日本人の覚悟

 今、日本はかってない試練を与えられている。それは単に復旧・復興という試練に留まらず、エネルギー政策の転換、経済の再生、日本社会のシステムの再構築、精神的構造の転換におよぶ。この事態をどのように捉えるのかによって、日本の将来は大きく違ってこよう。決して大げさな言い方ではなく、日本が沈没するのか再生するのかの分岐点でもあると、私は考えるのである。

 堤防をより高くすべきであるとか、それでも原子力は必要であるといったレベルの話では、到底、この難関を乗り越えることはできまい。ましてや、反省もなく想定外だったという寝言を言っていては世も終わりである。フクシマは人災ではない。紛れもない犯罪なのである。犯罪者はそれを支援した人(一部の学者、政治家、企業)も罰し、物(株式、不動産)も没収せねばなるまい。補償に上限を設けるなど論外である。

 我々国民はこうした危機感を共有した上で行動せねばなるまい。国民にできることはただひとつ、昔に戻ればよいのである。煌々としたネオンの眠らない都市、24時間営業のコンビニ、夜通しのテレビ、自販機、ゲーセン。この現実からタイムスリップして昔に戻ればよいのである。

 無用の贅沢と浪費を憎む昔の日本人にならねばならない。古老や人の話に真摯に耳を傾ける姿勢を取り戻さなければならない。効率や能力だけを重んじるのではなく、何よりも下向きな努力や真面目さを讃える世の中にしなければならない。家族や友人を大切にし、共に寄り添う世の中でなければいけない。そして何よりも弱者救済の世にしなければならない。

 このような精神的構造改革があってこそ、いつの日か欧米から刮目(かつもく)に値する真の文明国として再生するであろう。
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菅降ろし

 こんな時期にできれば政治の話はしたくない。政治のことを言えば、いろいろと反論があるのは承知している。それでも、どうしても言わねばならない。風雲急を告げる「菅降ろし」のことである。

 単刀直入に言う。国難の非常事態の今、なぜ「菅降ろし」なのかを問いたい。菅総理を退陣させて、誰が総理になればよいというのか。小沢さんなのか、谷垣さんなのか。与野党に限らずどの政治家も、この場におよんでも権力闘争と政争を繰り返している。その姿は、醜いし、何と情けないことよ。

 この非常事態の今、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。内閣の総辞職や解散、総選挙などやってる暇などないでしょ。与野党結束して復興臨時内閣を作ろうとか、政党助成金を復興に回そうとか、私を復興大臣にさせてくれとか(とくに小沢さんに言いたい)、なぜそのような発案ができないのか。身を粉にして泥を被って尽力している政治家がどこにいるというのか。

 菅首相の能力がどうとか、リーダーシップがどうとか、そんなことは今、どうでも良いことである。国民が望むのは、一日も早い復旧と復興である。そのための与野党を超えた団結した政治力である。

 この国は報道を含めて、なぜこうも軽々にリーダーをこき下ろすのか。仮に能力がないリーダーだとすれば、そのリーダーを選んだのも結局は国民ではないのか。「真の民主主義とは、もしかして自分より賢い人がいるかも知れない、そのための心の準備をすることにある」とは、確か英首相であったアトリーの言葉と記憶する。人を批判するばかりではなく、もしかして自分より偉いかも知れないと、どうして思えないのか。人の責任を追及する前に、自分に何ができるのかを謙虚に考えること、これこそが民主主義の原点ではないのか。

原爆桜

 ここ広島に住むつくと、否が応でも日常的に原爆のことを目にし、耳にする。廻りの年配の多くが原爆を経験している。原爆に関わるいろいろな話をよく耳にする。どこの病院でも原爆手帳が普通に行き交う。

 広島に原爆が投下されて今年で65年になる。当事、15歳だった学童は今年、80歳になる。原爆が投下されたとき、75年間は草木も生えないだろうと言われた。しかし、翌年には野草が生えたそうだ。そして2年後に、あろうことか爆心近くの桜の木に花が咲いたという。その時の感動が忘れられないと80歳の老人は語る。桜だって原爆に耐えて生きていたのだ。我々も負けずに生きねばと。生きる希望の象徴となった桜の樹は、いつしか「原爆桜」と言われるようになった。

 あれから65年、今年も「原爆桜」は原爆ドームの周辺で見事に花を咲かせた。当時15歳だった学童たちは毎年、「原爆桜」の樹の下で同窓会を兼ねて花見を行っている。最近では1人欠け、2人欠けと人数も少なくなってきている。「原爆桜」も毎年、1本枯れ、2本枯れと朽ちていく。当事15本あった「原爆桜」は今では7本しかない。それでも、「原爆桜」は最後まで一生懸命、生きようと頑張っている。

 老人は、「原爆桜」との出会いやそれに励まされて生きてきたことを、近くの小学校の児童に語る。話を聞いた児童は、「原爆桜」の苗木を被災地の小学校に送った。

 被災地で「原爆桜」の2世が来年春、立派な花を咲かせて、被災地の希望の樹となることを願うばかりである。

結婚記念日

 我が家の晩酌はいつも安い赤ワインである。1本の赤ワインを2人で3日かけて飲み干す。といっても、毎日、赤ワイン1杯だけで済むわけもなく、その後は、日本酒なり、スコッチなりとご随意に続く。晩酌が赤ワインだという理由は、私が無類のワイン好きなのに加えて、いつだったか、ボケ防止に赤ワインが良いという話を真に受けて悪しき風習となった。

