水シリーズ(総括編)

 「それでは一体、人間にとって健康な水はどのような水なのか」こんな質問がよくある。これにはこう答える。「健康にとって良い水を飲むよりも何よりも、健康に害のない水を飲まないことが大切だ」と。どれだけ多くのイオンが入った水を飲んでも、どれだけ栄養価の高い飲料水を飲んでも、日常的に害のある水を飲んでいれば元も子もない。すなわち、「日常的に飲む水は害のない水であること」、これこそが健康の秘訣である。

 健康に害のない水の必須条件は2つある。ひとつは病原菌などがない、きれいな水であること。ふたつ目は人工的に塩素やトリハロメタンなどの有害添加物が加わっていないことである。この簡単な条件を考えてみても、水道水の多くは失格になってしまう。汚れを取り除くために塩素を加え、結果としてトリハロメタンなどの有害物質が加わってくるからである。大げさに言えば、不良な水道水が現代人の健康を損ない、病気を作っているとも考えることができる。

 まして、清涼飲料水と称されるドリンクの類、この清涼飲料水の原水は酵素のないただの水であり、これに人口甘味料や合成着色料などの有害物質をわざわざ添加したものである。ジュースやコーラなどを飲み続ける若者の体が今、大きくむしばまれている。


  もう一度繰り返す。「水道水が危ない」「清涼飲料水が怖い」
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水シリーズ(水の効能その2)

 電解質として重要なものに、カリウム、カルシウム、マグネシウム、ナトリウムなどのミネラルがあり、それぞれ水に溶け込むことによって体内で重要な働きを行っている。その原動力はイオンとしての電気の力である。神経や筋肉の機能、浸透圧、ホルモンの作用、細胞の運動、血液の凝固など、さまざまな役割を担っている。このようなイオン水としての役割が病気治療に効能をもたらしている。

 さて、水の効能についてあれこれ本を引用しても説得力がないので、我が家の実績を披露しよう。我が家は10年来、飲み水は山から仕入れている。水道水を飲んだことはない。2~3週間に1度の割合でペットボトル50本くらいを山で汲んで帰る。その山水は別荘地のラドン温泉水であり、井戸から汲み上げたものをタンクで貯留している。

 飲むようになったきっかけは、家内の胃が痛む状態が続いていた頃、この水を飲んだら一発で治ったことからである。その後、東京の息子が通風の気があると診断された頃、水を毎週送って、しばらくして治った。私自身はさほど効果があるという自覚はないが、病気がちな私がこの間、健康上問題がなかったことがせめてもの証と感じている。

水シリーズ(水の効能その1)

 水と健康に関するさまざまな本が出回ったり、ミネラルウオーターが爆発的に売れたり、水がブームになったこともあった。地球規模の環境汚染が問題になっている現在、必然的な現象といえる。

 水の効能に関して、今、世界でさまざまな実験や研究が行われるとともに、水を使った病気治療のいろいろな体験談が報告されている。しかし多くの人は、感覚的に水が健康を支配することがわかっても、身近な体験として水の効能を理解してはいないようである。

 そこで、水の効能に関するさまざまな事例から、高橋由美子著「おいしい水の健康法」にある1例を紹介する。神戸の誠仁会協和病院(河村宗典院長)では昭和60年から廊下に電解水が入ったタンクを設置して患者さんに自由に飲んでもらっているそうです。

 その結果、患者さんの便通の具合がよくなり、頑固な便秘に悩まされた人も治り、便の悪臭が消えていったそうだ。この病院の職員で糖尿病の当時54才の男性は10年にわたって血糖値が250(正常値100)もあり薬を飲んで食事療法につとめても一向に改善されなかったが、この電解水に飲み水をかえたところ、2週間くらいから血糖値が下がりはじめ、その後は暴飲暴食をした翌日以外は正常値を超えることがなくなったそうだ。

 また、この病院で手術を要するくらい重症の胃潰瘍の患者が、薬と併用してこの水を大量に飲むこと1ケ月で完治したそうだ。その他、この病院ではいろいろな症状の患者の治療に効果があったことが報告されている。

水シリーズ(人間にとっての水)

 人間および生物にとって欠くことのできないオゾン、酸素、水。近年、フロンガス、酸性雨、排気ガス、放射性物質、工場排水などにより、これらが破壊され、地球規模の環境汚染を招いているのは周知のとおりである。

 人間の生命と健康にとって最も基本的で、最も大切なものは水である。なぜなら、人間の体の75%、脳の90%は水で構成されているからである。いわば、人間は水からできているわけである。

