者は参加をむしろ歓迎する。事は農業ばかりではない。流通、サービス、鉱工業などすべての産業に関連する。もうそろそろ、大局的かつ包括的な観点から政府判断で決着せねばなるまい。これをまた先延ばしにすれば、未来永劫、禍根を残すことはあっても日本経済の復興はなかろう。それにしても、TPPを「テーペーペー」と発音する経団連・米倉会長のような老体しか経済界にはいないのか。もっとフレッシュな人材はいないものかと思う。

 年金問題しかりである。この場に及んで支給年齢引き上げなどという不毛な議論をしているが、国民が納得するはずもない。公約であった年金・社会保障一体改革はどこに散ったのか。はっきり言おう。年金制度は既に破綻しているのである。破綻した制度をどのようにとり繕っても、破綻には変わりない。この場に及んでは、一度、チャラにするしかなかろう。すなわち、支払った積立金を一度、国民に返金するのである。その上で新たにシンプルな制度にするしかなかろう。それもこれも政治の決断ひとつである。


 最後に、原発の決断である。事故後の諸々の問題に関する検証と責任追及は追ってやろう。しかし、除染処理や放射能対策はまったなしである。もうそろそろ一大決断をすべきときである。例えば除染処理に関して、私はかねがね提案している。それは、原発20Km圏内を非住居地とした上で処理区域として活用すべしとの意見である。そういう意見を出すと、圏内の住民の感情を無視しているとか、生活権はどうだとか、暴言だとかいう批判がある。しかし、現実的に除染した大量の土壌をどの自治体が引き受けてくれるというのか。放射能濃度が低くなるのを待つ避難民にいつまで待てというのか。もうそろそろ、現実的な決断をすべきときでないのか。

 現に昨日、福島県大熊町の住民有志(大熊町の明日を考える女性の会)は細野原発担当相に中間施設は大熊町に決めてくれと、そのかわりに定住の環境。土地、家、農業を圏外に与えて欲しいとの要望書を提出している。私が言うまでもなく、住民はもうとっくに業を煮やしているのである。

 政治と経済の大きな岐路において大きな決断をするとき、誰にも平等な選択枝はない。すべての人の思いを斟酌した方策もない。しかし決断はせねばなるまい。それが政治判断というものである。それができるのは、偉大なる政治家の他に誰もいない。

老いのすきま風と青春


 自分でいうのも気が引けるが、私は同い歳の人より気も心も若いと自負している。しかし残念ながら、気と体は必ずしも一体ではない。還暦を2年も過ぎたこの歳になると、日常の何でもない動作で老いを感じることがある。

 たとえば、立ったまま片足ずつ靴下を履くとき、思わずよろけたりする。道を歩いていて、ちょっとした突起につまずきそうになることもある。座っていて、立ち上がるときに何気なく「よいっしょ」と発している自分に、苦笑するのである。

 自分ではまだまだ若いと思っていても、体の老いだけはまったなしである。したしたと緩やかに、しかし確実に進行しているのであろう。しかし、その体の老いに対して、私はそれを手放しで受け入れようとはしない。よろけるはずがないと、できるまでやる。つまずくはずがないと、つま先をしっかり上げて歩く。立ち上がるのが苦にならぬように、足腰と膝を鍛える。

 体の老いに対して、老いを容認すれば老いはさらに幅をきかせる。体の老いというものが必然的なものであるとするならば、その老いに対して可逆的にむちを入れる。老いに対してだけは反骨精神まるだしの反逆児でありたい。老いとの戦いは今始まったばかりであり、今からが長期戦となる。

 以前にも紹介したことがあるアメリカの詩人サムエル・ウルマンの「青春」の定義。それを復唱しよう。「青春とは人生の一時期ではない、青春とは心のあり方である、志の高さであり、思いの質であり、生き生きした感情であり、人は年を重ねるだけでは老いはしない。ただ理想を失うことによって老いるのである。」

 人は誰しも年を重ねると老いる。老後を長年、病床で過ごす人もいよう。肩が痛い、腰が痛いと、体の痛みに苦しむ人もいよう。さほど痛みがなくとも、年々体は老化する。しかし、老いるのは体であり、心が老いるのではない。日々、「生き生きした感情」だけは持ち続けよう。いつまでも少年のように「夢」を追いたい。そして今あるこの「青春」を謳歌しよう。

頭が下がる思い


 自分にはとても真似できないことに対して、頭が下がる思いをすることがある。最近も、頭が下がる思いをした。自宅近くにある道路沿いの花壇で、いつも見かけるひとりの老人である。真冬を除けば、年中、花壇の手入れをしている。もう10年近くも同じ光景を見かける。種植えから水遣りまで、草取りに至っては腰を据えてやっている。今年の夏は例年になく暑かった。もう御年、80歳にもなろうかと思えるよぼよほの老人であるが、連日、麦わら帽子をかぶって、汗だくで水遣りに精を出していた。いくら暇といっても、いくら花が好きだといっても、とても真似できるものではない。ほんとうに頭が下がる思いである。

