義母の一周忌

 昨年、義母が亡くなったが、早いもので、もう1年になる。義父は3ケ月も前から案内状を準備していた。葉書の案内状かと思いきや、分厚い封書の案内状が2ケ月前には届いた。それも一人ひとりに、葬儀や49日のお礼、現在の自身の心境、さらに一周忌への参加の切なるお願いなどを、長々と毛筆の手書きでしたためたものであった。暇だからといえばそれまでだが、それだけで、思い入れが深いことが、しみじみと伝わってくる。

 そのような重厚な案内だけに、実際に準備や段取りをした長男夫婦は大変であったと察する。もう誰も住まなくなっている実家に帰って風通しや掃除をすることから始まる。仏壇の掃除、生花や供養物、遠方からの参列者の交通の便、最寄の到着駅からの車の手配、お寺さんの手配、宴会場の手配、お返しの品の手配、帰路の段取りなど、失礼がないようにと思うと、一大行事である。

 そんなこんなで一周忌の当日となったが、よりによって台風接近の日と重なった。こればかりは日程を変更することはできない。にもかかわらず、遠方からも腰の悪いお年よりや新婚さん、ひ孫まで、大勢の老若男女が参列した。義父は待ち時間の合間にも、義母との思い出の写真を参列者に見せて廻った。義母との思い出を多くの身内と共有することに、顔面に笑みを浮かべて満足げであった。義母亡き後、しばらくは意気消沈して塞ぎがちであったが、ここまで回復したことに参加者の誰もが安堵した。

 義父は昔から家系図を作成していた。それも江戸時代の頃からのものを調べあげ、詳細に手書きで整理しては追加していた。年々、結婚や出産によって家系図はどんどんと広がり、ついには1枚では収まらなくなってきている。義父は今回の一周忌に合わせて、A3の紙を何枚も糊で張り合わせた最新版を作成し、皆に披露した。ワープロではなく丁寧に細かく清書された家系図には趣きがあり、価値があるものだ。それを皆が覗き込む。ああだこうだと、人と人とのつながりや昔話に一花咲く。

 人がひとり亡くなるということは、こんな風に、いろいろな意味で大変なことである。法事の度に多くの時間とお金を費やして、身内が集う。逆に、こういうことでもないと集まることもなかろう。集まることに物理的な意味はない。しかし、精神的な意味が大きい。亡き人は、このように人と人との絆をわずかながらも保っていくことに寄与しているのである。残されたものたちが、互いに助け合って励ましあって生きていくことを、故人は切に望んでいるであろう。
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日頃往生

 IMF(国際通貨基金)の専務理事であったドミニク・ストロカーン氏が性的暴行などの容疑で逮捕・起訴された。彼は世界通貨の番人とも言えるほど、仕事ができるやり手である。彼はあくまで無罪を主張したが、かなわなかった。現在、彼はGPSを足首につけた24時間監視体制という、屈辱的な生活を送っている。

 ところが、この事件について陰謀説が急浮上している。彼が母国フランスの次期大統領候補であり、世論調査で首位を走っていることが陰謀説の原点にある。そして、彼がエール・フランス機から降ろされて拘束されたわずか数分後にツイッターで事件の詳細な真相が世界に拡散している点が指摘されている。その時間は極秘にされ、関係者以外が知る由がないというのが理由だ。

 現職のサルコジ大統領が、過去にも女性問題で失敗している好色のストロカーン氏に美女を送って過ちを犯させたというストーリーまで飛び交っている。そしてもっと驚くのは、フランス国民の過半数がこの陰謀説に賛同していることだ。

 陰謀であったか否か、その真偽はわからない。しかし、仮に陰謀が事実であったとしても彼は罪人となることは確定的であろう。大統領選立候補も断念せざるを得ないであろうし、すべての社会的地位から身を引かなくてはいけないだろう。

 今回の事件では、彼が過去にも女性問題で何度も失敗していることが大きな鍵となっている。彼だったらやりかねないねと誰もが思ってしまうこと、そのこと自体がまず彼の失態といえる。人は誰しも長い人生の中でいろいろな場面で失敗したり窮地に陥る。その時にどのように他人に思われるか、それこそが「日頃往生」であろう。

 若い頃、風邪を引いて会社に遅刻していったら、「昨晩、遅くまで飲んだのか」と上司に言われた。ストレスで緊急入院した時、駆けつけた上司の最初の言葉が「どの位飲んだのか」であった。日頃から不摂生を重ねて努力不足の私には、「日頃往生」という重い重い足かせが生涯、ついて廻る。

天地異変

 毎年春になると、山菜取りをしている。冬から春にかけて里山には順番に山菜が芽吹く。最初に雪の中からフキノトウが顔を出す。次いで、タラの芽が出てくる。プロ野球が開幕する頃には、ニョキニョキっと、土筆が一斉に背伸びする。われ負けじと、イタドリがすうっと成長する。五月の連休前後にはワラビやゼンマイが一斉に群生する。時系列で見るこの山菜の光景は、毎年、年によって多少のズレはあるものの、同じように目にしてきた。しかし、今年、異変があった。2週間くらい遅いし、順番も違う。

 日本の温泉に異変が起きている。湯量が急激に少なくなったり、濁りが出てきた温泉が多い。逆に、突然に湯量が増えた温泉もあるらしい。何かがおかしいぞ。

 一昨日、広島は梅雨入りした。関東も昨日梅雨入りしたとか。例年からすると2週間も早い。第一、5月の梅雨入りというのは私の記憶にない。やはり、何かがおかしい。

 地球は大陸で繋がっている。大きなプレート同士がぶつかり合って接合し、プレートは無数の断層や割れ目によって連続する。まるでいろいろな形のサイコロの集合体と言ってもよい。

 日本という小さな列島においてあのような巨大な地震が起きれば、日本列島のあちこちでその影響が出るのは当然である。ある場所での莫大なエネルギーはギクシャクと地殻のサイコロを歪めながら連動していく。地殻の連動は地球表面の隆起と沈降となる。岩盤の中に胚胎する地下水にも影響する。ある場所の水圧を上昇させ、ある場所の水圧を低下させる。循環する地下水は地球内部でみな繋がっている。

 別に巨大地震でなくとも、地球は繋がっていて息をしていることは容易に知ることができる。海岸線に面した斜面の変位は潮位によって連動する。干潮時に山は前のめりになり、満潮時に後ろに傾く。低地部の地下水ははるかかなたの山の頂上からの水圧と連動する。宮島の頂上の岩盤地下水も瀬戸内海の潮位に連動している。常に、地殻と水は息をしていて、その息の中で植物も動物も我々人間も生かされている。

 巨大地震は少なくとも日本列島の地形地質、地下水、植物、動物にまで影響を与えているのは間違いない。我々は目のあたりにする人間の様態に気にするあまりに、天地の変化を見逃してはならぬ。研ぎ澄まされた感性で天と地の吐息の変わりようを感じていこう。