 風邪を引けば風邪薬を飲み、頭が痛ければ頭痛薬を飲む。我々は日常、このような対処療法に頼って健康を維持しようとしている。このような局所的、短期的な対処療法ではなく、トータル的にかつ根本的に考えなければならない。つまり、人間にとって最も大切な構成要素である水について真剣に見直すべきである。

ブログの功罪

 私がブログを始めたのはもう15年も前だろうか。ブログというものがようやく市民権を得た頃だったろうか。それでも、ブログという言葉すら知らない人が廻りに多かった時代である。Geotech’s Columnというブログ名で3年間、毎日、投稿した。おもに社会論評が多かったせいか、そのうち、ひどい内容の批判が掲示板に届くようになり、しまいにはそれが嫌がらせの中傷へと発展していった。それで閉じた。シニアに数ヶ月前に登録したのをきっかけにブログを再開した。これが私のブログ経歴である。

 私に限らず、嫌がらせや中傷によってブログを閉鎖した方も多くいると聞く。また、嫌がらせや中傷ではないにしても、意見が合わないとか、その他さまざまな理由で去っていく方もいるであろう。ブログを作るも閉じるも個人の自由であるが、そのことで心痛めるブログ仲間がいることも事実である。

 一方、ブログによって得ることも大きい。ネット上ではあるがいろんな人と友達になれたり、幅広い見識を深めていけたり、全国からの季節や花の便りを見ることができたり、ブログの功績は大きい。なにしろ、情報がとてつもなく広くて早い。幅広い友達と気楽に仲間になれる。嫌だったらすぐに離れられる。

 そうしたブログの功罪を思うに、そもそもブログとはネット上の仮想空間であることの認識が重要であると考える。私の場合、プロフイールもブログの内容もノンフィクションであることを信条としている。しかし、人によっては年齢・経歴を詐称したり、嘘や逸話を題材にした内容のものを掲載したりすることもあろう。さらに、活動の宣伝として利用したり、宣教活動の一環として利用したり、はたまた真に利益目的の営業として活用している場合もあろう。また、マナーのない相手に遭遇することもある。しかし、だからといってこれらを誰も咎めることはできない。

 それ故に、「あくまでもネット上のこと」という個人個人の認識が重要である。この認識が薄いと、ややもすれば真剣な口論になったり、宣伝・宣教・営業的な行為の術中にはまったり、マナーのなさに必要以上に心痛めたりもする。

 ブログには表裏一体の功罪があるが、大切なことは開設者のためのブログでなければならないということである。誰に束縛されることなく、自由なときに自由にアップして、他のブログを垣間見て、楽しみ、意見交換し、知見を広めていけるものでなければならない。それができなくなったとき、誰しも閉鎖するであろう。ブログというものはそんなものだ。だから、それでよいのだ。

終わらざる夏

 戦後生まれの浅田次郎が書くには勇気がいったであろう。まして出版となると、一段の勇気が。それだけに、構想から30年、丁寧に時間をかけて調べ上げたであろう、事の真相を。世間から揶揄され、酷評や批判を受けることも覚悟したであろう。

 出版記念講演会の後、サイン会と握手会が壇上であった。壇上にひとりの老人が並び、順番がきた。浅田はすぐに戦争の当事者だとわかったらしい。年齢もそうだが、感性的にそう思ったのであろう。浅田はすぐに頭を下げた。その戦争を体験した者への敬服の念とともに、戦後生まれの自分が題材にしたことへの侘びであったろう。

 講演会でも握手会でも、終始、浅田は低姿勢であった。戦後生まれの自分が語る資格がないことは重々承知していること、それでも書かなければいけないという責務を感じたこと、このような理不尽を通り越した無駄な死があってなるものか、そんな思いであったと推察する。戦後生まれの浅田だからこそ、書く意味がある。まだ読んでいないこの話題作、読んで亡き犠牲者を供養したい。

地質学の裏話(「風が吹けば・・・・・・・」じゃないけれど)

