蝉のしらせ

まだ7月というのに、朝からクマゼミが騒がしい。
「ジンジンジンジン」とも
「ジージージージー」とも
「爺、爺、爺、爺」とも聞こえる。
何かを急(せ)き立てているようである。
孫に急き立てられているのか。
終わりに近い人生を急き立てているのか。
はたまた、一向に進まぬ復興を急き立てているのか。
ともかく、蝉には蝉の事情があり、
何かを訴えているのだろう。
ひと夏だけの思いを、精一杯に。
何せ、ひと夏限りの思いである。
それだけに、真剣そのものである。
その思いが、うるさいくらいの鳴き声となっている。
終わりに近きはわが身も同じこと。
だったら、蝉に負けないように精一杯生きなければ。
スポンサーサイト

地デジ移行顛末記

 地デジに移行して早くも1週間。もしかして、我が家にだけはアナログ電波がどこぞに置き去りにされていないのか。そんな淡い期待はバッサリと斬られた。どの部屋のテレビも、ジーとまだら模様のマクロな世界。

 やはり、しっかりと移行していた。当然の仕打ちである。あれだけテレビで、うるさいくらいに何だかんだと移行を唱えていた。今になってそれを思い出す。この場に及んで、さて、どうしたものかと思案する。

 「憂国の詩人」や「大阪の女王さま」は、これを機にテレビを廃すると仰っていた。しかし、私は彼や彼女のように文化人ではない。俗人である。それも性質の悪い俗人である。

 とてもじゃないが、そのような英断などできやしない。この俗人には馬鹿な番組も滋養になる。「ダーウイン」も見たい。「たかじん」も見たい。たまには「おバカキャラ」も見たい。今だったら「世界水泳」も見たい。

 さりとて、今さら地デジのテレビを買い換えるのは癪(しゃく)である。どうしたものか。と思いきや、変換器をつけることを思い立った。

 ということで、我が家は昨日から変換器の取りつけ工事の注文が殺到している。殺到といっても、依頼人はひとりで請負人もひとりである。しかし、幽霊屋敷のような各部屋に1台ずつ、6台に変換器を取りつけるのは容易なことではない。

 配線にもたついていると、依頼人から「あなた理系でしょ」と見下された。依頼人にしてみれば、電気も物理化学も建設もすべて理系なのである。

 ここで、専門外だからとかいった言い訳は野暮というもの。そこは男。寛大なる広い気持ちで受けとめて、汗を垂らしながら配線を行う。しかし、冷たいお茶の一杯も出てこない、暑い夏の夜であった。

 しかし何ですね。国がデジタルにするって方針変更したら、この国の人たちは、皆、文句ひとつ言わずに素直に従い、デジタルに変えるものだと感心する。たまに、“もうテレビなんか見ないっ!”ていう「ひねくれもの」もいるけど。

 デジタルとアナログの住み分けは原理的にはわかるのだけど、そもそも、ほんとにデジタルに変更する必要があったのだろうか。今更ながら、徒然に思うのである。

数学ブーム

 今、空前の数学ブームである。書店では、「いかにして問題を解くか」などの数学的処方書が売れに売れている。また、ビジネスマンを対象とした数学の講座やセミナーが盛んである。もともと数学は好きなのに、受験をきっかけに苦手になったお父さん連中が、今、数学に目覚めている。

 数学という学問は、実際にどのように使われるかがわからなければ興味も沸かない。例えば、すべり台のの傾斜と高さがわかっていたら、すべり台の長さは三角関数を使えばすぐにわかる。長方体のバスの上の隅から対角線上の下の隅までの長さは、バスの幅と長さがわかればピタゴラスの定義によりすぐに解ける。

 a2+b2=c2 で有名なピタゴラスの定義は20あまりのロジックによって容易に証明される。さらに、eiπ=-1(指数eのiπ乗は-1)というオイラーの等式は数学の中でもっともすばらしい公式としてあまりにも有名である。この公式は2000ものロジックでもって証明できる。今、「オイラーの贈物」が売れている。数学者でない素人が一からはじめて征服しようというものである。
 


オイラー

 

 数学はロジックの組み立てであるが、一方で逆転の発想の世界でもある。例えば、「なぜ若者は演歌を歌わないのか」という問題があり、どうにかして若者にも演歌を歌うように盛り上げたいという社会のニーズがあったとしよう。

 その場合に、演歌を歌わない多くの若者に「どうして歌わないのか?」とアンケートしても皆、ソッポを向くであろう。でもよく考えれば、極少数であるが演歌を歌う若者もいる。逆に、その若者に「なぜ演歌を歌うのか?」と尋ねたらよい。すると、「おじいちゃんの演歌をよく聞いたから」とか「たまたまスーパーのバックミュージックに流れていたとか」という回答がある。それこそが、若者にできるだけ演歌を歌わさせるヒントになる。

 数学を社会生活の中で楽しむ。この風潮こそが技術立国日本、科学立国日本の底力になる。

拙速

 「拙速」とは、“仕上がりはまずいが仕事が速いこと”を意味する。中国の列車事故はまさに「拙速」そのものである。世界の誰もが「やっぱり」と思ったこの事故。メンツで急いだ中国の高速化が重大事故のツケとなってわが身に返った。

 半世紀をかけて新幹線網を築いてきた日本に対して、中国はその4倍もの距離を数年で成し遂げた。それも、他国の技術を継ぎ合わせての突貫工事である。他国の事故を笑うのは品位に欠けるが、最近の中国のやり方を思えば、少し冷ややかな視線を浴びせたい気にもなる。

