漱石「こころ」100年に思う






 漱石の「こころ」が朝日新聞に連載されて100年を経過したのを記念して、100年振りに「こころ」の復刻版が朝日新聞に連載されている。100年前といえば大正時代だから見る由もないが、久しぶりに読む「こころ」は昔とはまた違う趣きで受けとめることができる。それに、復刻版には森下仁丹などの当時の広告が昔のまま掲載されていて面白い。

 改めて「こころ」を見ながら、こんなにくどい作品だったかなぁと思う。先生の遺書も長々とくどいが、遺書が来る前の父の病を見舞う場面も長々とくどい。果たして、漱石作品はみなくどいのかと思うとそうでもない。考えるに、漱石作品はある時期を境に大きく変化しているように思える。東大で教鞭を執りながら書いた時代の「吾輩は猫である」、「坊ちゃん」、「草枕」は、人間ウオッチングの目線から自由奔放なユーモアに富んだ作品に仕上げている。ところが、朝日新聞社に入社してからの作品はうって変わる。「野分」、「虞美人草」、「明暗」、そしてこの「こころ」である。次第次第にくどい作品になっている。

 なぜくどくなるのかを考えてみるに、人間の心の揺れの変化をできだけきめ細やかに描写しようとしているからだろうと思う。「こころ」の先生は、“もとから悪い人間はいない、普通の人間があるとき急に悪人になる”と言う。そして先生は、“悪人になる動機はお金だ”とも言う。しかし作者である漱石自身はまだこのことに納得していない。「それから」の主人公の代助は、食うために働くのは誠実な労働ではないと拒む。しかし最後は職を探しに町へ出る。すると目にするいろいろなものが頭の中に飛び込んできて、すべてが音をたてて崩れていく。作者である漱石自身は、人間はなぜ働くのかについて結論を得ていないように思う。

 前期の漱石が自由奔放、天真爛漫な作風であったのに対して、後期の漱石は悩める作風に変心している。悩めるとは、生きることの一生懸命さであり、自問自答を繰り返していたように思う。心の葛藤が垣間見られるのである。何に自問自答し、何に葛藤していたか、私にはわからない。想像するに、近代化と西洋化の矛盾、恋愛についての普遍性、悪と善、人間の本性、なぜ生きるのか、なぜ働くのか、などか。

 それにしても漱石作品は人気がある。小説嫌いな私にも人気である。他の作家と違って、漱石は頭が良く、科学者でも教育者でも哲学者でも、何でもできる多才な人であり、考え方がどこかフレキシブルなところが好きな理由である。他の多くの作家のように作家馬鹿でないから好きだ。反面、漱石はどこか女性に対するコンプレックスや疎外感を感じているようにも思える。

 漱石作品が人気の秘密は、ダメ男を主人公にしていることもある。「こころ」の先生はエゴイストでナルシストである。先生はやたら「私は」と始める。これはプライドが高く、自意識過剰なナルシストである証拠である。こう書きながら、私も「私は・・・・」が多い。ということは、私もプライドが高く、自意識過剰なナルシストかも知れない。「坊ちゃん」の主人公も自分勝手で甘ったれ。子どものまま大人になったようなダメ男である。ものすごくダメだとそれは嫌われるが。人間は多少ダメなほうが面白い。少しダメな男の方が女性に好かれるのかも知れない。私も見習おうと思ったが、見習わなくてもすでにどっぷりダメ男である。

  「こころ」の連載から100年。100年後も、またその100年後も人間の悩み方はそうそう変わるものではない。こころの葛藤、それこそが人間の証しなのではないかと、「こころ」の復刻版を見ながらしみじみ思うのである。





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太宰治論





 過日、ある人と雑談していて、話が文学のことに及んだ。そのとき、私はとりとめもなく「太宰治は嫌いだ」とつぶやいた。ほんとうに、とりとめもなく。すると、ある人曰く、「太宰治論を書いたら」と。そう言われて、書かないのも癪(しゃく)である。しかしそうはいっても、論じるには少なくとも相応の準備がいる。

 早速、電子本を調べたら、アイウエオ順に「ア、秋」から「富嶽百景」まで48編が納められていた。勿論、「人間失格」も「走れメロス」も「斜陽」もある。これらすべてを読んで論じようと、始めた。

 多分だが、太宰治の代表作を過去に数編読んで、うんざりした記憶がある。その印象から発せられた、とりとめもない不覚のつぶやきであった。今回は彼の作品すべてを、じっくり読破してやろうと意気込んだ。だが、その目標はあえなく萎えた。端的に言うと、面白くない上に、長くてくどくて、イライラして、絶えられないのです。それで、心ならずも中途半端な論を書くに至った。