〔ことわざ編〕
風が吹くと、砂ぼこりが立つ。
砂ぼこりが立つと、目にゴミが入る。
目にゴミが入ると、涙が出る。
涙が出ると、いっしょに鼻水が出る。
鼻水が出るとティッシュで鼻をかむ。
ティッシュで鼻をかみすぎると、鼻の下が真っ赤になる。
真っ赤になったらひりひりする。
ひりひりしたら、水で冷やす。
水で冷やしたかったら、水道を探す。
水道を探すには、あちこちウロウロする。
ウロウロしていたら、怪しまれる。
怪しまれたら、おまわりさんが来る。
おまわりさんが来たらびっくりする。
びっくりしたら、心臓がどきどきする。
心臓がどきどきしたら冷や汗が出る。
冷や汗が出て体がべたべたしたら、お風呂に入りたい。
みんなが銭湯に殺到したら、風呂桶が足りない。
足りなかったら、注文しないといけない。
注文された桶屋さんは丸儲けとなる。

〔本題〕
災害や地震が起きれば人が亡くなる。
人が亡くなれば国が本気で対応する。
対応するためには原因がわからないといけない。
自然災害の原因をつかむには地質が基本。
地質を明らかにするために地質調査が発注される。
地質屋が儲かる。

こんな風に不謹慎ながら因果な商売です。
「おくりびと」の気持ちで仕事しています。

地質学の裏話(グリーンタフ)

 グリーンタフ(green tuff)とは、火山から降った灰(火山灰)や火山物質が固まってできた凝灰岩(tuff)のうち緑色~緑白色~淡緑色を呈するものです。緑色凝灰岩とも言います。日本では秋田~新潟の日本海側や伊豆半島などに多く分布します。

 地質学の仲間では常識的なことなのですが、グリーンタフ地域は地下水が美味しいのです。だから、お酒も米も美味しいのです。それから、もっと大切なことは、水が美味しいことに起因すると思いますが、色白の美人が多いのです。新潟美人とか秋田美人の由来です。

 かくして、昔の地質屋は秋田~新潟、下田方面への出張を懇願しました。地質屋にその地方の旅籠の娘さんと結婚した人が多いのはそのためです。

広島事情(あなご飯)

 瀬戸内海で取れる穴子は小振りで身が引き締まっていて、とてもおいしい。宮島の桟橋界隈から宮島に渡った商店街には穴子専門店が目白押し。中でも、宮島桟橋近くにある明治34年創業の上野屋は人気が高い。昼時は無論、いつでも行列ができている。

 ここの定番はあつあつの味ご飯と焼きたてのアナゴの蒲焼を載せた「あなご弁当」。脂の乗った美味しいあなごは黄金色の腹をしています。包丁でそぎ切りすればオリーブオイルのような金色の脂がにじみだしてきます。柔らかくてそぎ切りにすることも難しいくらいです。ほんとの脂の乗った美味しい穴子は寿司屋さんのように蒸したり、フワフワと煮込んだりしなくてもただ焼くだけでさくっとして後に口の中でとろけるものなのだそうです。

広島事情(広島牡蠣)

 広島には名産が少ない。これといったお土産や贈り物がないのである。しいてあげれば、牡蠣、アナゴ飯、広島お好み焼きに、定番のもみじ饅頭といったところか。そこで、広島の牡蠣について考えてみた。

 牡蠣は季節ものだし、人によって好き嫌いが大きい。それに牡蠣にあたったらひどいので、どうしても送るのは躊躇する。とくに生牡蠣は人によってもその日の体調によってもあたることがある。今まであたったことがない人がある年突然にあたることもある。ただ、世の中にはあたっても懲りずに好んで食する人もいる。そんな訳で、牡蠣は折角送っても相手が食して喜んでいただけるまで、ずっとヤキモキする厄介者である。

 それでも牡蠣を送るとなると、それなりに高価なのでまたまた躊躇する。無論、近所の漁港で安く仕入れるのであるが、それでも大ぶりで1ケ100円する。おばちゃんたちが牡蠣打ちする(牡蠣を特殊な道具でこじ開ける作業)現場に行けば、タダ同然でいただけるので、買うのはもったいない気がするのだ。

 お客さんに牡蠣を送るときに気をつけていることがある。できるだけ日曜日に配達してもらうよう手配する。生ものだから、できるだけ家族で速やかにいただいてもらうためだ。焼き牡蠣の殻を開ける金具を添えてあげると喜ばれる。それに殻を開けるときに怪我をさせちゃいけないから軍手の1枚も付ければ、おもてなし心としては上等であろう。こんな風にして送ればお客さんの奥さんに喜ばれること間違いない。