 日本の鉄道技術は満州鉄道から100年もの蓄積がある。それを数年で盗もうとする姿勢。さらには、それを我が技術として特許まで取ろうとする姿勢。こうした中国のやり方に腹立たしさを覚える。

 しかし、この事故は皮肉にも「日本の技術は盗まれていなかった」ことを証明したわけである。技術とは知識ではない。技術とは経験とそこから生まれるノウハウである。何度も何度も失敗を繰り返していくうちに、技術は醸成されていく。どこの教科書にも書かれていない。中国の事故を見て、日本における技術継承の尊さを改めて思うものである。

 中国の「拙速」はこの事故に留まらない。開放政策に始まった中国の発展は、多くの矛盾を抱えたまま、あまりに急速に行われてきた。国による思想監視、情報管理への不満は国民の中にに確実に浸透してきている。そしてこの事故である。事故を契機に国への不満が一気に噴出するであろう。

「まさか」と「やっぱり」

 同じ事象に対しても、立場によって「まさか」と思う人もいれば、「やっぱり」と思う人もいる。それだけ、物の味方によって事象のとらえ方は異なるものである。

 中国の新幹線事故については世界の大多数が「やっぱり」と思ったであろう。中国の国民さえも「やっぱり」と思ったであろうこの事故。これとて、中国政府筋にしてみれば、「まさか」であるかも知れない。

 それでは、ノルウエーの乱射と爆破の事件はどうか。世界の多くの人が「まさか」と思ったであろう。しかし、よくよく考えれば、イスラム教に敵意を燃やす極右の台頭、移民に寛容なノルウエー政権という諸条件を考えれば、「やっぱり」と考えることもできる。

 さらに、福島の原発事故についてはどうだろう。多くの原発推進派にとっては「まさか」であろうが、脱原発派にとっては「やっぱり」である。

 このように、物の味方によって「まさか」と「やっぱり」がある。しかし事故や事件に限れば、起きたという動かしがたい事実が歴然とそこにある。であるならば、起きたという事実がある以上、真実は「やっぱり」なのである。仮に「まさか」と思うならば、事故や事件の背景的なことについての知識や洞察が足りないことに他ならない。

 それでは、重大な事故や事件を起こさないようにするにはどうしたらよいか。「まさか」という概念を切り捨てることにある。「まさか」このような大津波は起きない、「まさか」全電源停止などあり得ない、「まさか」このような規模の地震はあり得ない。そういう「まさか」を切り捨て、「万一起きたらどうするか」から始めなければならない。
 

 世の中の仕組やシステムが複雑になればなるほど、「まさか」を切り捨てなければならない。そして何より一番恐いのは、人間の謝った判断である「ヒューマンエラー」である。

同窓会

 夏のこの時期、毎年、同窓会がある。私の場合、さすがに小学校の同窓会はないが、中学、高校、大学と、毎年のように開催される。できるだけ参加するようにはしているが、この時期に集中するため、日程調整が難しい。

 同窓会というのは、学生の頃を懐かしみ、その後の進路を確認し合い、容姿の変化に驚く。かっての友と思い出話をするのはとても楽しいことである。しかし、同窓会に出席するということは、現在の生活や体調、心境などが概ね安定していることの証でもある。だから、どうしても出席者は毎年、同じようなメンバーになり、それが残念である。

 そういえば、一昨日の土曜日、私の出身高である山口県立宇部高校の同窓会が東京のホテルであった。残念ながら私は出席できなかった。友達からの情報によると、2年先輩の菅首相も出席したという。野党やマスコミに叩かれていることを愚痴っていたという。これも、気のおける友だからこそ言える同窓会の良さであろう。

 ただ進学校の高校の同窓会というのは、受験のライバル同士というイメージが強く、思い出は少ない。何しろ、私の高校の場合、生徒会の決定によって修学旅行も体育祭も、学業以外の一切の行事は中止された。高校2年で3年までの勉強を終え、3年の1年間は受験勉強に充てられた。浪人するのも当たり前の時代である。何番以内だったら東大・京大、何番以内だったら一期校といった番付表が掲示板にあった。高校の中に予備校もあった。そんな環境では良い思い出は少ない。

 今週末には大学の同窓会がある。大学となると、大きな枠では進路が同じであるため、発注者と企業の関係、顧客と下請け関係など、利害関係が存在する。だから場が白けることも多い。ただ同じ進路の枠組みの中で、受注環境、景気動向、人の移動などの情報交換の場として非常に役立つ。

 一番面白いのが中学校の同窓会である。その後の進路は千差万別である。それこそ、泥棒から警察官まで集まる。容姿の変貌が著しい。私の頃は1クラス60人、1学年25クラスの時代であった。人数も半端ではないが、殴る蹴るの事件も多かった。一番多感な時期でもある。あの子とこの子の誕生日会に呼ばれただの、あの子とできてただの、男女の話は逸話や想像も交えて尽きない。
 
 還暦を過ぎた頃から、同窓会に出席して物故者の報告を聞くのが辛い。年をとればとるほど、昔を懐かしむことを好むのか、同窓会は益々、盛んになっている。安定な時代であればこその同窓会である。いつまでも同窓会が継続できる世であって欲しいものである。

B型の話

 血液型の話をすると決まって、“血液型だけで性格を判断するのはけしからん”、“血液型と性格とは別だ”などとお叱りを受ける。そして、お叱りするのは決まってB型の人である。居酒屋で血液型が話題になると、決まって真っ先にB型の話になる。B型の話で盛り上がっていると、決まって横の席の客がB型だったりして、気まずくなる。