 もうひとつの頭が下がる思いの対象者は、和歌山県那智勝浦町の寺本町長である。報道でご存知の方も多いでしょうが、その行動を再現する。台風12号の豪雨により、町内全域に大雨洪水警報が発表されたのは9月2日未明である。町の全職員に自宅待機を命じて、町長自信も帰宅。翌朝3日は土曜日であったが、雨が気になり役場に出勤する。役場で寝泊りして避難の準備に追われた。町長の携帯が鳴ったのは4日午前2時頃であった。妻の昌子さんからの電話であった。「川の様子を見にいった早希(長女)が流された」という電話は途中で途切れた。直後、町長の自宅周辺は土石流に埋まった。

 午前9時50分に早希さんの遺体が近所の人に発見された。役場を出て早希さんの亡がらと対面したが、すぐに職務のため役場に戻った。昌子さんの遺体は8日、4Km下流の海岸で見つかった。それでも町長は公務を続けた。「私は私の職務を遂行するだけ」ときっぱり。その後も、役場近くにアパートを借りて公務に励む。2人の葬儀は町内の行方不明者が全員発見してからだとの堅い意志がそうさせた。10月3日、被災後初めて公務を休んで2人を弔った。

 いくら公務とはいえ、誰それとできるものではない。長女の早希さんの亡がらに一晩、付き添ってあげたかったであろう。妻・昌子さんを自ら捜索したいと思ったであろうに。そして何より、2人を早く弔ってあげたかったでしょう。周囲もそうしてくださいと説得したらしいが、頑として聞かなかったという。個人の思いも公務という責任感が掻き消したわけである。とても真似できるものではない。長女の早希さんが亡くなった翌日は彼女の結納の日であったという。

 頭が下がる思いの上記2例は、個人と公務という点で意味合いが違う。しかし、いずれも個を犠牲にしている点、信念と覚悟をもっている点で共通する。秋の叙勲などというと、決まって名誉教授とか医師とかが名を連ねるが、真に偉いのはこういう人であり、こういう人にこそ叙勲を与えて欲しいものである。

祝:ドラゴンズ優勝

 
 我が中日ドラゴンズが一昨日、やっとの思いでセリーグ・ペナントリーグの制覇を決めた。10ゲーム以上のゲーム差をひっくり返しての逆転優勝である。しかし、最後は難産であった。それもまた、中日らしいといえば中日らしい。昨日は祝杯による後遺症が残った一日であった。

 野球に興味のない方からすれば、「たかが野球」と冷ややかに思うだろう。しかし、野球ファンには誰しも、それぞれにファンとしての歴史があり、球団に対する思い入れがあるというものである。私とて、なぜ広島にいながら中日なのかと、そのわけを話せば長くなる。中日の選手との秘話を話せばもっと長くなる。

 野球は9人でやるチームプレーである。個々の技以上に組織力が重要である。仮に個の力で優勝できるのであれば、どんな有力選手でも万札で買い取ることができる巨人が万年優勝するであろう。例えば、巨人選手の全年俸額があれば広島カープは3球団位できよう。しかし巨人が必ずしも優勝できない。だから、野球というのは面白いのだ。

 野球はピッチャーである。点を取られさえしなければ負けることはない。逆に、点は別に打てなくても取れる。走れば相手のミスを誘う。ボールを見極めればフオアボールとなる。クリーンヒットでなくとも、フオアボールでも振り逃げでもデッドボールでも、出塁に違いない。大きなホームランはあった方がいいが、なければないでよい。それよりも、つながりと連携が重要である。ホームランバッターばかりを揃えても勝てない。小回りと足と犠打と選球眼があればよい。

 野球はキャッチャー、ピッチャー、センターの軸がしっかりしていなければならない。とくにキャッチャーは司令塔としての役割は大きい。その点で、中日には谷繁の存在が大きい。ゴルフのスイングでも他のスポーツにおいても軸は重要である。軸がブレてはどうにもならない。

 落合監督は個人的には好きではない。しかし、彼の厳しい指導には舌を巻く。とにかく休みがない。12球団一といわれる練習量がバックボーンにある。これほど苦しい練習を積み重ねて勝てなかったら仕方ないという自負が選手全員にある。

 コーチングスタッフの起用に落合監督の信念がみえる。中日OBをあえて入れない点である。子飼いを登用しないで、わざわざ外様を入れている。この点が星野との違いである。すなわち、身内からくる甘えを遮断している。仲良しクラブでは勝てないことを知っている。これはなかなかできるものではない。フロントとの対立はこの点でも烈火した。その結果、ペナント優勝監督をあえて辞任させなければならない結果を招いている。

 たかが野球である。されど、人生にも繋がる。基本(人生設計)が大切であること、軸(根底の理念)が大切であること、連携が大切であること(一人では生きれない)、身内のほころび(近い身内よりも遠方の友)、日夜の努力(日々の精進)が大切であることなどである。