目と顔は口ほどに・・・・

 人が何かをしゃべるとき、その人の目の動きや顔の表情を見れば、口以上にすべてを語るものである。その人の人となり、人間性、言ってることの理解度、自信のほど、真剣さ、言ってることの信憑性などがわかる。それは口から発せられる内容とは関係なく、聞く側に伝わるものである。

 副社長のMさんは白髪のぼんぼん育ちのおだやかな表情の方である。工務店の社長さんか町内会の老練会長といった風貌であり、普通であれば人のいいおっちゃんであろう。その彼の会見を見ると、いつも目が泳いでいる。キョロキョロとした瞳孔と軽微な顔の痙攣、落ち着かない表情を見ると、この人は嘘を言っているに違いないと思う。

 災害直後に急遽、抜擢されたNさんは、いかにもガリ勉の東大上がりといった風貌である。彼は頭が良い。全くの専門外にもかかわらず、伝えられたことを自分なりに咀嚼(そしゃく)して、それ以上でもそれ以下でもなく淡々と伝える能力が備わる。彼が偉いのは、言われたことを正確に伝えるというイエスマン的な伝道師に徹していることである。彼にとっては、発言内容が真実か否かということは関係ない。まして、私には責任ありませんという表情がありありと見える。だからこそ、恐いくらいの冷淡な笑みをうかべて淡々としゃべれるのであろう。

 「言った言わない」の張本人であるMさん。最初の頃は普通に、「私には責任ありませんから」的な発言を淡々としていた。しかし、「ゼロではない」発言が問題になると急変する。狼狽した後、横暴強権な本音が出る。最後は「ゼロではないということは、ないということだ」と屁理屈にもならない答弁を繰り返し、あくまでも保身する。しかしその直後、「中断はなかった」ことが発覚しそれが報道されると、「それじゃ、私は何だったんでしょうね」と薄ら笑顔で会見する。「何だったんじゃないです。あなたの発言で国会もすべて翻弄させられたのです。あなたが元凶なのです。」と言いたい。彼は典型的な保身一筋の御用学者であり、彼の表情からは卑劣怯懦(きょうだ)な人間性が垣間見られる。

再び、20ミリシーベルト

 文部科学省が設けた校庭利用基準「年間20ミリシーベルト以下」に対する批判が再熱している。住民が血相を変えて猛烈に抗議する様子や民主党与党の議員さえも声高に反対する様子がテレビで流れる。子供の将来の生命を無視しているとか、今すぐ「年間1ミリシーベルト以下」に撤回すべきだというのが批判の趣旨のようである。

 私は5月6日のブログにおいて「20ミリシーベルトの意味」というタイトルの記事を記した。再度ここで同じ内容を掲載するつもりはない。しかし、校庭利用基準を決めた根拠だけは、ここに再掲しておく。国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告による『原発事故などの緊急時の被曝量は20~100ミリシーベルトの範囲で運用すべきであり、事故後は年1~20ミリシーベルトの範囲で対応するように』に準じたものである。

 放射能による健康被害の長期的影響ついてはほとんどわかっていない。長期の臨床学的データとしては、広島・長崎の原爆やチェルノブイリなど限られているからである。しかもそれらのデータは、瞬間的な高レベルの外部被曝のケースである。低レベルの放射線を長期的に受けた場合の健康被害や外部被曝と内部被曝の因果関係など、ほとんどわかっていないのが実情である。

 今、わかっていることは、100ミリシーベルトに達すると健康に害が出るらしいということだけである。だから、20ミリシーベルトだと安全だと、誰も言えないし判断もできない。1ミリシーベルトだって、絶対に安全かというと、誰も言えないし判断もできない。要するに、わかっていないのだ。

 そういうと決まって、わかっていないのだったら厳しい方に基準を設けるべきだという論理を展開する。そりゃ、できるだけ安全に越したことはない。誰しもそう思う。だからといって、わかってないのにどこまで安全側にすれば気が済むというのか。それだって根拠がない。大切なことは、あまりわかっていないことをまず認識し、そのことを国民が共有した上で、このような考え方からこのように設定したと、政府が明確にわかりやすく発表することである。そして国民はその決定を冷静に受け止めたい。一番恐いのは、騒ぎ立ててあらぬ風評を呼ぶことである。

元気をくれる赤

 朝方、会社の駐車場にいつものように車を止めて、ふと朝日が差す方に目線をやる。すると、駐車場隣の庭に、見るも鮮やかな赤い花が点々と咲き乱れているではないか。何と見事な真っ赤な薔薇だろうことかと、恐る恐る近づく。すると、なんと赤い花ならぬ赤いブラシであった。小さめの洗車ブラシを赤色スプレーして、ツゲの樹の枝に一杯くっ付けたような異様な樹である


ブラシノキ

 生まれてはじめて見るこの花、早速、調べると、その名は何と、「ブラシノキ」であった。なんだ、そのまんまじゃないか。おまけに東にある。この「ブラシノキ」はオーストラリア原産の木だそうだ。赤いブラシの毛のように見えるのは「おしべ」なんだとか。別名「カリステモン」はギリシャ語で「美しいおしべ」という意味らしい。おしべの先に金色の花粉をつけることから、和名は「金宝樹」と呼ばれる。

 それにしても、この「ブラシノキ」は赤いおしべに勢いがある。女神の太陽に向かって四方八方、おしべが思い切り手を伸ばしている。まるで若い頃の私にそっくりである。屈託のない南国風の雰囲気も心地よい。「見て、見て」と自己主張している。何と言う単純な美しさであろうか。赤は元気をくれる。そういえば赤い勝負パンツ、最近では使い道がなくてしまったままだ。

 暗いニュースで私が愚痴っている間にも、すぐ隣で、こんなに屈託なく咲いて叫んでいたのだ。「あまり考えすぎない方がいいよ」「なるようになるさ」「自分を主張しなさいよ」「ぱぁっーとやろう!」って。今日は隣の元気をいただいた。

善意の「かたち」と「きもち」

 大震災の復旧・復興に対する善意の「かたち」はさまざまである。義援金や支援物資の輪は全国通津浦裏にまで及び、ほぼ全員参加の善意が展開されている。こうした全員参加の善意は、善意のかたちとして理想的であろう。

 一方、タレントやアーテイスト、有名人などが現地に訪れて励ましている。また、チャリチイーのコンサートや演奏会、競技などのイベントも全国で多く開催されている。これもまた、前記の国民レベルの善意とは違って、有名人だからこそのインパクトが大きい励ましの原動力となっている。

 そうした中で、ソフトバンクグループ代表取締役の孫正義さんが個人として100億円を寄付したことが話題になっている。4月3日に寄付を発表したものの、1ケ月過ぎても1円も入金していないと報じられている。さらに、寄付の裏側で画策していることに対して、売名行為だとか利潤追求の戦法だとか揶揄されてもいる。