 だから血液型の話は気をつけないといけない。人によっては人種偏見だと糾弾するかも知れない。それを承知の上で、血液型性格信奉者である私の独断と偏見でB型を語る。良くも悪しくも、軽く流していただきたい。とくに、B型の方にはご容赦願いたい。

 B型の典型的な例が「ミスタージャイアンツ」こと長島茂雄さんである。感覚だけで行動する。感覚だけで言葉を発する。時々、変なジェスチャーが出る。英語のようで英語でないカタカナが混じる。いいように言えば、天才肌であり、芸術肌ともいえる。何かがすばらしく長けている。しかし、普通の感覚とどこか違う。どこかおかしい。

 私の会社の数少ない従業員にもB型の男子と女子がいる。よく似ている。良く言えば、一点集中型で物事に専心する。こうだと思えばそれに向かって猪突猛進する。決して振り返らない。悪く言えば、全体が見えていない。おっちょこちょいで短絡的である。 全体が見えていないのに、どうでもいい細かいことをやたらと気にする。変に気真面目で時々、怒りっぽくなる。

 B型の男子が運転する車で一緒に出張に出かける。トンネルを抜けるたびにライトを消し忘れていると助手席から注意をする。次のトンネルでも、その次のトンネルでも同じことを繰り返す。本人は運転していることに集中しているのだか、他のことを考えているのだか、聞いてみるのが怖い。

 朝、会社に一番に出社してみると、パソコンのモニターの電源が点いていたり、エアコンの電源が入ったままのことがある。決まって、最終退出者はB型である。私が出張から会社に帰って、しばらくしてから思い出したように慌てて伝言を伝えるのもB型である。別に本人に悪気はない。私よりも正直者で真面目である。
 
 そういえば、「私はちょっとB型で短絡的なところがある」とは、例の松本前復興相の辞任前の発言であった。血液型による性格判断に馴染みのない欧州メデイアは「B型のせいに出来るのか」という記事を掲載していた。南アフリカ紙は「これから閣僚は血液型で人物を任命すべきだ」と提案している。ただ、松本前復興相さん、「あなたの場合は血液型以前の問題ですから」と言いたい。

 まあ、ざっとこんなところですが、これをお読みになっているB型のあなた。あなたはきっと例外です。

ファザコン

 私の父、百合馬は私が1歳と数ヶ月のとき、あの世に旅立った。1歳と数ヶ月という幼な子なのに、不思議なことに父の顔、所作など、一挙手一投足を詳しく覚えている。

 物覚えが悪いと、鯨尺で兄を叩く姿が今でも目に焼きつく。姉が茶箪笥の上の50銭をネコババして紙芝居を見に行ったときは、人間の屑だと罵倒し、叩いていたことも覚えている。しかし、私には寝床で糸車を作ってくれる優しい父であった。

 1歳と数ヶ月でそのような記憶があるのは不思議である。しかし兄も姉も、そんなことはあったが私にその話をしたことはないという。不思議である。私には、鯨尺の赤い線、茶箪笥の色や形、糸巻のコマの格好まですべて記憶があるのに。

 幼くして父親を亡くしたため、幼い頃からの金銭的な苦労ばかりが、今でも脳裏に焼きつく。亡くなった父を恨んでも仕方ない。その分、残された母には随分と苦労をかけてきた。その母も70歳で力尽きた。私が50歳のとき、父の50回忌と母の10回忌を取り行った。

 父がいないことで、私は金銭的には最初から敗者であった。しかし、金銭的なこと以外では不利だと思ったことは一度もない。むしろ、精神的に私を強くしてくれたと感謝している。何しろ、私は1歳と数ヶ月の時から、何事も自分で判断し、自分で決断してきたように思う。そのことが、その後の人生において役に立っている。自分の頭で考える。すぐに判断して決定する。即、行動に移す。知らず知らずに学んだ生活習慣である。

 反面、これは父なし子のせいかと思う性格がときどき顔を覗かす。何でも疑ってかかるところ、人を頼りにしないところ、素直でないところ、反抗的なところなどである。初対面の私を見て、誰しも、どこぞの坊ちゃん育ちだと勝手に思ってくれるのは、私にとってはありがたいことであるが。

 還暦を過ぎた頃からか、父親を郷愁する思いが彷彿する。父が生きていたらどうだろうか。父と今頃、何を語っていただろうかなどと。父が生きていらたと思うような年齢の方に出会うと、懐かしさを感じる。よく話を聞いてあげる。こちらも腹を割って話す。意気投合したりする。たまに、父と同じ年の老人に甘えたい気持ちになることもある。

 これは、ファザコンなのか。母親は最後には娘のところに帰ると言われる。私の母もずっと私と一緒に暮らしていたが、最後は娘のところに帰りたいと言い、姉の所で最期を迎えた。しかし、私の優しい父は最初からずっと私の心の中にだけいる。

苦難の果ての栄光

 世界の頂点を極め、今や時の人となった「なでしこジャパン」の面々である。しかし、その足跡を辿ると苦難の連続であったと聞く。他の国のチームがそれぞれ、ファーストクラスで帰還したのに対して、「なでしこジャパン」はビジネスクラスならぬエコノミークラスを利用しての凱旋である。まさに、このことひとつとっても、「苦難の果て」を象徴する。