 最後に、大阪の雪之丞さんをはじめ、こよなくタイガースを愛するタイガースファンの方々に来年へのエールを送りたい。

エジソンの命日に寄せて


 「発明王」なる異名をもつトーマス・エジソンが没して、今日で80年となる。時同じくして、先日はスティーブ・ジョブズ氏が没した。考えてみれば、エジソン没からジョブズ没までの80年間において科学・技術は飛躍的な進歩を遂げた。この勢いは、これからさらに双曲線的に加速されるであろう。

 その一方、そうした科学・技術の進歩に人間がついていっているだろうかという疑問をもつ。通信機能だけとってみても、スマートホンだi-Padだi-Phoneだと次から次に便利なものが出てきているが、民衆がほんとうにそれらを使いこなしているだろうか。GPS機能においては人が人を監視することに使われ始めている。ましてや、原発に至っては人が制御不能なものになってしまっている。

 科学・技術の進歩によって人間の手で開発したものを人が使いこなしていないばかりか、むしろ人が科学・技術の産物に支配されてはないだろうか。そしてそれに比例して、主役の人間が「人間らしさ」を失ってきてはいないだろうか。

 エジソンの数々の名言の中にこういう一節がある。
『私の発明は、すべての人にとって役に立つ物でありたい。そして、世界の平和に貢献するような物でありたい。もし私の発明で一人でも死んだとしたら、私には人生を生きる意味も資格もない。』

 この名言は80年後の今を予言したようでならない。今がまさに、科学・技術の進歩の岐路にあるといえる。今のままのスピードで科学・技術を進歩させることが真に人の平和と幸せに貢献することになるのか。さらに人類の滅亡に至りはしないのか。さすれば、もうひとつの道を選択してはどうか。少しスピードを緩めて、「人間らしさ」を回復しつつ、科学・技術を制御する科学・技術の道へと進路変更してはどうか。



エジソン

3タコ


 「タコ」といっても食べる「蛸」ではなく、飛ぶ「凧」でもない。色気も風流もない、手足にできる「タコ」の話である。それを、わざわざ週初めの清清しい時間にする無神経さをお許しくだされ。

 「タコ」というのは、足の裏や指が靴などに当って、その部分が角質化したものである。皮膚が盛り上がって固くなり、痛みを伴うこともある。慢性化すると表面が白くカサカサになり、女性だとストッキングが引っかかったりもする(らしい)。

 これに対して、「魚の目」は角質化した部分の中央に芯(核)ができて、皮膚の奥深くへと入り込んでいったものである。神経を刺激するため、痛みを感じる。「タコ」も「魚の目」も、できやすい場所は足の指の背(上側)、指と指の間、足裏のつけ根あたりが多い。いずれも靴による圧迫や摩擦を受け易い場所である。

 これが一般的な「タコ」と「魚の目」であるが、私の場合は少々、状況が違う。現場を歩くのが仕事なのに、足にできた記憶がない。いかに、労せず現場を歩いてきたかという怠け者の証である。そのかわり、私には手の指に3つの「タコ」を持つ。

 ひとつは、右手中指先端の内側面である。これは、所謂「ペンダコ」である。現場の成果を報文にまとめるのが仕事なので、職業病ともいえる。しかしこの「ペンダコ」、ここ10年位の間に退化しつつある。圧倒的にパソコン入力となって、ペンを握ることが減ったからである。それでも、現場では野帳に記述やスケッチをしたりと、普通の人よりはペンを握ることが多い。だから、これからもぶざま残骸を残すであろう。



ペンダコ


 中指にはもうひとつ「タコ」の残骸がある。中指先端の裏側が少し固い。これは、所謂「雀ダコ」であり、大学時代の放蕩の証である。大学の講義はすべて出席したが、学費稼ぎに麻雀を四六時中、やっていた。それも盲牌でやるから「タコ」になる。社会人になってからも、自宅に社員を呼んではやっていた。麻雀帳なるものを作って、月末に精算して小遣いの足しにしていた。その麻雀も、かれこれ20年以上もやっていない。相手がいなくなったのである。若い者に麻雀など下種なものをやる輩はいない。よって、年々この「タコ」は退化していき、やがて消滅するであろう。めでたく放蕩の印、返上とあいなる。

 3つ目は左手人差し指、中指、薬指の先端内側の「タコ」である。これは「弦ダコ」とでも言おうか、ギターによるものである。ほとんど毎日のようにガットギターに触っているから、こちらは退化するどころか、ますます固くなってきている。

 どんな人も、「タコ」のひとつやふたつ、もっていようものである。「タコ」は過去と現在の生活の履歴書みたいなものである。マッサージ師は体に触っただけでその人の職業を当てるという。同じように、手足の「タコ」ひとつにも、その人の人生の歩みが隠されている。それでも、手足の「タコ」は使わなければ退化する。しかし、心の「タコ」だけは消すことができない。