 一方、アメリカ軍による「トモダチ作戦」に対して、「その見返りに何を要求するのか」と言う意見もある。つまり、「トモダチ作戦」は単なる日米の友情からの行為ではないという懐疑的な意見である。また海上の一斉捜索の時、「アメリカ軍は空から捜索しただけで海中に潜って捜索するのはすべて自衛隊がやった。この時期に空から捜索しても何の意味もない」という批判も聞く。

 こうした意見を聞いて私は思う。とりあえず善意には素直に感謝しようよ、と。批判している人は被災者ではない。被災者だったら、どのような「かたち」であれ、援助には感謝するであろう。批判の中身の真偽について、私自身は確たる証拠も持ち合わせていない。であれば、とりあえず素直に喜び感謝したいと私は思う。その上で、この際だから善意の「かたち」と「きもち」について、さらに考えてみた。

 江頭2:50(エガちゃん)が原発事故で物資が届かない福島県いわき市に、自ら運転するレンタカートラックで物資を届けた。彼は震災直後からスーパーなどに交渉して自腹で水や電池などを購入して集めたという。本人はできるだけ極秘に行ったが、目撃者がブログやツイッターに投稿して瞬く間に広がった。当初はデマだろうという人もいたが、北野誠が所属事務所に問い詰め、最終的に事務所がその事実を認めた。

 いつもはキモイと思う江頭2:50であるが、彼はできるだけ一般人として普通にボランテイアとして動きたかったのであろう。その意味で、私は彼を見直した。北野誠は言う。認めさせたのは自分の責任である。この際、あまり拡散しないでとテレビ局などに要請したらしい。

 被災地の女子学生にどのような支援やボランテイアが心に響いたかというアンケートをしたところ、江頭2:50の行為が断トツの1位になった。多感な女子学生である。彼女らはアイドルやスターの被災地訪問や孫さんの100億円よりも江頭2:50を選んだのである。

 他にもいい話が沢山ある。小学生が少ない小遣いを貯めて街頭の募金箱に入れる。地方のひなびた漁港の漁師たちが大漁旗にメッセージを一杯書いて、港も船も失った石巻漁港に贈る。大学のボート部が手作りのボートを作って、ボートを失った東北の大学のボート部に贈る。小学校や中学校ではクラスで応援メッセージを書いて送る。義援金や支援物資とは別に、多くの励ましの手紙や絵が避難所に届けられている。意外にこれが被災者の大きな励みになっている。

 こうした数々の善意の話を聞いて、私はこう思う。善意の「かたち」というのは、人によっても立場や環境によってもさまざまである。どのような「かたち」の善意であっても、善意は善意である。しかし、肝心なことは善意の「きもち」である。善意の「きもち」や「こころ」がこもってさえいれば、どのような「かたち」でも良い。善意の「きもち」や善意の「こころ」、これこそが最高の善意なのであろう。逆に、どのような大きなプレゼントであっても、「こころ」のない贈り物は善意ではない。善意を通じて、人にとって一番大切なものである「きもち」や「こころ」について、改めて考え直させられる。

怠け者の勧め

 私は常々、若い人や社員に怠け者になることを奨励している。何を隠そう、怠け者を勧める私本人が、実は誰よりも怠け者なのである。正真正銘の怠け者である。だから、怠け者の気持ちがよくわかる。怠け者でなければいけない理由を、私自身が一番よく知っている。

 どういう風に私が怠け者かというと、単純である。一言でいうと、楽をしたいのです。早く遊びたいのです。くだらない仕事や単純な仕事にタラタラと時間を費やしたくないのです。そういう仕事はテキパキと短い時間で処理したい。とっとと済ませて楽しいことをしたい。ただそれだけである。短い時間で人並み以上の仕事をするというのが、私の会社のモットーでもある。

 こんな風に怠け者を押し通すには、それなりに努力と工夫が要る。例えばWord入力だと無数の単語・用語を事前に登録しておく。「調査地の基盤岩は花崗岩よりなると考えられる。」と入力する場合は「ちのきはかよか」と入力して変換すれば終わる。Excell計算では関数を駆使するのは無論のこと、マクロ計算を使う。アカデミックな図表をたちどころに作成できるようにする。いろいろなソフトを使って、もっと短時間に早くできないのか、とことん追求する。作業の順序と優先を考える。そうしたことだけで、かなりの時間短縮ができる。

 時間は無限ではない。有限である。限られた時間の中で、できるだけ早く、いかに見栄えのよいプレゼンができるのか、これが私の仕事の生命線である。逆に、時間をかけることを厭わない人が嫌いである。そういう人は時間をかけてやるから、いつまでも進歩はない。

 そういう怠け者の私であるが、一番肝心な局面や頭を使う場面においては、それまで蓄えた時間の貯金をはたき出して、じっくりと腰を据えて考えることにしている。仕事も遊びもメリハリが必要である。しょうもないルーチンなことは軽く流し、肝心なところをしっかりと押さえる。そのためには、限りなく怠け者でなければならない。こうして、怠け者になることにも理屈をこねる、私は変な奴です。

懺悔の日々

 事故が起きた後、原発や放射能について、ここに諸々と記した私である。原発行政からの離別や新エネルギーの提唱もしてきた私である。そういう私であるが、後ろめたいことがある。それは、震災の直前まで原子力の仕事に携わっていたことである。

 山口県の瀬戸内海に立地予定の原発に関して、活断層の調査に昨年末からそれこそ震災の直前まで携わっていたのである。その時には原発の恐さも何も考えていなかった。ただ、お金に何らの糸目をつけない電力会社の財力に飽きれていた。電力会社の傲慢無礼な態度を毎日のように目にしていた。それでも仕事と割り切り、財力にすがるように一緒になって仕事をしていた。ちょうど震災の1週間前、所用からその現場から身を引いた。

 震災と事故の直後、その現場は当然、即刻中止となったであろう。現場は混乱したであろう。周辺の住民から罵声を浴びたかも知れない。最近の報道によると、電力会社はその原発の立地を断念すると発表した。その時の電力会社の担当者、元請や下請けの方と互いに連絡も取るはずもない。潮が引くように、すべてが消えていった。残ったのは債務だけである。
 
 いわば私は原発推進の一端を担ってきたも同然である。今では良いことを言っていても、私も戦犯のひとりかも知れない。そうした懺悔の思いが重くのしかかる。このブログも電力や関係者が目にすることがあるかも知れぬ。そうすれば、どうなるのかは承知の上である。それを覚悟の上でアップする。これからも深く深く懺悔をしていこう。そして、この気持ちを忘れずに仕事で社会にお返しをしていこうと思う。