 ところが、いつものように会社から帰ると食卓に高そうな白ワインのボトルが置いてあるではないか。その瞬間、今日は何の日だ?と、あせる思いが脳裏を駆け巡らせ、ようやくそのことに気付いた。われながら、偉いっ!とっさの機転で難を逃れ、後は平然と食卓に着席したのは言うまでもない。

 この歳になると、何回目の結婚記念日なのか計算するのも億劫である。西暦で勘定したり、昭和と平成の足し算で勘定したりと、10分位かかって、ようやく36回目くらいだろうということで合意した。その後、ともかくよくぞこれまで我慢したものだと、互いに自分の辛抱を自慢し合う。そこには、相手に対する敬愛の念も感謝の思いもないのである。あるとすれば、同居人がいなくなっても自活できるという私の過信と、決して金庫の鍵を渡さぬ同居人の愚かな優越感である。

放射能汚染は今始まったことではない

 連日のように放射線量の測定が行われる様子や結果が報道されている。それを見て、私の会社にも放射能測定器があるのを思い出した。早速、ジュラルミンの格納箱を開けて放射能測定器を取り出してみた。会社廻りの放射線量を測定してみたところ、値は0.15マイクロシーベルトを示した。平常値であり、ひと安心。

放射能測定器


 この測定器は温泉探査において使用する。地中内部から放出されている微量な放射線量を測定して温泉井戸の候補地点を探すのである。とくに、西日本の花崗岩地帯においてラドン温泉を探査するのに効果を発揮する。

 考えてみれば、放射性元素は我々の仕事においては身近な存在である。放射性同位体が一定の半減期で一定の崩壊形式をとることを利用して、地層や岩石の年代測定を行う。1940年代~1960年代の核実験や核事故によって放出されたトリチウムの減衰傾向を利用して、地下水の起源となる降雨の年代測定を行うなど、放射性元素の存在の恩恵に預かっている部分もある。

 

 そうこう考えてみると、今、「フクシマ」周辺の放射能数値で大騒ぎし、「フクシマ」が放射能汚染源の元凶ように世界中から非難されていることが、やや滑稽にもみえる。

 無論、「フクシマ」の事故は決して許されるものではない。しかし、だったら、1940年代~1960年代の核実験や核事故によってどれほどの放射能が放出されたというのか。例えば、1960年代前半において日本人は1日に1ベクレル以上のセシウムを摂取していたと推定されている。チェルノブイリ事故直後、ヨーロッパ全土でのセシウム汚染の量は1m2当たり2000~4000ベクレルとも言われている。これらの核実験による放射能汚染の量は「フクシマ」の比ではないのだ。
 
 繰り返される核実験やそれに対する核実験反対デモを、我々はどこか人事のように眺めてきたのではあるまいか。

避難勧告の重さ

 政府は、22日午前0時をもって福島第一原発の20キロ圏内の立ち入り禁止とした。事実上の法的強制力がある勧告である。住民のほぼ全員が、二度とふたたび戻ることができないのではないのかという将来不安に苦悩する。

 ペットや家畜を見殺し状態にする刹那、事業再開の道を閉ざされた零細企業、避難しようにも病気や老衰で動けない方など、それぞれに悲痛な事情を抱えての避難となる。そんな中、昨夜、100歳になる圏内の老人が自殺したという。家族で移動の話し合いをしている最中の出来事だったらしい。家を離れるのが嫌だと再三、言っていたそうである。それほどに、住み慣れた家を離れるのはつらいことである。

 健康への被害を考えての措置であろうから、仕方ないといえば仕方ない。しかしながら、家を離れることのつらさ、ストレス、精神的肉体的なダメージも計り知れない。放射能による人体へのリスクと避難することによる精神的・肉体的リスクと、どちらが大きいであろうか。人によっては、後者のリスクの方が大きかろうと思う。

 だからこそ、避難勧告というのは重いものである。地域事情や個人の事情も考え抜いた内容にしなければなるまい。それにしては、20キロ圏内を一律に扱うのはいかにも軽い。一律に扱う根拠も明確でない。20キロ圏内には年間被曝量が20mSV以下の地域から100 mSV以上の地域まであるというのに(下図参照、図は朝日新聞掲載図を引用・編集した)。


原発周辺放射能分布

 20キロ圏内を一律の扱いにしたことについて、原子力委員会の久木田豊委員長代理は「(福島第一原発は)依然として原子炉の状態が不安定だ。もう一度かなりの放出が起こりうる可能性も無視できず、当面20キロ圏内を避難・警戒区域と判断した」と述べた。

 この発言が冷たい机上のうすら事としか聞こえないのは私だけであろうか。俺の健康は俺の責任で守る、家から絶対に出ない、家畜を見殺しなんかできないという者を、果たして法で罰することができるのだろうか。はなはだ疑問である。原子力委員会の先生たちには原子力工学を学ぶ前に人間工学を学んでいただきたい。

放射能はほんとうに恐くないのか(2)

 私の昨日のブログにおいて紹介した中村医師の発言内容、すなわち「放射能なんか恐くない、むしろ浴びた方が体に良い」というショッキングな内容について、私なりに照査してみる。