 女子サッカー大国・米国においては、女子サッカーは準国技に相当するほどの人気スポーツである。日本の女子サッカー人口は米国の200分の1に満たないともいわれる。それほどに、歴史も人気も環境も、日本と米国の女子サッカーは違いすぎる。だからこその、奇跡の栄冠である。

 朝日新聞掲載の「日本の女子サッカーの歩み」から引用・抜粋して、歩みの一部を以下に掲載する。

1966年-----神戸市で日本初の女子サッカークラブ結成
1980年-----第1回全日本女子選手権開催
1981年-----日本女子代表が初めて編成され、アジア選手権出場
1989年-----日本女子サッカーリーグ(現なでしこリーグ)がスタート
1995年-----第2回女子選手権で8強入り
1996年-----アトランタ五輪で正式種目に採用。1次リーグ敗退
1998年-----日興証券、フジタがリーグから撤退
1999年-----鈴与清水がリーグから撤退
2004年-----アテネ五輪で8強入り
2008年-----北京五輪で4位入賞 田崎真珠がリーグから撤退
 
 この系譜をみると、日本女子アッカーは一歩ずつ確実に強くなっていることがわかる。しかし一方では、リーグが経済危機に翻弄されてきた歴史がわかる。リーグ存続危機の中において、劣悪な競技環境にあり、経済的にも困難であり、ほとんどの選手が働きながらプレーしてきたのである。

 そうした選手の苦労を思うと、アタックNo.1の主題歌を想いだす。
♪苦しくたって悲しくたって
コートの中では平気なの
ボールがうなると胸がはずむわ♪

 体格に恵まれた選手を配置し、個人の能力に頼るスタイルが主流の世界の女子サッカー界にあって、日本女子サッカーは俊敏性と技術の正確さという日本人らしさを生かしたパスサッカーを追求してきた。苦難の環境下において、それを成し得たのである。

 今、国民は誰しも女子サッカーに熱い視線を送る。この栄冠を国民として素直に喜び、喝采するのは良い。しかし、少し前までは女子サッカーはまるで人気がなかったのだ。人気がなかったことが苦難の要因でもあったのだ。このことを忘れてはいけない。

 誉れ高い選手に国民栄誉賞を贈るのもよい。功労金を出すのもよかろう。しかし、そうした思いが一過性であってはならない。スポーツが国民に希望と勇気を与えるものであるならば、スポーツ振興に関わる制度、施設、人材育成などに継続的に力を傾注しなければなるまい。それはやがて、国力に寄与するものと信じる。

男社会の終焉

 なでしこジャパンの快挙は日本全国を歓喜の渦に浸した。同時に、世界を驚嘆させた。身長、体力、チーム環境など、どれひとつとっても日本に有利なものはない。正に奇跡とはこのことなのか。日本の小さな娘たちの快挙は、それほどにすごいことである。

 ただひとつ、他のどの国のチームよりも長けているものがあるとすれば、それは日本を復興させたい、被災地に勇気を与えたい、そんなチーム一丸となった思いがあることではないのか。彼女らの活躍は、今の政治のどんな言葉よりも被災地に勇気を与えたことであろう。

 なでしこジャパンの快挙の陰で何も解決しない政治的課題。対照的な両者をみるに、私は日本の男社会の終焉を期待するのである。原発、エネルギー、消費税、年金と何も解決しないどころか、解決の糸口すら見えない。党利党略、利害関係、虚栄とメンツなどがひしめく社会構造に原因があると考える。この社会構造の元凶は男社会にありはしないだろうか。

 男女平等が唱えられてもう半世紀にもなる。それなのに、未だ男女雇用均等法、男女共同参画基本法がテーマになっている。さらに、実際の会社における男女の差別はひどい実態にある。

 男社会であるが故に、男が考える男のための社会構造になってはいないのか。なでしこの快挙を見て、私は違った視点から、真の男女共同参画時代の到来を望むものである。

お知らせ

 パソコンも携帯も繋がらない人里離れた奥山に、修行のため入山していました。この間、多くのメールやコメントをいただいていましたが、返信できませんでした。申し訳ありません。やっと下界に降りて参りましたので、少しずつご返事させていただきますので、ご容赦ください。

埋蔵電力


 電力不足が叫ばれる中、注目されているのが「埋蔵金」ならぬ「埋蔵電力」である。全国の企業が持つ自家発電のことであり、発電能力の合計は6000万キロワットになるという。東京電力の供給量に匹敵する巨大な「埋蔵電力」が現実に存在するのである。

 大手電力会社や新規参入の電力事業者が余剰電力を融通しあう「電気のマーケット」というのがある。そのマーケットの東京エリアの取引が停止したままという異常事態が9週間も続いている。震災で被害を受けた東京電力が、自社の電力供給が不安定なことを理由に、取引所で約定した電力の送電受託(託送)を再開しないためである。

 あろうことか、東電は取引停止中も自社の顧客にだけは電力供給している。しかし、東電以外の事業者どうしの取引はできない。東電の送電網を使わないと電力を送れないからである。つまり、電力の売り手と買い手がいて相互に融通し合おうとしているのに、東電が送電網を使わせないため、肝心の運び手がいない状態なのである。

 電力各社や工場の自家発電設備などから電気を仕入れて、工場やスーパーなどに電力を売る電力の小売業社というのがある。正式には特定規模電気事業者(PPS)と呼ばれる。PPSには震災以降、問い合わせが殺到している。東電分が足りなくなったときに、どのメーカーやビルもPPSから電力を購入したいからである。しかし、電力会社が送電網というインフラを一手に握っているため、電力会社が「イエス」と言わない限り売ることができない状態である。