バラが咲いた

 我が家にもバラの季節がやってきた。バラはほぼ1年中咲くが、この時期が一番美しい。バラの手入れは大変である。ほぼ毎日水やりが必要であり、殺虫も欠かせない。

 このバラを愛でることができるのも同居人のお陰である。しかし僭越(せんえつ)ながら、その陰には並々ならぬ私の下支えがあることを付け加えたい。というのは、同居人はバラを命とする。間違っても私を命とするものではない。バラのための作業は一時も惜しまない。どのような家事を除外してもである。その結果、私には洗濯物を取り入れたり、ワイシャツにアイロンをかけたりの作業任務が必然的に課せられるのである。
 美しいバラたちよ、君らは私の犠牲のもとに生かされているのだ。



バラ



 玄関先に繁茂するバラのトゲに引っかかりながら毎朝、新聞を取りに行く。そのバラを横目にやや疎ましく愛でる私ではあるが、夜はバラの開花を祝ってマイク真木の「バラが咲いた」をギターするのである。


♪(一番)
バラが咲いた バラが咲いた
真っ赤なバラが
さびしかった僕の庭に
バラが咲いた
たった一つ咲いたバラ
小さなバラで
さみしかった僕の庭が
明るくなった
バラよバラよ 小さなバラよ
そのままで
そこに咲いてておくれ

♪(心の灯火)
希望がわいた希望がわいた
小さな希望が
さびしかった僕の心に
希望がわいた
たった一つ光が見えた
小さな光が
さみしかった僕の心に
勇気がわいた
希望よ希望 小さな望み
絶やさないで
光を届けておくれ

実践的技術の提唱

 日本のロボット技術は世界最高だと賞賛されていたはずである。しかし、フクシマでは全く役に立っていない。それどころか、海外のロボットが導入されるというふがいなさ。なぜだろう。年間30億円もの研究費を投じていたにもかかわらずである。その理由は、端的に言って危機的環境において操縦することを想定していなかったからである。全く、何のためのロボット技術なのか。

 一方、自衛隊による援助活動にはほんとうに頭が下がる思いである。連日の激務にもかかわらず、隊員の士気は高く、組織力と使命感、連帯感は見事なものである。これは日々実践として訓練している賜物であろう。消防隊員にしても警察にしても、日々の実践の成果が緊急時に役に立っている。

 机上の技術というのは概して紙上の空論となる。実際に役に立つ技術というのは現場にある。それも想定外の過酷な現場にある。そこではじめて未知の問題に遭遇し、それに対処しようとする。そこからはじめて知恵やアイデアが出てくる。そして真に実のある実践的な技術が生まれてくる。

 地球科学を取り扱う私もそのことを肝に銘じている。「悩んだら現場へ」をモットーにしている。机の上では何も生まれない。室内での議論は何も解決しない。現場の実情をもっと見るがよい。きっと現場は何かを教えてくれる。政府の復興会議のメンバーにも言いたい。「霞ヶ関の会議室の中でちまちま議論してんじゃない!」「今すぐ、現場に行け!」と。

メルトダウンと疑心暗鬼

 新たな情報が出てくるたびに、情報を隠蔽していたとか情報を操作していたと、国民は疑心暗鬼になる。その気持ちは素直によくわかる。一義的に、国民を疑心暗鬼にさせるのは情報を出す側に問題がある。しかしながら真実はどうなのかというと、必ずしも情報隠蔽や情報操作に相当しない場合も多い。

 例えば、地震直後に既に起きていたことがわかった「メルトダウン」の問題。「隠していた」とか、「知っていたが工程表が確定するまで知らせずにいた」と批判する声しきりである。しかし、真実はどうだろうか。

 地震直後には電源がすべてショートしていたはずである。中に入ることも近寄ることも、水位計もすべての監視・調整電源がストップしていたはずである。その時点でも、ひょっとしたらメルトダウンしているかもという疑念はあったかも知れない。しかし、そんな憶測で発表することはできるはずがない。

 その後、注水冷却するも、注水しても注水しても水が充填してそうにない。地下建屋やトレンチにあろうはずがない汚染水が溜まっていることがわかる。もしかして炉心タービンに亀裂が入って漏水しているだろう、メルトダウンしているかもと、この時点でもある程度の推測がつく。それでも確信するには至らない。

 その後、ロボットが入る。空気が清浄され、人が入る。水位計が機能し、初めて水位が確認される。さらに、漏れ出た汚染水を分析したところ炉心溶融でしかありえない物質が確認される。この時点が、「perhaps」(ひょっとしたら、もしかしたら)から「probably」(おそらく、たいてい)への変換点であろう。ただし現時点でもこの目で確認した者は誰ひとりいない。

 一方、メルトダウンの発表を受けて専門家は言う。「私は最初からメルトダウンしていたと思った」と胸を張る。しかし、どの専門家がその時点であくまでもメルトダウンを強調し、政府や東電に申し入れたというのか。地震予知と同じく、ここでも後出し発言がまかり通る。

 最も懸念することは、小さな疑心暗鬼が広がり国民全体が疑心暗鬼のスパイラルに陥ることである。情報が錯綜する中、何が真実なのかを冷静に見極める力が国民ひとり一人に試されている。

五月の詩

 私は理系ですから、頭はどうしても論理的であり、立証的です。だから、文章が堅いという批判もよく受けます。すみません。こういう私ですから、とても詩の心など持ち合わせていません。ましてや、「憂国の詩人」と私が勝手に称える山猫軒さんのメルヘンチックな優雅な詩など、私とは別世界の理解不能なものです。
 こんな私ですが、谷川俊太郎さんの詩が好きです。以下は、谷川俊太郎さんの五月の詩です。


「丘の音楽」

私を見つめながら
あなたは私を見ていない
見ているのは丘
登ればあの世が見える
なだらかな丘の幻
そこでは私はただの点景

音楽が止んで
あなたは私に帰ってくる
終わりのない物語の
見知らぬ登場人物のように

私のこころが迷子になる
あなたの愛を探しあぐねて



連休、この詩を酒の肴に同居人や娘と会話した。

「意味がわかるか」・・・・・・「えっ 、お父さん意味がわからないの」
「わかる部分もあるがわからない部分もある」・・・・・・「どこが?」
「丘から見えるあの世とは何?」
「丘はなだらかに決まってるだろう」
「終わりのない物語の見知らぬ登場人物って?」・・・・・・「・・・(無視)」

ということで、私にはやはり詩心がないようです。
終いには、理系は理屈っぽいとまで釘をさされる始末。

だったらと、この詩になぞらえて、即興で作った。


「夢の果て」

私を見つめる振りして
あなたは私を見ていない
見ているのは夢
ともに追えばまた別の夢
どこまでも続く果てしない夢の世界
そこでは私はただの助け人

妄想から覚めて
あなたは私に帰ってくる
行き場のない場末の
夢遊病者のように

私のこころがすさむ
あなたへの愛を悔やんで

安全率

 放射能の人体への影響に関する「直ちに健康に害はない」発言や「想定外」の大津波発言など、国民の人命や健康に関わる発言に、国民の多くが今も釈然としない思いを感じていることだろう。なぜ釈然としないのか。それは、どの発言にも「安全率」という大切な論点が欠けているからである。今回は、この「安全率」という概念について説明したい。