 牡蠣の食べ方としては、やはり生でいただくのが最高である。それも殻付のものを牡蠣打ちし、レモンかポン酢を少しかけて、ツルンといただけば、最高だし冷酒と合う。焼き牡蠣も香ばしくておいしい。炭火で焼くのが最高だけど、アルミホイルをかけてレンジでチンしてもおいしくいただける。この場合、1ケについて1分がレンジの目安である。牡蠣鍋もおつなものであり熱燗と合う。牡蠣鍋は普通に味噌味の土手鍋にしても良いが、豆乳にするとこれが最高の味になる。白菜やニラなどたっぷりの野菜といただけばいくらでも食べられる。

 あ~、こんなことを書いていたら、もうたまらない。牡蠣のシーズンが待ち遠しい。

広島事情(広島弁)

 私は隣の山口県出身なので、そんなに広島弁に違和感はないが、多くの転勤族はとまどうらしい。東北弁とかと違ってまったく意味不明な言葉であれば納得できるのですが、ほぼわかるけどニュアンスが今一わからないらしい。広島弁は全般に言葉が汚いというのが転勤族の印象のようである。

 今では街中であまり広島弁は聞かれないが、地元の人と話すと広島弁が行きかう。「あがーな(あんな)かばち(屁理屈)ついて、えろー(ひどく)あまんじゃく(あまのじゃく)じゃのう。われ(君)、なんぼー(いくら)なんでも、そがーに(そんなに)ゆわんでも(言わなくても)よかろーぞよ(いいじゃない)。」こんな調子です。ま、田舎言葉って感じですね。あ、断っておきますが、私はこんなはしたない言葉使いませんよ。

広島事情(広島人気質)

 広島の飲み屋街といえば、薬研堀と八丁堀が有名である。この界隈では昔、さながら任侠映画を見るような銃撃戦を見ることもあった。組と組との抗争である。そんなイメージが強いせいか、広島人は気性が荒いと言われているが、実はそうでもない。長州のようにお上に反抗する勇気もなければ、京を奉るわけでもない、どちらかと言えば、どっちつかずのお人よしの人が多い気がする。

 広島カープに燃える広島人のエネルギーはすごいものがあるが、それは優勝の可能性があるシーズン当初が最高であり、負けが込むと次第に尻すぼみになる。熱しやすく冷めやすいというところだろうか。いくら負けても応援し続ける阪神タイガースファンとは少し違う。しかしよくよく考えれば、この「熱しやすく冷めやすい」という気質は日本人に共通しているのかも知れない。

広島事情(転勤族の反抗)

 転勤してきたとき、広島は日本で一番支店が多い街だと周囲に言われた。確かに見渡せば転勤族ばかりであった。広島は地元意識が色濃い街である。そんな広島において、転勤族は日常、ストレスを次第に溜めていく。次第にストレスは金曜日から土曜日にピークに達し、転勤族は日曜日に集う。

 日頃の憂さを晴らすための会である。広島ってなんて田舎なんでしょ、田舎のくせに物価だけ都会並みじゃあ~ね、だって地下鉄もないし、街だってセンスないし、カープの奥さんって(往年のスターで現在解説者)スーパーの列に並ばないで先にいっちゃうのよ、市民球場だって狭くて汚いしね、まるで井の中の蛙ってこのことよね。こんな調子で語った。みんなそうだそうだと納得して憂さを晴らす、すがすがしい日曜日である。

 翌月曜日、転勤族の夫は会社で、「いやー、カープ勝ちましたね、よかってですね」って。いや~、ストレスまた溜まり始めています。

広島事情(広島市民球場)

 昨年、とても美しいマツダスタジアムができましたが、それまでずっと広島市民球場が広島カープのホームグラウンドでした。広島市民球場は文字どおり広島市民の球場です。原爆投下からわずか10年後、原爆の傷を癒そうと樽募金をして市民の手で建設された話を聞くと、広島人ならずとも胸が痛みます。

 そんな広島市民球場の熱気はすごいものです。スタンドはほとんど赤一色に染まり、カープ、カープの連呼が鳴り止みません。そんな広島に対抗するため、広島大学の学生を中心に中日ドラゴンズファンクラブを結成しました。赤に染まる中に果敢に青旗を振って応援しましたが、後ろから頭をど突かれるなど、それはそれは死に物狂いの応援でした。

広島事情(広島カープ)

 ここ広島に転勤したての頃、息子が通う小学校の子供は誰しも赤いカープの帽子を被って登校していた。そんな異様な光景を毎日、目にしたが、我が家は根っからの中日ドラゴンズファン。

 だったらと、息子にドラゴンズの帽子を被って学校へ行けと命じた。あくる日、意気揚々と息子は青いドラゴンズの帽子を被って家を出た。すると、同級生にいびられるのかと思いきや、先生に注意されたと息子が帰ってきた。学校にどなりこんだのは言うまでもない。そのうち、野球帽の登校は自粛ということになった。