 計画停電などの非常時においても、PPSは一般ユーザーと同じ扱いになる。これでは手持ちの電力を自由に販売する経路を絶たれる。PPSが電力会社に支払う送電線の賃借料は海外に比べてかなり割高である。賃借料はPPSが顧客に販売する電力の料金の約2割を占める。

 このように、電力は原子力に頼らなくとも現実に足りているのである。しかし、その余剰電力を使えない状態にある。送電網を電力会社が握ったままであるから。電力は電力会社の独占となっている。相互の電力融通も適正分配もできない。電力があるのに使えない。その元凶が電力会社の独占的都合主義にある。電力会社を国営化するか、送電と発電を分離するしかなかろう。

事の本質

 何か発言すれば、「唐突だ」とか「思いつき」だとか言う。「順序が違う」とか、「今になって」と言う。知事も町長も「小ばかにして」とまで言う。できるだけ任期中に法案を通したいと言えば、「権力にしがみつく」と批判する。報道も一緒になって「駄目内閣」の世論を形成する。国民もいつの間にかそれに慣らされる。

 確かに言われるように、閣内不一致もある。できれば順序立ててやればいいに決まっている。その他、今の政府のやり方にはいろいろと問題もある。このことを承知の上で物申す。

 それでは聞きますが、ストレステストは必要とは思わないのですか。順序とかメンツとかばかり言いますが、事の本質は、ストレステストを行うか否かではないのか。浜岡原発は止めない方が良かったのでしょうか。原発は再稼動していいのでしょうか。

 ソフトバンクの孫さんが100億円を寄付したら、パホーマンスだと揶揄する。自然エネルギー協議会を立ち上げたら、彼には裏画策があると批判する。確かに利益を追求しない経営者はいない。しかし、彼がそこまでやるにはそれなりの理念があるとは思わないのか。

 国会議員や原発立地の県知事、町長、地元民には、それぞれに原発に絡む利益誘導があるのは、ある意味、仕方ない。しかし、その他大多数の国民までもが報道の呪いにかかり、報道が形成する風潮に迎合しようとしている。そのことを一番、危惧するのである。いつから我々はモンスター集団になったのか。良いことを良いと、なぜ素直に喜べないのか。なぜ事の本質を見極めようとしないのか。

科学者の良識


 科学者がその専門性から知り得た見解を公言することは社会的責務である。また専門性から将来を予測すること、これもまた社会的責務である。

 しかしながら、公言する知り得た見解に多寡や偽りがあってはならない。さらに将来予測を発表する場合には、予測の条件と適用限界を明確にしなければならない。そして、何よりも「わからない」ことは、明確に勇気をもって「わからない」と答える義務がある。

 科学技術の国家試験において資格者に課せられる重要な資質はふたつある。ひとつは守秘義務である。国家や組織の中で知り得た情報をむやみに外部に漏出してはならない。そういう意味では、例の海上保安庁職員によるビデオ漏出は、それ自体、公務員法に抵触する。

 もうひとつの資質は、「わからない」ことを明確に「わからない」と答えることである。国家試験において知ったかぶりの答弁をすると、間違いなく合格しない。筆記試験で合格しても面接で不合格になる人を数多く見てきた。その人たちの大半が、知ったかぶりの答弁が不合格の原因である。

 さて、このような科学技術者としての良識ともいえる基本理念に鑑みて、昨今の事件を見るとどうだろう。科学の中でも自然科学というのは最も不明確なことが多い分野である。にもかかわらず、津波や地震の予測を安直に行っている。予測に関する今までの発言をすべて覆されたにもかかわらず、まだ誰も「わからない」と言わない。そればかりか、謝罪もしていない。

 放射能に関しても「わからない」ことが多すぎる。低レベル放射能の長期における体への影響、体内被曝の実態など、「わからない」ことだらけである。国民や市民が、科学者は偉いという先入観で見ること自体に問題はある。、科学者は何でも知っているという偶像を描くことにも問題はある。しかしながら根本的な問題は、科学者自身が「わからない」ということを明確にしていないことである。
 
 私は自身の会社のホームページのトップに10年も前から「地震予知ははっきりいって何もわかっていない」と公言している。私にとって信頼できる科学者は「わからない」と言える科学者である。例えば、東京大学教授のロバート・ゲラー(地震学)である。彼は英科学誌「ネイチャー(Nature)」に「時代遅れの学説に基づいた地震予知を即刻やめるべきだ」と投稿している。我が意を得たりと思っている。

 科学者は今こそ、科学者としての良識を真摯に自問すべきである。

何かが物足りない

 サラリーマン時代から突っ走ってきた私である。地質学という専門性を天分とし、今日まで「遊んで」きた。というのも、サラリーマン時代から「働く」という意識をもったことは一度もない。まして、「働かされている」という気持ちになったことなど一度もない。私は天から与えられた命により、「遊ば」されてきたという思いである。

 今も現役で遊んでいる。恐らく、体が続く限り生涯現役を通すであろう。それは従業員のためだけではなく、自分自身のためにである。ただ、そういう日常的な生活な中で、最近、少し自分自身に物足りなさを感じている。

 地質学を武器に日々、報告書を書いているのだが、どうもその作業がルーチンになっているきらいがあるからだ。物事の上っ面を、見かけきれいに仕上げているきらいがある。どこかの教科書のように、きれいごとに収めているきらいがある。勿論、相手からはそれなりに喜ばれているのだが。金銭の対価としては十分なのであるが。