 安全率とは余裕幅です。どの程度の余裕を見込むのかを示すものです。例えば、有史以来の記録にある津波の最高位を10mとすると2割(20%)の余裕を見れば高さ12mの防波堤を作らなくてはいけない。5割(50%)の余裕を見るのであれば15mの防波堤になります。この場合、過去の最大津波高さ10mを基準として安全率1.0とすれば、12mの防波堤は安全率1.2で設計したことになり、15mの防波堤は安全率1.5で設計したことになる。

 同じように地震力についても、例えば500gal(ガル)という加速度を基準(安全率1.0)とすれば、2割の余裕をみて安全率1.2で設計すれば600ガルの加速度に耐える構造にしないといけないし、5割の余裕をみて安全率1.5で設計すれば750ガルの加速度に耐える構造にしないといけない。

 放射能による人体への影響についても、年間放射線量50ミリシーベルトを人体への影響のギリギリの限界(安全率1.0)とすれば、安全率を50とすれば年間1ミリシーベルトを規制値(閾値)としなければならない。ICRP国際放射線防護委員会)が放射縁作業者の年間線量限度を50ミリシーベルトとし、一般人の年間線量限度を1ミリシーベルトとしているのは、安全率50程度を想定しているふしがある。

 それでは安全率はどのように定めるのか。一般の土木や建築では安全率1.20~3.00の範囲内に設定されている。建設される構築物の重要性によってこの範囲の中で決められる。事前に詳細な調査をしてかなりの精度で予測できるから、この程度の安全率で済む。

 一般の土木建築と津波を一緒にはできない。なぜなら、有史以来の津波最高位を想定される限界(安全率1.0)とすること自体、十分に信頼できるものとは言えないからである。現に想定される津波高さの3倍以上の津波があったわけである。ましてや、放射能汚染に関しては人体への影響に不確定要素が多いこと、発生した場合のリスクは全世界に広がることなどから設計安全率を大きくしないといけない。

 設計される安全率は、どの程度不確実性が大きいかという要素と、万一、基準安全率(Fs=1.0)を下回る事態になったときのリスクの大きさによって決められるべきである。今回の一連の国民の生命と健康に関する規制値の発言・発表に欠けているのは、どの値を限界値(基準値)にしているのか、どの程度の余裕(計画安全率)をみているのかを明確にしていないことである。






安全率

断絶からの回帰

 日常から断絶された非日常という現状。ここから脱皮するため、人も社会も、もがき苦しんでいる。回帰の方向性にはふたつの路線がある。ひとつは「立て直し」であり、もうひとつは「世直し」である。「立て直し」とは、被災された方々の切実なる願いである元の日常を取り戻すことに他ならない。他方、防災対策は言うに及ばず、エネルギー政策から日本のあり方に至るまで、この際、抜本的に見直す必要性、つまり「世直し」の声も大きい。

 無論、「立て直し」は優先して実行しなければならない喫緊の課題である。さりとて「世直し」の方向性を間違えると日本の存在すら危うくなる。正しい「世直し」という舵(かじ)とりを行いつつ、同時に「立て直し」を計っていくことが、国民と政治に課せられた大きな課題である。

 それでは、「世直し」とはどのようなビジョンを描くのか。知識人による復興会議なるものがどうのような青写真を示すのだろうか。防災都市空間など夢物語の大きなビジョンを掲げたとしても、問題はビジョンの根底にある精神である。その精神とは、震災後我々がよく耳にした「想定外」という言葉の認識にあると思うのである。

 「想定外」とは文字どおり“夢だにしなかったこと”であるはずである。しかし、震災後に我々がよく耳にした「想定外」とは、真に「想定外」であったのであろうか、非常に疑問に思う。例えば『三陸海岸大津波』(吉村昭著、文春文庫、460円)の中の「明治二十九年の津波」を一読すると、今回の大津波に酷似した状況が記載されている。すなわち、津波は海抜50mまで遡上し、地震から30分間の行動が生死を分けたことなどである。つまり、「想定外」は既に歴史の中に刻まれていたのである。

 とすると、我々が震災後によく耳にした「想定外」とは、文字どおり“夢だにしなかったこと”ではなく、過去に起きた事実、すなわち「想定内」を恣意的に「想定外」にしていただけではなかろうか。

 「天災は忘れた頃にやってくる」とは寺田虎彦の言葉である。我々は「想定内」の歴史上の事実を、できるだけ見ないように、知らなかったように「想定外」としていたのではないのか。とすると、それは「想定外」ではなく人間によるミス(ヒューマンエラー)ということになる。

 すなわち、日常から断絶された非日常から回帰するための重要な基本精神とは、過去の事実を「想定内」の教訓として生かすことに他ならない。

優しさのいろいろ

 久しぶりに広島の市内電車に乗った。車内は込み合っていた。電車がとある駅に停まり、松葉杖の少年と、後から母親らしき女性が乗ってきた。混雑した車内に空席はない。松葉杖の少年が立ったちょうど前の席に座っていた女性が立ち上がった。「どうぞこちらにお座りください」と言って、松葉杖の少年が座るのに手を貸そうとした。

 すると、松葉杖の少年の後ろにいた母親らしい女性が言った。「この子は自分のことは自分で何でもさせていますので お席だけはありがたく頂戴いたします」と、介護を制した。ピンと張り詰めた空気が車内に漂う。松葉杖の少年がちゃんと座れるのか、乗客の誰しもが固唾をのんで凝視した。少し時間がかかったが、少年は無事に座ることができた。

 乗客はみな安堵のため息に包まれた。幸せが車内に舞い降りた気分に浸された。少年の自立心があり、席を譲った人の親切があり、乗客の思いやりがあり、これらが一体となって車内に幸せを呼んだ一瞬である。そして何よりも輝いたのは、少年を思う母親の厳しい優しさであった。

菅降ろしPart2

 何も言わなければ指導力がないと叩かれ、何か言えば思慮がないと非難される。どうしてこの国は人の批判ばかりに専心するのか。どうしてもっと建設的な意見が出ないのか。情けなくなる。

 仮にも自分たちで選んだ一国の首相である。その首相をどうして支えようとしないのか。言動に問題があるとすれば、具体的にどうすべきだというのか。だったら、誰が首相になればよいというのか。決まって、誰もそれには答えないのである。

 これだけは言おう。「浜岡の中止」の決断を菅首相以外で誰ができたというのか。決断に思慮があろうがなかろうが、決断自体に意味があるのである。大げさに言えば、今後の原発政策の転換を意味する重い発言である。今の自民党だったら、誰も決断すまい。否、ひとりだけいた。河野太郎である。自民も公明も復興対策本部になぜ入らないのか。菅首相が信頼できないからだと言う。どこがどう信頼できないというのか。それでは「嫌いだから一緒に遊ばない」という駄々っ子と一緒である。