言葉狩り


 もううんざりしているだろうが、あえて再び、「死の町」発言について記す。私自身もうんざりしているが、どうしても正確なことを述べておかないといけないからだ。

 伝えられているところの、事の経過は今更、省略する。新聞各紙の報道の順序や、ニュアンスの違いなど、細かく検証すれば矛盾が多く、突っ込みどころはいくらでもある。しかし、それを今更、ほじくり返したところで、たいして意味のあるものではない。だからそれは辞める。ただ今更ながら、「死の町」発言が大臣の職を辞するに値するほどの問題発言だったのか、私は大いなる疑問をもつ。

 確かに、「死の町」という表現だけを取り上げると、いかにも無神経さを感じざるを得ない。自分のふるさとを「死」という言葉で表現された被災者の気持を考えれば、とてもそのような表現が口から出ようはずがない。しかし、鉢呂氏は、被災地を「死の町」と決めつけて切り捨てたわけではない。前後の言葉を含めた発言を、そのままの形で再現すると、鉢呂氏は、以下のように語っているのである。

 『大変厳しい状況が続いている。福島の汚染が、私ども経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ。事故現場の作業員や管理している人たちは予想以上に前向きで、明るく活力を持って取り組んでいる。3月、4月に入った人もいたが、雲泥の差だと話していた。残念ながら、周辺町村の市街地は、人っ子ひとりいない、まさに死のまちという形だった。私からももちろんだが、野田首相から、「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」と。これを第一の柱に、野田内閣としてやっていくということを、至るところでお話をした。』

 このように、投げ出したニュアンスで「死の町」という言葉を語っているのではない。視察した町村の現状を語る文脈の中で、厳しい状態を描写したということに過ぎない。好意的に見れば、見たままの状態が「死の町」であるという厳しい現状認識があるからこそ、徹底的な除染と再生に向けた対策を打ち出して行く必要がある、というふうにみることも可能である。

 とすれば、この表現のどこが問題なのか。この程度の言葉使いを問題にされたのでは、政治家はやってられない。そのように私などは思うのである。これは、実質的な言論タブーの成立であると言わざるを得ない。
 
 このように、メデイアは文脈の端くれを取り上げた「言葉狩り」に専念する。本拠本丸の本質的なことを追及する姿勢すらしない。また、その「言葉狩り」の罠にまんまとかかる政治家がいる。うろたえながら辞任する末路。このような光景を、我々は同じコマーシャルビデオを繰り返し見るように、何度、見せつけられてきたことか。メデイアの凋落を今更、責めてもはじまらない。政治家たるもの、信念というものがあるならば、切腹覚悟の命をかけた信念を貫く覚悟を持て!

もうひとりの東電社員


 津波で建物が消えた南相馬の海岸線に、毎朝、作業員風の男性が来るという。彼は家の跡に設けられた祭壇の前にしゃがみこんで、目を閉じて手を合わす。祈る合間に倒れた花瓶を直し、辺りの雑草を抜く。埋もれたおもちゃなどを掘り起こす。立ち上がると別の祭壇へ移動する。1時間ほどかけて20箇所ほどの祭壇を巡るという。

 彼は遺族ではない。地元の人でもない。けれど、毎朝欠かさず来るという。実は彼は東電社員であることがわかった。福島第一原発から南相馬に派遣された社員であった。日々、賠償の説明に奔走し、住民の怒りと向き合っている東電社員である。

 なぜ彼は津波の犠牲者のために祈るのか。「原発事故ですぐに捜してもらえなかった人がいる。弔うことができなかった遺族もいる。私にできることは手を合わすことぐらい」彼はそう答えたという。

 東電の会見においては「約束した安全と安心を裏切り、心から申し訳ない」と繰り返される。その言葉は毎回、実際の思いとは裏腹の、空言の薄っぺらい儀礼に感じる。しかし、この祈る東電社員の気持ちは十分に伝わってくる。東電という会社は、重大な事故を起こした悪い会社である。しかし、悪いのは会社であって、すべての東電社員が悪い訳ではない。祈る社員もいるし、心底、詫びる社員もいよう。その社員には家族もある。

 東電の賠償責任は際限なく追求すべきである。その一方で、つつましく祈る社員もいることも忘れてはいけない。東電社員だから、その家族だからと、それだけで社会が偏見することだけは避けたい。

ストロンチウムの怪


 病院の待合室では、そば耳を立てなくても、いろんな会話が飛び込んでくる。ここ広島ならではの原爆後遺症の話も多い。昨日も待合室において、70歳代~80歳代とおぼしき数人の会話が聞こえてきた。何でも、彼らはみな10歳~15歳で原爆に遭ったという。定年退職までは元気そのものだったそうだが、それから徐々にいろんな病気が出てきたという。それも原爆の影響だったことが今になって判明したらしい。今となっては原爆認定も受けられないと、こぼす場面も。

 半減期が長い放射性物質を内部被曝した場合、今は何でもなくても何十年後に発病するということは頭で考えれば容易に理解できる。が、現実には考えもつかずに看過してしまうことも多い。まして、放射能内部被曝による長期の発症事例は少なく、広島・長崎の原爆による長期追跡結果が今ようやく集まりかけている現状である。データが皆無であることが決定的に恐怖の源となっている。