 物事の本質というのは、そう簡単なものではない。そのことを、一番よく承知しているのは私自身である。なぜ、もっと突っ込まないのか。なぜ、もっと掘り下げて考えないのか。よしんば、顧客から与えられた金額と工期の中で顧客が満足する報告書を提出したとしても、科学者として技術者として、それで満足していいのか。

 経営するということ、採算を向上するということ、そういう現実に対して、科学技術者としてのあるべき探究心、社会的責務とが、相矛盾することになる。その狭間においても、やはり科学技術者としての魂は忘れてはなるまい。

 現実と理想の狭間を埋めるため、5件に1件位の割合で契約内容を超越して、採算を度外視して徹底的に探求することにした。総合科学的見地に立って多方面から見てみよう。いい仕事がしたい。何かを残したい。天職に身を捧げたい。燃え尽くしたい。そんな思いで今、いる。

787プロジェクトの行く末


 20011年7月3日朝、日本の技術革新にまた新たな1ページが刻まれた。全日空が世界に先駆けて導入する次世代旅客機「ボーリング787」がテストフライトのため羽田空港に降り立ったのである。

787


 「ボーリング787」は、機体の主要部分に炭素繊維複合材という素材を採用した画期的な旅客機である。炭素繊維は鉄よりも強く、アルミよりも軽い。高い電気伝導率、優れた耐磨耗性などさまざまな特徴がある画期的な素材であり、これに樹脂を組み合わせた複合材料が機体に利用されたのが「ボーリング787」である。

 ボーイング社は2004年春、燃費性能に優れた787(愛称:ドリームライナー)の事業化を正式に決定した。燃費性能を上げるためには大幅な軽量化が命題であり、そのため主翼や胴体などに炭素繊維複合材を採用することにした。ここから日本の「787プロジェクト」が開始した。

 「787プロジェクト」は日本の航空機産業において大きな意味をもつ。787機における日本の生産シェアが35%もあるからである。三菱重工業が主翼を、川崎重工業が胴体部分を担当するなど、重要な役割を日本が担った。ポイントは何と言っても炭素繊維複合材にあり、日本の生産技術のノウハウが発揮された。

 世界の航空機業界は勿論のこと、ボーイングの社内においても驚天動地とされたのが、最も重要な主翼を三菱重工に任せたことである。ボーイング社が航空機の命ともいえる主翼を外注することは考えられないことであったからだ。しかし事情が変わった。主翼の材料が従来のアルミやチタンなどの金属製から複合材に変わったのである。このことが三菱重工にとってビジネスチャンスとなった。

 それでもボーイング社の労働組合を中心に反対論が根強かった。しかし、日本はその反対を物の見事に跳ね除けた。ボーイング社の厳しい要望をすべて満足させて、予定どおりの納期と品質を実現したからである。

 次世代旅客機「ボーリング787」を建設する「787プロジェクト」への参画は、日本航空機産業のみならず日本の技術革新の生き残りを賭けた正念場であった。そして、その挑戦は見事に開花した。

 炭素繊維複合材は、今後、宇宙開発、リニアモーターカー、自動車、風力発電のプレード(羽根)などに採用が拡大されてこよう。日本の物づくりの技術革命のまた新たな一歩である。政治が停滞する間においても、日本が誇る科学技術は日々向上しているのである。

私の恋愛論(六)

第六章【まとめ】

 このたびの恋愛論シリーズにおいては多くの方から賛同と異論をいただきました。ありがとうございます。自分には当てはまらないというご意見や、必ずしもそうじゃないよというご意見もありました。恋愛への思いやの感じ方は人それぞれですから、仕方ありません。ただ、ここに記したものは同じ恋愛でも「道ならぬ恋」を想定していただければ幸いです。

 恋愛に年齢はありません。一定のルールを守り、周囲に迷惑をかけなければ楽しいものです。かなわぬ恋の彼女や彼に思いを馳せるだけでもワクワクするものです。さらに言うならば、別に相手が異性でなくともいいのです。人間でなくともいいのです。恋愛とは、何かを愛でるというきもち、日々、新しい発見をすることではないでしょうか。人生、いくつになっても、ワクワク感やドキドキ感を忘れないでいたいものです。そして、失恋もまた人間を高めるものかも知れません。失恋を重ねるたびに、次なる質の良い恋愛が生まれることでしょう。
(完)

私の恋愛論(五)

第五章【その後】

 別れたあと、後に引きずるのは大抵の場合、男の方である。未練たらしくヨリなど戻そうとする。しかし、女のきもちはそのとき、既に別に向いている。さっぱりした清清しいきもちで次なる人生を歩み始めている。そんな女に、男はますます未練を寄せる。あくまでも、男は女々しく、女は男らしいのである。

 男は恋愛経験を過去の古いファイルにしまい、時々、思いついたようにファイルから出そうとする。しかし、女はその時々できっぱり新しいファイルに上書きするか消去するのである。

 そんな男女の恋愛は、普通であればそれで終わりである。復活することはまずない。しかし、いろいろな条件が備わった場合に限り、稀にありうる。最も大切な必要条件は、男の方から女々しい後追いをしないことである。これをすれば、完全に消滅する。

 次に、男はじっと忍耐強く、女の不幸を待つことである。そして、一定の時間を経過した後の運命的な出会いが必要である。女は運命的なことに弱い。ある程度、画策しようがもどうしようがよい。女が運命的な再会と思えばよいのである。その時、恋愛が再開するか否かは、やはり女次第である。