 論より証拠。たとえば、「人間失格」の中の一文です。
(原文のまま)『・・・・・・・・・プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨な阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けていける、苦しくないんじゃないか?エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか?それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、・・・・・・夜はぐっすり眠り、朝は爽快なのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金?まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけど、金のために生きている、という言葉は、耳にした事がない、いや、しかし、ことに依ると、・・・・・いや、それもわからない、・・・・・考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。』 

 すべてがこんな調子なのです。長くて、くどくて陰湿で、ベトベトした空気がまとわりついてくるのです。彼は句点も読点もわかちゃいない。というか、多分、彼は煙草をくわえて畳の上を立ったまま徘徊し、思いつきで言葉をめぐらせ、それを側近が筆記する、そんな情景だったらこんな文になるだろう。間違っても、原稿用紙と格闘し、書いては削除し、熟考に熟考を重ねているとは、到底、思えないのです。

 それに、彼の文は基本的に文章としての体をなしていない。これほどひとつのセンテンスが長いと、まず主語が何だったのかがわからなくなる。文全体の構成がわからなくなる。文の前後の関連性がわからなくなる。

 そもそも、読みやすい文章とは、できるだけワンセンテンスが短いことが基本条件となる。その方がわかり易く、テンポが良く、接続語や間接語の適用によって前後の関係が明確になる。彼の長たらしい文の読点は、読者のための読点ではなく、彼が思いめぐらすための彼自身のための休息に過ぎないのです。つまり、読者を意識した作家の優しい文ではなく、全くもってエゴな作家の文なのです。ただただ、自分の思いをつらつら、ダラダラ、綿々と綴っているだけで、そこに何の工夫も企画も仕掛けもないのです。その引き際の悪さといったら、ありゃしない。

 もうひとつの事例。「ア、秋」の中の一節。
(原文のまま)『悲惨と情欲とはうらはらなものらしい。息がとまるほどに、苦しかった。枯野のコスモスに行き逢うと、私は、それと同じ痛苦を感じます。秋の朝顔も、コスモスと同じくらいに私を瞬時窒息させます。』

 彼は特化したデリカシーの持ち主であることを自作自演し、それによって孤高詩人であることを鼓舞しているように思えてならないのです。極端な感情移入が、何かしらワザとらしいのです。

 また、このような一節もある。『僕くらいの炯眼の詩人になると、それを見破ることができる』と。自信過剰も甚だしい、高慢ちきな詩人だこと。嫌なタイプのナルシストを見てしまったような気がするし、逆に哀れさを感じるのである。

 結局のところ、太宰治は何を言いたいのか。俺くらいの詩人ともなれば、いくらでも引き出しを持っているから、どんなテーマだって書ける。さあ、どうだ!と。その自信過剰とは裏腹に、彼の文章には絶望感が漂う。人間社会におけるあざむき、虚偽、不正、それらを根源にした人間不信が根底にある。しかし太宰は自分にもそうした人間のずるさや悪さがあることに気づき、自己矛盾に陥り、妙諦(みょうてい)を見出すことができず、苦しみもがくのです。やがてそれが絶望へと繋がり、そして自暴自棄の結末へと誘う道筋が見えてくるのです。 しかし、それもこれも太宰の歪んだ物の見方や、たまたま彼自身が経験した不信がベースにあることが原因なのです。普遍的に物事を捉えようとする姿勢が太宰にないことに、私は最も腹立たしさを覚えるのです。そして、よくよく考えてみると、どこか私も太宰と似たところがあることに気づくのです。






宮沢賢治と地質学



 今の総理大臣や財務大臣を知らなくても、宮沢賢治(以下、賢治を呼ぶ)は誰しも知っている。「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」などの有名作品は、永遠のベストセラーとして後世にも名を残すだろう。私もその賢治のファンのひとりであるが、思わぬところで私との共通点を見出した。それはともに「地質学」を愛するという点である。

 大の賢治ファンであっても、あまたの賢治作品を見た人であっても、賢治と地質学の関係を知る人はあまり多くなかろう。

 賢治は盛岡中学校時代には「石っ子賢さん」と呼ばれるほど、石や鉱物や地質に興味を持っていた。「鬼越(おにこり)の 山の麓(ふもと)の谷川に 瑪瑙(めのう)のかけら ひろひ来たるぬ」は賢治が13歳のときに詠んだ和歌である。信じられないほど岩石や鉱物に興味を持った少年時代の様子が伺える。