 そんな中、横浜市のストロンチウム検出のニュースが飛び込んだ。マンション屋上に溜まっていた土から放射性ストロンチウムが検出されたと、横浜市港北区の住民から市に情報が寄せられたという。横浜市は先月(9月)、同じ港北区の5ケ所で放射性物質を検査している。その結果、住宅街の側溝から1キログラム当たり4万200ベクレルの放射性セシウムが測定されたばかりである。ストロンチウム検出情報は同じ地区の住民からのものであり、民間検査機関での測定結果は1キログラム当たり195ベクレルという。このため、横浜市はセシウムが検出された土をもう一度、検査機関に送って、ストロンチウムも検査するという。

 ここで私が不思議と思うのは、ストロンチウムが検出されたという事実よりも、住民がわざわざストロンチウムの検出を民間検査機関に依頼したという事実である。というのは、ストロンチウムの検出は、測定に時間がかかる上に検出装置の数も限られているからである。よって、検査費用も相当に高い(確か、数十万円だったと記憶している)。このためセシウムを調べることでストロンチウムの量を推定するのが一般的である。

 住民がそこまでして検査した理由は何なのか。さらに、検査対象をなぜマンション屋上の土に限定したのかということも不思議である。自分が住むマンションの屋上の土がよほど心配だったのだろうか。情報を提供した住民の真意はわからない。これ以上の推測は、邪心が邪推を呼ぶことになるので止めよう。

今年の秋


 秋の瀬戸は、何もなかったかのように、今日も穏やかである。



秋の瀬戸

    夜長にて
    かすみの瀬戸の
    陽はすでに
    さんじゅうどから
    いさめしようで

 時を経て、季は移り、今年、62回目の秋を迎える。今年の秋もいつもと同じ秋であり、いつもと少し違う秋でもある。

 あれほどうるさかった蝉の鳴き声がピタリと止み、虫の音にとって変わった。道路畑のムクゲが色あせ、代わって活きのいいコスモスと金鶏菊が群れ咲く。ひんやりとした風に金木犀の甘い香りが漂う。もうどこからみても、秋なのだと実感する。

 その金木犀の芳香に包まれて、穏やかに安泰な生活を営みながら、人にも恵まれ、秋の風情と味覚を味わうことができれば、それはもう天国というもの。このしあわせな「とき」にまず感謝したい。

 みのりの秋である。果実がふんだんにある。二十世紀梨のみずみずしさが美味しい。店頭には柿が出始めた。栗やみかんも出番である。天高く・・・の秋である。何もかも美味しくいただけるこの秋に、健康に食することの喜びを感じる。

 街のあちらこちらに「奉寄進」の幟が立ち、家々の軒下をしめ縄と白いのし紙が連ねられる。子供みこしが今年も家々を練り廻る。田畑と縁遠い身なれど、豊作を祝う気分に浸ることができる秋でもある。

 しかし、今年の秋祭りはどこか違う。豊作も大漁もない地のことを思えば胸が痛む。暴力団排除条例の施工により、祭りの露天商もめっきり減った。少し寂しい今年の秋である。

 10月に入って電気料金もガス料金も値上げする。乳製品をはじめとして、食料品が軒並み値上げしている。子育て支援も変わる。何かと経済的に憂鬱な今年の秋でもある。

 秋にはコスモスがお似合いである。それも、そよ風に揺られる道端の名もないものがよい。まるで旅立ちを可憐に祝福しているようである。


コスモス


 秋というのにまだ蚊がいる。今どきの蚊は必死に人にまつわりつく。まるで老齢の域にさしかかった私の中の邪心のようである。

 秋は旅のシーズンである。どこに行こうか、何をしようかと思案する。きっとその間に、あっという間に秋は通り過ぎるのであろう。

 今年も、もう3ケ月を切った。私の仕事は原発から別の方向にシフトしたが、苦戦を強いられている。無信心の私であるが、こんなときこそ、神もいないこの神無月に神頼みする。

 今年の秋刀魚は油がのって美味しい。しかも大漁で安い。大根すりを添えて、酢橘をギュッと搾れば、こんな贅沢はない。ただ、今年は大根が高い。こんなときは大根の半切りを買うとしよう。

 金木犀をはじめとして、金色の稲穂、金鶏菊など、華やかな黄金が景色を染める時節である。そこには艶やかさはあっても、私には何の後ろめたさも感じない。が、人の心もちによって、いろいろなことを考えさせられる時節でもある。

 それは、灼熱の夏と暗黒の冬との間に秋があるからであろう。太宰治の「ア、秋」に記されたように、「儚い蜻蛉」、「焦土」、「無残」、「悪魔」などと、秋を後ろ向きに感じることも、だからあるのかと。