 まず、「浴びた方が体に良い」という指摘はホルミシス効果のことを言っている。つまり、生物に対して通常は有害な作用を示すものが、微量であれば逆に良い作用を示す生理的刺激作用のことであり、とくに自然放射線の人体への健康効果を指摘しているのである。癌細胞は通常細胞より放射線に弱いので、適量の外部被曝であれば、発癌率が減少することは臨床学的にも知られている。

 しかし一定以上の放射線を受ければ、毛髪が抜けたり細胞が破壊されたりすることは癌の放射線治療における副作用をみても明らかであり、体に良いはずがない。したがって、「浴びた方が体に良い」 という発言は言い過ぎであり、少なくとも「これこれ以下の放射線であればむしろ体に良いこともある」と丁寧に言うべきであろう。専門の医師が聞けば容易に理解できる内容でも一般の人には誤解される。こと生命に関わる専門家の発言は丁寧さと慎重さが要求される。

 次に、ICPR(国際放射線防護委員会)の基準値(1990年に一般公衆の線量限度を1mSV/年と勧告)が保守的であり、異常に安全過ぎる値だという指摘についてである。確かに我々は日常的にもこれよりも高い放射線を一般の生活において浴びている。

 例えば、1年に1度CTスキャンを撮っただけでも6.9mSVを浴びる。中東やブラジルでは1年間に10mSVを浴びている地域があるが、その地域において癌発生率がとくに高いわけではない。その地域に限らず、世界の平均1人当たりの自然放射縁量は2.4mSV/年である。ちなみに、宇宙飛行士がは1日で1mSVの放射縁を浴びている。このような実態からしても、確かに 1mSV/年というICPRによる国際勧告は厳しすぎる(安全側すぎる)し、実態にそぐわない。

 しかし一方で、放射線防護に関する日本の法律も50年を経過し、その間にいろいろな議論もされてきたものと思う。ICPR(国際放射線防護委員会)にしても諸条件を勘案した上で、あえてそのような基準値を示したと考えられる。その根底には、自然界あるいは医療において仕方なく受ける以外の人為的な放射能を断じて浴びるべきでないという考えがあるように思える。

 そうした背景は別として、基準は基準である。非常事態には20mSVにしても良いとか、非常事態が収まったら再び1mSVミリシーベルトに戻すなどの考えは、基準そのものを否定するものであり、本末転倒である。

放射能はほんとうに恐くないのか

「放射線は微量なら安全.むしろ体にいい影響がある」と言い放った中村医師の発言が物議を呼んでいる。がん専門病院である彩都友紘会病院(大阪府茨木市・箕面市)の病院長である中村仁信(なかむらひろのぶ)さん〔放射線防護委員会委員長、日本医学放射線学会理事、日本IVR(血管内治療)学会理事〕をゲストとして招いた「たかじんのそこまで言って委員会」(2011年3月27日放送)における発言である。

 中村医師の発言内容の概要は以下のとおりである。
「(放射線が体に)良いというより先に,安全というか,ぜんぜん恐くないという認識の方が先である.放射線に当たってどうなるかというと,活性酸素が増えるだけである.活性酸素というのは運動しても増える.呼吸しても出る.それがちょっと多めに出る.それだけのことだ.」 「閾(しきい)値以下では、放射線は健康によいという疫学的事実があり、その意味では、ICPR(国際放射線防護委員会)モデルは線形閾値なしの考え方であり、1mSV/年は保守的すぎる。」

 さらに、司会者である辛坊治郎さんと中村医師、コメンテーターの宮崎哲弥さんとの会話のやりとりを紹介する。

辛坊「今回現場の人で、足が水つかってベータ線でやけどを負ってるかもしれないという話がありましたが、それは活性酸素が増えただけなんですか?」

中村「そうです。放射線治療だってそうなんですよ。活性酸素って簡単に言いますけど、やっぱり多くなると恐いので細胞を壊します。細胞が壊れていくと脱落して脱毛も起こります。やけども起こります。だけど少量だったら、ふだん我々は、しょっちゅう活性酸素を出してますから少しも恐くない。」

辛坊「問題は、一番知りたいのはそこの境界線ですよ。つまり、やけどになるレベルの上と下はどこに境界線があるんだという話なんですが?」

中村「たとえば、じゃあ100ミリシーベルトという言葉が、今だいぶん宣伝されてますから、そう思っていただいてもいいです。100ミリシーベルトって、10万マイクロシーベルトですよね。なかなかそこまで行かない量ですから。」

辛坊「今回やけどしたって言われている人は、170ミリシーベルトぐらいって言われていますね、現場の作業員の方。100ミリシーベルト以上では行かなければいいってことですか?」

宮崎「100ミリシーベルト=10万マイクロシーベルトっていうのは、年間の許容線量というふうに考えていいんですか?」

中村「これもちょっと複雑で、何で100って出てるかと言いますと、原爆のときに100ミリシーベルトでガンがちょっと増えたんですね。ですから100ミリシーベルトというのは、原爆で一瞬に浴びるような線量です。ですから1年間で同じ量を浴びると、その影響は半分以下になります。」


 今回の中村医師の発言に対して、ネット上でいろいろな意見が飛びかった。その多くは批判的なものであった。「とんでもない発言」「言ってること御用学者」「都合のいい論点とデータしか提示していない」「裏付けのない個人的意見の発言」などである。