 その賢治は盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)の「地質および土壌教室」に進学し、本格的に地質学を勉強した。そしてさまざまな岩石や鉱物を取り込んだ和歌や詩や文章を残している。それらを見ると、相当高度な地質学の専門知識をもっていたことが伺える。

 『阿耨達池(あのくだっち)幻想曲』にはこんな文章がある。「砂がきしきし鳴ってゐる/わたくしはその一つまみをとって/そらの微光にしらべてみよう/すきとほる複六方錐/人の世界の石英安山岩(デイサイト)/流紋岩(リパライト)から来たやうである」

 文章に岩石の名前が散りばめられているばかりか、「複六方錐」なる専門的用語も用いられている。賢治は岩石名や地質の専門用語を用いることによって、非日常性を表現しようとしているのだろう。好きな地質を、どこかメルヘンチックな世界への誘いツールとして用いる賢治のしたたかさも伺える。

 賢治に負けず劣らず地質学を愛する私ではあるが、賢治の研ぎ澄まされた感性と究極の優しさには足元にも及ばないのである。寒い夜は賢治の本がお似合いである。年末年始に時間がとれたらまた読んでみたい。








岩石鉱物
(いつも携帯している岩石鉱物のバイブル本)

芥川賞


 最近の芥川賞や直木賞の受賞もの小説をいくつか読んで、かねがね、つまらないと思っていた。ワクワクしない、面白くない、特段に文章が長けているとも思わない。その矢先の今回の受賞発表と不穏な発言であった。

 芥川賞受賞の田中さんの発言が気に入らない。同じ郷里・下関の出身にしても、弁護する気になれず、興ざめした。彼が不憫な生い立ちであることや勉強が嫌いなことなど、どうでもいい。口下手で、人との接触が嫌いなことや友だちがいないことも、個性といえば個性である。芥川賞を受賞しても、芥川龍之介が大の嫌いだというが。それも勝手といえば勝手である。

 しかし、嫌いな理由に「芥川小説は人生を語っているからだ」と。人生や人間関係を自ら遮断しているあなたに、人生の何がわかっているというのか。

 石原都知事は芥川選考委員を今回限りで辞退すると発言した。その理由はやはり、「ワクワク感がない未熟品が多い」と。その発言に対して、田中さんは「東京都知事閣下および東京都民のために受賞してやった」と。ジョークにしても品位のかけらもないこの発言には、嫌悪感さえ感じる。もしかして、田中さんと石原都知事は、人の意見など聴かない似たもの同士かも知れぬ。

 選考委員の顔ぶれや選考方法など、芥川賞や直木賞の形骸化や通念化が指摘されている。賞に値する作品がなければ見送ればよいことだが。受賞すれば書店に山積みとなり、バナナの叩き売りのように捌かれる。そして、受賞者は鼻高々に好きなことを語る。それまで日の目を見なかった青年や乙女が、世に出た瞬間に自分は偉くなったと勘違いし、そのような振る舞いをとる。このような光景をできたら見たくない。ますます賞もの小説を読む気がしなくなった。しばらく私は古典を読むとしよう。


私のふる里は・・・(2)

山口市は湯の町でもある。
「湯田温泉」と称され、あちらこちらに湯気が立ち込める温泉街である。

開湯は600年前といわれる。白狐が毎夜温泉に浸かっていたところを権現山の麓のお寺のお師匠さんが発見したとされる。田んぼの真ん中から金色のお地蔵さんや、源泉が湧出したことが、「湯田」の名前の由来である。

そんな由来から、温泉街の沸湯箇所にはどこも白狐がいる。

白狐

温泉街にある5箇所の足湯にも白狐がいる。今回は4箇所の足湯をはしごした。

温められた石に身をまかせ立ち込める湯気に、猫もうっとり。微動だにしない。


猫


温泉街の中に中也の句碑がある。

『しののめの よるのうみにて 汽笛鳴る
こころよ起きよ 目を醒ませ 
しののめの よるのうみにて 汽笛鳴る
象の目玉の汽笛鳴る』

そのすぐ隣に、やはり湯田温泉にゆかりがある種田山頭火の次なる句碑が並べられているが、その対照的なアンバランスがおかしいのである。

『ちんぽこも おそそも沸いて あふれる湯』

やはり私はどちらかといえば、中也より山頭火の方がお似合いかも知れない。


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