 それぞれが、それぞれに感じる今年の秋であろう。

国体の意義


 今、私の郷里・山口で第66回国民体育大会(国体)が開催されている。国体の開催県は既に2巡目に入っており、今から48年前、東京五輪の前年の1963年に1巡目の山口国体が開かれた。「サルビア国体」と称され、沿道に真っ赤なサルビアを咲かせてお客さんをお迎えしたのを、今でも覚えている。当時の、まだ新婚生活の皇太子殿下・美智子妃殿下のパレードも印象的であった。今回、天皇陛下ご夫妻となってまた山口に来られていることに、感慨ひとしおである。

 さてこの国体であるが、今では開催県の優勝が慣例になっているが、そのルーツは48年前の山口国体にある。それまでは開催県が何が何でも優勝という空気はなく、東京都がほとんど優勝を独占していた。しかし、48年前の山口国体では、最終日に東京に僅差で敗れての2位という躍進をした。それが契機となって、次の新潟国体を初めとして開催県が優勝するのが慣例になった。今では山口以外で優勝経験がないのは、高知、徳島、愛媛だけという。

 そんな訳で2度目の国体でまだ優勝していない山口は優勝にこだわっているという。しかし、県内で生活していない選手を登録したことが発覚し、問題になっている。そもそも開催県が決まって優勝すること自体があり得ないことであり、そのための選手補強の手法に対するは批判も多い。それでも、ズルしてでも優勝するという悪しき慣例が継続されてきた。

 国体開催のために、開催県は新たなスポーツ施設、道路、公園の建設・維持に多額の公費を投入する。しかし、国体開催による経済効果はそれには到底及ばない。地方財政緊縮の時代に逆行する行為である。

 そもそも、国民体育大会(国体)とはどういう意味をもつのか。都道府県対抗によって都道府県人としてのモチベーションを向上させるためのものなのか。それだったら、そんなズルをしないで自然体でやればいい。

 それ以外の目的、例えば開催への補助金が目当てなのか、スポーツ振興というお題目の裏舞台で何やら黒いものがあるのか、いろいろと疑ってしまう。今、国体に対する国民の関心は非常に薄い。街でよく見かける「祝○○さん国体出場」なる横断幕が白けてみえるのは、私だけであろうか。

小沢氏とジョブズ氏


 昨日、ふたつの大きなニュースが駆け抜けた。ひとつは、小沢一郎被告の初公判とそれに関連するニュースである。もうひとつは、アップルの創設者であり前・最高経営責任者であるスティーブ・ジョブズ氏の死去である。このふたりを並べて論じるべくもない。しかし、日本の各紙朝刊がどちらをトップで報じているのか、それによって新聞社としての崇高性がみえようというものである。無論、ニューヨーク紙のトップはジョブズ氏であり、小沢氏のことなど片すみにもないであろうが。

 並べて論じるべくもないふたりであるが、あえて比較するならば、創造力逞しく、固定観念にとらわれずに、常に世の新しいニーズに応えてきたジョブズ氏に対して、旧態依然とした政治手法に固執し、国民のニーズから遠ざかっていった小沢氏ということになろうか。ただ一点、無理に共通点を見出すとしたら、ともに発言や行動で注目を集め続けたことであり、カリスマ性があった点である。あえて「あった」と表現したのは、小沢氏は過去のことであり、ジョブズ氏は故人となったからである。

 小沢氏が政界を引退しようが日本の行く末に悪い影響などない。むしろ浄化されるかも知れぬ。しかし、ジョブズ氏の死去はIT業界の大きな痛手となるのは間違いない。折りしも一昨日、iphone-4sが発表されたばかりである。iphone時代の新たな市場展開の幕開けという時期でもある。ジョブズ氏の死によって世界経済へ影響が出なければよいと思う。

 ジョブズ氏は数々の名言を残した。私が好きな名言を以下に紹介したい。

『すばらしい仕事をするには、自分のやっていることを好きにならなくてはいけない。まだそれを見つけていないのなら、探すのをやめてはいけない。安住してはいけない。』

『私は持っているテクノロジーをすべて引き替えにしても、ソクラテスとの午後のひとときを選ぶね。』

『美しい女性を口説こうと思った時、ライバルの男がバラの花を10本贈ったら、君は15本贈るかい?そう思った時点で君の負けだ。ライバルが何をしようと関係ない。その女性が本当に何を望んでいるのかを、見極めることが重要なんだ。』

 そして、私が最も好きな彼の名言はスタンフォード大学卒業式での祝賀スピーチにて最後に紹介した次なる言葉である。

『飢餓感を持て。バカであれ。(Stay hungry! Stay foolish!)』


(私は馬鹿でありハングリーでもあるが、まだまだ、ハングリーと馬鹿さに欠けているのだ。)

言葉は世につれ、世は言葉につれ


 言葉というものは、世の移り変わりとともに変化していくものである。また世情は言葉によっても形成されるものでもある。

 最近の文化庁「国語に関する世論調査」によると、「ら抜き言葉」の増加が指摘されている。「(夕方に)来られますか」を「(夕方に)来れますか」と使う人が35%から45%に増加し、両刀使いを合わせると過半数の51%になるという。10代に限っていうと、「(夕方に)来れますか」が74%と、圧倒的だという。