 こうした批判は一般の方による概して感情的なものであった。しかし一方で、医師などの専門家の多くが賛同意見を出している。 「低線量被曝の場合、累積1000mSv浴びてもまったく問題ない」「閾値以下ならいくら浴びても大丈夫」「私も放射線医師ですが中村先生の発言内容は正しいです」といったものであり、具体的な論拠を示すものもあった。

 さて、中村医師の発言内容の真偽は如何。さらに、追求していきたい。

原発について考えてみよう(最終章)

 これまで、「原子力について考えてみよう」シリーズを3回にわたってブログにアップしてきた。Part1においては、平井憲夫さんの告発文を紹介した。原発のずさんな管理体制や周辺地域住民への差別、風評被害などを指摘した告発文である。この告発文の真偽はともかく、原発については推進意見も反対意見もさまざまである現状を示した。その上で、我々国民は一部の情報だけを鵜呑みにすることは危険であり、自らの手で原発に関して調べ、自らが納得できる回答を得るべきであると述べた。

 Part2においては、そもそもなぜ日本が原発推進に邁進したのか、なぜ国民は原発を容認してきたのかという点に関して、過去の歴史を振り返ってみた。すると、原発推進は日米政府による思惑のもとに、紛れもなく国策として推進された経緯があることを確認した。

 そしてPart3においては、「どうしても原発に頼らなくてはいけないのか」をテーマに、原発エネルギーと他のエネルギーを比較した。その結果、確かに原発はエネルギー効率が良く、原子力発電のすべてを自然エネルギーに代替するのは残念ながら非現実的であることを認めざるを得ないことを確認した。しかしながら一方で、バイオマスエネルギーなどの新しいエネルギーの可能性についても言及した。

 本最終章においては、こうした現実と将来性を総合した上で、国としてのエネルギー政策についての私案を示すことにする。

 今回の福島原発事故が想定外であったとか、レベルが7に相当するとか、それでもチェルノブイリの放射線量の10分の1だとか、そんなことに関係なく、この原発事故は人災であることは紛れもない事実である。この事件は日本国民にとって永遠のトラウマになることであろう。したがって、どの党が与党であろうとも誰が総理大臣になろうとも、原発政策は転換を余儀なくされることだけは間違いない。

 さりとて、エネルギー転換を急変させることは現実には難しい。そこで、原発については、まず現在建設中または計画中のものは一切、断念する。既に稼働中のものについては数年間かけて全面的に設計の見直しを行い、万全の安全確保を確認した後に稼動を再開する。万全の安全確保のためには現在のような原子力安全保安院などは廃止して国、民間から独立した監視検査組織を立ち上げる。

 その上で、原発に代わる自然エネルギーの普及に国をあげて強力に推進していく。そのための仕組みを構築する。すなわち、原子力に電力の3割を依存する体制から自然エネルギーに比重を転換し、エネルギー全体のバランスあるものに変えていく。一方、節電や省エネ対策も強力に推進していく。大企業や大きなビル・病院では六本木ヒルズにように自家発電を強制する、エネルギー効率使用のためのサマータイムなど勤務と生活の工夫なども必要である。要するに、戦略的なエネルギー転換を図っていく。

 下図はエネルギー転換に関する私案である。Fig.1に示すように、節電および省エネと自然エネルギー推進の2つの柱でもって2050年までに完全なクリーンエネルギーにするのが目標である。そのためには自然エネルギー推進のための仕組みが必要である。

 例えば、太陽光エネルギーを推進していくために、Fig.2のような仕組みを作る。会社、工場、住宅、公共施設のすべてに太陽光パネルを設置することを義務づける。太陽光パネル設置業者を現在の100倍にする。業者に申し込みをすれば業者は施工費用を政府系銀行から融資してもらってパネルを設置する。電力会社は自然エネルギーの電力全量を買い取りそれを転売するとともに、余剰金を政府系銀行に納付する。このようにお金を循環させれば、最初は国の借金で始まる事業であってもクリーンエネルギー特需で雇用は確保されて景気は上向く。
 




エネルギー転換

 以上は私の考えの一端であり、実現にはいろいろな問題もクリアしなければならないことは承知の上である。一番大切なことは、国民ひとりひとりがこの国難を乗り越える覚悟である。原発に頼らない決断である。そして、無駄のない昔の日本を取り戻す決意である。

さくら散る

 今年最後のさくらを見送りした。

 日本にさくらは似合う。日本人は誰しも桜が好きである。春の象徴、可憐であることに加えて、咲いてさっと散る潔さが日本人の感覚に合うのだろうか。

 そういえば「さくら」と名がつく歌が多い。さくら(森山直太郎)、桜(コブクロ)、さくら(ケツメイシ)、桜坂(福山雅治)、桜(河口恭吾)など。
  
 私は湯原昌幸の「冬桜」が好きだ。同い年の歌手であること、作曲が杉本眞人であること、それに何よりも歌詞が良い。私のカラオケの一曲でもある。

♪「一度だけの人生と
誰もが口にするけれど
悔やんじゃいない この生き方を
急がば回れの夢がある
桜 桜 冬桜
春に背いて咲くがいい
桜 桜 冬桜
歩いた道を 恥じるなと
ただひそやかに 心にそっと
ふり注ぐ」

♪「お人好しの くじばかり
何度も引いては苦笑い
思えばいくつ 探しただろう
おまえと 二人 人生を
桜 桜 冬桜
風に吹かれて舞い上がる
桜 桜 冬桜
幸多かれと はなびらが
二人の肩を いたわるように
ひるがえる」