 かくして、男はいつの世においても女の支配下にあり、女は常に男を牛耳る。良い女に射止めれた男は出世し幸せな人生を送ることができるが、悪い女に捉えられた男は出生どころか路傍の石となる。何とも、男というのは哀れで愚かな動物なことよ。

サクラ

桜散り
梅雨が来たりと
思いきや
九州にまた
サクラの便り

(やらせ詩人)

私の恋愛論(四)

第四章【破局と修復】

 男が女から破局の宣告を受けたとき、男がヨリを戻す修復策はふたとおりしかない。

 ひとつは、自分に非なしと思えども、理由はともあれ、ともかく平謝りに徹する「平謝り戦法」である。悪いのはすべて自分であり貴女には一切責任がないことを、繰り返し訴える。この場合、言葉は少な目の方がよい。なぜなら、男は正直者で口下手だからつい本音が出てしまいがちだからだ。ましてや、途中で言い訳めいた言葉は禁物である。

 もうひとつの策は、逆に完璧にシラを通し切る「シラ切り戦法」である。「していない」「やっていない」「見ていない」「気付かなかった」「そんなつもりはない」「考えてもない」・・・・・と、ナイナイ尽くしの戦法である。つまり、私には悪気は一切ないのだということが十分にわかってもらえばよいのだ。

 「平謝り戦法」にしろ「シラ切り戦法」しろ、ポイントは男の「愚直さ」である。女は男の「愚直さ」に弱い。ウソだとわかっていても、愚直でありさえすれば「許しちゃおうかな」と思うものである。逆に女の怒りにさらに火をつけるのは、偉そうな男の態度や反省のなさ、男のずるさである。女にも男以上に「ずるさ」や「虚栄心」が備わっているので、相手の中に自分を見たくないのだ。唯一、男にあって女にないのが「愚直さ」である。

 いずれにしろ、破局の主導権は女であり、修復できるか否かは男の態度次第ということになる。

私の恋愛論(三)


第三章【クサレ縁】 

 いつも堅い話題が多い私が恋愛論を始めるものですから、ある読者さんから「何を血迷って」と言われる始末です。確かにこの暑さで少々、乱心しているきらいがありますが、もう少しの辛抱です。お付き合いください。

 女は概ねスロースターターである。しかし、だからといって「あせり」は禁物である。この時点で女にとって最も大切なことは「安心感」である。安心感の担保のもとに、押したり引いたりするのが賢明である。ほのかな蝋燭の炎が消えないように手を添える。火が強まると、そっと息をかけて炎を揺らしてやる。そうすることによって、炎は辛抱強い確実な灯火となる。

 女の気持ちの中に確実な火が灯ると、今度は、女は恐いくらいに燃え狂う。廻りが見えなくなる。相手の男のことしか見えなくなる。時間かまわず電話やメールをしてくるようになる。相手のすべてを欲するようになる。独占欲が強まる。もうこうなっては手に負えなくなる。原発と同じくらいに恐い。

 こうなると、男は逆に怯(ひる)み、慄(おのの)く。そして、後悔する。そのうち、煩わしく感じる。女から逃げようとする。ここできっぱり手を引いて逃げることができれば男の鑑(かがみ)である。しかし、大抵の男は曖昧に去ろうとする。そこに男の弱さと優柔不断さがある。

 曖昧さを残すが故に、坩堝(るつぼ)に落ちる。こうして、別れようにも別れることのできない男女の「クサレ縁」というものが形成される。このクサレ縁の中で、その時々の男の優柔不断な態度が女によって語り草としていつまでも語られるのだ。

 「クサレ縁」は所詮、「腐れ縁」であり、一端、離れてもまた引っ付く。そんな環境下において、およそ良い仕事などできるはずがない。男は自身の努力や能力を棚に上げて、「あげまん」に出会わなかったことを後悔する。しかし、時、すでに遅しなのだ。

私の恋愛論(二)

第二章【君子豹変す】

 中国古典に「君子豹変、小人革面」(くんしはひょうへんし、しょうじんはおもてをあらたむ)という諺がある。いろいろな解釈ができようが、男女の関係に置き換えることもできる。つまり、君子(女)はある日突然、何の前触れもなく、鮮やかに態度を変化させる。そして、小人(男)は君子(女)の豹変ぶりに慄(おのの)き、呆然とした後、それに従うことになる。

 男女の関係というのは女の気持ちの変化によって、いつでも危険をはらんでいる。今まで恒常的に良好な関係であったとしても、決して侮ることはできない。いつ突然に危機が来るとも限らない。女の気持ち次第である。

 女の気持ちは、男のひとつの言葉、男のひとつの態度によって、いつでも豹変する。女が問題にする男の言葉や態度とは、要するに「気のなさ」である。私をどれだけ大切にしてくれているのか、私にどれだけ感心をもってくれているのか、そこがポイントになる。私へのそういう思いがないから、そういった言葉や態度になるのだと責める。女はいつも自己中心的であり、男はいつも他人任せである。

 それでは、女の豹変を食い止めて平穏な良好関係を維持するために、男はどうすればよいのか。四六時中、相手の女のことを思っていればよいのだが、集中力に欠ける男には到底できない。ならば、いつも思っているということを印象付ければよいのだ。会社において上司の顔色を伺うように、女の微妙な変化を見過ごさないようにしなければならない。これは恋愛というよりも戦(いくさ)である。男が苦渋の思いで戦を制してこそ、男女の恋愛が成立する。

私の恋愛論(一)