 文化庁は“本来の「来られますか」に対して「来れますか」が増加している”と指摘する。ここで、文化庁が「本来の」とわざわざ言うことから察するに、さも「ら抜き言葉」が日本語の乱れだと言わんばかりである。しかし、そうであろうか。この場合の「(ら)れ」には受身、尊敬、可能など、いろんな意味合いがある。相手が目上だと敬語として「来られますか」が自然であろうし、単なる可能性をいうならば「来れますか」の方が自然だと思う。すなわち、使われ方によるのであって、どちらも正解だと、私は思う。

 この件について、過日のA紙には文学を例に、昔から「ら抜き言葉」が使われていたと論じていた。例えば、川端康成の「雪国」である。芸者・駒子が「来れないわ」「来れやしない」を多用していると。いくらノーベル賞作家だろうが誰だろうが、間違いは間違いであるが、この場合、この方が自然だと思う。記憶は定かではないが、確か、駒子は「来て欲しいのは山々だけど、来れやしないよ、来れるもんですか」と拗ねながら言った情景を記憶している。「来られないわ」では、敬意が親しみを越し、駒子の感情が上手く表現できないのではないかと思う。

 前述の文化庁「国語に関する世論調査」では語幹言葉の増加についても指摘している。「すごっ」「寒っ」「でかっ」と形容詞の語幹で感嘆を表すことに、「気にならない」人が半数に近いという。略語はここ数年で定着しており、その傾向の一環ともいえる。この場合の「すごっ」「寒っ」「でかっ」は、ひとり言としては使わない。自分以外の人がいるからこそ使う。それは、あえて他人に同意を求めない内向きな「つぶやき」である。決して押し売りではなく、相手に配慮しながらも、しっかりと個人の感想を述べているのである。いかにも日本人らしい表現ともいえる。

 このブログ「きよしのつぶやき」も、そんな思いの私の「ぼやき」と受け留めていただければ幸いです。

血液型民族移動説

 私が血液型の話を披露するたびに嘲笑を買う。「科学者の端くれと思いきや、ただの下手な占い師だ」との罵(ののし)りが、東の方から聞こえてくる。そこは、馬耳東風といこう。そこで、汚名挽回とまではいかぬが、地球における血液型偏差の実態と原因を民族ルーツの観点から考察してみた。

 下の表は、O・プロコプ、W・ゲーラー著.石山夫訳:「遺伝血清学」(学会出版センター)に掲載してあったものを私が抜粋・編集したものだ。世界のいろいろな民族のABO式血液型の割合を表にしたものである。日本人が書いた本ではないのに日本の検体数が一番多い。外国ではABO式血液型と性格・人間性について話題に上ることが少ないのに、日本人の血液型への関心度が高いという裏づけであろう。



血液型リスト

 さて、この表から何がわかるのか。ともかく、国(民族)によって血液型の割合がかなり違うことだけは理解していただけると思う。そこで、私は血液型と民族移動という観点で整理してみた。代表的な民族と血液型偏差が大きい特徴的な民族を抽出し、血液型割合が似た民族を隣り合わせにしてレーダーチャートにプロットした。血液型割合によるカテゴリー分類とグループ名称は私が勝手に名づけたものである。



血液型分類


 まず、スペイン、フランス、ドイツのヨーロッパ大陸においてはA型がO型を少し上回る。これを「EU型」と称した。同じヨーロッパでもイタリアとイギリスでは逆にO型がA型を少し上回る。そして、イギリスから移民したアメリカも酷似する。これらを「英米型」とした。「英米型」にはオーストラリア原住民も含む。
 
 「EU型」はA型がO型を少し上回るが、北欧に行くとノルウエー、スエーデン(ラップ族)とA型の割合が増し、O型を引き離してくる。しかし、北欧とソ連との間には明瞭な断絶がある。ソ連は「EU型」と似ているようであるが違う。決定的に違うのはB型が台頭してきている点であり、その結果、A型とO型の割合が低くなっている。そして驚くことに、そのソ連に日本は酷似するのである。このグループを「日ソ型」とした。

 ソ連と陸繋がりのモンゴル(カルムック族)はといえば、これがソ連と全く異なる独自の世界を築いている。世界では非常に珍しいB型優勢の民族である。これを「蒙古型」と称した。

 同じ日本でもアイヌ族はどうかというと、「日ソ型」とは全く違うのである。A型とB型が同じ割合であり、AB型も台頭する。このアイヌ族の血液型割合は、驚くことに朝鮮と似ている。これを「朝蝦型」とした。

 朝鮮はさぞかし中国と似ているのではと思いきや、中国(広東族)は世界でも珍しくO型が卓越する。これを「広東型」とした。さらに、南米のペルーやブラジルは国が違えども同じインデイオ族である。「インデイオ型」と称することにしたインデイオ族の血液型は100%、O型というから仰天である。
 