 春になって桜を見るたびに、来年は見れるだろうかと思う。そう思い始めてもう何年になるだろう。散るときくらいは桜のように潔く逝きたいものである。 



さくら散る

原発について考えてみよう(3)

 今となって誰もが思うことである。どうしても原発に頼らなくてはいけないのかと。日本は世界のエネルギーの約5%を消費するネネルギー消費大国である。しかし、日本はエネルギー資源が乏しく、その多くを海外に依存しなければならないという厳しい現実がある。

 それに化石燃料には限りがある。今のまま世界が化石燃料を使用した場合、世界の石油埋蔵量はあと41年で底をつくといわれている。天然ガスはあと63年、石炭はあと218年で底をつくといわれている。この数字の真偽はいざしらず、早晩、枯渇することになる。

 それでは、太陽光とか風力といったクリーンエネルギーはどうだろう。環境に良い、無限に存在するというメリットもあるが、エネルギー密度が低く、発電効率が低い。従って、原発に比べてコストも割高である。加えて、供給の安定性も課題である。
 
 例えば、原発1基の発電量を得るのに、太陽光の場合だと山手線の内側一杯に太陽光パネルを張りつめなくてはならず、それにかかるコストは原発の約22倍かかる。風力発電にいたっては山手線の内側面積の実に3.5倍の範囲に風車を乱立させなくてはならない。このように、原子力発電のすべてをこれらクリーンエネルギーに代替するのは非現実的であることは間違いない。


原発
 

 それでは他に手立てはないのか。ここで注目すべきはバイオマスエネルギーである。バイオマスエネルギーとは、ひとことで言うと「生物体(バイオマス)から得られる自然界の循環型エネルギー」である。薪を燃やしたり、動物の糞を燃料にするといった伝統的なものから、サトウキビをエタノールにして車の燃料にしたり、生ゴミで発電を行うなどの近代的な技術までさまざまである。いずれも光合成によって生物の体内に蓄えられた太陽エネルギーを資源として活用する点では共通する。木や生ゴミ、動物の糞尿などに含まれる炭素や水素を、発酵・分解・燃焼することによってエネルギーを取り出す技術が脚光を浴びている。このバイオ燃料にはあのビル・ゲイツも投資している。

 さらに最近、ある小さな植物がエネルギー問題解決の鍵を握るか知れないと注目されている。それは「藻」である。一般的には池に浮かんでいる藻を思い浮かべてもらえばいい。藻がある条件下で水素を生成することが発見されたのは、今から60年以上も前のことであるが、最近になって藻の水素生成をコントロールする研究が飛躍的な進歩を遂げた。ただ商業化には未だ多少の時間がかかるらしい。

 このように原発に代わるエネルギーにはいろいろな問題があるが、重要なことは、これ以上原発を増やさないと一端、決めたら、断固たる覚悟である。バイオマスエネルギーの導入促進など新しいエネルギーの開発も急がれるが、それとともにエネルギーの効率改善が求められる。具体的には、一般家庭においては基本的に太陽光発電を促進すること、大企業や大きなビル・病院では六本木ヒルズにように自家発電を強制する、エネルギー効率使用のためのサマータイムなど勤務と生活の工夫などである。

 いずれにしても、エネルギーにも電力にも限りがある。であれば、我々が少し前の良き時代に戻れば済むことである。ロウソク1本の居酒屋で飲む酒もおつなものである。

わからない

 延々と続く一進一退の危機感に、国民の誰もが気をもんでいる。一体全体、何がどうなっているのかがわからない。地震で電源が失われたのはわかる。しかし、その後、電源は確保されたはずである。津波で燃料タンクなどが流出したという。別のタンクをもってくればよい話である。放水して冷却しなければいけないのはわかる。放水し続ければ水があふれるのは当然である。だから冷却の循環回路を構築しなければならない。そうしたはずにもかかわらず、高濃度の汚染水がトレンチに流出している。流失するから汚染水をどこかに移送しなければならない。

 そもそもなぜ汚染水が流出するのか。冷却の循環回路が構築されているのであれば、そのはずがない。ということは、どこかが破損しているはずである。その場所はどこなのか。炉心部なのか、その周囲なのか、循環系統(パイプ)なのか。それとも、どこが破損しているのかまだわからないというのか。破損場所によっては大変危険な事態となる。

 東電はどこまでがわかっていて、何がわかっていないのか。当事者ではない原発専門家の意見で共通するのは、核心部分の詳細が知らされていないことである。不明を前提に意見するから好き勝手な意見になる。国民がどうしても納得できていない原因は、核心部分が隠されているからに他ならない。東電は、わかっていることと、わかっていないことを今すぐに明らかにすべきである。

情報の功罪

 福島原発がかなりヤバイという信頼に足る情報を入手し、同居人に詳しく教えてあげようとした。すると、本人曰く、教えてもらいたくないと。知ると体調がまたおかしくなるかも知れないから、恐いと言う。確かに。彼女は3.11以降、体調を崩し、一時はひどい帯状疱疹を患った経緯がある。

 同居人だけではない。私の廻りの多くの人が3.11以降、体調を崩している。胃が痛む、頭が痛む、眠れない、憂鬱であるなど、症状は人によってまちまちである。しかし、少なくとも国民の多くが心の奥底に3.11によるPTSDを患っているといえるかも知れない。