 自公がなぜ菅さんを信頼できないと言うのか、教えよう。自民や公明が恐れているのは菅さんの本気さである。脱原発の覚悟が恐いのである。長期にわたって醸成してきた原発の利害構造を根本から覆されるのが恐いのである。

 ここに集う良識あるシニアが指摘するように、日本のメデイアの凋落は明白である。政府の批判ばかりを繰り返し、自らは泥を被らない。20Km圏内に入るのは外国メデイアばかりである。

 そのような体たらくなメデイアに惑わされることなく、我々は何が真実かを見極めなければならない。「菅降ろし」の構造にどのような真実が見えるのかを。早くも原発利権を再構築する動きを。

ホームレス歌人・公田耕一

 公田耕一さんって、ご存知でしょうか?
 朝日新聞を読んでいらっしゃる方、とりわけ「朝日歌壇」を見ていらっしゃる方なら、どなたもご存知でしょう。

 2009年12月、朝日歌壇に彗星のごとく一人の歌人が現れた。自称「ホームレス」の公田耕一さんである。朝日歌壇の投稿規程には住所明記がある。しかし、彼は住所という存在証明すら持たないホームレスである。ホームレスを排除すべきでないとの新聞社の考えから、あえて住所表記を「ホームレス」として投稿が許可された。

 公田耕一さんの歌は翌2010年9月までのわずか10ケ月の間に40首、ほぼ毎週のように異例の頻度で入選を重ねた。選者から「真に迫る、知的な歌」と注目され、毎回二人以上の選者が取り上げるほどの評価を受けた。いつの頃からか、彼は「ホームレス歌人・公田耕一」と呼ばれるようになった。朝日歌壇においてはホームレス歌人・公田耕一の句とともに連動する句も掲載されるほどに話題となった。



公田耕一

 「ホームレス歌人・公田耕一」の代表作を紹介しよう。

「親不孝通りと言えど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす」

「柔らかい時計を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」

「鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか」

「日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る」

「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」

「百均の赤いきつねと迷ひつつ月曜だけ買う朝日新聞」

 最後の句は、カップ麺を我慢しても、原則月曜朝刊掲載の「朝日歌壇」に掲載された自身の句を見るために新聞を買う姿が浮かぶ。

 しかし、「ホームレス歌人・公田耕一」の投稿は2010年9月を境に突然、プツリと途切れた。「なぜ投稿しなくなったのか」と騒がれ、「公田耕一は虚構の人ではないか」などと噂された。朝日新聞社としては住所がないため投稿謝礼も届けることができない。その無念さから、2月16日朝日新聞記事に連絡を求める旨を掲載した。その後、公田さんはその記事を読んでいることがわかった。
 
 ノンフィクション作家の三山喬さんは公田耕一さんの正体と消息を追った。公田さんを求めて横浜のドヤ街・寿町に入り込み、半年にわたって住人や施設関係者にインタビューした。パパラッチもどきの取材を重ねたが、結局、公田耕一の正体はわからずじまいであった。ただ、ひとつわかったことは「コウダコウイチ」ではなく「クデンコウイチ」らしいということであった。

 さらに、クデンコウイチは1日の大半を図書館で過ごしていたこともわかった。なるべく自分の稼いだ金で食べ物を買うが、それでも週に何度かはボランティアが配る弁当で空腹を満たしていたこともわかった。東日本大震災の直後、路上生活をしていた横浜から姿を消し、消息を絶ったことまでわかった。三山喬さんは取材結果を『ホームレス歌人のいた冬』(、東京大学出版部、1890円)にまとめた。この本には、公田耕一さんの短歌を軸にして、今という時代が作り出したホームレスと世相が描かれている。

 さて実は、震災が起きた3月11日の翌日、公田耕一(クデンコウイチ)さんは信州・長野にいたことが報道特集の取材で判明した。彼は本名を田上等(タガミヒトシ)という。田上さんはスーツ姿で生き生きと働いていたのである。ある企業が資金を出して被災者への物資の輸送をボランテイアでやっていて、そこで中心的役割を担っている。現在、宿舎を与えられていることに感謝し、精力的に動き回っているのである。震災直後になぜそのような変身をとげることができたのかなど、詳細は依然として不明である。

 「ホームレス歌人・公田耕一」が田上等であったこと、それ以上に驚かされたのは、田上等の経歴である。実は、彼は菅直人の盟友であったのだ。

 時代は安保闘争の時代にさかのぼる。理想選挙の運動に参加したいと田上は婦選会館を訪れ、そこで菅直人と出会う。二人は盟友としてその後も政治活動を共にした。市川房江さんの選挙を支えた2年後、菅は衆議院選挙に立候補、落選はしたが、この時、田上さんは選挙対策本部の責任者として菅さんを支えた。菅さん夫婦は田上さんの仲人までしている。

 その後、田上さんは自ら出馬したが落選、選挙資金を作ってやるという儲け話に乗り、家と土地を失うという取り返しのつかない失敗をした。田上さんは政治家になるのを諦め仕事も退職、離婚し、借金を抱え自己破産した。一方、菅さんは再度、政治家にチャレンジして当選、その後は着実に躍進してついには頂点を極める。

 以上が「ホームレス歌人・公田耕一」ならぬ田上等の物語であるが、一連の物語から我々は何を学ぶことができるのか。田上等と菅直人という二人の盟友の、その後の人生の盛衰という運命のいたずらであろうか。公田耕一の短歌のすばらしさであろうか。公田耕一から田上等への華麗な転身であろうか。そのどれも、私はそう思わない。

 最も注目すべきは、ホームレス・公田耕一のプライドである。菅直人が盟友であったことを他言するわけでもない。それを利用するわけでもない。菅直人を憎むわけでも妬むわけでもない。ホームレスという自分の立場を十分に承知した上で、それでも短歌を作り、読書し学習する、その下向くでなおかつ前向きな生き方こそが賞賛に値するものである。その拠り所はプライドなのであろう。真のプライドとは、外に現すものではなく内に秘めたものである。そして、どのような立場や環境であろうとも自身の内なるプライドを捨てることなく下向きに努力していれば、いつかは報われであろうことを示唆するものである。さらに、その逆も真であることも、教訓としてよく肝に銘じなければなるまい。

母の日に寄せて

 一昨日の母の日、同居人に娘夫婦から花束が届いた。それも、「あんたタレントか~」って言いたくなるような大きな大きな花束である。安く見積もっても1万円、下手をすると2万円也と、隣の男はすぐに品定めする。だって、贈られているのは同居人であるが、それを頂戴する所以の対価はこちらにある。お祝いの出入勘定が頭に浮かぶ。