 このようにしてみると、血液型と民族とは強い相関関係があることがわかる。そして、その国(民族)の血液型形成は、民族移動に伴って伝承・醸成されているのではないかという仮設が成り立つ。私は、これを「血液型民族移動説」と勝手に命名するのである。

 例えば、イギリスからアメリカへ、欧州から北欧へと民族が移動することにより、血液型の伝承と変化がもたらされたと考えられる。さすれば、日本のルーツはソ連にあり、アイヌのルーツは朝鮮半島にあるということになる。人類がこの地球に誕生して後、日本列島とソビエト大陸が陸繋がりにあった時期が長い。その後、今の北海道が日本本土と分離した後、朝鮮半島と今の北海道が陸繋がりにあった時期がある。

 このように考えれば、大陸の移動が民族の移動をもたらし、それが血液型の伝承となったであろうことが容易に推測できる。南アフリカを起源とするホモ・サピエンスはヨーロッパのネアンデルタール人、東アジアの北京原人、オーストラリア先住民へと分化し、各々特有の血液型を保有していたと考えられる。さらに、民族の移動と繁殖によって血液型が伝承・変化していったのではないだろうか。その中で、インデイオだけは人類誕生から南米の地に居座り、インカ帝国という巨大な文化都市を形成したと考えられる。

 単に血液型による性格判断とか人間分析という狭い了見ではなく、地球の歴史と人類誕生、民族のルーツ、民族移動、文化の伝承という総合科学的観点から血液型を論じるのも、また夢のある話ではないだろうか。

ケンカ民主主義


 橋下徹・大阪府知事自らが率いる政党「大阪維新の会」が突っ走る。4月の府議選で過半数を占めた「維新の会」は、学校行事での君が代の起立斉唱を教員に義務づける条例を成立させた。橋下知事は、就任直後からこれまで数々の画期的な行動を起こしてきた。「橋下旋風」とも言われる一連の行動はケンカ腰の采配が多く、「ケンカ民主主義」とも言われる。

 「ケンカ民主主義」との所以は、ひとつには、単純に黒か白かで決着をつける手法である。「○か×かどちらだ」と相手を追い詰める場面を幾度も見てきた。ふたつ目に、相手をとことんやり込めるやり方にある。何もそこまで、と思うほどに相手を口撃する。三つ目に、多数決原理を楯に文句を言わせない姿勢である。これは就任直後に多数決で思い知らされたことがトラウマになっているきらいがある。

 政治には「スピードが必要だ」「最後は多数決だ」という橋下語録は、いかにも正論である。彼のやり方はシンプルでわかり易い。だからこそ、府民も支援するのであろう。私自身もどちらかといえば好きなやり方である。

 ただ、問題はむしろこれからだ。大阪府と大阪市という二重構造は前々から指摘されていることだ。その役割分担をクリアなものにして、大胆な行政改革をしようという狙いはすごく理解できる。しかし、大阪府知事を誰かに要請して、自身は大阪市長に立候補するというスタンドプレー。これで勝利しても敗北しても怨念は残らないのか。あるいは、とんでもないことになりはしないだろうか。

 強いリーダーシップは問題の迅速な解決に必要不可欠である。しかし、逆にリスクも伴う。相手をなぎ倒すより、味方に引き入れる民主主義は確かに手間と時間がかかる。しかし、事によっては、あえて手間と時間をかけてやるべきこともある。そのあたりの剛柔兼ね備えたバランス感覚にやや乏しく、心もとなくも感じる。さて、大阪・冬の陣はどうなるものか。

「死」と「生」に向き合う


 震災後、多くの言葉が氾濫した。復旧・復興、原発、避難所、メルトダウン、放射線量、風評被害、一時帰宅、シーベルト・・・・・・・・・。それらの言葉の渦のなかで、我々は何か大切なものを忘れていないだろうか。それらの言葉の嵐に吹かれて、何かが取り残されていないだろうか。「不明者」と「死者」である。被害の最大事象は、「不明者」と「死者」に他ならないということを。

 死者15,769人、行方不明者4,227人(9月6日、毎日新聞発表)という歴然とした被害の現実に、我々は目を背けずに対峙してきたであろうか。取り残されたのは、大切な人を亡くした人たちではなかろうか。二人称の死に直面した人のことを忘れてはいないだろうか。我々はどこか、三人称の死として傍観してはいないだろうか。

 亡くなられた方を大切に弔うこと。二人称の死に直面した方に対する心のケアと経済的な支援。不明者のあくなき捜索。そのどれも大切なことである。しかし最も大切なことは、膨大な数の、我々にとっては三人称の死を無駄にしないことではなかろうか。

 莫大な犠牲者を出しながら、己は今、なぜ、ここに生きているのか。その意味を問い直しただろうか。「死」の意味を考えてみただろうか。己の「生」を問い直しただろうか。今後の生き方について考え直してみただろうか。今、改めて、「死」と「生」に真剣に向き合うことが必要だと、私は考えている。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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