 テレビで繰り返される3.11の悲惨な情景を見る度に具合が悪くなる人もいる。福島原発の改善しない状況を知る度に体調を崩したりもする。政府や東電の曖昧な見解を聞く度にむしゃくしゃする人も多い。これらはすべて情報を入手することによる弊害である。

 現在の情報化社会においては、情報はできるだけ多く、詳しく、正確であることが基本である。しかし人によっては、知らなければ知らないほうがよいという人もいる。それでは、どのように人によって情報の選別をするのか。

 負の情報による弊害を受けやすい人は、できるだけテレビを見ないとか、新聞を読まないとかの努力は可能である。しかし、病院の待合室でテレビが放映されているなど、本人の意思とは無関係に、知らず知らずに情報が入ってくることもある。また、地震速報などの重要な基本情報は、逆に知っててもらわないと困る。

 非常に危険な情報をそのまま正直に提供すると国民は混乱する。さりとて、安心情報として提供すると隠蔽だと批判される。どういう内容をどのタイミングで情報として流すべきか、このような未曾有の、しかもまだ継続中の災害においてはとくに難しい。

余震論議Part3

 昨日夕方17時16分、福島県通りを震源とする震度6弱、M7.0の地震が発生した。地震の規模(マグニチュード)からも、この地震はれっきとした大地震に相当する。この地震についての気象庁の発表。「この地震は3月11日の地震の余震である」との前置きから始まった。そして直後の17時17分と26分に、各々M6.0とM5.6の地震(震度はいずれも5弱)が発生した。この地震について気象庁は「3月11日の余震の余震である」と発表した。

 なぜ、気象庁はここまで「余震」という言葉にこだわるのか。そして、私もなぜ「余震」にこだわるのか。それは、気象庁の保身の姿勢があからさまであるからである。

 そもそも、気象庁の地震に関する任務の大きな柱は地震予測にある。「余震」という言葉を使うことによって、彼らは地震予測の責任を免れるのである。すなわち、「余震」という言葉は彼らにとっての「免罪符」なのである。

 もう「余震」の論議は終わりにしよう。国民にとっては余震だろうが余震でなかろうがどうでも良いのである。国民にとって最も知りたいのは、この群発地震のメカニズムとそこから推察される地震の将来予測である。政府の地震調査委員会が昨日ようやく開催され、従来の地震予測を見直す方針を明らかにした。まったく対応が遅いの一言である。3月11日の地震直後から復旧と平行して進めるべきであろうに。

 地震はあるプレートで発生するとその直後に同じプレートで小規模の余震が発生する。同じプレートで発生したと思われる震源データからプレート(面)を3次元で求める。この作業をシュミレートしながら繰り返すことにより、震源という点のデータから3次元の面の組み合わせ解析が可能となる。地震をもたらしている面の組み合わせ(断層面の組み合わせ)が想定できれば、各々の震源のエネルギーデータから応力伝播のメカニズムがわかり、将来の予測が可能となる。このような作業を至急行うべきである。

余震論議Part2

 余震に関わる気象庁や地震学者の発表・論評は、国民の生命に関わる非常に重要な情報源である。にもかかわらず、その内容はあまりにひどい。非論理的であり、節操がないばかりか、どこか、うすら事の軽い内容には真摯の微塵も見受けられない。

 余震確率に関する気象庁発表のおおまかな推移の変化を振り返ってみよう。
○3月11日直後-----M7以上の余震の発生確率は70%
〔その後M7以上の余震はない〕
○4月6日----------今後3日間に震度5強の余震が起きる確率は10%
〔4月7日M7.4(震度6強)の地震発生〕
○4月8日----------今後も同規模の余震やさらに大きい地震が起きる可能性がある。

 これを見るだけで、何といい加減なことかわかる。気象庁は3つの間違いを犯している。
①余震発生確率の根拠を示していない。
②それが当たらなかったことの謝りや理由を示していない。
③新たな事実をもとに、安易に後付けの大幅な予想修正をしている。

 それでは地震学者はどうか。私の知る限りでは3月11日の本震直後に震度5強程度の余震を唱えた学者は多くいたが、震度6強、M7の余震を予想していた学者は誰ひとりとしていなかった。それが4月7日の地震発生以降の見解は、手のひらを返したように見事に違う。

 梅田康弘京都大名誉教授「余震の数が減っても規模の大きい余震が起きることはある.M9の本震だと少なくとも半年はM7級の余震は覚悟しなければならない.」。平田直東京大地震研究所教授「M8級の余震が起こる可能性も残る」。これって、皆、後出しでしょ。

 気象庁にしても地震学者にしても、要するに、わからないのに無理して言うから説得力がないし、理屈が合わない。これじゃ、下手な予想屋に過ぎない。「ほんとうはわからない」と、ひとこと言えば済むことである。「わからないことをわからないと言うことができる」のが学者の資質の要素でもある。再度言う。今のような気象庁専門家や地震学者は要らない。

余震論議に異論あり

 昨夜23時33分~46分に、震度6強の大きな揺れの地震があった。気象庁は「余震」として発表したが、ほんとうに「余震」として取り扱っていいのか、はなはだ疑問である。

 比較的大きな地震が発生すると、その近くで最初の地震より小さな地震が続発する。最初の大きな地震を「本震」、その後に引き続き起こる地震を「余震」と言う。本震の後に引き続いて小さな地震が起きる地震活動を「本震-余震型地震活動」と称す。