 広島カープが嫌いなんじゃないんです。広島の人が嫌いなんじゃないんです。他を容認しない風土が嫌いなんです。

高速割引制度の功罪

 高速道路の通勤割引制度が出始めた頃、割引利用にやっきになった。朝6時~9時または夜17時~20時の間にETCで料金所を通過すれば、半額という制度。ただし、100Km未満の場合が適用。時速100Kmで高速道路を走ると1時間で100Km進むから、朝6時~9時の3時間に3回利用できることになる。

 例えば、山陽道の宮島スマートインターを出発点として大阪方面へ向かうと、尾道インターで概ね100Km弱だから、そこで一旦料金所を出て、ETCカードを入れ替えて、また高速に入る。次に岡山県の山陽インターで概ね100Km弱だから、そこでまた出て、ETCカードを入れ替えてまた入る。そうすると、300Km間が半額になる。なぜ、ETCを入れ替えるかって?1人(同じETC1枚)1日朝晩1回の利用に限るという規定があったから、別のETCカードに替えるのだ。

 別に違法でも何でもない。口コミで徐々にそういう人が増えた。料金所でUターンする車が増えて事故が続出した。その後、係員の横断途中の事故も増えた。係員が安全に横断できる2階立て通路を現在、全国で建設している。またそれに莫大な費用がかかる。

 そうこうしていると、100Km越しても、通勤時間帯であれば100Km分が自動的に半額になるシステムに変更になった。また、平日であっても100Km分が3割引きになったり、休日乗り放題千円など、いろいろと割引制度が変更してきている。加えて、本州四国連絡橋など地域特有の制度もある。だから、常にネットで割引制度の変更を確認しておく必要がある。

 国の高速道路割引政策が変わるたびに国民は踊らされる。ETCを装備している人とそうでない人の不公平、ネットに詳しい人とそうでない人の不公平、細かくてわかりにくい料金制度。我々国民は何も安いだけを望んでいるのではない。シンプルで公平な料金制度を望んでいるのである。

無駄の定義

 能力主義から始まって最近の事業仕分けまで、近年、「無駄」が悪人のように裁定されている。それでは、「無駄」というのは何をもって無駄というのか。一般的には、利益や効果・効率を伴わないもの。無意味なものを言う。

 しかし無駄のレベルは、費用対効果から無駄と判断されるものから全く無意味なものまでさまざまである。また無駄と考えられるものも、時代や人によって、場面や集団規模、状況によって無駄でない場合もあり、それどころか逆に効果的な場合もある。そこで、無駄を裁定する場合は裁定条件を明確にする必要がある。例えば国家的な事業仕分けにおいては、向こう3年間の国家財務バランスの観点から費用対効果として判定するとか。

 このように「無駄」自体、そもそも定義があやふやなわけですから、個人においては都合の良いように無駄かどうかを裁定すれば良いのではないかと思う。例えば、無駄使いかなと悩むとき、買わないで我慢するストレスと買って気晴らしできることを天秤にかける。そして、買わないで我慢したときは無駄なものを買わなくて良かったと安堵し、買って気晴らしをした場合はそれは無駄でなかったのだと納得する。


 無駄は基本的に必要である。ハンドルの遊びがなければ危険であるように、一定の無駄が効果を生む。無駄と思えることをいかに無駄ではないようにするか、そこが知恵の働かせどころである。無駄をもて遊ぶ、そのくらいの心のゆとりが欲しいものである。

浮気人類進化論

 まだまだパソの調子が悪く失礼しています。VIOはただ今、修理中であり、別にDELLを購入手続き中です。そんな訳で久しぶりの投稿となりました。

 著者の竹内久美子は京都大学理学部を卒業後、同大学院にて故・日高敏隆氏に師事。専門は動物行動学。本のタイトルも奇抜だが、そのタイトルの著者が女性と聞けばさらに驚きである。博士課程を終えたばかりで肩書きもない彼女がこの本を出版すると、学界から蜂の巣状態で突つかれたらしい。

 学界に少しかかわりのある私としては、さもありなんと思う。タイトルもタイトルだが、学者は往々にして、学問的な正確さからしていかがなものかとか、知識の切り売りだとか、批判するものである。まして、学界に実績も席のない者なら言わずもがなである。これが、学界において権威ある学者の出版だと別である。つまり、学界というところは、権威やメンツに非常にこだわる反面、社会常識に疎くて、他人の出世や売名を妬む、暗いて非常に嫌な集団である。