 気持ちだけでということで、労いのお祝い電話がこちらとしては一番、気軽で嬉しい。しかも一番、安上がりなのだが、頂いた本人はもうとっくに有頂天になっている。父の日というのはあってないようなものだからと、すねても仕方ないので、一緒になって喜ぶ振りだけはする。

 大体において、娘が独身時代も含めて母の日に何かを贈るというのは、精神状態がよほど安定しているときか、何か魂胆があるときか、どちらかである。生活が乱れているときにはありもしない。

 娘からの母の日プレゼントでこれだけ喜ぶのだから、息子からの母の日プレゼントとなると半端じゃない。後生大事に長く長くもたせる。母と息子の関係は、いつになっても一方的な恋人どおしなのである。しかし、息子からの母の日プレゼントは滅多にない。大体、男というのは気が利かないわけだが、稀に贈ってくる年がある。そのようなときには、付き合っている彼女がいるのは間違いない。

 私にとっての母の日はもう21年も前に終わった。それ以降は同居人の母親を母の日のターゲットとしてきた。が、それも1年前に途絶えた。今思えば、小学校低学年のとき、友達に借りたクレヨンで描いたカーネーションの絵を母の日に贈った。そのときの母の涙が今でも私の心の中に宿っている。

再び、地震予知について

 理由はともあれ、私は浜岡原発の運転操業停止要請に賛同する。しかし、その理由に納得していない。政府地震調査委員会が「今後30年内に大規模地震(マグニチュード8程度、震度6強以上)が発生する確率が87%である」とまで明言するからである。

 私は以前にもこのブログで何度か記した。自社のHPでも表明している。「現状では地震の予知はできない」と。地下深部に無数の地震計を配備した計測システムが完備しない限り科学的根拠のある予知はできない。現在の予知は有史以来の地震頻度から類推した非科学的な予想に過ぎないと。

 確かに、浜岡原発周辺はプレートの接合部にあり、活断層上に位置する。このことは、地質学者ならずとも周知されている。私自身も25年前、地震に携われば携わるほどに、東海地域の地震が恐くなって広島に逃げてきた身である。当時も伊豆半島を中心に地震が頻発していたからである。

 この地域には過去に100~150年の間隔で大地震が発生している。このため来るべき「東海地震」を想定して、海底地震計が相当に整備されてきた。だからこその予知であろうが、発生確率を数字にするほどの科学には至っていない。

「今後30年内の発生確率87%」という数字の根拠は統計学によるものである。この地域には過去に100~150年の間隔で大地震が発生している。過去の地震発生間隔からいくらでも確率は算出できる。

 例題を示そう。過去に100年、130年、110年、150年、120年の間隔で大地震が発生したとする。サンプル数は5である。頻度間隔の平均値(m)はm=122年となる。すなわち、過去に平均して122年に1度の割合で大地震が発生したことになる。頻度間隔を正規分布とみなすと、標準偏差(σ)はσ=17年となる。そうすると、平均値(m)から標準偏差(σ)を引いた値は105年となり、平均値(m)に標準偏差(σ)を加えた値は139年となる。このことから、105年~139年の間隔で地震が発生する確率は68%となる。

 しかしながら、問題はサンプル数である。世論調査などでは1500~2000をサンプル数としていて、これだけあると信頼性が高い。そこまでなくても、統計学では最低でも100程度のサンプル数が必要とされている。平均して122年間隔の地震記録(サンプル数)が100あるということは過去12,200年分のデータがないといけない。2011年に紀元前を少し加えても足りるはずがない。したがって、地震の発生確率は信頼性に欠ける。仮に別の算出方法をしたというのであればそれを明示すべきである。


正規分布

連休顛末記

 3日以上の連休があれば、1日は一人が自由に過ごしたい。1日は友達とガヤガヤしたい。そして残りは家族と過ごすのも良い。こんな身勝手な連休の過ごし方を理想としてきたけれど、現実はそういうわけにはいかない。どういう訳か、息子も娘も毎年、きっちりと帰ってくる。帰ってくるという者を拒む訳にもいかず、結局は、盆、正月、5月の連休ともどこにもいけず、籠の中の鳥ならぬ監獄の身となる。こんな風にぼやいていたら、「いいわね、いつまでも独身気分の人は」と、同居人から皮肉のため口を叩かれる。

 とくに今年は大型連休である。そんなに長く休みたい訳ではないが、仕事がないから仕方なく休まざるを得ない。今年の5月の連休も、家族が集まる。息子が東京から帰る。広島市内に住む娘が帰る。娘は一昨年結婚したが、イタリアンショフの旦那は、連休が稼ぎ時とあって一緒ではない。代わりに今年は初孫のおまけつきである。ということで、元の家族4人に孫を加えた5人家族の長い長い連休生活となった。

 家族が揃えば賑やかで楽しい。しかし、それなりに気を使うし疲れる。食事のこと、部屋割り、寝具、小物、洗濯、掃除と、非日常的な生活が突如として開始する。それに加えて、今回は1歳と2ケ月の孫娘の登場である。スタスタと部屋中を歩き廻る彼女に怪我があってはと後を追う。離乳食の準備や食器の消毒、オムツの準備、抱っこにオンブと、娘である母親の素知らぬ顔を横目に忙しいことこの上ない。

 私の同居人はこんなイベントのとき、張り切りすぎて、後で病気になることが多い。最近も帯状疱疹になったばかりだ。だから、同居人の監視も私の任務となる。3度3度の食事のメニューを事前に考えて準備したり(朝食は私の担当です)、ともかく何でも完璧にやろうとする典型的なA型人間なので、後から疲れが出る。私のようにどうにかなるといった、器用さといい加減さを持ち合わせていない。

 とくに、息子に対する母親である同居人の配慮は、それはそれはすごいものである。若いツバメに接するかのように、献身的に振舞うのである。その気持ちの幾ばくかを私に傾注してくれさえしていたら、もっと良好で適切な関係が築けたのにと思う。

 娘に対する同居人の態度は息子に対するものとは明らかに違う。あれほど肩が痛いと言っていた同居人であるが、孫がいる間、抱っこしてもオンブしても痛がらないから、いい加減なものである。孫かわいさに孫のいうとおりに何でもしてやるから、時々、娘から厳しい指導を受ける。そんなこと勝手にさせないで!とか、言い方が厳しい。その不満を私にぶつけるから、たまったものでない。恐らく嫁ぎ先の母親にはそんなことは言えないだろうから、ほんとの親子の間ならではの甘えだと諭す。

 そんなこんなで大型連休も過ぎて、みな帰って行った。今は脱力感と解放感に浸されている。

20ミリシーベルトの意味


 文部科学省が設けた校庭利用基準「年間20ミリシーベルト以下」の是非が問われている。この基準でも健康への影響は心配ないとする専門家もいれば、通常の1ミリシーベルトで運用すべきだと主張する小佐古内閣府参与が辞任するなど、混迷している。それでは一体、何を信じればよいのだと、地元はもっと困惑している。