 3月11日の地震(本震)と「余震」という昨日(4月7日)の地震を比較してみる。
3/11の地震----最大震度7、規模M9.0、深さ24Km、
震央位置:北緯38.1°東経142.9°
4/7の地震-----最大震度6強、規模M7.4、深さ40Km、
震央位置:北緯38.2°東経142.0°

 余震を疑うひとつの理由は、3月11日の地震から既に1ケ月近く経過していることにある。余震の数と規模は時間経過とともに徐々に収束するのが一般的である。過去の地震においても、最大余震の多くは内陸では本震から約3日以内、海域でも約10日以内に発生している。1995年の兵庫県南部地震では2時間後、2004年の新潟県中越地震では38分後、1994年の三陸はるか沖地震では9.5日後であった。

 余震を疑うふたつめの理由は震央位置にある。下図に示すように、昨日(4月7日)の地震の震央位置は3月11日の震央位置から西へ約78Kmの位置にある。しかも、震源震度は3/11の24Kmから4/7の40Kmに潜っている。すなわち、4月7日と3月11日の震央はいずれも日本海溝に沈む太平洋プレート面の延長上にある。このことは、同じプレート上の奥深くに岩盤破壊が進行していることを示唆する。


余震
 
 気象庁はこれまでに何度も「今後、震度5弱程度の余震が起きるかも知れない」と警告してきた。それでは今回の震度6強の地震はどう説明するのか。今後の余震をどう予測するというのか。

 余震でも余震でなくともどちらでも良いではないかという意見もあろう。しかし、余震というのは収束するものである。収束するのかしないのかが国民にとって大きな問題である。別の岩盤破壊となれば問題は別である。同じプレート上の内陸部でさらに大きな群発地震が起きる可能性はないのか、早急に解析する必要がある。

原発について考えてみよう(2)

 この際、原発について今一度、考えてみたい。なぜ、日本が原発の推進に邁進したのか、なぜ国民は原発を容認したのか、原発に代わるエネルギーはないのか、なぜ日本だけが原発を続けてきたのか。そもそも、世界で唯一の被爆国である日本がなぜアメリカ、フランスに次ぐ原発大国になったのだろうか。それを知る上で、原発に関わる過去の歴史を振り返ってみる必要がある。

 広島、長崎に原爆が投下されたわずか1年後にアメリカがビキニ諸島で水爆実験を行っている。第五福竜丸が被曝し船員が亡くなった。そして、原水爆禁止運動=反米運動が起きる。原水爆禁止運動を機に日本が共産主義化するのを防ぐため、原子力の平和利用をという名目で原発を作ればいいと、アメリカが心理戦略計画を提案する。毒(原発)をもって毒(原爆)を制すという論理である。

 アメリカのその心理戦略計画に協力したのが、当事、読売新聞社・社主であった正力松太郎である。正力松太郎はメディアを使い原子力アレルギーのある日本人に原子力の平和利用を刷り込む。さらに正力は、富山二区から衆議院選挙に立候補して当選する。すると正力は財界に働きかけて原子力平和利用懇談会を発足させ、代表世話人に就任する。それから日米原子力条約が締結される。正力は鳩山内閣に入閣して原子力担当大臣となる。その後、茨城県東海村に原子力センターができる。

 なお、正力松太郎は読売新聞社の経営者として同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。また、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。今にして思えば、日本のメディアの中で読売新聞が確固たるポジションと発言力をもつ所以がよくわかる。

原発について考えてみよう(1)

 シニア・ナビの山猫軒さんに、平井憲夫さんのブログを紹介していただいた。「原発がどんなものか知ってほしい」というタイトルのブログは、「私は原発反対運動家ではありません。私は20年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。」という書き出しで始まる。原発のずさんな管理体制や周辺地域住民への差別、風評被害などを指摘した告発文である。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/

 平井憲夫さんなる人物を少し調べた。実在した人物であるが、既に1997年1月に逝去している。彼の文章は、原発反対派の教本的存在として数年前からインターネット上で増殖しており、今回の福島原発事故を契機に注目されていることもわかった。

 一方この文章に対しては、原子力事業に携わる者を中心として、反論や批判も多いこともわかった。反論や批判のブログも多い。一部、原発の事実が含まれてはいるものの、そのほとんどが間違いである、というのが反論意見の大筋である。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~asashi/genpa/

 私が平井さんの文章を読んだ印象としては、全体に反体制的な思想が強いのがとても気になる。それは、数々の原発差止め裁判の原告補佐活動をしてきた彼の履歴からも想像できる。一方で、原発現場に従事した者でしか知りえない情報も含まれていることも確かである。また、少なからず原発のずさんな管理体制については、さもありなんと納得できることもある。さりとて、すべてが真実とも思えない。そもそも、1997年に亡くなった彼の遺稿が誰の管理のもとに受け継がれているのかさえ疑問である。

 このように、原発についての推進意見も反対意見もある。ここで我々国民にとって重要なことは、一部の情報だけを鵜呑みにしないことである。自らの手で原発に関して調べることであり、自らが納得できる回答を得ることである。なぜ日本が原発の推進に邁進したのか、なぜ国民は原発を容認したのか、原発に代わるエネルギーはないのか、なぜ日本だけが今なお原発を続けているのか。福島原発事故を契機に、国民自らが原発について今一度、考えてみよう。