 さて、著書の内容であるが、引用すると、概ね以下のとおりである。
「動物は本来、複数のオスの精子が卵の受精を巡る競争をして、その結果としてより質のいい精子が受精に成功する.そうして動物の進化が起きる.つまり、人類進化の起源は浮気にある.例えば女が浮気をすると、パートナーと浮気相手の精子が争う.それが今や浮気となるからコンドームを付けるという、動物本来の姿からかけ離れた事態になってしまっている.ましてセックスそのものを放棄した草食男子なんてもっての他だ.」

 さらにこれに関連して、イギリスのベイカーという学者の主張を引用している。「人間の性交時間が他の霊長類に比べて格段に長くてスラストの回数が多いのは、前に射精された別の男の精液をかき出すためだ.人間のペニスは長くて太くて先端がキノコ形をしているのも、その形がかき出しにピッタリだからなんだという.彼とは別の研究者はアダルトグッズを使ってこのことを検証した.」とある。

 この本は別に浮気を勧めているわけでもないだろうが、なぜだか、正直、少し嬉しくなる。しかし、これをいいことに実行などすれば大変なことになる。浮気という言葉で表現しているが、つまり、浮気的生命力と言ってみてもよかろう。肉体的に限らず精神的にも、男が女を恋すること、女が男を恋することは、ごくごく自然なことである。いつまでも恋や愛の気持ちを持ち続けることが、人間の進化ならずとも老化を遅らすことになろう。若者に対しては肉食男子の勧めといったところか。

告白

 久しぶりに映画を見た。不謹慎にも兄の手術中の合間に見た「おくりびと」以来である。シニアナビ友「しあわせさがし」さんのブログに触発されて「告白」を。60席あまりの小さなシート。隣席のポップコーンの音が少し気になったが、館内は概して落ち着いた雰囲気である。割合に若い人が多く、私のようなシニア割引の人は少ない。
 さて、乱れた教室風景の冒頭から始まった内容は少しホラーな感じもする。見終わって強く感じたのは、一体、この作品は何を主張しようとしているのかという点である。暴力(悪)に対して暴力(悪)で復讐しても何も残らないということなのか。加害者と被害者の心の葛藤変化を表現したいのか。はたまた、加害者に至る必然性を主張しているのか。いずれにしても、この作品には情念とか執念、葛藤、懺悔、慕情といった細やかな情感が描かれているはずだが、映画では少し無理がある感じがする。
 配役についても考えさせられた。仮に教師の松たか子と容疑者の母である木村佳乃を入れ替えたらどうだろう。その方がむしろ適役であると考えられが、恐らく、監督は復讐の残酷性とソフトで温和な松たか子の意外性を狙ったのではないか。
 それと、あの乱れた教室風景。いくら近頃の学校が乱れているといっても、あれは少しやりすぎではないか。もう少しリアリティーがある方が良いと感じた。
 いろいろと感じた映画であったが、今度は本で読もうと思う

8月6日

 原爆を体験した世代ではないが、ここ広島に住んでいると否が応でも日常的に原爆を意識する。市内の原爆ドームとか平和資料館を行きかう観光客、明らかに原爆を受けたと思われる茶褐色の石畳、原爆記念病院、原爆被災者の話、病院に行けば原爆手帳が取り交わされる。母がもう少し広島近くに住んでいたなら、この私の命はこの世にないか、あるいは原爆孤児になっていたであろう。そんな広島にいると、どうしても究極の愛と平和への願いを感じざるを得ない。一本の鉛筆があれば、世界に平和をと書くであろう、その言葉は重い。

Microsoftの陰謀

 連日の暑さでまだパソが回復しません。仕事にならないので買い替えを検討しようと電化量販店へ。OSはどれも7になっていた。もうXPなどどこにもない。メモリーも標準で4G(ギガ)、ハードの容量はGからT(テラ)のレベルに。処理速度は64Bitに。それでも15万円~20万円と安くなってきている。しかし、大きな問題が。今使っているAutoCADやPhotoShopなど仕事で必須のソフトが使えないのだ。MicrosoftがOSをバージョンアップするたびに、我々はソフトをバージョンアップしないといけない。必要のないソフトがどんどんついて、やたら重くなる。買い替えを余儀なくされる。負の連鎖である。
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団塊の世代を突っ走った田舎侍の遠吠えです。聞いてやってください。実話から世評までもろもろですが、一貫して、辛口です。

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