 国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告によると、原発事故などの緊急時の被曝量は20~100ミリシーベルトの範囲で運用すべきであり、事故後は年1~20ミリシーベルトの範囲で対応するようにとある。「年間20ミリシーベルト以下」はこの勧告の収束後の上限を暫定値として採用したものである。

 暫定値が適正か否かは別として、暫定値の根拠はそれなりに納得できる。しかし、問題は実際の運用基準である。文部科学省は年間20ミリシーベルトを超えないように逆算し、校庭の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト以上ならば屋外活動を1時間程度に制限するとしている。うん?なぜ?ここで頭脳の回路が停止する。

 1日24時間365日、毎日四六時中、屋外にいるとして、年間20ミリシーベルトを超えないような毎時の放射線量とはどの位になるか、逆算してみる。結果は〔20,000÷365÷24≒2.28マイクロシーベルト/時間〕となる。3.8マイクロシーベルトよりも厳しく規制しなければならないが、1日24時間365日、屋外にいることはないので、非現実的である。

 それでは政府が規制する毎時3.8マイクロシーベルトの放射線を毎日1時間365日受けるとどうなるのか。結果は〔0.0038×365≒13.87ミリシーベルト〕となり、年間20ミリシーベルトという基準を大きく下回る。

 年間20ミリシーベルトという基準を適用するまでは良いが、それではどうして「毎時3.8マイクロシーベルト以上ならば屋外活動を1時間程度」という制限になるのか。いろいろ試算してみた結果、次のような考え方によるものであろうことがわかった。

 1日のうち8時間屋外にいて、残りの16時間は屋内にいるのが、標準的な屋外屋内の過ごし方のようである。さらに、木造家屋の屋内にいると、放射線量は屋外の40%と言われている。そうすると、年間放射線量は〔(0.0038×8+0.0038×0.4×16)×365≒20ミリシーベルト〕とピタリと年間放射線量の基準に一致する。だとすれば、「3.8マイクロシーベルト以下であれば8時間程度の通常の屋外活動は許される」とすべきではないのか。

9.11の終焉となるのか

 オサマ・ビンラディンが米特殊部隊によって殺害された。知ってのとおり、彼は9.11事件を首謀し3,000人近い人命を奪った大量殺人の容疑者である。欧州各国が「偉大な成功」とたたえる。「すべての民主主義の勝利」とも称賛する。グランド・ゼロでは拍手喝采の群衆で沸く。しかし、果たしてこれで無差別テロの終焉となるのか。

 そもそも9.11事件はなぜ起きたのか。それは大国のエゴに対する憤りであったはずである。にもかかわらず、米国は大義のない戦争を繰り返してきた。アフガン、イラクでの米兵の死者6,000人という犠牲を払ってまでもである。欧州も日本も米国の戦争に追随し、支援してきたのである。

 ビンラディンこのたびの殺害についてサウジアラビアをはじめとする中東各国は沈黙する。それはなぜか。大国のエゴに対する憤りという意味で、ビンラディンの思想と共鳴する部分があるからではないか。暴力に対して暴力で制することへの反発ではないのか。これでイスラム過激派の病の根本をほんとうに絶つことになるのか。非常に疑問である。

 無差別テロの根源は貧困と差別にある。ビンラディン亡き今、富の分配と人間の尊厳について、世界が今一度、話合う必要があろう。

五月の憂鬱

 いつもの年であれば、五月晴れの中、家族が集い語らう楽しい時期である。今年も予定どおり久しぶりに家族が集う。おまけに、今年は新たな生命が1名加わり、さらに賑やかで楽しい。そのはずであるが、どうも私自身の気が晴れない。心の奥深くに閊(つか)えたものがある。

 あれ以降、仕事がさっぱりとなくなった。同業他社も軒並み同じという。何か社会全体が停滞している。どうしたものか。

 自粛しないで大いにお金を使ってくれという。できることなら、そうしたい。そうすることで間接的にも支援したい。こんな時だからこそ明るく振舞いたい。しかし、その気になれない。

 ある事件を契機に、夫婦が険悪な関係になり、家族の気持ちが離れ離れになった。疑心暗鬼が宿り、互いが信じられなくなっている。社会全体がそのような状態にあるような気がしてならない。日本は家族だ、チームワークだという宣伝広告がむなしく聞こえるのはなぜか。

 気が晴れない原因は3.11にあるのではない。起きてしまったことは仕方ない。問題はその後の国民の総意である。確かに外国からも称賛される日本人の冷静さ、秩序、辛抱強さは見事である。自衛隊や警察、消防、自治体など、救助部隊の並々ならぬ努力にはどのような敬意を払っても足りるものではない。今でも続くボランテイアの力にも敬服する。しかし、それらはすべて当事者の力である。

 当事者でないその他多くの国民はどうなのか。憂い悲しむことはしても、何かしたのか。どこかまだ他人事のように思っている部分はないのか。どこか、事なかれ主義なところはないのか。人の批判ばかりして自省することを忘れていないだろうか。これらはすべて他人にあてた言葉ではなく私自身の懺悔です。

原発世論の道筋


 原発事故後、今後原発をどうするかという朝日新聞の世論調査によれば、原発を「増やす」という人5%、「現状維持」51%、「減らす」30%、「やめる」11%であった。

 この結果について、某解説者が次のように分析していた。
〔「増やす」に「現状維持」を加えた56%が「減らす」に「やめる」を加えた41%よりも上回っている。あのような大事故を経験してなおかつ、国民はエネルギー事情の現実を認識し、現実的な判断をしている。〕

 うん?この解説者は何を言っているのだ。「増やす」の5%に対して「減らす」と「やめる」は41%にものぼるではないか。反原発の意思が圧倒的であることは明白である。しかもこの場合の「現状維持」とは、安全検査をしっかりと実施した上でという前提条件があるはずである。そうすると、積極的に「増やす」の5%以外の95%は原発に消極的なのである。

 世論調査の結果ひとつみても、見る側の思想により見立て(評価)が大きく違ってくる。その原因は世論調査の質問の仕方に問題があるからである。こういう場合の質問の選択枝は、相反する言葉の偶数選択枝か、中間を入れた奇数選択枝にするのが基本である。つまり、以下のような質問にしなければいけない。
Case-1-----「増やす」「減らす」
Case-2-----「増やす」「どちらとも言えない」「減らす」
Case-3-----「増やす」「現状維持」「減らす」
Case-4-----「大いに増やす」「少しずつ増やす」「少しずつ減らす」「やめる」
Case-5-----「大いに増やす」「少しずつ増やす」「現状維持」「少しずつ減らす」「やめる」

 反原発の気運が盛り上がる中、未だに世論が二分されているのは間違いない。いずれにしても、原発の将来についてもうそろそろ国民ははっきりとした意思表示をしなければなるまい。「人任せ」や「のど元過ぎれば」の愚は決して繰り返してはいけない。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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