 防災意識の心のハードルを上げようと、先日、私はこのブログで記した。原発問題もしかりである。この国民には自らの手で自らを防衛する意識が足りない。そろそろ、自分で自分を守り、自分たちでこの国を守る意識改革と危機感が求められる。

放射能の大気拡散

 連日のように各地の大気中の放射線量が発表されている。しかし数値の発表にとどまり、その意味するもの、あるいは測定結果から想定される被害影響と対策について、科学的評価がなされていない。

 放射能の大気拡散は当然のことながら風向きに支配される。しかし、原発周辺の今日の風向きはどうですとか言われても、素人には、だからどうだというのか、さっぱりわからない。これでは、放射線量や風向きの計測結果を発表する意味がない。

 風向きは四六時中変化するが、概括的には季節や地形要因によって定まる。これは、大気中の放射線量分布から等放射線量分布図を作成すれば一目瞭然となる。下に示す図は4月4日の測定値をもとに作成した等放射線量分布図である。

 福島第一原発を中心として赤い破線の1.0の内側の範囲が1.0μSV/h(毎時マイクロシーベルト)以上の範囲を示す。同様に1.0~0.5の範囲、0.5~0.1の範囲が示される。0.1の境界線は、北から、仙台-会津若松-日光-つくば-市原となっている。

 等放射線量分布図の傾向は連日概ね同じである。これによりわかることは、放射能の大気拡散は北東-南西に進んでいること、北東(仙台方向)よりも南西(茨城・千葉方面)に拡散が強いことなどが挙げられる。さらに、拡散を抑制しているものに東北の山脈という地形要素が大きく関わっていることがわかる。すなわち、岩手・宮城県と秋田・山形県の県境である奥羽山脈、福島県と新潟県の県境の越後山脈が拡散の防波堤になっているのである。

 この図で一目瞭然であるように、拡散は同心円状ではない。もっと分かり易い科学的な説明と避難・規制の根拠の提示を、きめ細かくどうしてできないものか。科学者の端くれとして、嘆かわしいばかりである。



放射能拡散

自然との共生

 日曜日の昼下がり、マンションの廻りを散歩する。マンションの目の前は何の隔たりもなく、すぐに瀬戸内の海が広がる。マンションと海との間は防波堤となっていて、幅10mの防波堤の上は散策用のプロムナードとなっている。潮風に満たされ、海は限りなく穏やかである。日本のこの状況下において、このような平和な空間を享受することが憚(はばか)れる心境である。が、この防波堤だっていつ大津波が乗り越えるものか、わからない。

 防波堤の構造計算は波の高さと衝撃力によって決まる。東北の太平洋沿岸は古くから津波の被害を受けてきた。チリ地震の津波が契機となって、平均して波高7m程度の津波に耐えられる、当時としては画期的な高潮堤が施工された。これは日本における標準的な設計仕様からはるかに安全な設計である。しかし現実は、それをはるかに超える大津波に襲われた。

 それでは、波高10mの衝撃力に耐える防波堤を作り直せばよいのか。さらに、1000年後に波高20mの大津波に襲われたら、今度は波高25mの防波堤を作り直すというのか。その考え方がそもそも根本的に違うのである。今回の大津波に対する備えの間違いは、堤防の高さの問題ではない。自然に対して力で対抗しようとした考え方に本質的な問題がある。鋼なものにはフレキシブルな柔で対抗しなければならない。

 まず、大津波の予知対策が全くなされていなかったことが問題として挙げられる。海上の沖合いに距離を変えてGPS潮位計を設置すれば、大津波の予知が可能である。避難までに数時間をかせぐことができる。

 次に、大津波の衝撃力を最後の砦である海岸線で一気に受ける仕組みに問題がある。遠く沖合い海底に衝撃力を消散する対策があれば海岸線の衝撃力は緩和される。大津波の衝撃を消散させる防波堤の形状や構造上の工夫によってもかなり違う。

 そして何よりも問題なのは、自然と共生する姿勢に欠けていたことである。住居エリアと商業エリアの区別、巨大な地下貯留空間、自然景観と防災施設の共存、避難道を意識した道路網など、将来の防災都市建設のキーワードは「自然との共生」である。

 そして何より大切なことは、防波堤を高くするのではなく、国民ひとりひとりの防災意識の心のハードルを上げることであろう。

桜咲く

 今日は雲ひとつない晴天である。この時とばかりに、近所の公園の桜が一斉に開花した。街には入社式に出席したとおぼしき、うるわしき青年の背広姿。そうだ、今日から新しい年度の始まりだ。

 起きた悪夢と関係なく、時は着実に刻まれている。桜の木も無関係に、時がたてばちゃんと咲く。鳥のさえずりも例年のように聞こえる。天災も自然なれど、木々も野鳥も、生きるもののすべてが自然の輪廻にまかせて着実に生かされている。

 自然は時に牙を向けることもあるが、時に人を楽しませ、時に生きることを教えてくれる。我々はそうした自然の輪廻に決して背くことはできない。自然と真摯に向かい合い、自然を見くびらず、自然に寄り添って生きていかねばならない。

 桜咲くこの時期に、この地球の自然とは一体、何なのか、みんなで考えてみたい。そして、できれば桜の木の下で今一度、酒宴をしたい。悪夢がエイプリルフールであったらと思うばかりの、いつもの、のどかな新年度である。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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