第一章【始まり】

 恋愛が生まれるのも終わりをつげるのも、女次第である。常に女が決定権を握る。これが、私の恋愛に関する総括的な持論である。

 恋愛関係が生まれたときのことを思い出してみるがいい。恋愛関係に発展する男女の出会いというものは、一見、偶然のようであるが、実は必然的である。あとで思い出してみて、あのときの出会いが恋愛の始まりなのかという瞬間は、間違いなく女性によって演出されているのである。そこでは既に、恋愛関係になっても良いという女性のしっかりとした意思が働いている。だからこそ、確実に実を結ぶ。仮にその場で男の側にその気がなくとも、女性の一期一会的執着心により、少し時間がかかってでも必ず結実する。

 それでは男性から逆の演出ができるのかというと、これはかなり難しい。女性のように入念に計画された自然体の演技は、男性には到底できない。男と女では役者が違う。それだけ、男は初心(うぶ)で正直者である。仮に男性が強引に演出したとしても、女性が一端、拒否すれば100%ない。世間では男性が積極的にアプローチして実ったという話を聞く。しかし、よくよく考えれば、その多くは巧妙に仕組まれた女性の演技であったことが、後になってわかる。

 かくして、「いい男」はすぐに女の餌食となり、「ダメ男」だけが残る。一方、年をとっても「いい女」は残る。しかし、残された「いい女」が残された「ダメ男」を捕まえようとは決してしない。その結果、恋愛のミスマッチを生じ、婚期が益々、遅れるのである。実は、女による恋愛選択権が、この世における恋愛を不公平なものにした元凶なのである。

鬼怒鳴門と日本人のこころ

 日本文学研究の泰斗であるコロンビア大学教授のドナルド・キーン氏が日本国籍を取得して日本に永住することを決めた。既に東京北区に30年も住み、名誉区民でもある氏であるが、東日本大震災で逃げ出す永住外国人の群れを見て、日本のために何が出来るかを考えた末の決断だという。「うれしいじゃねぇか、おめぇさん、江戸っ子だねぇ」って、すぐに駆けつけて声をかけたい思いである。

 ドナルド・キーン氏は16才のときに何気なく手に取った源氏物語の翻訳本に感動した。それがきっかけで、日本の文学と文化に傾注していったという。数々の翻訳本の他に、「日本文学の歴史」「百代の過客」「明治天皇」などの著書でも知られる。安部公房、三島由紀夫、谷崎潤一郎、川端康成など、日本を代表する作家とも親交が深い。

 日本びいきで日本好きなキーン氏であるが、日本人の心の本質を理解するのに時間を要したという。彼は日本文学ではなく、日本人作家の日記に目をつけた。日常的な生活の中に日本人の心を探そうとしたのである。その中の一冊、「高見順日記」が彼の目に留まった。その一節には、終戦直後、上野駅の雑踏の中で列車の順番を整然と待つ群集の姿が描かれていた。高見順は「このような国民と同じ日本人であることを誇りに思う。彼らと一緒に死にたいと思う。」と綴っている。

 ドナルド・キーン氏は、今回の大震災で大好きな日本の風景が壊れて、大好きな日本人が多数、死んでしまったことに、計り知れない衝撃を受けたという。キーン氏は松尾芭蕉の「奥の細道」をたどる旅をして英訳出版したこともある。仙台に住んだこともある。東北大学名誉教授でもある。それだけに、芭蕉ゆかりの地の風景の変貌に、言い知れぬほど心を痛めたことであろう。

 その一方で、被災地の方々の忍耐強さ、秩序ある振る舞いに感動し、畏敬の念を抱いたという。それは、まるで「高見順日記」に描かれた情景と同じであった。その時、彼は日本人の心の本質を確信したに違いない。

 ドナルド・キーン氏は最終講義の冒頭、参加した大学院生らにこう語ったという。「愛する日本に移り、余生をすごす。大震災や福島原発で多くの外国人が日本を離れる中、私の決断に驚いた人もいたが、勇気をもらったと言ってくれる人もいた。そうだといいなと思う。永住後は、求められれば被災地に行って講義したい。被災者の忍耐強さに深く尊敬している。」と熱っぽく語ったという。そして、最後の講義は日本の古典芸能の「能」であった。別れに「私は日本という女性と結婚するのだ」とも語ったらしい。

 ドナルド・キーン氏が帰化する意味は何なのか。日本人の文化的素養の高さに感銘したひとりのアメリカ人少年が、長じて日本文学研究の第一人者になり、さらに日本人になるということである。日本人が忘れていた日本人としての誇り、日本人のすばらしい素養と文化に対する誇りを、老齢のアメリカ人学者によって思い起こさせてもらっているのである。そして、「いたわり」「つつましさ」「はじらい」という日本人ならではのすばらしい人間性を、改めて我々日本人に教えてもらっているのである。

 ドナルド・キーン氏は帰化後の名前を「鬼怒鳴門」(きーん・どなるど)にすると表明した。栃木・鬼怒川と徳島・鳴門に引っ掛けた名前である。あくまでも日本にこだわり、日本人よりも日本人的な学者の良心に感謝したい。鬼怒鳴門さんが永住の地として選んでいただいた日本、その日本国の民衆の一人であることを誇りに思い、素直に喜びたい。鬼怒鳴門さんの日本永住の決断に、日本国民の一人として「ありがとうございます」と申し上げたい。そして、我々は彼の決断を裏切ることなく、「日本人のこころ」をもち続けていきたい。


万歳、日本!万歳、日本人!
プロフィール

geotech

Author:geotech
geotechのブログへようこそ!

団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
blogram投票ボタン
フリーエリア
シニア・ナビ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR